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Killing Me Softly With His Song  作者: コネ
最終章 Killing Me Softly With His Song
132/141

純潔は鉄と血によってのみ③





 ——フォーセット王国属州ベルガルキー・クルロス王城。


 もとより、その王都王城と呼ばれたものは、竜の厄災——人々は魔導災害と云ったが——により、大半を魑魅魍魎が跋扈する紫紺の沼地と化した。竜殺しの英雄は姿を消し、王族でさえもそうだった。それからと云うもの、それまでも代理戦争だと蔑まれたベルガルキーと隣国アムルダムの戦火は絶えることなく、寧ろ激化した。それは百年以上も前の話だ。

 人々は、それでも希望を捨てず復興に明け暮れ、ようやく王都の殆どを魔物から取り返し、煌びやかな王城も威光を取り戻した。

 だが、それも——たった今、再び崩れ去った。

 竜の災厄後、どこからともなく現れた白の魔導師が連れ立った王族の末裔——竜の権能を宿した女王だと云った——を王座に据え今日に至ったが、()()がこの終焉を再び招いたのだ。

 草原を遍く統べる王座は砕け散り、誇り高き草原の部族を表した旗印は、もう黒焦げて見る影もない。草原を駆ける鬼火の童話がクルロスでは広く知られている。子供が寝つかなければ、鬼火に攫われるぞと子供たちの耳元で云ってやるのだ。そうだ。眠ることもなく、ただただ云われるがままに王座に座した女王は、とうとう鬼火を城に招きいれたのだろう。

 ギャスパルは云った。「終わってみれば、ひでえもんだ」

 先ほどまで、醜く無骨な両角を生やしたソフィの額を撫で、周囲を見渡した。アッシュとギャスパルが踏み込んだ際には、生者は居なかったものの、アイザックが呼び出したであろう<屍喰らい>の残骸が、そこらじゅうで炭のようの黒々と転げ種火を燻らせ、異臭を放っている。謁見の間の天井は抜け、陽光が刺すものだから、その惨憺たる光景は生々しく映った。「なあ、アッシュ——」


 アッシュ・グラントはギャスパルが云ったアイザックの行方の方角を見つめ立ち尽くしていたが、名を呼ばれると黙って大盗賊に目を移し、次の言葉を待った。「——どうやって、ソフィを呼び戻すんだ?」

 アッシュは短く「ああ」と云うと「目を瞑っていろ」とソフィの傍に跪いた。

 ギャスパルは最初「あ?」と、まさか手品の種をみせまいと宵闇が勿体つけているのではないかと不服の声を挙げたが「見ない方が良い」と諭され、しぶしぶ瞼を降ろした。でもしかしだ。知ることとは盗賊の武器となる。それは叡智だの奥義などと云った大仰なものではなく、生き抜くための知恵そのもので、悪巧みとはその裏返しの技巧。知っていて損はない。ギャスパルは一部始終を薄目のなかで見届けた。


 アッシュは逆鱗の籠手を外すと何度か掌を握ったり開いたりをした。次にソフィにかけられた外套を引き剥がし、彼女の胸へ掌をあて短く誰かの名を呼んだ「ロア」

 しばらくの沈黙が流れた。そこらじゅうで暴れる焔の舌が、瓦礫という瓦礫、壁という壁を舐め上げ、とうとうその勢いで崩す音が酷くなってきている。「アッシュ」堪らずギャスパルは宵闇の名を呼んだ。

 

「黙ってろ——いや、こっちの話だ。そうだ、そこまでの女と男の情報だ。ああ、判っている。それは本人も承知をしている。大丈夫だ」アッシュは、誰ともなく何か会話を交わすと、ソフィの胸に当てた掌を押し込んだ。血が溢れ出ると、抱えたギャスパルの腕に生暖かいものが滴るのが判った。「グラント! お前!」

「だから、見るなと云ったんだ。黙ってろ直ぐに終わる」アッシュはギャスパルが素直に瞼を降ろすとは、毛頭想ってもいなく、そう云った。すると、ソフィの細く白々とした身体へ、青と緑の繊条が走った。アッシュが押し込んだ掌を中心に奇妙な幾何学模様が展開すると、溢れ出した鮮血が逆流をはじめソフィの身体へと戻っていく。「お前の妹の記憶は——どうだろうな、少なくとも娼館へ身を置く前までだな。回復できたのは。寿命は判らん。せいぜい二人で死ぬまで足掻いてみろ。そうすれば判る。それまで世界はこのまま糞のまんまだがな」


「お前」ギャスパルは腕の中で、小さく吐息漏らした妹の息吹を感じると、剥がされた外套をもう一度優しくかけてやった。「感謝するぜ——なあ、アッシュ。俺に出来ることはねえか?」恐らくだ。アッシュはソフィの記憶を全て戻すことのほうが楽だったのではないか? だが、そうはしなかった。この男はギャスパルが——どんなに歪んでいようとも——心底願ったことは、ちっぽけな幸せだと判っていた。だからこそ、それを叶えたのだろう。心底願うことなんてものは、そんなものの方が多い。

 だから、大盗賊は貸し借りといった冷ややかな話ではなく、アッシュの何かに応えてやりたい。そう想った。ちっぽけな願いだろうが、なんだろうが。だが、アッシュから返ってきた言葉は、望みではなかった。アッシュは踵を返し燃え盛る謁見の間を立ち去ろうとしたのだ。「アイザックは、大農園の方へ翔んで行ったんだな?」


「そりゃそうだが、お前どこに行こうってんだ——大聖堂は逆だぞ」

「アイザックは最後になんて云ったんだ?」

 ギャスパルは閉口した。「兄さん?」とソフィが声を挙げ、白指をゴツゴツとした大盗賊の頬へ沿わせたが、それには優しく抱くことだけで応えた。そして、アッシュの視線を真正面に受けた。赤黒に濁った硝子玉はなりを潜めていたが、しかし爛々とした蛇の目は燃え盛るようだった。ギャスパルはそれに固唾を呑み、何度か言葉を吐き出そうとするが遂にはそれを止めソフィの頭を抱きかかえた。「なあ、ソフィ。少し付き合ってくれねえか」ソフィはそれにただただ、小さく、かぶりを縦に振った。


「アッシュ。お前はお前の姫様をかっさらってこい。いいな? 俺の呪いを解くのは、その後だ。お前が、姫様といちゃこらして戻ってくる頃には、俺たちは()()()()()()、ここに戻っているぜ」

 ギャスパルの言葉にアッシュは、暫く鋭い視線を突き刺していた。

 アイザックが必ずしも大農園へ向かったとは云えない。だが、ギャスパルの言葉を鑑みれば自ずと、どうであるかは判る。アッシュはアイザックが残した言葉を知れば——全てを抱え込み、優先順位を決めるだろう。ギャスパルはそれを知っているのだ。

 だからアッシュは云った。「頼む」





 アッシュはギャスパルが予め解錠した大聖堂への扉を抜け、永遠と続く白亜の螺旋階段を駆け登った。暫く行くと背後から轟音が響き渡る。振り返って見れば天井の抜けた謁見の間がさらに倒壊を重ね煉獄の焔に呑まれるのが判った。あの大盗賊が、今更巻き込まれるようなヘマはしないだろう。アッシュは、そう想うと、それよりも脚力強く風のように螺旋を登り始めた。

 何度の曲がりを経た頃だろうか——眼下に広がる煉獄を知らぬとばかりに陽の光を背にしたそれが見えたのは。白々しく幾つもの清らかな曲線の輪郭を見せた大聖堂は、煉獄から這い出た黒々とした悪魔を拒む最後の砦のようにも見えた。アッシュは大聖堂の姿を目にすると苦々しく口を歪めた。これでは、どちらが悪魔なのか。いや、言い得て妙。拒まれる悪魔は、本当の所は自分なのかも知れない。

 エステルをこの手に取り戻し、己が想いを遂げる世界。それを成し得る世界。初めて掴む自分の世界。だが、それは誰も望まない世界だろう。そう——()()だ。世界(リードラン)を旅し、捜し求めた()()()()()()()者が望んだ世界でも、白の吟遊詩人が望んだ世界でも、ましてや白銀の魔女が望んだ世界でもない。それでも、赤毛の姫は笑って許してくれるだろうか?

 アッシュは白亜の大扉の前に立ち、もう一度笑うと、眼下に燃え盛る王城を一瞥し、そして北西の空に目をやった。「頼んだぞギャスパル。まさか最後の最期でお前の手を借りることになるとは想わなかったな」


 

 


 想った通りと云うべきか。

 白亜の大扉へ両手をあて押し開こうと力を入れても、扉はうんともすんとも云わない。それにアッシュは眉を顰めた。大扉を押し留めている力は魔導でも魔術のいずれでもないと直ぐに判ったからだ。「なんの真似だ——」アッシュは、その力の源泉を悟ると、振り返った。

 

 白亜の大扉までに何本も立ち並んだ円柱。そこにはベルガルキー王国創生に語られる草原の巫女の逸話が彫り語られ、大扉に辿り着くまでにベルガルキー王国は見事に建国を果たす。アッシュが振り返り、目にした人影は、草原を焼く鬼火を抱きしめた巫女が、それを幾多の川にすると肥沃な大地を産む場面を彫った柱から姿を現した。「無人(なきと)。あなたの邪魔をするつもりはない。だから、そんな怖い顔をしないで」


 姿を見せたのは、この場にほとほと似つかわしくない、二の腕がふわりと膨らんだ上品な上着に、足首あたりまである腰巻きの金髪碧眼の女だった。

 見ようによれば、どこぞの大図書館の司書のようでもあったし、宮廷魔術師のようでもあった。だが、なんにせよ女は魔導師には見えなく、アッシュ・グラントを<無人(なきと)>と、このリードランで発音できる人間は今この場には居ないはずだ。


「——怠惰の獣。リーン・ストラウス」そう云うと踵を返し黒鋼を女へ向けた。「あなたもここで傷付けば、本体はただでは済まないだろ?」


 リーンは向けられた黒鋼を一瞥し俯くと、溜息と共にかぶりを振った。「希次さんから全て聞いて——いいえ、違うわね。あなたが、そう望んだから私は今ここに居る。と、云うことかな?」


「どうだろうな。俺の望むことが、あなたの思惑に反している。だから説得に来たと云うならば、そうだろう。だが、それに応じる気はない。邪魔をしないと云うならば、この結界を解いてくれ」アッシュは、そう答えると何度か目を瞬かせ——何かに苛立ちを覚えたのか赤黒の蛇目を滾らせる。陽光に佇むリーン。かたや大扉の前で澱みのような影に隠れ蛇目を赤黒くした自分。これでは、まるで宥められている子供が暗がりで駄々をこねているようではないか。アッシュは、そう想うと思わず黒鋼をそのままに、俯いてしまった。


「無人。その瞳」

「黙れ」

「希次さんね」

「違う——黙れ」

「今ならまだ間に合うわ。だから」

「黙れ」

「いい無人。ここは、あなたが造った世界を浄化するための源泉。あなたは、もうあの白銀の娘に何も訊かなくていいの。もう呪われた円環に縛られる必要はなくなる。だって、ここはあなたが望んだ世界なのでしょ?」

「黙れ」

「あなたが、現実へ戻って、あなたの血で世界を浄化すれば、あなたの望む世界がやってくる。古き良き可能性に満ちた世界よ」

「黙れ」

「人々に等しく、その可能性は与えられるの。アーカムが望む選民の世でも、フラクタルが望む強権の世でもなく、平等な世界を迎えることができる。だって、そうでしょ? 無人。このリードランはそんな世界なのでしょ?」

「黙れ——そこにはエステルもミラも、グラドにアイシャも、ナウファルも、アイネもカミルもセレシア、ポーリン、ステラ、トマ、クレモン。皆んな居ないじゃないか」

「それは皆んなネイティブの子なのでしょ? だったら——」

「——だったらなんだ?」リーンの最後の言葉はアッシュの揺らいだ心を律するのに十分だった。「だったらなんだ! 云ってみろ、リーン・ストラウス!」


 突き出した黒鋼へ魔力を通したアッシュは、石畳を砕き、まるで赤黒の閃光となってリーンを襲った。燃え盛る王城から立ち昇る黒煙が、そろそろここまで届き始めると、閃光となったアッシュの勢いに巻き込まれ、まるでそれは横薙ぎに突進する嵐のようだった。

 リーン・ストラウスはそれに、両手を掲げ受け止める姿勢を見せた。すると、みるみるうちにリーンの両腕は衣服を破り、黒く硬い毛で覆われた強大な熊の腕の様相を見せると横殴りの嵐を受け止めたのだ。

 強烈な爆風が巻き起こった。

 幾つもの火花が爆炎と共に踊り狂い、それに合わせ黒煙が幾重もの筋を撒き散らす。受け止められた後も、アッシュは目にも留まらぬ打ち込みを止めることはなかったのだ。

 リーンはそれを黙って受け止め続けた。何度か——その細身には似つかわしくない大熊の腕の——黒く硬い毛が弾け跳んだが、何度もそれは生え変わり、アッシュの猛攻を防ぎきった。「もう判ったわ。無人。最後に一つ訊かせて」


 アッシュはリーンに押し返され云われた言葉へ「なんだ」と、肩で息をすると再び構えなおした。

「希次さんは、なんて?」リーンは、どうだろう——酷く寂しそうな瞳を見せると両腕を振るい大熊の両腕をもとの細腕に戻すと、一歩引き下がった。

「俺の好きにしろと——」

「それだけ?」

「——あなたを許してやってくれと云って、俺の中の<憤怒>と……」

「そう——ありがとう無人。でも、この先に行くと云うなら……もう」


 

 

「ああ——でも許す許さないで云えば、どうだろうな感謝はしている——」アッシュは、その言葉を陽光の中へ小さく云った。リーンは最後の言葉へ礼を乗せ、スッと姿を消してしまっていた。

 きっと——それ以上アッシュは考えを巡らせることをやめた。「——だけどな。落とし前は付けさせてもらう」


 アッシュは再び、白亜の大扉へ手をあて力を込めた。

 もう扉に結界の効果は及んではいなかったが、どうやら王城の崩落の影響で歪みを見せている。「エステル……」

 その名を口にし、アッシュは魔力を掌へ流し込むと、白亜の大扉を砕き——そして、白煙の中に二つの影を見た。それは、エステルとブリタ・ラベリ——いや、あまりにも多くの運命を弄んだ<白銀の魔女>メリッサ・アーカムのシェルであった。


「待たせて——すまなかったな、エステル」

 


 

 

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