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Killing Me Softly With His Song  作者: コネ
最終章 Killing Me Softly With His Song
131/141

純潔は鉄と血によってのみ②





 <北海の女王>に激突し、紅蓮の焔に焦がされ転がされたアイザック・バーグであったが、何事もなかったかのよう、かぶりを軽く振り、ゆらりと焔の中へ立ち尽くした。すると、不敵な笑みを浮かべ拾い上げた片手剣で纏わりつく焔の舌を斬り裂いた。「儂とて道具ではないぞ宵闇の——全ての不遇がお前だけのもののように口を走らせるな。この猿が——」


 アイザックは焔の海を割りながら<北海の女王>の傍までいくと、段の下で構える二人——アッシュとギャスパル——を冷ややかに見下し続けた。「——だが、機知に富んだ戯言を吐いたものだな」

 そして白の魔導師は、ことさら余裕を見せ、段を一歩くだった。「道具。そうだな、道具だ。儂もお前と云う道具を働かせるための道具だ。だが、長い年月そうしておれば道具に意思も宿ろうと云うものだ。そして、それが今だ」アイザックは、背後で焔の絨毯に毅然と気高く立った女王へ手を差し伸べた。そして女王の焔の手が皺くれた手を取ると、アイザックに引き寄せられ焔の身体をピタリと魔導師に沿わせた。

「吐いた唾を飲むような真似はしてくれるなよ、宵闇の。お前が魔女の道具ではないと云うのならば、その選択の末路を見せてみろ」そう云うと口角から赤黒の煙を漏らしたアイザックは<北海の女王>を更に抱き寄せ、彼女の紅蓮の軀に浮かぶ星のようであった菱形の石を、グイッと胸へ押し込んだ。



「さあ、猿ども——祝宴の再開だ」



 白の魔導師——いや、そうであった者。アイザック・バーグは<北海の女王>の胸へ楔石を埋め込むと、外套を翻し赤黒の煙で二人——白の魔導師と女王——を包み込んだ。

 刹那の静寂が、かつて煌びやかであった謁見の前に訪れた。賛美の声はなく、楽師の伴奏も吟遊詩人の旋律も、美声もここにはない。竜討滅の祝宴には白の吟遊詩人が招かれ英雄を讃え唄ったと伝えられているが、それはどうだったか定かではない。だが、アイザックの脳裏にこれだけは刻まれている。ここに在ったのは渦巻く死であったことを。それを空から眺め歓喜に浸ったことを。


 次には轟音が満ちた。

 草原の王国にしては随分と贅を尽くした謁見の間——無論、今は全てが黒く爛れ煤け、玉座へと導く赤絨毯の上に突き出された幾つもの旗印もそうだったが——の天井が諸共砕け落ち始めた。宙から落ちた瓦礫は、そこらを埋め尽くした骸に焔、聞こえはしなかったが、怨嗟の声さえも押し潰すよう音をたてた。そして、惨劇が、そうであると生々しく映すよう陽の光が、謁見の間を照らし浮き彫りにする。


 アッシュとギャスパルは静観した。

 周囲に巻き起こる破壊の様相は、この二人にとって瑣末なものだったのだ。それよりも——眼前で、段上で、膨れあがった、何もかもを否定し喰らい尽くそうとする気配。それが姿を得るまでを見届ける必要があった。

 立ち昇る赤黒の煙。呼応し燃え盛る紅蓮の絨毯は捲れ上がり渦を巻いた。

 そして、それは遂に姿を見せた。


「グラント——お前、本当に大丈夫なんだよな?」ギャスパルは黒鋼の短剣を段上へ突き出し、たったいま姿を現した異形を指した。「石が無くなっちまったじゃあねえか」


 



 大盗賊が指した異形。

 身の丈は対峙した二人よりも頭、四つは高く今や焔を縫い付けたようであったアイザックの外套らしきものは、その意味を失っている。顕になった皺くれた肌の筋の一つ一つには禍々しく赤が脈打ち、焔の影は重なる異形の線影を浮かべるため、ゆらりゆらりと醜く蠢いていた。そう——()()()異形の線を浮かべる。

 焔が猛り捲れると、そこにはアイザックの首へ焔の腕を回し、しがみつく女の後ろ姿が見え隠れした。ギャスパルの妹だった者であり、<北海の女王>と呼ばれた者——それが歪んだ身体をアイザックに巻きつけているのだ。

 

 アイザックであった異形は一歩一歩、焔を巻き上げ段を降りてきた。

 もはや言葉をも焼き失ったのだろうか、異形は折り重なる焔の音の中、手にした片手剣を突き出し振り払った。熱の竜巻が巻き起こりアッシュとギャスパルを襲い掛かった。二人はあわや直撃の寸前で左右に跳び、それを避けるがギャスパルが苦痛の叫びを挙げた。「なんだありゃ!」

 アッシュはそれに、一瞥すると大盗賊の左腕から血飛沫があがったのを認め、取って返し異形の(なり)を確かめる。そして苦々しく言葉を漏らした。「接続したな」


「おい! そりゃ、どう云う意味だ宵闇!」

 異形は巨躯を軽々と、ふわふわと、ぬらりと操り流れるよう二人へ刃を振るう。ギャスパルは、その殆どを寸前で躱し、やはりそうするアッシュへ叫んだ。まともに刃を撃ち返していては、到底その余裕は生み出せない。何が起きているのかを確かめなければ斃せるものも斃せなくなる。

「アイザックは自分の魂を女王に喰わせやがった——」アッシュは異形の薙ぎ払いを躱し顎を突き出した。「——アイザックの元型(アーキタイプ)は俺自身。あいつは無理矢理、外環の理を引っ張り出したみたいだな」


「それで!?」アッシュの言葉の大部分はギャスパルは理解できていない。しかし、それでも状況が悪くなるいっぽうであることだけは肌で感じた。だから、結局のところ、どうすれば良いのか。ギャスパルはそれを知りたく、たったいま異形が振り下ろした一太刀を躱し、叫んで続きを促した。「ソフィは大丈夫なんだよな!?」


「<憤怒>が俺を喰らったときは魂の濃度が濃く<世界の卵>を産み出したが——幸か不幸か()()は上手く成立している」黒鋼の両手剣へ魔力を乗せたアッシュは、異形が石畳を片手剣で叩いた隙に、素早く脇へ跳ぶと異形の脇腹へ——女王の身体を避け——一撃を叩き込んだ。異形はそれに怒りの咆哮を挙げ、やはり気味悪くぬらりと、その場から退け、振り向き様にアッシュへ片手剣を薙ぎ払った。

 

 ギャスパルはそれに「頼むから判るように説明しろってんだ」と倒壊し始めた大柱を駆け登ると、ちょうど異形のかぶりを狙える位置へ到達した。

 そうだ。なんにせよ頸を落としてしまえば、大抵の生き物は逝ってくれると相場は決まっている。だから盗賊と呼ばれる者は非力だったが、狡猾であったから背中へ忍び寄り一撃で仕事を終えることができる。ギャスパルが会得した神速の体術に短剣術はもののついでだ、と云うのが大盗賊の持論だ。

 だが、どうやら——その両方が今は役に立たなかったようだ。


 アッシュの苦悶の声が焔の音に織り込まれた。

 ギャスパルは登った大柱が崩れ、足元がおぼつかなくなるのも気にせずに、その光景に釘付けになった。異形がアッシュを薙ぎ払おうと振るった剣を追いかけるよう、幾千もの緑や青、赤の繊条が飛び出すと、それはアッシュの不意を突き——その幾つかは黒鋼に叩き落とされたが——胸や腹を突き破っていた。繊条の出所を良く見れば、異形の腕から幾つかの黒々とした骨格が突き出ており、そこから放たれている。そして、ギャスパルの視界が落ちていくのと同時に、今度は異形の背中から鈍く黒く焔の灯りを反射した十二の黒縄が飛び出しアッシュへ襲い掛かろうとした。「アッシュ!」


 鈍い金属音が鳴り響いた。

 随分と焼きが回ったもんだ——盗賊失業だなこりゃ。

 ギャスパルは肩で息をし細管に貫かれたアッシュの前へ躍り出ていた。襲い掛かった十二の黒縄の全てを叩き落としたのだ。あのまま、異形の頸を落としさえすれば、全てに決着がついただろう。<宵闇の鴉>の命と引き換えにだ。だが、そうはしなかった。振り返ってみれば、それは事後処理のためだと言い聞かせた。決してアッシュを助けてやろうだなんて殊勝な話ではない。アッシュが居なければソフィを取り戻せない。だから——「アッシュ。死んでんのか?」


「どういう風の吹き回しだ」血を噴き出したものの、もう苦痛の音は挙げていないアッシュは、細管を斬り落としギャスパルの肩に手をかけた。

「云ってろよ——」肩にのせられた無骨な手を一瞥し、そして叩き落とした大縄が異形の足元で蠢くのに目を移した。「——ちゃんと説明しろ、ありゃなんだ」


「あれで俺を捕まえて、外環に出るつもりだろ。どうやら爺の奴、魔女を裏切る気だな」

「そら、結構なことだな。よく判らねえがな」

「俺が囮になる」

「は? 気でも狂ったか? そもそも正気とも想ってもいなかったがな」

「俺では爺を斃せない」

「なんで、そうなるんだよ。そこは『俺に任せろ』ってところじゃねえのかよ」

「まあ、そう云うな——爺も他の始祖もそうだが、彼奴らは俺の分身と云っていい。だが()じゃない。判るか?」

「判らねえよ。馬鹿にしてんのか」

「兎に角だ。今の爺は()になりきるまえの()だ。だが、俺が爺を殺したらその衝撃で俺は爺の魂に取り込まれるはずだ。<色欲>は一度、その一歩手前で踏みとどまったようだがな」

「なんで<色欲>の話が関係あんだ。今はお前の話をしてるんだろ」

「なんだギャス。お前そんなに細かい男だったか?」

「あー判ったよ! で?」

「俺が囮になって爺の身体を斬り刻む。その間に楔石を見つけて、それを砕け。恐らく背骨の付近で動き回っている筈だ」

「なんだよ。やることは変わらねえな」

「頼んだぞ」

「おう。上手くやってくれよ」


 



 二人が話す間、異形は幾度となく二人を襲ったが、それは届くことはなかった。

 だが、その合間、異形は方々に転がった骸を()()()()()と、首に巻き付いた女王の口から何体もの<屍喰らい>を吐き出し二人の逃げ場を次第に奪っていった。

 散開したアッシュは<屍喰らい>を薙ぎ倒し、焼き払い二度と姿をなさぬようにすると咆哮を挙げ剣を振るう異形と対峙し激しい剣戟に興じた。醜く燃える腐れた肉を削ぎ落とし、刻には脚の筋を断ち斬るが、それでも異形の勢いは落ちることがない。おそらく魔力なのか女王を通じて供給される何かで動きを止めないのだ。

 アッシュは、それを承知をしていた。

 




 あの野郎、本気で判らねえことばかり云いやがって。

 ギャスパルはいつもの通り、心中で毒づいた——だが、そう云うときに限ってこの大盗賊は理屈ではなく本能で、何かを察する。

 創世の昔話によれば——そんなもの信じたこともなかったが——世界を造った王は、似姿の土人形に命じ人々へ叡智を与えたそうだ。そして、土人形は役目を終えると姿を消した。そう。壊されたわけでも殺されたわけでもなく、姿を消した。アッシュは爺を分身だと云った。もしもだ。それが、アッシュと爺の関係だと云うのならば、その根源を——それが何か想像もしたくもないが——共にすると云うのならば、爺を屠ることは自死を、いや<()()()()>を意味するのではないか。だから——爺を斃すことが出来ない。と云うことなのか。

 だが、それであれば何故<色欲>を殺そうとした?

 ギャスパルは遠巻きにアッシュが興じる狂気の剣戟から目を離すことなく、そんなことを考え機を見計らった。


 そうか——ギャスパルは何かを掴んだように想った。

 その切っ掛けは、アッシュが異形の背後へ回り込み縦に腐肉を斬り飛ばした刻だ。青とも緑とも見える菱形の石が顕になり、それを目にしたからだったが、結局のところ最後まで考えが纏まることはなかった。



 


 陽の光に踊り狂う紅蓮の焔に巨躯の異形。

 その狂騒に合わせ赤黒い魔力で宙へ軌跡を轢き回る<宵闇の鴉>。

 二つの影の狭間に立ち昇る土煙と陽炎に青緑の輝石が浮かび上がった。その一点までの線が盗賊の目に浮かび上がった。それは天啓なのか。それとも——ここまで巡らせた考えが的を得るならば——いや、だがそれを考える暇はない。「ギャスパル!」アッシュの声が響渡った。


 ギャスパルは黒鋼の短剣をくるりと持ち換えると、稲妻の如くその場を跳び出した。

 次には耳をつん裂く金属を擦り合わせような音が響くと、異形の背が割れ、目を潰さんばかりの光柱が激しく立ち昇った。





「おい、アッシュ! おい!」

 アッシュは頬に酷い痛みを感じ、瞼を重々しく開いた。「もう少し、ましな起こし方はないのか」ギャスパルが楔を砕いたのだろう。激しい音が耳を襲い、その後のことをアッシュは覚えていない。つまり、気を失ったようだった。


「残念ながら、俺にそっちの気はねえんだよ」苦言を呈したアッシュのかぶりを雑にほうりだしたギャスパルは、直ぐそばに寝転がった全裸の女へ駆け寄るところだった。「あのまま逝っちまったかと肝を冷やしたんだぜ」

 大盗賊はそう云うと、女を抱き抱え「おい、ソフィ」と硝子細工を慎重に扱うよう、女の頬を撫でた。そして愛おしそうに額にかかった髪を、そっと払い顔を顕にした。

「温かいぜ。なあ、ソフィお前、温かいな」何度もギャスパルは女の顔を優しく撫でると涙を流した。その温もりは、あたりで爆ぜる忌々しい焔の熱ではない。確かにギャスパルが抱える身体のうちから滲み出る暖かさだった。

 ギャスパルは上着を脱ぐと、ソフィにかけてやり、そっと降ろした。



 

「アイザックはどうなった?」それにアッシュは、珍しく微笑み横たえられたソフィの傍に跪き、ギャスパルに訊ねた。

「どうもこうもねえよ。凄え音を撒き散らしたかとおもったら大梟の姿で翔んでいっちまったぜ。それもそうだが、お前は大丈夫なのか? あの大縄に——」ギャスパルは、そこで言葉を落とした。

 あれは思い出すだけでも悍ましい光景だった。

 黒の大縄は異形の断末魔に合わせ、アッシュに襲い掛かった。そして、アッシュの四肢と、かぶりを跳ね飛ばしたのだ。だが光柱が収まる頃になると、アッシュの身体は()()され、横たわっていた。そして——その傍には背中を割り黒光を放つ骨格を顕にしたアイザックが、恨めしそうに立ち尽くし臓物を引き摺り、手にした片手剣でアッシュの胸を突き刺そうとしたのだ。ギャスパルは、それに最後の力を振り絞り、アイザックの剣を弾くと最悪の状況から逃れた。

「宵闇に伝えろ。儂は必ず外環へ征くぞと——その手立てはお前だけではないとな」これが、アイザック・バーグの最後の言葉だった。


「大縄に?」言葉を落としたギャスパルへアッシュは訝しげな顔を向けたが、何を考えたのかギャスパルはそれに答えることはなかった。「なんでも、ねえよ。兎に角、彼奴は翔んでいきやがった——」苦しそうにそう云ったギャスパルは何度かアッシュの顔と、ソフィの顔を行き来すると「——大農園の方だ」と消えいるように伝えた。



 

 

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