表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Killing Me Softly With His Song  作者: コネ
最終章 Killing Me Softly With His Song
126/141

人の澱み①





 ——永世中立都市ダフロイト・北大門。


 それは人が撒き散らした澱みの溜まり場。

 北の大国とそれ以外を隔てる壁となり、緩衝地として人々の一切合切を受け入れ混ぜ合わせ続け、吐き出すことをしなかった仮初の桃源郷は、ついに膨れ上がった腹を破裂させたのだろう。

 <剣壁>から、まんまと逃げ果せたオズヴァルドは、ここへ至るまでにフリンフロン軍と出会すも持ち前の強運ゆえか、はたまたは——そう運命付けられたのか、とにかく隣に並び立ったリキャルドと眼下に広がった、そんな惨劇を目の当たりした。そして、すっかりと疲弊し麻痺した頭で、ぼんやりとそんなことを想ったのだ。


 東に目をやれば、そうだと隠す様子もなく敗走するフリンフロン軍が、恥ずかしげもなく巻き上げた土埃を眺めることができる。敗走——その言葉が、あの土埃を正しく形容するかと云えば、元帥カイデルの存在がひっかかり、腹落ちするまでにはいたらない。

 だが。眼下に広がった多くのフリンフロン騎士をはじめとする、あらゆる戦士達の骸を目にすれば、今だけでもそう想って良いのだろう。今だけは。そう。今だけは。負けはしなかったアークレイリ軍を誇りに想っても良いだろう。但しだ。桃源郷の腹を食い破り臓物——人の死、骸、累々とした瓦礫に燻る焔、鼻の奥を突くすえた臭い、駄々漏れる負の畝りを撒き散らした張本人は、その澱みの溜まり——永遠と広がるこの惨劇のど真ん中で陽の光に燦然と白甲冑を輝かせた赤髪の騎士であり、彼の横で棒のように突っ立った青(たてがみ)の鎧の男の功績ではない。

 そう、澱みの中の白甲冑はアルベリク・シュナウトス・フォン・ベーンであった。自分と同じ白甲冑を着込む彼の姿にオズヴァルドは、もう一度想った。そうだ。今はこの結果を()()と誇ってよいのだろう。あれは、我らが白竜騎士団長の姿だ。





「オズヴァルド、無事だったか」

「団……元帥閣下」

 これが、白竜元帥?

 オズヴァルドは胸の内へそう溢すと——白竜の傍の青竜には軽くかぶりをさげ——片膝を折った。後に付き従ったリキャルドもそれに倣い、首を垂れた。リキャルドはそれに多少の違和感を感じたが、眼前のアルベリクの様相に、ああなるほどと納得をした。アルベリクの姿形は男の自分でも溜息をつきたくなるほどの美しさであるのに変わりはない。だが根本的に違うのだ。纏った空気と——目が。

 

 オズヴァルドは上官への礼儀というものを弁えているのかどうなのか、疑いたくなるほどの男だ。騎士——ひいては貴族としての自覚が足りないと云ってよい。だが、アルベリクはそんなオズヴァルドを甚く気に入っていた様子で、戦場では常に彼を傍に引き連れた。オズヴァルドとは遠縁であるという理由は別としても、気心が知れ常に行動を共にしたリキャルドも、それに付き従ったから二人の関係性をよく理解している。

 オズヴァルドは、そんな気性から随分とアルベリクへ気安く接することが多かった。それこそ場を間違えれば軍法会議から何を云われるか判ったものではないほどに。

 それほど、見方によっては無礼にも映る気安さだったのだ。アルベリクが、それを許していたのには理由があるのだと思う。

 例えばだ——白竜元帥を遠巻きに、口元を隠し卑下する宮廷の糞転がし共の声がオズヴァルドの耳に届けば、何よりも先に喰ってかかる。王都を出撃する際にも、どこぞの爵位持ちの息子をコテンパンにやっていたのを思い出す。あれは、アルベリクが「その辺にしておいてくれ」と止められなければ、きっと——どうなっていたか判らない。

 そんなオズヴァルドが襟を正し、かしこまり、行儀良く膝を折ったのは——青竜にかぶりを下げることすら奇妙に映る——アルベリクが垂れ流した重々しく周囲のなにもかもの頭を押さえつけるような雰囲気と、赤黒に変わり果てた三白眼を目にし、いつものように「団長」と声をかけ馬を寄せようとしたが、それを思いとどまったというわけだ。


「リキャルドも無事でなによりだ」

 リキャルドはアルベリクの思いもよらぬ気遣いに少しばかり身震いし、直ぐには返答ができなかった。

 周囲では他団の騎士や戦士、術者が撤収の準備に忙しなく働いている。負傷者を回収する魔導師、馬が足りない、馬車が足りないなどと怒鳴る声。そんなものが随分とやかましくリキャルドの耳にこびりつき心がざわついた。

 顔を上げ答えて良いものか、どうなのか迷ったのだ。

 横で跪くオズヴァルドが、どうしているのかを横目に確認をした。顔を上げる様子は感じられなかった。顔を上げても良いと許しが出るまで、そうしてはならない。そんな雰囲気なのだ。だから、リキャルドもそれに倣った。「ありがとうございます、閣下」


「どうした二人とも。そんなに畏まる必要が?」アルベリクはそれに笑って返した。

「面をあげても、よろしいでしょうか?」云ったのはオズヴァルドだった。これが王との謁見であれば許しが出るまで首を垂れ、刻を待つべき場面であり、決して自ら訊ねるような場面ではない。だが、いま白竜の傍で威を借るのは愚鈍のアイロスだ。そのアイロスはオズヴァルドに目を落とすと眉間に皺を寄せた。

 

「ああ、勿論だ。気味の悪いことを訊ねるものだな——嗚呼。そうか、この目か」アルベリクは最後は小さく溢すように云うと掌で片目を覆い隠し、やはり小さく云った。「雪竜王の力を手に入れたのだよオズ」

 オズヴァルドは愛称で呼ばれ、緊張の(たが)が外れたのか、大きく目を見開き「本物の白竜ってことですか? それは凄い!」と、仕掛け箱の中から飛び出す人形のように身体を跳ね上げ立ち上がった。


「ああ、そうとも。あの魔導師。私を贄に雪竜王を復活させようと目論んだようだが——私の方が上だったと云うわけだ」

 アルベリクは事実とは異なることを云った。

 あの奇妙な空間で消えゆく自我は風前の灯だった。だが、それは何者かの手によって阻止された。そして、姿を見せた聖霊は世界の均衡を保てと云うと、アルベリクを凪の底から引き上げたのだ。だからこの命は、自ら勝ち取ったものではない。だが、それを配下の者が知る必要はない。知る必要があるのは、畏怖すべき力を手に入れ、いまや狩人を凌駕するという事実だけでよい。

 もっとも——と、アルベリクはアッシュ・グラントの顔を頭に過らせると、苦笑いをした。「<宵闇の鴉>に及ぶわけではないだろうがね」


「でも、この——」オズヴァルドは周囲を見渡した。

「この勝利は我が軍が勝ち取った。私は少しばかり——そうだな、カイデルが退却を選択しなければならない状況を作り出した。それだけだよ」アルベリクは、また事実を云わなかった。今度はアークレイリ軍の功績を称えた。

 それにアイロスは「兄上——」と事実を語ろうと身を乗り出したが、それはアルベリクの手に制された。実際のところは、たった三振りの剣風と奇妙な魔術にも似た力で、フリンフロン軍を壊滅寸前までに追いやった。だから、先ほどから目にする救護活動の殆どは、アイロスが突撃前に北大門外へ張らせた陣営が急襲されたときの負傷者のためのものだ。だが、それはオズヴァルドとリキャルドが知る必要はない。今は自軍がこの苦境を跳ね除ける力を持っているということだけを、胸に刻めばいい。


「ところでだオズヴァルドにリキャルド。この後もう一戦交えなければならないのだが、力を貸してくれるか?」アルベリクは——相変わらず人の身も、心も恐怖で撫で付けるような目ではあったが——笑ってそう二人に訊ねた。





 ダフロイト北大門の陣を手早く——ほぼ放棄したと云ってよかったが——畳んだアークレイリの残存兵力は白竜騎士団を筆頭に二千にも及ばない数を纏め上げると、アークレイリ王国王都エイヤを目指した。

 王都との間に位置する都市ビークを駆け抜ける頃には南の惨状が伝わっていたのか、市井のあちこちから罵声を浴びせられたものだったが、アルベリクは意に介することなく「放っておけ」と先を急いだ。

 これには、どこへ隠れ、どのように生き延びたのか皆目検討もつかない軍属が、ビークで休息をしなければ、どんどんと隊が伸びてしまうと意見をした。

 それを聞き届けたのは、露払いを買って出たアイロスだった。愚直愚鈍であったが兄の考え——その内容を真に理解はしないにせよ——は正しいと強く信じたがゆえに、それこそ愚直愚鈍に「元帥閣下にお考えがある。しばらく我慢しろ」と突っぱねた。

 とはいえ、アイロスにも想いはあった。

 アルベリクが挙げるであろう功績のお零れに預かろうしたものの、今やそれは望み薄だと嫌々と付き従った軍属に嫌気が差していたのだ。この日和見主義の集まりがと。故に軍属へ返した言葉は刺々しく聞こえただろう。


 アルベリクが発した力だったのだろうか。

 危惧された、疲弊による隊列の冗長、それによる後方の混乱は見事に回避された。夜を徹した強行軍は見事にビークを越え、王都エイヤが鎮座する半島への掛橋<竜の喉笛>まで戻ってきたのだ。

 アルベリクは<竜の喉笛>を渡らず、今度は周囲に最低限の陣を張らせると即席の野営地を築かせた。「ここで敵を迎え討つ」そう云っただけで後は夜明けまで天幕から姿を現すことはなかった。

 

 ここまで戻ってくると、流石に冷え込みが強くなってくる。

 遠く後方に広がる<北海>、前方に広がる<月海>の双方から吹き込んでくる風も強い。先程から「びょおおおびょおおお」とまるで竜が寝息を立てているような音が鳴り止まない。多くのアークレイリ人は<竜の喉笛>が鳴らすこの音を、雪竜王の寝息だと例えるのだ。その証拠にこの寒さだ。実際、雪が降ってもおかしくはない。

 

 それにしても、アルベリクが口にした敵とはなんなのか。アイロスも、オズヴァルドも未だ聞かされていない。

 誰も敵が誰なのかを知らない。これに、自分達がどのように王都へ迎え入れられるのかを懸念を示した多くの騎士に戦士、術者達は大層に身震いをさせた。だが、どうにも自然の脅威——雪竜王の寝息——の前では、そのような保身にうつつを抜かしている暇はない。各小隊毎に火の番を決めると、多くの兵卒は交代で、次の夜明けを待った。



 夜明け間近を迎える頃には、いよいよ前から後ろから吹き付ける風が強くなり、とうとう細やかな氷雪が混じり始めた。暗い綿の塊りのような分厚い雲が陽を隠したから、風に混じった氷雪は何枚もの白い暗い透けた垂れ幕が重なっているように見えた。つまり<竜の喉笛>の先を見通すことができない。

 だから見張りに立った戦士や魔術師、魔導師達が、不意に垂らされた、幾重もの薄い幕の向こうに黒影を見つけるのに時間がかかったのだ。騎影を確認。その報を受けたオズヴァルドは「騎影だと?——」と、嫌な予感を胸に天幕を飛び出し伝令に来た魔術師へ訊ねた。「——色は?」


 オズヴァルドの嫌な予感。それはあちこちに、それこそ路傍にですら転がっていそうだと自負するところがあったが、もっとも記憶に新しいそれは、出撃前にやらかした立ち回りのことだ。「まさか、黒じゃ……ないよな?」


「そうだ、あれは黒竜騎士団だよオズヴァルド」

 それに答えたのは丁度天幕から出てきたアルベリクだった。「でも、息子がコテンパンされた仕返しに来たわけじゃない。安心しろ。リル・ルケアの狙いは私の頸だ」

 白竜はそう云うと片手剣を抜き放ち、とうとう視界に入った黒の軍勢を単身迎え撃つように橋に馬を進めた。


「ガラドール卿。私を——いや我々を出迎えに来てくれた訳ではなさそうだが——どうだろう、卿さえ良ければ天幕で暖をとり、話をしないか? オズヴァルドに釈明の機会を——」黒の軍勢から一騎抜け出た軍馬の黒騎士へアルベリクはそう云ったが、黒騎士——リル・ルケア・ガラドールは、白竜がほくそ笑む顔を見るや否や言葉を遮った。「身内の失態のために軍を動かすほど我が国は腐ってはいない筈ですよ、ベーン公」

 

 白竜騎士団、青竜騎士団それぞれは白銀の鎧を着込み首周りを飾ったそれぞれの色の(たてがみ)で区別されたが、黒竜騎士団の装備は異なった。黒騎士——その呼び名の通り鎧は頭の先から爪先にいたるまでが、漆黒。差し色となるような飾りは見当たらない。 そして、リル・ルケアは軍馬を回頭させながら剣をすらりと抜き放つと、竜の顔を模した面ぼうを跳ね上げた。覗いたアークレイリ人らしい赤瞳が、アルベリクの三白眼を捉えると幾ばくか双眸を見開き、違和感を暗に表した。


「ならば、どのような理由で私へ剣を向ける?」

「国王陛下は、逆賊の頸をご所望です」リル・ルケアは重く云った。

「そうか——逆賊と来たか。どうだリル・ルケア。傀儡の王を討ち真のアークレイリを取り戻す偉業に手を貸す気はないか?」

「簒奪——」黒竜は眉を顰め剣を突き出すと続けた。「——の、間違いでは? それとも妹君への贈り物になさいますか、我が王国を?」


「言葉が過ぎると身を滅ぼすぞ、ガラドール」

 黒竜の目が確かなら、煽りの言葉にアルベリクは心を揺らした。

 それは判った。だが、以前の白竜であれば、そんなものをお首にもださないだろうと踏んでいたから——牽制のつもりであったが——何が彼を変えたのだとリル・ルケアは訝しむ。そう、白竜の周囲にあからさまと、蒼い繊条に緑の繊条が、大地を這う稲光のように走っているのだ。アルベリクはとくに魔導を嫌った。リル・ルケアはそう聞き及んでいる。


「失礼ながら——アルベリク・シュナウトス・フォン・ベーン殿で合っていますよね?」そう黒竜は固唾を呑んだ。

「ああ。一度は命を溶かしたが、このように——」アルベリクは大袈裟に両腕を広げると続けた「——雪竜王をこの身に宿し、凱旋した」


 リル・ルケア・ガラドールは、さらに大きく目を見開きそして嘲笑った。「と、云うことは私の知るアルベリク閣下ではなく、雪竜王ということですね」


「そうか。私の下には付かない。そう云うことだな」

 アルベリクの言葉を合図に、一層風が強く吹きつけ、小さくコツコツと氷雪が鎧を叩いた。気が付けば、風が吹き付ける音。氷雪が鳴らした音、馬の嘶きの音、白竜の放つ小さな稲光が立てたバチバチとした音、それだけが、その場を支配した。そして、それに周囲を見渡したアルベリクが静かに、それらを斬り裂くように云った「最後に提案だリル・ルケア——」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ