オハヅキサマ、ころんだ
夕方の帰宅ラッシュの電車の中。俺は人々の汗でべとつく車内ですしづめになりながらも、気持ちは弾んでいた。
今日のプレゼンはうまくいったし、そのおかげで先輩を飲みに誘うことができた。先輩は俺より二つ年上の、ボブヘアが似合う笑顔がかわいい女性で、「プレゼン成功のお祝いは何がいい?」と冗談ぽく聞かれたから、これ幸いと「センパイとサシ飲みしたいっす!」と答えたのだった。
自宅アパートの最寄り駅で、くたびれた人々とともに吐き出された俺は、足取り軽くスーパーに立ち寄った。いつもは半額シールの貼ってある弁当を買うが、今日は奮発しよう。ハンバーグ弁当か、海鮮天丼もうまそう。結局、うな重とビール缶、スナック菓子を買い込んだ。今夜は晩酌しながら、明日の飲み屋のリサーチでもしよう。二次会向けの、ちょっと雰囲気のいいバーかなんかも探しておこう。
そんな風にうきうきと、夏の夕日が空を赤く照らすなか、アパートまでの道を歩いていたとき。
遠くの電柱の横に、白装束を着た子どもがひとり、ぽつんと立っていた。近くで祭りでもあるのだろうか。
その子どもが、何か伝えたいことがあるのか口をぱくぱくと動かしたが、もちろん遠すぎて、俺には何を言っているかなんてわからなかった。
夕方の帰宅ラッシュの電車の中。俺は人々の汗でべとつく車内ですしづめになりながらも、気持ちは弾んでいた。
今日のプレゼンはうまくいったし、そのおかげで先輩を飲みに誘うことができた。彼女は俺より二つ年上の、ボブヘアが似合う笑顔がかわいい女性で、あのメンヘラ女とは大違いだ。あれは美人だったが中身は不良物件で、付き合う前に逃げられてほんとによかった。
自宅アパートの最寄り駅で、くたびれた人々とともに吐き出された俺は、そのままスーパーに立ち寄った。いつもは半額シールの貼ってある弁当を買うが、今日は奮発しよう。ハンバーグ弁当か、海鮮天丼もうまそう。……ん?なんかデジャブ。前にもこんな風に悩んだことがあるような気がする。結局、天丼とビール缶、スナック菓子を買い込んだ。今夜は晩酌しながら、明日の飲み屋のリサーチでもしよう。二次会向けの、ちょっと雰囲気のいいバーかなんかも探しておこう。
そんな風に気分を上げながら、薄明るい空のもと、アパートまでの道を歩いていたとき。
近くの電柱の横に、白装束を着た子どもが一人、ぽつんと立っていた。祭りでもあるのだろうか。カツラかもしれないが、長い髪を耳の下で輪のようにして結んでいる姿は、平安時代あたりの童子のようである。その風変わりな子どもが、俺の目をまっすぐに見ながら、口を開いた。
「…まえ………に…………に………………」
その弱々しい声は、風にさえぎられてよく聞こえなかった。
夕方の帰宅ラッシュの電車の中。俺は人々の汗でべとつく車内ですしづめになっている。
今日のプレゼンはうまくいったし、そのおかげで先輩を飲みに誘うことができたのに、いまいち気分が上がらない。そういえば、メンヘラ女が俺へのつきまといをやめてからおおよそ三ヵ月が過ぎている。音沙汰がないのはいいことなのに、逆にそれが不安でもある。
自宅アパートの最寄り駅で、くたびれた人々とともに吐き出された俺は、そのままスーパーに立ち寄った。半額シールの貼ってある弁当とビール缶をカゴに投げ込みながら、何かおかしいような感じがして、でもその違和感の正体をつかみあぐねていた。
スーパーを出たところで、白装束を着た子どもが一人、ぽつんと立っていた。その風変わりな子どもを俺は見たことがある気がする。いや……、見たことがある。
「…まえ…わ…に…………に………ろ……」
その弱々しい声は相変わらず聞き取りにくかったが、なんとなくその子が笑っているように見えた。
夕方の帰宅ラッシュの電車の中。俺は人々の汗でべとつく車内ですしづめになっている。
不快なのはもちろんだが、なぜだか胸が不穏にざわめいて落ち着かない。こんな思いをするのはいつぶりだろう。三ヵ月前ぐらいに、俺につきまとっていたあの女を振って、ようやく平穏が訪れていたというのに。公衆の面前で悪かったとは思うけど、そうでもしないとあいつはわかってくれなかったから…。
自宅アパートの最寄り駅で、くたびれた人々とともに吐き出された俺を、ホームの雑踏の中からまっすぐに見つめる視線があった。あれは、白装束を着た子どもだ……!
「…まえもわ…にん………にして…ろう…」
大きな声で言っているようだが、駅のアナウンスにかき消されてよく聞こえなかった。
夕方の帰宅ラッシュの電車の中。俺は人々の汗でべとつく車内ですしづめになっている……!
何度目だろう!なんで気がつかなかったんだろう!俺はずっと同じ日の夕方を繰り返しているのだ。しかも、あの白装束を着た子ども!どんどん近づいてきている……。もういつ現れたっておかしくない。
そうだ、昨日の夜、あいつが俺のアパートまで来たんだ。目の下に真っ黒いクマを作っている以外は、おキレイな顔に優雅な笑みまで浮かべて。何て言ってた?
「久しぶりだね。元気にしてた?」
「……また警察呼ぶぞ」
「怖いわね」
「お前の方がこえーよ」
「そうかもね……。ねぇ、オハヅキサマって知ってる?」
「……知らん」
「そう……。オハヅキサマがね、あなたのところに遊びに来るから」
「は?」
「捕まえたらあなたの勝ち。捕まえられなかったらあなたの負け。負けたら百日の責め苦が待っている」
「何、怖いんですけど」
「捕まえるときには……」
「おい、やめろよ」
あのとき何て言ってた?どうすれば捕まえられる?思い出せない。思い出せない。ダメもとで、スマホで検索するが、それらしいものは出てこない。もうすぐ駅に着いてしまう……!オハズキサマ、オハズキサマ、オハズキサマ……。
――捕まえるときには、「オハズキサマ、動いた」って言えばいいの。簡単でしょ。
「……!」
思い出した!そうだ、あいつはそう言っていた。
光明がさしたその瞬間、眺めていたスマホのすぐ横に、深い洞穴のように真っ黒に塗りつぶされた目が二つ並んだ。白装束を着た子ども。同じく真っ暗な口が、三日月形に大きくゆがんだ。
「おまえもわらにんぎょうにしてやろうか」
「この間の○○区の行き倒れていた男性の件、容疑者が浮上したらしいですよ」
「え、あれって事件性があるのか?」
「どうもそうらしいですよ」
最近老眼が入ってきたのか、供述調書が読みづらくなってきたオレが四苦八苦していると、同じ捜査チームの後輩が別チームから仕入れてきたばかりの話を披露し始めた。
先日の夕方、帰宅途中と思われる若い男性が、路上で倒れているのが発見された。外傷もなく、病院に運ばれて検査を受けたが特に異常はなし。しかし本人の意識が全然もどらない。結局、何かしら病気が見つかるものと思っていたが。
「男性が三ヵ月前ぐらいに警察にストーカー被害の相談していることがわかったんですよ。で、相手の女を調べてみたら、なんと」
「なんと?」
「神社に丑の刻参りをしていたんですよ!夜な夜な、ご神木に藁人形を打ちつけていたんですって」
「はあ?」
「しかも、ご丁寧にお百度参り!ふつう丑の刻参りって七日間だそうですけど、それを百日間ですよ!相当な執念ですよね。確認したら、ちゃんと百本刺さっていたそうですよ。打ちつけた釘。あと、藁人形から出てきた髪が、男性のものと一致したそうです」
「なにそれ、めっちゃ怖いじゃん。しかし、今のご時世、丑の刻参りとは古風すぎやしない?」
「ですよね~。家宅捜査したところ、呪いの本がたくさん出てきたらしいです。事情聴取では『オハヅキサマ』に呪いをかけてもらったんだと話しているとか」
「オハヅキサマ?」
「ええ。女が丑の刻参りしていた神社が葉月神社というので、その神様のことでしょうね」
「呪いじゃ立証は難しいよなぁ」
「そうなんですよ。で、男性はいまどういう状態か聞いてみたら、彼はいま百日前の藁人形になっているから、これから百日間釘を打たれ後に目を覚ますって」
「こっわ」
「ね~。こっぴどく振られた恨みだっていうことですけど、恐ろしいですね」
「にしても、結局何をしたんだろうな。薬でも盛ったか」
「あ、呪いは信じてませんね?」
「当たり前だろう。そんなことがあってたまるか。しかも百日間、夜な夜な釘を打つぐらいなら、本人に打ちつけに行ったほうがよっぽど早いだろ」
「なんでも、猶予をもうけたらしいですよ。もしオハヅキサマとの遊びに勝てば、藁人形にならなくて済むっていう」
「ふーん。オハヅキサマとの遊びって何なの?」
「だるまさんがころんだ、みたいなものだとか。『オハヅキサマ、動いた』って言うことができれば勝ちらしいです」
「ほー」
「その目は、信じてないな~。容疑者の女、『信じない輩は、同じ目に遭わせてやる』って意気込んでいたらしいですよ。先輩、気をつけてくださいね。あと、だれかに恨み、持たれてません?」
「俺はそんなヘマはしない」
「ほほう。自信ありますねぇ。あっ、俺これから聞き込みに行かなきゃ」
言いたいことだけ言って、後輩は慌ただしく出掛けて行った。
夏の明るい太陽がやっと沈んで暗くなった頃、車で家路につく。今日は早めに帰れるから、夕飯にも間に合うだろう。子どもたちの学校の話でも、ゆっくり聞いてやるか。
信号待ちをしている車内は、妙にひっそりとしている。今日はだいぶ蒸し暑いせいか、クーラーの効きが悪いようで、汗をじっとりとかいて気持ち悪い。
「オハヅキサマ、か」
なんとなく、聞いたことがあるような気がするが、思い出せない。何だったかな。とりとめもなく考えていると、信号が変わった。アクセルを踏む足に力を入れたそのとき。
「…ま…も…………………に……………か」
後ろから、子どものか細い声が聞こえた気がした。
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