第21話 シュスト、憲兵隊駐屯地にご挨拶
リットーの町東部にある憲兵隊駐屯地。
その正門にシュストはやってきていた。
「さて、どうするか……」
正面突破するのはシュストにとってそう難しいことではない。が、それをやればダールマン家に乗り込んだ時と同じことになるし、ラングが「悪しき魔法使いを使役している」などと責められる事態になりかねない。
「とりあえず……頼んでみよう!」
門を守る憲兵に話しかける。
「あの……」
「なんだ?」
「今ラング伯爵が取り調べを受けてますよね?」
「ああ」
「立ち会わせてもらえませんかね?」
「なぜだ?」
「不当な取り調べなどが行われないか、心配なので……」
「貴様、憲兵隊を侮辱する気か!」
「いや、そんなつもりはないんですけど……」
怒らせてしまった。まぁこうなるよな、と思うシュスト。魔法は得意だが、こういう時に上手い言葉を思いつくのは苦手である。
「貴様も逮捕してやろうか!」
「え、なんで!?」
「憲兵隊を侮辱したからだ!」
「んな無茶な……。『毒狼の虫歯』の時もあまり役に立ってなかったし、ちゃんと仕事して下さいよ!」
「貴様ぁっ!」
つい煽ってしまった。憲兵は槍を向けてくるが、シュストとしてはここで争うわけにはいかない。
どうしようか迷っていると――
「何をしている!」
憲兵隊長のトールがやってきた。
「トール隊長!」姿勢を正す門番。
シュストも彼の顔は覚えていた。彫りが深い男前である。
「あんたは隊長さんだな」
「そうだ。あなたは……塾講師の方だな」
「ええ、そうです」
内心焦るシュスト。この隊長は『毒狼の牙』の一件で出しゃばった自分のことを快くは思っていないだろう。ますます話がこじれそうだ……と不安になる。
「用件は分かる。フローライト伯爵を助けにきたのだな?」
「まあ……そんな感じです」
「……」
トールは少しの間考えを巡らせる。
「あなたには『毒狼の牙』の一件で借りがある」
「え」
「中に入ることを許可しよう」
「いいんですか!?」
「隊長! そんな!」
意外な返事にシュストも門番も驚いてしまう。
「ただし、タダでというわけにはいかん」
「え……!?」
なるほど、金か……手持ちあったかな、と財布の中を探るシュスト。
「そうではない。私と戦って、勝ったら中に入っていい」
「……!」
「頼む。あの一件で我々は自分たちの未熟さと魔法使いの強さを思い知った。改めて、自分の身をもってその強さを体験したいのだ」
トールは『毒狼の牙』の件で憲兵隊が活躍できなかったことを恥じていた。同時にシュストに尊敬や恩義のようなものを感じていたのだろう。おそらく自分は勝てないと分かっているはずだ。
シュストもまたこういう男気は嫌いではない。応えることにする。
「分かりました。戦いましょう」
トールが剣を構える。シュストも身構える。
トールが踏み込む。が――
「風魔法!」
風の刃が剣の刃を切断する。それでもトールは短くなった刃を諦めずに振りかぶる。
「竜巻魔法!」
竜巻がトールを吹き飛ばした。さすがにトールも受け身を取ったようで、ほとんど怪我はしていない。が、実力の差は感じ取ったようだ。
「ぐ……! やはり……敵わないか」
「これでも魔法には自信があるんで……しかし、いい気迫でした。あなたならきっと憲兵隊をよりよい部隊にできると思いますよ」
シュストは本心から告げた。同時に憲兵隊に悪印象を持っていたことを恥じる。
「……通るがいい。フローライト伯爵はこの先の取調室にいる」
「ありがとうございます」
一礼すると、シュストは取調室に急いだ。扉を開ける。
「失礼します! 隊長さんの許可を得て来ました!」
取調室では――
「やぁ、シュスト君」
「え……」
「取調室で食べる食事というのもうまいものだねえ」
ラングはのんきに食事していた。憲兵隊から差し出されたパンと目玉焼きを食べている。
「なにやってんですか!?」
「いやー、人生初めての取り調べだからつい。楽しんでしまったよ」
「楽しまないで下さい!」
後ろからトールがやってきた。
「フローライト伯爵」
「やぁ、トール君」
「このたびは不当な逮捕をしてしまい、申し訳ありませんでした。すぐに釈放いたします」
「これはどうも」
シュストも礼を言う。
「隊長さん、ありがとう。しかし、なんでいきなりこんなことを?」
「それは……」
口ごもるトール。彼の立場からは言いづらい事情があるのだろうか。
「おそらくオーガニー伯爵から圧力がかかったのだろう?」
ラングの言葉にトールがギクリとする。この反応が全てを物語っていた。
「この地域で憲兵をここまで動かせる貴族など、私の他には彼しかおらんよ」
「……おっしゃる通りです」
リットーの町周辺で、ラングに匹敵するほどの権力を持つ人間がもう一人いる。
それがブラムス・オーガニー伯爵であった。彼に圧力をかけられれば、憲兵隊としてもたとえおかしな命令だとしても動かざるを得ない。
憲兵隊としては「伯爵から別の伯爵を逮捕しろと命じられる」という板挟み状態だったのだ。
憲兵ってのも大変なんだな、とシュストは思った。
「彼と私は長年ライバルのような関係にある。しかし、彼とてバカではない。こんな無理のある逮捕劇を演じる男ではないのだが」
ラングは珍しく真面目な表情でシュストに告げる。
「シュスト君、頼みがある」
「なんでしょう?」
「内密にオーガニー伯爵のところへ行き、この一件の事情を聞いてきてくれないかね?」
「分かりました。ああ、そうそう」
シュストはエマから託されていた菓子折りをトールに手渡す。
「これは?」
「ラングさんの奥さんからの菓子折りです。皆さんで食べてください」
「これはどうも……」
菓子折りを手渡し、ラングの身柄を引き取り、シュストは憲兵隊駐屯地を後にした。
「さあ、我が家に帰るとしよう。シュスト君、何か食べていくかね? 助けに来てくれたお礼におごってあげよう」
「あなた、さっき取り調べ中にご飯食べてましたよね」
「ハッハッハ、これでもやはり心細かったからね。緊張が解けたらまたお腹が減ってしまったよ!」
お腹をさするラングに、この人また太るな……とシュストは呆れ顔になった。
***
この日の夜、シュストは移動魔法である屋敷に侵入した。
目当てはブラムス・オーガニー。ラングのライバルといえる伯爵である。
椅子に腰かけるブラムスはラングとは対照的に細身で、長い白髭を蓄えていた。突然現れたシュストに対して、全く驚いていない。貴族として肝は据わっているようだ。
「君は?」
「ラング・フローライト伯爵の手の者です」
「なるほど。逮捕騒ぎの報復に、私を暗殺しにきたのかね?」
ブラムスは命を奪われることすら想定し、覚悟していた。
「いえ、俺は殺し屋ではないので……。ただ、なぜ憲兵隊に圧力をかけ、あんな騒ぎを起こしたのか、伺いに来ただけです」
シュストは続ける。
「ラングさんはおっしゃってました。あなたはこんなバカなことをする人ではないと」
ゆっくりと振り向くと、ブラムスは素直に答えた。
「……手紙が来たのだよ。匿名で」
「手紙?」
「そこの机にある」
木製の巨大な机に、一通の手紙が置かれていた。
「読んでかまいませんか?」
「いいとも」
許可を取り、シュストが手紙を読む。
そこにはブラムス宛に『あなたが長年ラング氏と競い合ってきたことは知っている。今こそ憲兵隊を動かし、彼を逮捕させるのだ』という旨の内容が書かれていた。
「こんな手紙だけで実行してしまったんですか」
「そうだ。ラング伯爵とは、若い頃はよく政争を繰り広げていたものだ」
「あの人が政争を……!?」
驚きを隠せないシュスト。今ののんきなラングからは想像もつかない。
「貴族とはそういうものだよ。どんなに穏やかに、温厚に見えようとも、“いい人”では決して務まらない」
そういうものなのかもしれないな、とシュストは納得する。ただのいい人では出し抜かれ、たちまち権力の座を奪われてしまうだろう。
「いつしか、お互い落ち着いてしまったが……その手紙を読んでいるうち、なんだか心の奥底に眠っていたものを呼び起こされたような気持ちになってしまってね。つい、行動に移してしまった。まったくバカげたことをしたものだよ」
「はぁ……」
ブラムスの行動の原因は、この手紙にあるようだ。
シュストは改めて手紙をじっくりと見る。
「粉……」
手紙の表面に粉がついていた。さらに――
「魔力の残滓……」
シュストは手紙からほんのわずか魔力を感じ取った。もしかすると、人を操る効果があるような何かが塗ってあったのかもしれない。痕跡が少なすぎて、今となっては確かめようがないが。
「ありがとうございました、伯爵。この手紙は持ち帰ります。いいですね」
「ああ」
この手紙は、ブラムスが憲兵を不当に動かしたことについての重要な証拠になる。公にされれば、爵位剥奪もあり得る。
もはや、この地での権力の趨勢はラングに傾いたといっていいだろう。
「お騒がせして、すまなかったね」
「いえ、失礼します」
移動魔法で邸宅を去るシュスト。
「ふぅー、やっぱ貴族と喋るのは緊張するわ」
オーガニー家の屋敷を一瞥し、独りごちるのだった。
***
事件は終わった。
ラングがその気になれば、ブラムスを失脚させることもできたが、あえてそうはしなかった。逮捕されて何かを失ったわけではないし、失脚などさせるとかえって恨みを買う恐れもある。
おちゃらけている部分は多々あるが、ラングは貴族として聡明であった。
父の潔白が証明され、喜ぶアメリア。
「ありがとね、シュスト! お父様のために動いてくれて!」
「いや、親父さんには以前ケツ拭いてもらった借りがあるしな」
「お父様も他人のケツも拭いてみるものだね、って言ってたわ」
「ったく、あの人には敵わないな」
シュストにはまだ不安があった。
「それに……オーガニー伯爵宛のあの手紙」
「ん?」
「わずかに感じた魔力。この事件は終わったけど、あの手紙の送り主がまだ何か企んでる。そんな予感がするんだ」
「確かにね……でもお父様は二度同じ手に引っかかる人じゃないし、大丈夫よ!」
「そうだな」
ラング逮捕騒動は解決した。
シュストとしては恋人の父に借りを返すことができた格好だが、一抹の不安が心の中に残ったままであった。