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新人王属調合師見習い アンナ・ルンベック(後編)

 アルノルトさんは座学より実践を重視しているようで、とにかくあたしに調合をさせた。そしてその様子を注意深く見守って、気づいたことや注意すべき点を後から事細かに教えてくれるのだ。

 注意の内容は調合器具の扱い方から火の強さ、そして、




「使用している薬草に偏りがあった」




 あたしが手に取った薬草の種類にまで及んだ。

 アルノルトさんが指さしたのは渇いた根っこ――キアの根だ。地元でよく見る調合材料で、回復効果自体はそこまで強くないものの、風邪の症状から怪我の治療まで様々な症状に効く万能材料。

 調合師の母から「とりあえず入れておいて間違いはない」と教わったため、気が付くとキアの根に手が伸びている自覚はあった。




「あ……つい、地元に群生していた材料に手が伸びてしまって」




 言い訳がましい言葉が口をついて出る。

 アルノルトさんは考え込むように腕を組んだ。




「ルンベックの出身は確か……ヤッキアの町だったか」


「覚えていてくださったんですか」




 接する機会の少ない見習いの出身地まで覚えていることに驚いてアルノルトさんを見上げれば、彼の大きな手が机の上に置かれた渇いた根を掴んだ。




「あの町の近くには貴重な薬草が群生している洞窟がある。通りで希少なキアの根を迷わず使うわけだ」




 彼の言葉に目を丸くする。

 キアの根が希少な素材だとは今日の今日まで思いもしなかった。あれだけ大量に使っていた母は、一度たりともそのようなことを言わなかったのだ。




「えっ! これって希少なんですか!? 母さんの薬草棚にはいつも山盛りで……」


「地域によっては普段当たり前のように使えていた薬草が採取できず、薬草自体の質も悪いことがままある。今日はこの薬草だけを使って調合してみろ」




 そうして手渡された袋の中には、いくつかの薬草が仕分けもされずに詰め込まれていた。

 適当に袋の中の薬草をつまんで確かめる。葉の表面がかなり乾燥しており、正直質の良い薬草とは言えなかった。




(葉っぱの先っちょなんて枯れかけてるじゃない……)




 あたしの出身地であるヤッキアの町は小さな町だが比較的あたたかな気候の土地で、たくさんの薬草が群生している。よほど杜撰な管理をしない限り、薬草が枯れるなんてことはなかった。そして当然のことながら、王城内の薬草園では地元以上に質のいい薬草しか採れない。

 今までとても恵まれた環境下でしか調合をしたことがなかったのだと、葉先の枯れた薬草を手にすると思い知らされるようだった。けれどきっとこの世界には、これ以上に質の悪い薬草からどうにかこうにか回復薬を作り出している調合師はごまんといるのだろう。

 それを分からせるためにアルノルトさんはわざわざこの薬草を取り寄せたのだろうか。――いったい誰から?

 気にはなったが、そんなことを質問するより先に調合をするべきだ。そう判断し、あたしはさっそく作業に取り掛かろうとした。

 まずは、薬草の選別を――




「ヤッキアの町は魔物による被害はそんなに出ていなかったと聞いたが」




 不意に、独り言のような声量で落とされたアルノルトさんの言葉。

 今まではあたしの集中力を削がないようにするためか、作業をしている最中に彼が声をかけてきたことはなかった。だから一瞬驚いたものの、会話をしながらの作業は別段珍しくもなかったので――チェルシー先輩との実習ではしょっちゅうだ――薬草の選別を続けながら答える。




「あ、はい。運良く魔物に見逃されたのか、奪うほどのものがなかったのか、近隣の町と比べてもほとんど被害がなくて」


「そうか」




 そう呟いたアルノルトさんの表情は心なしか柔らかなものに見えた。明らかに安心している。どうして自分と全く関係のない町の被害状況を聞いてそこまで安堵したのか不思議に思い、そこで彼はこの世界を救ってくれた英雄だったと思い出す。

 アルノルトさんは自分の功績をむやみに他人に言いふらしたり、振りかざしたりすることを全くしない。だからときどき彼がどれだけすごい人か忘れてしまう。本来であれば言葉を交わすことすら躊躇してしまうような、手の届かない存在なのだ。

 こうしてあたしが王属調合師見習いとして穏やかで充実した日々を過ごせているのも、アルノルトさんたち勇者一行のおかげだ。そう思うと、なんだか急にお礼を言わなければならないような気がしてきて、




「ありがとうございます」




 気づけばあたしは作業の手を止めて、アルノルトさんに向き直っていた。

 突然のお礼に、彼は僅かに目を丸くしている。




「何がだ」


「だって、アルノルトさんたちが魔王を――」


「俺は何もしていない」




 あたしの言葉を遮るようにアルノルトさんは言う。

 彼の功績を見て、何もしていない、と言い張るのは無理があるように思えたが、本気でアルノルトさんはそう思っているのだろう。だからそれ以上食い下がることはしなかった。

 ――あたしがアルノルトさんの立場だったら、今頃仕事もぜーんぶやめて、世界を救った英雄としてチヤホヤされて過ごしているだろうに。どうしてこの人はここまでストイックに生きられるのか、つくづく不思議に思う。




「ルンベックの感謝の気持ちは勇者に伝えておく」




 ――勇者・ルカーシュ。

 左目に勇者の紋章を持ち、その力で魔王を封印した選ばれし若者。この世界で彼の名前を知らない人はいない。

 顔も知らない人々のために命を賭してこの世界を守ってくれた、神様みたいな人。一体どんな人なんだろう。誰よりも優しくて、強くて、凛としていて、特別な人。きっとあたしなんかとは何もかもが違う。

 聞いたところによると、勇者・ルカーシュと魔術師・アルノルトは友人だという。町で武器屋のおじさんが話しているのを聞いた覚えがある。




「……勇者様とご友人なんですよね?」


「さぁな」




 アルノルトさんは返事を濁して窓の外へ視線をやった。てっきり首肯されるとばかり思っていたため、予想外の反応に戸惑う。

 ――勇者に想いを馳せる彼の背中はどこか、寂しそうに見えた。

 今のアルノルトさんに声をかけることは憚られて、あたしは会話から逃げるように調合を開始した。材料である薬草が痛んでいたとしてもやることは一緒だ。すり潰し、水で濾して、火をかける。そしてとろみが出るまで煮詰めるのだ。

 程なくして回復薬は完成した。いつの間にやらあたしの調合を見守っていたらしいアルノルトさんが歩み寄ってくる。




「……できたか」


「はい」


「見せてみろ」




 アルノルトさんがあたしの作った回復薬を確かめている間、あたしは手持無沙汰だった。ただ傍で突っ立ているだけなのもそわそわして落ち着かなくて、あたりに視線を泳がせていると彼が持ってきた資料を見つける。机の上に山積みだ。

 見てはいけないと思いつつ、一番上に置かれていた書類の内容を目で追ってしまった。どうやらそれは、プラトノヴェナ支部からの報告書のように見えた。




「……これ、報告書ですよね?」


「あぁ。各支部からの活動報告書だ」




 思わず尋ねてしまったが、アルノルトさんはあたしの盗み見を咎めるようなことは言わずに頷いた。

 怒られなかったことで若干調子にのったあたしは更に問いかける。




「読んでも構いませんか?」


「構わないが、調合の役に立つようなことは何も書かれていないぞ」




 許可を得たので適当な量を手に取って、ぱらぱらと報告書を捲る。実際アルノルトさんの言う通り、報告書に書かれていたのは毎月の活動内容――どれぐらい回復薬を作成しただとか、機材が壊れたので入れ替えただとか、そういった内容――で、興味深い調合方法などは記載されていなかった。




(報告書の数がすごく多い……今は支部に派遣されてる王属調合師も多いからなぁ……)




 魔王襲撃の傷は二年経った今も完全に癒えることなく、多くの町で調合師は必要とされている。そのため王属調合師の地方への派遣もかなり多いようだった。見習いの採用人数も三年前から拡大されたままで、アルノルトさんの代は二人のみの採用だったようだが、あたしの代は五人採用されたため随分と賑やかだ。

 ふと、ある報告書が目に留まる。報告者名の部分に書かれている名前に見覚えがあった。




(あ、ラウラ・アンペール……)




 天才少女ラウラ・アンペール。

 彼女の報告書は他の報告書と比べて簡潔にまとめられていた。王都側アルノルトさんが必要としている情報が過不足なく書かれている。

 丁寧な字で綴られていた活動内容の一つに、気になる文面があった。




(町の調合師への勉強会?)




 一体それはどのような勉強会なのだろう。気になって報告書を隅から隅まで読んでも詳細は書かれていない。諦めてラウラ・アンペールの報告書を捲ると、勉強会について詳しく書かれた別紙が添付されていた。

 どうやら独学で調合を行っている町の調合師を集めて、王属調合師見習いに行うような実習授業を無償で提供しているらしい。先月は四回行ったようで、その内容と参加者の名前、そしてラウラ・アンペールが気づいた町の調合師たちの優れた点と改善点が綴られていた。




「優秀だな」




 熟読していたところに、アルノルトさんの声がかかる。

 彼に褒めてもらえたことは嬉しかったが、それより今はラウラ・アンペールの報告書に意識が行っていた。




「いえ、そんな……ありがとうございます」


「気になった報告書でもあったか」




 おそらくは食い入るように報告書を読むあたしの姿に気づいていたのだろう、アルノルトさんが問いかけてくる。

 隠すことでもないので、あたしは素直に答えた。




「フラリア支部で、町の調合師に向けて勉強会をしていると……」


「あぁ。ラウラの報告書か」




 ――ラウラ!

 アルノルトさんが異性の名前を呼び捨てで呼んだことに驚いて、あたしは目を見開いた。

 彼は上司であろうと後輩であろうと、基本的に女性のことは姓で呼ぶ。そんな彼が名前を呼び捨てにするなんて、それだけで親しい間柄だと言っているようなものだ。

 しかし当の本人は素知らぬ顔で話を続ける。




「気になるようなら本人に話を聞いてみるといい。来週、王都に来る」




 ――会ってみたい。

 王都に来ると聞いた瞬間、あたしはそう思っていた。

 ラウラ・アンペール。アルノルトさんを凌ぐ天才少女。アルノルトさんが「ラウラ」と呼ぶ女性。

 一体どんな人なのだろう。




「あの、ラウラさんってどんな方ですか」


「優秀な調合師だ」




 アルノルトさんは間髪入れずに答えた。そして普段より饒舌に語る。




「文献を丸暗記しているのかと錯覚するような知識量に、どんなときでも正確で適切な調合。本物の天才だな」




 肩を竦めるアルノルトさんの口元には笑みが浮かんでいた。

 天才が天才と称する女性。ますます会ってみたい。

 あたしがラウラ・アンペールについて知っていることと言えば、“天才”という評価と――尊敬すべきチェルシー先輩の同期だということぐらいだ。




「チェルシー先輩の同期なんですよね?」


「あぁ。優秀な期だ」




 頷いたアルノルトさんの表情は、“あの日”と同じように穏やかで。

 ――先日あたしがアルノルトさんに届けた手紙。ラウラ・アンペールの名前を見た瞬間、彼の黒の瞳は優しく解けた。

 疼く好奇心を抑えきれず、あたしは問いかけていた。




「……アルノルトさんと親しいんですか?」




 驚いたような顔でアルノルトさんはあたしを見下ろす。

 好奇心のあまり踏み込みすぎてしまったと後悔しつつ、これ以上彼の機嫌を損ねる前にと早口で白状した。




「ごめんなさい、この前フラリアからきた手紙の差出人を見てしまって……」


「好奇心は調合師に必要なものだが、強すぎても身を滅ぼすぞ」




 アルノルトさんの大きなため息にあたしは身を縮こまらせる。

 ――“鬼上司”などと後ろ指を指される彼が思いのほか優しい人物であることを知って、浮かれていたのだ。調子に乗っていた、と言った方が正しいかもしれない。思いのほか優しいアルノルトさんに超えてはいけないラインを見誤ってしまった。

 急に恥ずかしくなって、すみません、ともう一度謝ろうとしたときだった。「そうだな」とアルノルトさんは吐息交じりに口を開く。そして、




「彼女のおかげで俺は今ここにいる。ルンベックたちと出会えたのも、彼女のおかげだ」




 夕日を背に、優しく微笑んだ。

 まるで、あたたかな思い出を抱きしめるように。今このときを慈しむように。――大切なその女性ひとを見つめるように。

 アルノルトさんの瞳はどんな愛の言葉よりも雄弁に、“彼女”への愛を語っていた。




 ***




 ――気づけば一週間なんて、あっという間に過ぎ去ってしまって。




「チェルシー先輩!」


「アンナ! ごめんね、急にお休みいただいちゃって!」




 アルノルトさんの執務室であたしは優しい先輩・チェルシー先輩と再会を果たした。

 急遽家庭の事情でお休みと聞いていたのでご家族に何かあったのでは、と心配していたのだが、一週間ぶりにあったチェルシー先輩の顔色はとても良い。




「とんでもないです! ご家庭の方は大丈夫だったんですか?」


「お父さんがギックリ腰になっただけ! もう、そんなことでわざわざ呼ばないでよねって感じだったよ!」




 あはは、と笑うチェルシー先輩は普段より元気そうだ。お父様のぎっくり腰を診ていた一週間、ゆっくり休めたのならよかった――なんていつも負担をかけている身だからこそしみじみ思う。

 一通り再会を喜んだあと、チェルシー先輩の視線があたしの背後へ向かった。そこには忙しい中、一週間あたしの教育係代理を務めてくれたアルノルトさんが立っている。

 彼は相変わらず疲れた顔をしている――と思いきや、心なしか機嫌が良いようだった。一週間共に過ごしたおかげか、眉間の皺が記憶の中より薄いことにすぐ気が付いた。




「アルノルトさん、本当にありがとうございました」


「気にするな。こちらとしてもいい刺激になった」




 ちらり、とこちらに向けられた黒の瞳にあたしは頭を下げた。

 とても貴重な一週間だった。アルノルトさんの調合を見ることはかなわなかったけれど、的確なアドバイスをいくつも頂いたし、何よりあたしの旺盛な好奇心は彼と過ごすことで大いに満たされた。

 これから先、短くも充実した一週間を忘れることはないだろう。




「これからも期待している、ルンベック」


「は、はい! ありがとうございました!」




 アルノルトさんからの期待に応えるべく、これからも精進しようと硬く心に誓った。

 チェルシー先輩と一緒に再度お礼を言った後、応接室から退室しようとドアノブに手を伸ばす。――その瞬間だった。ぐるりとひとりでにドアノブが回転したかと思うと、扉が開かれる。あ、と思ったときには扉の向こうに立っていたのであろう小柄な女性とぶつかりそうになった。




「きゃっ」




 鼓膜を揺らした悲鳴にあたしは反射的に数歩後ずさる。扉の向こうに立っていたのは、小柄な女性だった。




「ラウラ!」




 女性の顔を確認するよりも早く、あたしの隣でチェルシー先輩が声を上げる。

 ――チェルシー先輩、今、この女性ひとのこと、ラウラって呼んだ?




「チェルシー!」




 アッシュゴールドの髪の女性もまた、歓喜に声を上げる。そして勢いよくチェルシー先輩に抱き着いた。

 あたしは唖然とその様子を見つめる。

 チェルシー先輩と親し気に抱擁を交わす「ラウラ」という名前の女性。それって、つまり、この人が。




(ラウラ・アンペール!)




 初めて見るラウラ・アンペールは思っていたより小柄で、とてもかわいらしい女性だった。

 珍しいアッシュゴールドの髪は柔らかそうで、毛先にいくにつれて緩いウェーブがかかっている。青空を思わせる青の瞳はくりっとしていて、すっと通った鼻筋に、ピンク色に色づいた唇。そこにいるだけで周りの空気がパッと華やぐような、可憐な女性だった。




「到着は今日の夜じゃなかった!?」


「予定が空いたから一日早めたの!」




 久しぶりの再会なのか、チェルシー先輩とラウラ・アンペールはきゃいきゃいと高い声ではしゃいでいる。

 ラウラ・アンペールという人物にはとても興味がある。しかし再会を喜ぶ先輩二人の間に割って入ることなどできるはずもなく、数歩後ろに控えて様子を窺っていた。

 自分たちを見つめる視線に気づいたのか、不意にラウラ・アンペールの青の瞳がこちらを向く。絡んだ視線にドキリとした。




「アンナ・ルンベックさん?」


「は、はい!」


「初めまして、ラウラ・アンペールです。あなたのことはチェルシーからよく聞いています」




 ――まさか天才少女が自分のことを知っていたなんて!

 驚きに数秒固まった後、右手を差し出されていたことに気が付いて慌ててその手を握る。こうして向き合うとラウラ・アンペールはあたしより小柄で、手も小さかった。

 満点で見習い試験に合格した天才だが気取った感じは全くなく、かわいらしい容姿も相まって調合師らしくない。街で私服姿の彼女を見ても、バリバリ働いている天才調合師だとわからないだろう。




「は、初めまして。アンナ・ルンベックです。ラウラ先輩のお噂はかねがね――」


「人の執務室の入口で雑談をするな」




 背後からかけられた低い声にあたしは飛び上がる。しかしラウラ・アンペールは顔色一つ変えず、あたしの横を通り過ぎてアルノルトさんの横に立った。




「ごめんなさい、アルノルト」




 ――アルノルトさんを、呼び捨て!

 ラウラ・アンペール、もとい、ラウラ先輩はチェルシー先輩と同期だ。つまり、アルノルトさんよりも後輩。それなのに呼び捨てで呼んでいるということは、どう考えても――

 食い入るように立ち並ぶ二人の姿を見つめる。かなり身長差のある二人だが、アルノルトさんは若干腰を曲げて上からラウラ先輩を覗き込むような姿勢で、ラウラ先輩は顔をめいいっぱい上に向けて首を伸ばした姿勢で、お互いの目をじっと見つめながら会話を交わしていた。

 二人で並ぶのが様になる、二人で並ぶと納まりのいい、――お似合いの二人だった。




「チェルシー、終業後にまた訪ねに行くから」




 ラウラ先輩がこちらを見る。するとアルノルトさんも彼女に倣うようにしてこちらを見た。

 正直に言えばもうしばらく天才二人の様子を見ていたかったが、チェルシー先輩が廊下に出たのを見て慌ててその背を追う。そして先輩に扉を閉めさせるわけにはいかなかったので、断腸の思いでドアノブに手をかけた。

 最後の抵抗よろしく、扉が閉まりきるまでじっと目を凝らして二人の様子を観察する。そして――見てしまった。アルノルトさんの大きな手が、ラウラ先輩の小さな手を掴んだ瞬間を。

 閉めかけた扉を再度開くことなんて当然できないので、おとなしく扉を締め切る。しかし“あんなもの”を見せつけられて――正確には盗み見たのだけれど――大騒ぎする好奇心を抑えつけることなんてあたしにはできなかった。

 けれどお二人はお付き合いされているんですか、なんて直接的な言葉で聞きだすことはさすがにできなくて、チェルシー先輩に遠回りに探りを入れようと試みる。




「同期からアルノルトさんが怖い鬼上司だって聞いてたんですけど、思っていたよりずっと優しい方でした」




 数歩前を行くチェルシー先輩は、ニマニマと楽しそうな笑顔を浮かべて振り返った。――もしかしなくても、あたしの野次馬根性なんて先輩にはお見通しなのだろう。

 歩みを緩めてあたしのすぐ横に並んだかと思うと、そっと肩を寄せてくる。そして、




「アルノルトさんが丸くなったのは、ラウラのおかげだよ」




 なんとも好奇心が刺激される言葉を囁いた。

 ――間違いない。アルノルトさんとラウラ先輩は特別な関係だ。

 恋人のおかげで丸くなったのが“今”だとすると、以前はもっと恐ろしい人だったのだろうか。一体どのような過程を経て、彼らは恋に落ちたのだろう? 天才と天才だからこそ分かり合えた二人なのだろうか?

 次から次へと疑問が溢れてくる。溢れすぎて、喉にたくさんの言葉が詰まってしまったかのようにうまく声が出てこない。

 そんなあたしの様子を、チェルシー先輩はさも愉快そうに瞳を三日月形に細めて笑った。




「うふふ、彼らが結ばれるまでの道のりは恋愛小説顔負けだよ」


「えー! 聞きたい! 聞かせてください!」




 その日、一週間ぶりにチェルシー先輩と並んで調合を行いながら、アルノルトさんとラウラ先輩の“馴れ初め”をたっぷりと聞いた。

 最初からラウラ先輩を特別扱いしていたとか、教育係でもないのに個別に薬草園に連れ出していたとか、二人きりでプラトノヴェナ支部に派遣されただとか、アルノルトさんの妹のためにラウラ先輩は奔走しただとか――

 様々なエピソードがチェルシー先輩の口から語られたものの、決定的な瞬間は先輩も目撃していないようで、魔王封印からしばらく経った頃、いつの間にか互いの名前を呼び捨てで呼んでいたことから交際が発覚したらしい。

 それからしばらくは、“天才くん”と“天才ちゃん”のカップル成立に王属調合師たちは大いに湧いたようだった。

 幸か不幸か顔が広かった二人は四方八方から祝われ、ときに揶揄われ、とうとう我慢できなくなったアルノルトさんが怒鳴り散らすまでそれは続いたという。そこまでアルノルトさんが怒ったのも、ラウラ先輩にどう告白したのか教えろと強請られたのが原因だったようで、流石に同情してしまった。

 けれど確かに、アルノルトさんがどのような言葉で、どのような態度でラウラ先輩に想いを告げたのかは気になる。なんでもサラッとこなしてしまう彼のことだから、告白もサラッとこなしてしまったのだろうか。




「アルノルトさんって回りくどい言い方はしないから、やっぱりストレートに告白したのかな!? 花束とかあげちゃったりして!」




 案外ミーハーなチェルシー先輩と“アルノルトさんの告白話”で盛り上がっていたら、あっという間に一日が終わってしまって。

 ――その翌日である休日、城下町で並び立って歩くアルノルトさんとラウラ先輩を見かけた。

 ラウラ先輩を見るアルノルトさんの表情はひどく穏やかで、あぁいいな、と思った。忙しい日々の合間を縫って、穏やかな時間を共有できる相手がいるというのは素直に羨ましい。

 あたしはアルノルトさんのことも、ラウラ先輩のこともろくに知らない。それでもチェルシー先輩の話をちょっと聞いただけで、彼らがその才能故に他の人より多くのものを背負い、険しい道を歩いてきたのだと分かった。




(幸せになって欲しいなぁ……)




 あたしみたいな小娘に祈られなくたって、彼らは自分の手で未来を切り開いていくだろう。けれどアルノルトさんがラウラ先輩に向ける優しい笑顔を見て、そう願わずにはいられなかった。

 どうか願わくば、お二人の幸せがこれからも続きますように。それと――これ以上お近づきになりたいとは思わないけれど、二人が結婚する場合はその結婚式を一目見られますように。タキシード姿のアルノルトさんも、ドレス姿のラウラさんもさぞや絵になるに違いない!

 新たに芽生えた下心を胸に、チェルシー先輩とラウラ先輩のお茶会に参加することになるのは、そう遠くない未来の話だ。




本日、「勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。」コミカライズ5巻が発売となりました!

電子でも書籍でも、ぜひぜひお手に取っていただけましたら幸いです!

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― 新着の感想 ―
[一言] コミック発売おめでとうございます!コミックも短編も、とても面白かったです! これからも頑張ってください!
2022/11/17 22:20 退会済み
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