仲間への手紙(ルカーシュ視点)
魔王封印後、旅に出たルカーシュが仲間たちに手紙を書く話
世界中を脅かした魔王が封印されてから、一年。つまり僕――ルカーシュ・カミルがあてのない旅に出てから、一年経ったらしい。
らしい、というのも、僕自身にその自覚が全くなかったからだ。それならばなぜ気づいたのかというと、先日から滞在している街が“勇者様ご一行”を称える祭りを催していたから。
「魔王封印から、もう一年経つのねぇ」
「勇者様ご一行には感謝してもしきれねぇな」
そんな会話があちこちから聞こえてきて、なんだか面映ゆい。
街の人々は、僕がその“勇者様”だとは気づいていないようだった。変装している訳ではないけれど、案外ばれないものだ。一年前と比べて髪も伸びたし、背もまた少し伸びた。金髪青目は特に珍しい容姿的特徴でもない。それに何より――勇者の証であった左目の紋章は、今ではすっかり消えている。
最初は気のせいかと思ったが、旅をしている最中、紋章が徐々に薄れていっていることに気が付いた。驚きはしたけれど、もう力を使う必要はないと言われているようで、なんだか寂しいようなほっとしたような気持ちになった。
――勇者様の左目には、光輝く紋章がある。
そう世界中の人々が知っているからこそ、声をかけられたときも、何も浮かんでいない左目を見せれば「人違いです」「他人の空似です」等と躱すことができた。
(力は今でも普通に使えるけど……いつかは使えなくなるのかな)
紋章が消えたからといって、勇者の力まで消えたわけではなかった。力が衰えている様子もない。――もっとも、魔物が大人しくなった世界で勇者の力を使う場面なんて、滅多にないけれど。
「よぉ、そこの兄ちゃん! 寄ってかないか?」
不意に街の大通りで呼び止められた。声のした方を振り返れば、露店のおじさんがこちらに向かって手を振っている。
足を止めてしまった以上、このまま無視して立ち去るのも気が引けて、露店に歩み寄った。
いかついおじさんが店番をしていたから、てっきり武器屋かと思ったのだけれど、店頭に並んでいたのはかわいらしい雑貨だ。アクセサリーまである。驚いて何回かおじさんの顔と商品を見比べてしまったけれど、彼はもう慣れたもんだと言わんばかりにため息をつくだけだった。
「祭りだからな、安くしとくぜ。ほら、これなんてどうだ。勇者様のお守り!」
手渡されたのは“勇者様”が刺繍された布でできたお守りだ。いくつも種類があるようで、”勇者様”が持っている武器が異なったり、ポーズが違ったり、布の色が違ったりとかなりバリエーション豊かだった。
お守りを手にとって、思わず苦笑する。だって刺繍されている”勇者様”は僕と全く似ていない。
「あ、なに笑ってんだ兄ちゃん! 今一番売れてる商品だぜ」
ほら、とおじさんが僕の背後を指差す。そちらを見れば、バッグに“勇者様のお守り”をつけている幼い女の子がいた。
それを見たときの感情を、どう言い表せばいいだろうか。ぞわぞわする、変な感じ、もう笑うしかない――
あぁ、そうだ。笑い話にしてしまおう。
「おじさん。このお守り、えっと……六つもらえますか?」
おじさんは一瞬虚を突かれたように目を丸くして、しかしすぐに「毎度ありぃ!」と大きな声を上げた。
***
持ち帰った“勇者様のお守り”を傍らに置いて、僕は手紙を書くことにした。一年前、共に戦った仲間たちに。
手紙と一緒にお守りを彼らに送るつもりだ。きっとある人はケラケラ声をあげて、ある人は控えめに、笑ってくれるに違いない。
まず最初に思い浮かべたのは、手先の器用なかけがえのない友人だ。
――ユリウス、君が故郷に戻ってから一度も会えていないけれど、元気にしてる?
故郷を滅ぼした魔物に復讐を誓ったユリウス。
魔王封印後、家族を弔うために故郷に戻った彼と、未だ連絡が取れずにいた。今はどこかで傭兵をやっているのでは、なんて思っているけれど、それを確かめる術はない。
もう少ししたら、彼の故郷に立ち寄ろうと考えている。峡谷を超えた先にあるから、しっかり準備をして。もしかしたらそこで再会するかもしれない――なんて、さすがにそれはないか。
けれどいつかは会えると信じている。その時まで手紙とこの“勇者様のお守り”は僕が預かっていよう。彼ならきっと、「似てねぇ!」なんて大声で笑い飛ばしてくれるはずだから。
次に思い浮かべたのは、元気でムードメーカーなトレジャーハンター。
――マルタ、本業の調子はどう? 何かお宝は見つかった?
世界中のお宝を探すためと言って、魔王の許まで着いてきてくれたマルタ。
時折、彼女の元気さが恋しくなる。彼女は魔王封印後、本業のトレジャーハンターに戻ったらしいけれど、今でも多くの笑い声に囲まれているだろうと安易に想像がつく。
しかし、よくよく考えるとマルタは親しみやすさは誰よりもあるのに、同時に誰よりも謎の多い人物だ。彼女は自分がどこで生まれたのか、なぜトレジャーハンターになったのか、何一つ語らない。自分のことは何も語らず、周りに笑顔だけ届けて風のように去ってしまった。
再会できたらまず、マルタの話を聞きたいな、なんて思う。
次に脳裏に蘇ったのは、風に揺れる黒髪。
――旅は順調? 無理しちゃだめだよ。何かあれば、力になるからいつでも声かけて。
幼くても誰よりも誇り高い天才魔術師・エルヴィーラ。
彼女は自分を助けてくれた精霊たちに恩返しをするべく、精霊信仰のある地を巡りたいと語っていた。行動力がある彼女のことだから、きっともう旅に出ているんじゃないかと思う。
エルヴィーラのことは、心の底から尊敬している。深い眠りについた兄の代わりに、魔王封印の旅に途中から加わった彼女は、兄にも劣らぬ魔力と強い決意を持っていた。
幼さを感じさせない彼女の姿を見てきたからこそ、年相応の感情を発露できる場所があればいい、と心から願う。それは僕たち勇者一行の前であればよかったのだろうけれど、彼女が加わってから戦況は激しくなる一方で、息抜きの時間なんてあってないようなものだった。
“勇者様のお守り”を見たエルヴィーラは笑うだろうか、怪訝な顔をするだろうか。その幼さが抜け始めた美しい顔に、少しでも笑みをのせることができたらいい。
ふと鼓膜に蘇った声は、剣の師匠であるヴェイクさんのものだ。
――忙しくしているみたいですね。旅先で時折、ヴェイクさんの名前を耳にします。
騎士団長である彼は各地の復興に尽力しているようで、オストリア国内では度々その名前を耳にする。彼の友人だと知られれば、周りからの警戒心はあっという間に解けた。
勇者一行の中で唯一の大人として、同行してくれたヴェイクさん。きっと僕の知らないところで、様々な厄介ごとや嫌な役回りを引き受けてくれたことだろう。
心から感謝している。しかし同時に、僕にとっての彼はいつか超えたい存在でもあった。
今でも剣の鍛錬は毎日欠かさない。それは魔物との戦いに備えてのことであったし、同時にヴェイクさんを打ち負かす”いつか”を夢見てのことだった。
今の旅に終わりは定めていないけれど、ヴェイクさんから一本とれたら少し腰を落ち着けてもいいかもしれない。
次に手紙を宛てたのは、使命を果たそうと必死だった古代種の少女・ディオナ。
――後処理も少しは落ち着いた? ゆっくりできていたらいいな。
ディオナは魔王封印後、しばらく後処理で忙しくなると言っていたけれど、一年経った今、少しは好きなことができているだろうか。彼女も旅に出たい、なんて話していた。
最初は氷のように冷たい表情を浮かべていたディオナが、旅の中でどんどん柔らかな空気を纏うようになったことが嬉しかった。しかし己に課せられた使命を忘れることなく、最後まで勇者を献身的に支えてくれた。その姿を見てきたからこそ、これからの人生は彼女が望むように生きられたらいいな、と思う。
再会できた暁には、改めてお礼を言いたい。ルストゥの民が、ディオナが隣にいてくれたことが、どんなに心強かったことか。きっと彼女は知らないだろう。
遠い未来、次の勇者もきっとルストゥの民が支えてくれることだろう。ディオナの意思を継いだその人に、次の勇者も僕と同じように感謝するに違いない。
ディオナの姿が消え、次に脳裏に現れたのは、黒髪の男。最後の最後まで、喧嘩をした男。
――アルノルト、相変わらずかっこつけてる?
アルノルト・ロコ。
小さな頃から一度だって気が合うとは思えなかった。旅立つ前に喧嘩して、今も絶賛喧嘩中だ。時折嫌がらせのような落書きを送っているけれど、あの涼しい顔で受け流しているんだろうと思うとやっぱり腹が立つ。
僕が幼馴染への初恋を昇華したその夜、彼と一対一で話をした。幼馴染のことも、話した。そうしたら普段はかっこつけのくせに、泣きそうな表情で情けない言葉をこぼしたのだ。
――普通の友人同士であれば、彼の不安に寄り添ってやるべきだったんだろう。情けないと一喝して、背中を押してやるべきだったんだろう。けれど僕らは、普通の友人同士ではなかったのだ。
とにかく腹が立った。腹が立って腹が立って、そこからはもう売り言葉に買い言葉。長い別れの前夜だというのに声が枯れそうなほど怒鳴りあって、互いへの不満を口にして、殴り合いの喧嘩にならなかったのはもはや奇跡と言っていいかもしれない。
(多分アルノルトとは、一生仲良くできない)
それは予感というより確信だった。
僕らの関係は不思議だ。誰よりもそりが合わないのに、誰よりも素を曝け出している相手。誰よりも嫌いで、誰よりも信頼している。
ある意味、唯一無二の相手と言えるのかもしれなかった。それが余計に腹立たしい。
手紙に憎たらしい顔の似顔絵を描いて、少し気が晴れた。なんでもクールに躱すような顔して、案外大人気ないところがある彼のことだから、この手紙はビリビリに破かれるかもしれないな、なんて思って一人で笑う。
――そんな彼を見て、笑っているであろう幼馴染の顔を思い出す。
――元気? 僕は元気だよ。
初恋の相手。大切な幼馴染。もはや、家族と言ってもいいかもしれない。
実ることのなかった僕の幼い恋心は、しかしたくさんの経験をもたらしてくれた。彼女に恋をしていなかったら、きっと今の僕はいない。
彼女は僕にとって、道標のような存在だった。大人びていて、僕のことを気にかけてくれつつも、先に行ってしまう。僕はただついて行こうと必死で、ようやく追いついたかと思ったら、また彼女は走り出す。
幼馴染に想いを告げたあの日、僕はようやく彼女の隣に立てた気がした。いつも僕を引っ張ってくれていた彼女の手を離して初めて、その隣に立てた。
(君はまた先に行ってしまったかな)
目を離すとすぐに無茶をする。お淑やかなように見えて、誰よりも頑固者。こうして思い返すと、なかなか癖のある人物だ。
かっこつけのアルノルトもさぞや手を焼いているだろう。振り回されているかもしれない。そんな姿を見て、腹の底から笑ってやる日が楽しみだ。
そんな未来がいつになるかは分からない。この旅がいつ終わるかは分からない。けれど何年経っても、僕がどれだけ変わっても、彼女は――ラウラは笑顔で迎えてくれるだろう。
おかえりと、笑ってくれるだろう。
***
王都行きの馬車に手紙を預ける。届くか分からない手紙も何通かあったけれど、アルノルトあたりがどうにかしてくれるだろう。
出発する馬車を見送って、ふと近くに気配を感じた。潜んでいる様子ではない無防備な気配だったから、放っておいても特に問題はなかったのだろうけれど、一度気が付いてしまった以上はこの目で確かめておきたくて。
すぐ近くの草木を掻き分ける。気配の正体はすぐに見つかった。
小さな男の子が、折れた枝を片手にこちらに背を向けて立っていた。彼の目線の先には――木の根元で安らかな寝息を立てている、魔物の子ども。
男の子から殺意は感じられない。ただ珍しい魔物の寝顔を眺めているように思えたが、彼が握っている枝が気になって、声をかけた。
「その魔物はとてもおとなしい種だよ。それに子どもだ」
言外に傷つけてはいけないと告げる。すると男の子はゆっくりとこちらを振り返った。
「魔王を倒したのに、どうして魔物は消えないの?」
それは男の子が、いいやもしかしたらこの世界の人々が、ずっと抱えている疑問なのかもしれなかった。
――魔王が封印されて、魔物たちは元来の大人しさを取り戻した。火を恐れ、人に近づかず、滅多なことがない限りこちらに牙を向けることはない。
けれど魔物たちはいなくなった訳ではなかった。魔王が封印された後もこうして世界各地でその姿を見る。
なぜ魔物は魔王と共に消えないのか。そんなもの僕にだって分かりやしない。けれど。
「どうしてかな。僕にも分からないけど……傷つけ合う理由もないはずだ」
共存はできなくても、傷つけ合う必要はない。それだけは確かだ。
一部では、大人しい内に魔物を根絶やしにしてしまえと主張する組織もあるらしい。けれどそんなこと、到底無理な話だ。それにこちらから攻撃を仕掛ければ、魔物は明確に人間を敵としてみなすだろう。大人しかった彼らが、人を見るなり攻撃してくる種になってしまうかもしれない。
そんなことをするぐらいなら、共存の道を探した方がよっぽど現実的ではないかと思う。僕はできなかったけれど、遠い未来の勇者が、仲間の魔物と共に魔王に立ち向かうときがくるかもしれない。そんな未来があればいいな、と思う。
男の子の隣に膝をついて眠っている魔物を観察していたら、視線を感じたのか魔物はくぁ、と大きなあくびをして目を覚ました。寝ぼけ眼であたりをきょろきょろと見渡し――人間の姿を見つけた途端、脱兎の如く逃げていく。
その背を追って、剣を突き立てることは僕にはできない。
「行っちゃった……」
残念そうに呟いた男の子の頭を慰めるように撫でてやる。そうすれば彼はようやく僕の顔を見た。
数秒の沈黙。かと思うと、男の子は肩にかけていた鞄から”それ”を取り出した。それ――“勇者様のお守り”を。
彼はお守りの刺繍と僕の顔を見比べて、こてんと小首を傾げる。
「……お兄ちゃん、勇者?」
お互い目を丸くし、数秒見つめ合った。
――その刺繍、全然似てないのに。
彼が握りしめている刺繍を指差して、思わず苦笑した。
「そのお守りの刺繍、僕に似てる?」
男の子はうん、と頷く。そうかなぁ、と頬をかいた。
僕はしゃがみ込んで、男の子の顔を覗き込んだ。――正確には、彼に左目を見せた。
紋章が浮かんでいない左目を見ても、男の子は表情を変えなかった。何がここまで彼を確信させているのかてんで見当もつかなくて、じっとこちらを見つめる真っ直ぐな視線から逃げるように苦笑する。
「もうこの世界に勇者はいないよ。僕は勇者じゃなくて、ルカーシュ。ただの旅人だよ」
男の子の頭を若干乱暴に撫でる。彼はどこか納得していない表情を浮かべつつ、それ以上追求してくることはなかった。
――魔王は封印された。この世界に、勇者という存在はもう必要ない。僕は勇者ではなく、ただの旅人だ。
「ほら、街に戻った方がいいよ。木の枝も捨てて」
男の子は素直に木の枝から手を離す。からん、と音をたてて地面に落ちたそれに、自分が腰に差している剣を重ねた。
魔王を封印した聖剣はもう、僕の許にはない。聖域で静かに眠っている。けれど僕は今も、剣をこの腰に携えていた。
――いつか、剣に代わる何かを見つけられるだろうか。いいや、見つけたいな、と思う。
男の子の背中を押す。すると彼は抵抗せず、街の方へと駆けていった。
離れていく小さな背中を見送る。迷いのない足取りがほんの少しだけ、羨ましい。
立ち上がり、空を見上げた。
「今日もいい天気だ」
見上げた空はどこまでも広く、青い。取り戻した青空は、いつ見ても美しい。
たくさん迷って、悩んで、挫折して。たくさんの人と出会って、笑い合って、別れて。そうして僕はゆっくり大人になっていく。定められた勇者という道を外れて初めて、僕は”僕”になれる。
――ルカーシュ・カミルとしての人生は、始まったばかりだ。
大きく深呼吸をして一歩踏み出す。
さて、次はどこへ行こうか。
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「勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。4」
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