エメの村への帰省(アルノルト目線)
本編エピローグ後、ラウラについてエメの村に行くアルノルトの話(アルノルト視点)
険しい山道を往く馬車の中、俯く俺の顔を、アッシュゴールドの髪を持つ少女が覗き込んでくる。
彼女の名前はラウラ・アンペール。俺は恋人であるラウラから頼まれて、こうして馬車に乗り、彼女の里帰りに同行していた。
「……緊張してます?」
大きな青の瞳が見上げてくる。咄嗟に首を振りかけて、やめた。
恋人の故郷を訪ねるのだ。緊張しないはずがない。今更彼女に虚栄を張ったところで、意味もない。
素直に頷けば、ラウラは苦笑した。
「大丈夫ですよ。優しい人たちばかりだし、最近は新しい村民も増えたから、閉鎖的な空気も少し緩和されてるって、ペトラが」
ペトラ。それは確か、彼女の友人の名だ。何度か話題に出てきたことがあったから覚えている。
安心させるようなラウラの言葉に、しかし体の強張りは解れない。どうしても思い出してしまうのは、彼女のご両親と王都で初めて会った日のこと。
今から一年ほど前、ご両親を王都に呼び寄せたラウラは、ほんの短い時間ではあったが両親と俺の対面の時間を設けた。その場で初めて挨拶をし、数言雑談を交わしたのだが、あのとき――
「ご両親は俺のことを……怖がっていなかったか?」
突然娘に恋人を紹介されて、身構えてしまうのは分かる。しかしそれにしても緊張に体を強張らせ、恐怖からなのか瞳を揺らし、笑顔が引きつっていたご両親の姿は、些か異常だったと言わざるを得ない。
自分たちの交際を諸手を挙げて歓迎してくれるとは思っていなかった俺も、さすがに落ち込んだ。後日、改めて挨拶の手紙を出せば、あたたかな返事が返ってきたので多少は持ち直したが――
ラウラは苦笑を浮かべる。
「あれは、王都に初めて出てきて緊張してたから。アルノルトに、というより、周りのもの全部にビクビクしてましたよ」
彼女のフォローの言葉はきっと嘘ではないのだろう。しかし俺の気分は浮上しなかった。
――エルフと人間の混血である俺は、どれだけの時間を彼女と共にできるのか、分からない。性格も器用とは言えないし、口下手だ。天才だと周りが囃し立てる調合と魔術以外、周りと比べてなにもかも劣っている。こんな自分は一生孤独に苛まれながら生きていくのだと、小さな頃から思っていた。
けれどラウラと共に生きたいと思ってしまった。そして驚くべきことに、彼女もそれを望んでくれた。それはとても幸せなことである一方で、俺のせいでラウラが手放さざるを得なかった一般的な幸せがこれからどんどん積み重なっていくのだろう。
だから、ラウラやその家族が悩み、苦しむようなことはできるだけ避けたかった。俺とご両親の仲がぎくしゃくすれば、それはラウラの負担になってしまう。人付き合いは最も苦手な分野だが、再びチャンスを与えてもらったのだから、今度こそ――
「もう、大丈夫ですって」
ラウラはふふふ、と笑う。俺と両親のぎこちない交友を目の前で見ていたはずなのに、彼女はなんの不安も感じていないようだった。
いつだって穏やかに微笑み、一見すると控えめな性格に思える彼女は、しかし誰よりも凛と逞しい。そんなラウラに、俺は何度救われたことだろう。
そっと手を握られる。小さな温もりにようやくほっと息をつけた。
青の瞳を見つめ返して、ぎこちなく口角を上げる。まだ笑顔は苦手だ。意図して笑おうとするとどうしても不格好になってしまう。――けれどそんな俺に、ラウラはひどく嬉しそうに、愛おしそうに、笑い返してくれるのだ。
***
エメの村は森に囲まれた小さな村だった。俺の故郷も森の奥深くにあるせいか、どこか懐かしさを感じる。
村の入口で歓迎と好奇の視線を受けつつも、ラウラは俺の手を取って実家へ一直線に向かった。
「おかえりなさい、ラウラ」
出迎えてくれたのはラウラによく似た女性――お母上と、その横で俺にも劣らぬ下手くそな笑顔を浮かべているお父上。
ラウラはご両親と感動の抱擁を交わす。
「こんな遠くまで来てくれてありがとう、アルノルトさん」
「いえ、私の方こそ、一度ご挨拶したきりで……」
申し訳ございませんでした、と謝ろうとした俺を察してか、お父上が遮るように声をあげた。
「とにかく座って! 馬車旅で疲れただろう?」
リビングに腰を落ち着けてから、ラウラが率先して話題を提供してくれた。ご両親としても娘の近況に興味があるのだろう。ラウラがフラリア支部で行っている調合師たちの支援について、興味深そうに耳を傾けていた。
ご両親は一年前と違い、俺を怖がっている様子はない。
「この子、やりたいことがはっきりしているのはいいけれど、一人で決めて、一人で突っ走るところがあるでしょう? 調合師の勉強を始めたのも、王都に行くって決めたのも、私たちに何の相談もなく突然で……アルノルトさんに迷惑をかけていない?」
ずっと黙り込んでいた俺を気にかけてくれたのだろうが、お母上に突然話題を振られて思考が一瞬停止する。
――なるほど確かに、ラウラは悩みを他人に打ち明けることはあまりしない。自分一人で考えて、決断して、その後に初めて「自分はこうする」と報告する。そして一度決めたことは曲げない。
お母上からしてみれば、決める前に相談の一つでもしてほしいというのが本音だろう。その気持ちは理解できるが――そんなラウラに、俺は救われたのだ。
プラトノヴェナで精霊の飲み水の存在を知ったとき、迷うことなくすぐに探しに行くと断言したラウラの力強い瞳を今でも覚えている。思うように動けない俺の代わりに、そして不器用な俺が礼を言おうとまごついている内に、彼女は先へ先へと自分で見つけ選んだ道を往った。
ラウラがいなければ、今頃俺は妹を喪っていたかもしれない。妹を難病から救うためだけに生きてきた俺にとって、妹の死は即ち己の人生を否定されたのと同義だ。エルヴィーラを自壊病から救ってもらったことで、泣きたくても泣けなかったあの日の幼い自分も、救ってもらったような気持ちだった。
「……そんな彼女に、私は人生丸ごと救ってもらったようなものですから」
呟くように答える。ラウラのご両親の前だから気を遣ったのではなく、心からの本音だった。
「あら、ふふふ、そうなの」
嬉しそうに笑うお母上に急に気恥ずかしくなって、早口で言う。
「私の方こそ、きっと彼女に不便をかけているかと思います」
「いいえ!」
隣でラウラが驚いたように声を上げた。心から驚いている、そんな表情だった。
お母上とお父上の顔をしっかりと見て、俺はぎこちなく微笑む。
「何か、私に力になれることがあれば仰ってください」
知識も立場もそれなりにある。驕りでもなんでもなく、力になれることはあるのではないか、と思っていた。そしてそれ以上に、力になれたら嬉しい、と。
――ふと、背後から話し声が聞こえてきて、慌てて振り返る。どうやら扉の前に何人かいるらしかった。
「……あ、押さないでよぉ!」
少女の大きな声が上がったかと思うと、扉が勢いよく開き、玄関先に何人かが雪崩れ込むようにして入ってきた。
その中の一人、黒髪の女性が真っ先に頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! セルヒオが気になるって、どうしても聞かなくて」
「ユーリアだって止めなかっただろ!」
赤髪の男性が抗議した。
お母上は彼らを叱ることなく穏やかに笑う。
「アルノルトさんに興味津々みたいね。若者同士、交流を育んできたらどう?」
お母上の言葉に、オレンジ髪の少女が「ペトラの家で待ってるからねぇ」とのんびり言った。そして彼らは慌てて出ていく。
ラウラが席を立ったのを見て、俺もあとに続こうとした。――と、そのとき。
「アルノルトくん!」
今まで聞き役に徹していたお父上に呼び止められた。
思わず身構えた俺に、お父上は早口でまくし立てる。
「この村は時々息苦しい。君やラウラみたいに、自分の歩く道を自分で決める人にとっては特にそうだと思う。だからこの村を故郷として、いつか帰る場所にする必要はない」
そこで一旦区切る。そして打って変わってゆっくりと、言い聞かせるように言った。
「ただ、お互いを尊重して、きみたちなりの幸せを見つけてくれ。俺たちはそれが一番嬉しいから」
とても、ありがたい言葉だった。
突然のことで何も答えられずにいた俺に、お父上は頭を下げる。
「ラウラをよろしく頼むよ」
言いたいことは、山ほどあったのに。俺はただ声を震わせて「はい」と答えることしかできなかった。
家を出て、先ほどの彼らが待っていると言っていた“ペトラの家”へと向かう。
「……何も、言葉を返せなかった」
それはもはや懺悔だった。
「言いたいことは、伝えたいことは、沢山あったはずなのに」
足元を見つめながら歩く俺の手を、ラウラは引く。
「だったら手紙を書いてあげてください。きっと、喜びます」
――あぁ、と思い出す。初めて会ったときも、後日手紙を書いた。お礼と謝罪を込めて、数日かけて書いた拙い手紙だ。手紙を書くことに慣れていなくて悪戦苦闘したが、それでも比較的正直に自分の想いを綴れたことを覚えている。
今回も手紙を書こう。嬉しかったことをきちんと伝えよう。
村の中で一番大きな家の前に、先ほどのオレンジ髪の少女が立っていた。彼女は俺たちの姿を見つけるなり駆け寄ってくる。
「ラウラー!」
「ラドミラ」
抱き着いてきた少女を受け止めて、ラウラは笑った。まるで姉妹のようだった。
「パーティの準備したの、こっち!」
手を引かれるまま家に足を踏み入れると、リビングにたくさんの料理が並べられていた。そして料理の周りにラウラと同年代と思われる男女が複数人立っている。なるほど確かにこれは“パーティ”といって差し支えない賑やかさだった。
「うわぁ……!」
ラウラが嬉しそうに声を上げる。
黒髪の女性が一歩、代表するように前に出た。彼女の落ち着いた瞳はこちらに向けられている。
「私たちなりの、アルノルトさんの歓迎に」
名も知らぬ少女に親し気に微笑みかけられて、俺はどう反応を返せばいいか分からなかった。
彼女らからしてみれば家族同然のラウラの恋人として、俺のことを迎え入れようとしてくれているのだろう。その気持ちは嬉しい。だが嬉しさより先に戸惑いが立つ時点で、自分はつくづく人付き合いが下手なのだと苦笑するしかなかった。
ラウラは黒髪の女性に抱き着かんばかりの勢いで近づく。そしてお礼と数言雑談を交わした後、俺を振り返った。
いつの間にか、ラウラの周りには黒髪の女性をはじめ女性陣が集まっていた。
「アルノルト、友人のユーリア、ラドミラ、ペトラです」
順番に友人を紹介してくれる。どの名前にも聞き覚えがあったが、こうして顔を合わせるのは初めてだ。
女性陣とぎこちない挨拶と握手をかわした後、今度は男性陣の紹介にうつる。一人一人前に出て、その隣でラウラ直々に紹介してくれたのだが、正直右から左へ流れていってしまった。
最後の一人は赤髪の男性だ。俺とそう年が変わらないように見えるが、赤ん坊を抱いている。
「最後にユーリアの旦那さんのセルヒオと、息子のリオくん」
――旦那。息子。鼓膜を揺らした単語に、俺は目を丸くする。
小さな村ほど、早婚の傾向がある。若い働き手を確保するためだ。それは事実として知っていたが、自分と同年代の男が息子を抱いているその光景は、なかなか衝撃的だった。
「アルノルト・ロコです。よろしくお願いします」
「あ、お、よろしくお願いします」
驚きのあまり凝視してしまったのだが、相手は睨まれていると勘違いしたらしい。怯えたような表情を見せた。
丸まった旦那の背中を、妻が勢いよく叩く。いい音がした。
「しゃきっとなさい、もう!」
「だってよぉ……こういう迫力ある美形、ウチの村にはいねぇだろ……」
怯えさせてしまったことは内心謝罪しつつも、驚きのあまり凝視していただけです、なんてフォローをするほど気さくな性格でもないため、何も言わずに夫婦のやり取りを眺めていた。
結婚。子ども。自分とラウラの行きつく先が“そこ”なのかは分からない。考えたこともない、というのが正直なところだ。
今はお互い仕事に忙しいし、ラウラは自分たちの将来について希望を言わない。それはまだ何も考えていないからなのか、俺に気を遣っているからなのか――
ふと、横顔に強い視線を感じてそちらを見た。するとオレンジ髪の少女・ラドミラがこちらをじぃっと見つめていた。
「あの、何か?」
思わず声をかける。
少女は「んーん」と小さく首を振った。
「ルカーシュが言ってたのと違うなぁって」
「ルカーシュ?」
少女の口から出てきた名前にすかさず反応してしまって、一人で気恥ずかしくなる。自分としてはあからさまに反応してしまったように思うが、ラウラ含め周りは特に気にしている様子はなかった。
オレンジ髪の少女はごそごそと小さな鞄から手紙を取り出す。そして何枚綴りかになっている内の一枚をこちらに向かって見せてくれた。
「これ」
手紙に描かれていたのは、おそらく、俺の“似顔絵”だった。
極悪人と見間違えるような鋭すぎる目つき。悪魔のような鋭い歯まで描かれている。この悪意に満ちた似顔絵は、もしかしなくてもルカーシュが描いたものだろう。若干荒いタッチの絵には見覚えがあった。二年間、定期的に届く嫌がらせ――ではなく、息災の報せに描かれた落書きと似ている。
「お兄さん、ルカーシュと仲悪いのぉ?」
無垢な問いかけに、後ろでラウラが噴き出したのが分かった。
――俺とルカーシュの仲が若干複雑にこじれたのも、お前の存在が大きいんだからな。
喉元まで出かかった言葉は飲み込んで、少女の問いかけに答える。
「……大切な友人だ」
それは紛れもない本音だ。ルカーシュのことは大切な、かけがえのない友人だと思っている。そしてこの想いは一方通行ではないはずだ。
ルカーシュとの間には語りつくせないぐらい、様々なことがあった。ルカーシュの幼馴染であるラウラも知らない彼の一面を、俺は知っているだろう。きっとこの先彼ほど自分を曝け出してぶつかった友人は現れないと確信しているが――それはそれとして、俺たちはとにかく性格の食い合わせが悪いのだ。些細なことがお互いの癇に障る上、頑固で負けず嫌いな部分だけは共通してしまっているから、お互い一歩も引かない。
ルカーシュと酒を飲みながら穏やかに過去を懐かしむようになれるまで、あと五十年ぐらいはかかるかもしれなかった。
「ラウラの里帰りと、アルノルトさん初めましてを記念して、乾杯しましょ」
黒髪の女性が音頭をとる。彼女の言葉に従い、パーティが始まった。
最初は遠巻きに眺められていたが、ラウラの橋渡しのおかげもあって、だんだんと雑談を交わせるようになっていった。この村の若者はラウラの影響か、村の外の暮らしについて興味津々で、酒が回れば無遠慮な質問が四方八方から飛んできた。
「あ、武器屋のおじさん! 村長まで!」
時間が経つにつれ、人が集まってくる。それだけラウラが村の人々に大切に思われているということだろう。
「アルノルトさん、こんな顔してたらモテるっしょ~」
村長に挨拶をしていたところに、赤髪の男が絡んできた。顔が真っ赤だ。酒が回っているのだろう、目の焦点もはっきりしていない。
肩に腕を回されて、反射的に振り払いそうになったが耐えた。そして「そんなことありませんよ」と適当に、しかし差し障りのないようにあしらう。
「ンなこと言って~! ぜってぇ~ウソ!」
しまいには俺の鼻をつまんで「鼻高ぇ~!」とケラケラ笑っていた。楽しそうで何よりだ。
――幼い頃から、容姿を褒められることは多かった。成長してからその回数は増え、最近は特に多い。
容姿はただの遺伝であるから、褒められても何も感じない。そう思い否定すれば「またまた」なんて小突かれ、ときには嫌味が飛んでくる。正直うんざりしていた。更に先日リナたちを前にぼやけば「そういうところがまた腹立つのよ」と言われてしまい、もうどうすればいいのか分からない。
「ラウラも気が気じゃないよなぁ」
「……なぜ?」
「なぜってそりゃあ、綺麗なネーチャンがいくらでも寄ってくるだろ?」
確かに魔王封印の旅に同行して名前が無駄に有名になったせいで、“アルノルト”を訪ねてくる女性がちらほらいる。しかし寄ってくるからなんなのだろう。声をかけられてもすべて断っているし、リナたちからは「断るにしてももう少し優しく断りなさいよ」と注意されるぐらいだ。
ラウラが気にすることは何もないはずだが――本人がどう思っているのか、聞いたことはなかった。
「ちょっと、セルヒオ! 失礼よ!」
そこに男性の妻である黒髪の女性がやってくる。そしてようやく俺は絡んでくる男から解放された。
ほっと息をついたところで、後ろからくすくすと控えめな笑い声が聞こえてきて振り返る。そこには肩を震わせて笑っているラウラが立っていた。
「すごく険しい顔してましたよ。セルヒオのこと、振り払ってもよかったのに」
「何かトラブルを起こせば、お前に迷惑がかかるだろう」
振り払ったぐらいでそんなことになりませんよ、と笑うラウラに肩の力が抜けていくのを感じた。
壁に背中を預けて、何やら盛り上がっている様子を遠目に眺める。先ほど絡んできた男がこの村のムードメーカーらしく、彼を中心に酔っぱらった男性陣が騒ぎ、女性陣に叱られていた。
「すみません、騒がしくて」
「盛大に歓迎してもらって、ありがたいよ」
半分本音、だが半分はラウラを気遣っての言葉だった。
彼女はジュースを片手に、騒いでいる友人たちを嬉しそうに眺めている。その優しい表情は友人を見つめる瞳というより、子どもを見守る母親のようだった。
――時折ラウラは、年齢以上に大人びた表情を見せる。昔からそうだった。自分より二歳年下のはずなのに、まるで年上のような、すべてを包み込むような優しさを彼女から感じるのだ。
「鼻先、赤くなってますよ」
ラウラが示すように自分の鼻先を触る。先ほど好き勝手つままれたせいだ。
未だ騒ぐ赤髪の男性を恨めしく思って――先ほどの彼の言葉が脳裏を過った。ラウラも気が気じゃないだろうなぁ。
もしや俺は、聡明な彼女に甘えてしまってはいないだろうか。我慢を強いているのではないか。
「……ラウラは、気になるか」
しかし本人に直接尋ねるのは自意識過剰なような気もして、ついつい曖昧な問いかけになってしまう。
ラウラは長い睫毛を何度か瞬かせた。
「何がですか?」
はっきり言わなければやはり伝わらない。こんなところまで甘えてしまっては駄目だ。
恥をかくのを承知の上で、単刀直入に問いかけた。
「俺が女性から声をかけられることが、だ」
一回、二回、そして三回。ラウラは大きく、ゆっくり瞬きした。
それから数秒、何やら思考を巡らせるように目線をあたりに彷徨わせて――最後に苦笑した。肩を竦め、どこかすまなそうに眉尻を下げて。
「正直言うと、気にしたことないです。リナ先輩から、アルノルトに会うために王都まで来る女性がいるって聞いたときは驚きましたけど……」
俺も最初は心底驚いた。知らない名前で面会要請があったので、何か急のトラブルでも起きたかと思い談話室に招けば、あなたに一目会いたくて、と目を潤ませる女性に出迎えられたのだ。その後すぐさま丁重に帰って頂き大した騒ぎにはならなかったが、リナたちには盛大に笑われた。
彼女たちの思考は正直理解できないが、それでもわざわざ王都まで来るその行動力には素直に感心する。
何はともあれ、ラウラに余計な心労をかけてないのであればよかった、と納得したとき、彼女が「それに」と再び口を開いた。
「アルノルトって……あんまり女性が得意じゃないでしょう。押しの強い女性は、なおさら」
――それは紛れもない事実ではあるのだが、恋人から異性関係の指摘を受けるのはどうも居心地が悪い。
ラウラも似たような気持ちなのか、どこかたどたどしい口調だった。彼女らしくない。
妹が自壊病を患ってから、ずっと調合の勉強しかしてこなかった。師匠であるメルツェーデスにはからかわれてばかりで、同世代の女性とのかかわりがほとんどなかったこともあって、どう対応していいのか分からないのだ。それを世間一般では“苦手”というのだろう。
だから見知らぬ女性から積極的に声をかけられると、身構えてしまう。無駄に厳しく当たって傷つけてしまうのも隙を見せまいと気を張っているせいだ。
落ちた沈黙に「でも」とラウラがフォローするように切り出す。
「アルノルトを信頼しているからっていうのも大きいと思います。あなたは不誠実なことは絶対にしないでしょう? それに、そういう風に私のことを考えてくれるのは、嬉しいです」
ふわり、と花が咲くように笑うラウラに、あぁ、と思う。きっと一生俺は彼女に適わない。
こちらを見上げる彼女の顔に髪がかかっていた。この二年、ラウラは似たような長さを保っていたのだが、ここ数ヶ月は特に忙しかったのだろう、数か月ぶりの彼女はいつもよりいくらか髪が長くて。
顔にかかった髪を、指先で耳にかけてやる。そうすれば美しかった笑顔が、ふにゃりと崩れた。俺は美しく整った笑顔より、そちらのだらしない笑顔の方が好きだ。
ふ、と口元が緩んで、心の中で思うだけではだめだ、と思い直した。ラウラと交わした“素直になる練習”はまだ継続中だ。
気づかれないように一度深呼吸して、それから言った。
「その笑顔が一番好きだ」
数秒の沈黙。微かに赤く染まっていく頬。
更に力が抜けた笑顔になったラウラに、素直になるのも悪くない、と思った。
***
その夜、俺はかつてラウラが使っていた部屋で寝泊まりすることになった。彼女は親と川の字で寝るようだ。
「ごめんなさい、狭いだろうけど今日はここで寝てください」
部屋に足を踏み入れた瞬間、既視感に襲われた。
おそらくは彼女が使っていたのだろう、古ぼけた小さな机と椅子に、マットレスだけ買い換えたと思われるベッド一式。必要最低限のものしか残されていないこの部屋に、俺は来たことがある。
「この部屋……」
しかしエメの村に来るのは初めてだ。当然ながら、ラウラの家に招かれたのだって。
それならばこの記憶は一体なんなのだろう、と考えて――「ベッドあけて!」と叫ぶラウラの声が鼓膜に蘇ってきた。その声は遠く、視界は真っ暗。明らかに普通の記憶ではないそれは、もしかすると魔王の力をこの身に――
「どうしました?」
黙り込んだ俺を不審に思ったのだろう、ひょい、と横から顔を覗き込んできたラウラによって思考は中断された。
「いや、なんでもない」
心配させないように下手くそな笑顔で応えて、俺はベッドに腰かける。するとすかさずラウラはその隣に座った。
二人並んで、ぼんやりと窓の外を眺める。彼女との時間はいつだって心地よかった。会話せず、ただ寄り添っているだけで心癒される。
すっかり暗くなった外から聞こえてくる虫の鳴き声。優しい月の光。騒がしくも盛大に迎え入れてくれた村人たち。優しく穏やかに包み込んでくれるご両親。ここでラウラは生まれ、育ち、そして俺と出会ってくれたのだ。
「……いい村だな」
気づけばそんな一言が零れ落ちていた。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
ラウラは幾分声を弾ませて言う。幼い頃に王都に出てきた彼女ではあるが、やはり故郷は特別なのだろう。
お父上はこの村に戻って来なくていい、とはっきり仰った。彼の言葉に甘える訳ではないが、今後も王属調合師という職業を続けるのであれば、森深くにある村に家を構えることは不可能だろう。例え俺と道を違えたとしても、ラウラが王属調合師である以上、それは変わらない。
ラウラはご両親の言葉をどう受け止めたのだろう。彼女の、俺の、俺たちの将来について、もう少し踏み込んで話し合いをしてもいい頃合いなのかもしれない。
「今回はありがとうございました」
「いや、来てよかった。ありがとう、ラウラ」
それは心からの言葉だった。
未来がどうなるかは分からない。けれど今、ラウラが俺を故郷に招いてくれたことが嬉しかった。家族や友人たちが迎え入れてくれて、心の底から安心した。
ラウラが立ちあがる。そして囁いた。
「ふふ、おやすみなさい」
おやすみ。また明日。おはよう。
――それらの挨拶を繰り返して、俺たちの日々は続いていく。これからも、きっと。
後日、ラウラにアドバイスされた通り、ご両親に向けて手紙を書いた。二度目の挨拶が遅くなったことへの謝罪と、温かく受け入れてくれたことへのお礼と――心から、ラウラを大切に思っていることを。
何度も書き直した。俺の口下手は手紙でも同じらしい。頭を悩ませ、書きあがった手紙を破り捨て、やがてできたのは七枚綴りの分厚い手紙。
読み直し、よしこれでいいと封筒に入れかけて――最後に一文、慌てて書き足した。
またお会いできる日を楽しみにしております。
アルノルト・ロコ。