9th piece TKG
『納豆卵かけご飯は最高の嗜好品だと思う。』
納豆の入った器に付属のタレ入れて混ぜる少女は言葉を続けた。
『卵白に含まれるアビジンって成分が納豆のビオチンと結合して吸収を妨げるんだ。しかもホカホカご飯でナットウキナーゼが破壊されるオマケ付き。』
混ぜた納豆に生卵を割り入れ更に混ぜる。
『でもさホカホカご飯に納豆かけるのも、納豆に生卵入れるのも止めらんねぇと思わねぇ?』
栄養素が失われると分かっていても、自身が最もおいしく食べられる方法を選ぶだろう。粘り気が少なくなるとしても混ぜる前にタレを入れるし納豆菌が眠ったままだとしても20分も常温で放置してから食べたりはしない。
『健康の為に食ってるんじゃねぇもん。好きだから食ってんだもん。』
言い訳のように言葉を並べながら少女は温かいご飯に納豆卵を掛けて食べ始めた。
『うまーい。アイちゃんもそう思うだろ?』
『俺は卵かけご飯の方が好きだ。』
愛路の率直な意見に納豆卵掛けご飯愛好家の少女は『つれないっ』と嘆いた。
たっぷり盛られた白米の中心に穴を空け、生卵を割った。そこに3滴醤油を垂らしてよく混ぜる。それを口に流し込むと卵の甘みととろみが絡みついた白米の旨みが広がる。
茶碗と箸を置いたトレーに乗っているのは煮物に焼き魚に漬物に味噌汁。本日の日替わり定食のメニューだ。
老女に近い年齢の食堂の従業員は昭和を感じさせる古き良き日本食を愛しており、洋食の多い学食なのだが日替わりメニューのみ純和風にこだわっている。
故に卵掛けご飯や納豆ご飯、時には山掛け蕎麦などが並ぶのだ。食の欧米化が進む中、新鮮だと一部の学生に人気高いメニューであり、愛路も日替わり定食を好む一人だった。
「ここ、いいか?」
小さな至福を感じながら卵掛けご飯を掻き込んでいるとトレーを持った男二人が同席を求める。一人は英仁。もう一人は山崎 泰治という英仁と同じサークルの4年生だ。
中肉中背、派手でもなく地味でもない何処にでもいそうな男だが英語、フランス語、ドイツ語、中国語とペラペラで他にもポルトガル語、スペイン語、韓国語を片言程度に扱える。
将来は外交官か通訳か翻訳の職に付くしかないというほど語学に長けていた。
「どうぞ。」
愛路はトレーを少しずらしてテーブルを少しでも広く使えるようにする。二人は向かい合うように席に着いた。
「なぁ後藤も俺たちのサークルにはいらないか?」
「お断りします。」
泰治がカツ丼を食べながら穏やかに誘い間髪入れず愛路が断る。顔を見る度に言われていることだが返事もまた相変わらずだ。
「釣れないなぁ。」
「しょうがないっすよぉ。女の子で釣っても金で釣っても食いモンで釣っても見向きもされないし?愛路釣れる餌があったら教えて貰いたいくらいで。」
フォローにならないフォローを入れる英仁に何か投げつけてやりたい気分になったがここは多数の人間が往来する食堂。
愛路は折れそうなほど箸を掴むことで怒りを抑えた。
「マーナー。」
苛立っているところに怒りを増幅しそうな人物の声が聞こえ、身体が強張る。
「ここ座っていい?」
了承する前に愛路の右隣へトレーを置いて座ったのは杏だ。
彼女の本日の衣装は赤いチェックのストールと某遊園地の人気キャラクターがプリントされたデニムワンピースにブーティーという可愛らしいものだ。
「ミスコンテスト3位の常盤さんだ。」
正面に座る泰治が嬉しそうに手を振る。杏も挨拶程度に微笑んで首をかしげた。
「こんど一緒に食事しない?」
「駄目ですよ先輩。あたし男いますから。」
きっぱりと断りながら杏は昼食の空揚げに檸檬をかけた。
「食事と言えば、マナ今夜時間ある?」
上目遣いで首を傾げる姿は普通の男の目には可愛く見えるだろうが愛路にとっては逆効果だろう。
「気色悪ぃ目で見んな。杏に割く時間はねぇ。」
「あたしじゃないよぉ。湊が逢いたいって。」
不機嫌な声で出された幼馴染の名前。最後に逢ったのは桜が咲く前だ。
「分かった。」
「7時にいつものところだって。」
剥れた杏はサンドイッチを頬張る。
「常盤さんって後藤のコレ?」
二人の親密そうな遣り取りを見ていた泰治は小指を立てて問う。
「先輩、冗談きついです。」
「どういう意味よ。」
内心鳥肌を立てながら笑顔を崩さずに言うと杏はがたりと立ち上がる。英仁は愛路の内なる怒りを感じ取ったのか少しだけ離れた。
「言葉通りだろ。興味が持てない。そそられない欲情もしない。うん、無理。」
「何それっ。これでも街中歩いてるとナンパとか勧誘とか凄いんだからね。」
「だからなんだ。時が加速して宇宙が入れ替わっても無理。」
一人熱くなって叫ぶ杏。冷静に言葉を返しながら煮物をもくもくと食べる愛路。このままだと収拾がつかなくなると判断した英仁は箸を椀の上に置いた。
「ほらほら、イチャついてないで。」
「イチャついてないっ。」
「次言ったらメガネ割るからな。」
二人から睨まれ、恐縮する英仁を救ったのは泰治だった。
「二人は友達?」
穏やかに差し障りのない言葉を選んだつもりだったが愛路の顔は嫌そうに歪んだ。
「マナはねぇ、あたしの彼の幼馴染なの。」
「え!?愛路って幼馴染とかいたのか?」
「諸星っ。」
失礼な発言に泰治が慌てて諌めるも言ってしまったものは取り消せない。
「だってさぁ愛路って特定の人間と一緒にいることねぇじゃん。一人でいること多いしなぁ。」
「言えてる。でも顔だけは良いからクールでいいとかミステリアスで素敵とか女の子の間で噂なんだよね。本性は根暗でいじわるでコミュ力壊滅の冷血漢なのに。」
英仁に便乗した杏がぺらぺらと何処で流れたかも知れない愛路の評判を語りだした。いつものお返しにと悪口を添えて。
「そういえばどんなに可愛い子が遊びに誘っても告白しても断られるって女子が言ってたなぁ。」
4年生の間でも愛路の噂はあるらしい。彼女たちは遊びや恋愛よりも就職の心配をするべきだと心の中で思う。
「でも好きな子や彼女がいるようには見えないから、悩める女の子達は恋を諦める為にこう考え結論付けた。後藤には遠い昔に生き別れた想い人がいて今でも忘れられず純愛を貫いていると。だから傷が癒えるまで誰にも後藤を落せないってな。因みに想い人候補は幼稚園時代の先生やら中学時代の家庭教師やら十人十色だな。」
泰治の話しを聞いて人の想像力は怖いと愛路は顔を引き攣らせた。昭和の少女漫画のような結論に鳥肌が立つ。今時そんな純情な人間がいるなら見せて欲しい。そして聞いている方が羞恥しそうな妄想を考えた者と鵜呑みにして噂を広げている者は頭の検査をしてほしいと心から思った。
「そうなのか?俺が聞いた噂と違う。」
楽しそうに話しを訊きながら味噌汁を啜っていた英仁が横槍を入れる。
「え、何々?別バージョンがあんのか?」
「教えて、教えて。」
泰治と杏が身を乗り出す中、どうぜくだらない噂だと溜息をつき気分転換に冷めかけた緑茶に手をかける。
もはや噂話というよりも他人の捏造話だ。
「愛路は男しか愛せないってよう。」
「ぶふぁっ。」
意味深く語る英仁の一言に啜りかけたお茶が変なところに入り盛大に噎せた。
「うわっ愛路。図星なのか?だから吹いたのか?天王寺先輩とデキてるって噂は本当だったのか。」
席を移動して激しく咳き込む愛路の背中を摩りながら英仁は大声を出す。
「何ぃっ?天王寺って天王寺志郎?中学校時代はケンカに明け暮れるヤンキーでその地域の不良連中片っ端から潰して不良の頂点に上り詰め、表ざたになってないだけでヤッたとかヤッてないとか実は実家が極道でしたとか、とにかくあの天王寺志郎?」
泰治は目を丸めて己の持つ情報の全てを曝け出す。
「血統書付きの不良でヤクザとヨロシクやってるとか麻薬密売してるとか内臓売買のブローカーやってるとか逆らった人間は海に沈めているとか黒い噂の耐えない天王寺志郎先輩?」
一応声を潜めるが杏も驚きを隠せないようだ。
噂はともかくとして、天王寺志郎という男を知っている愛路にとって彼の悪口を言われるのは面白くない。
「噂で人を悪く言うんじゃねぇ。」
それだけ言うと騒いでいた三人だけでなく会話に耳を傾けていた周囲の生徒たちまで凍りついたように固まった。
「庇った。マナが……。」
杏が頭を押さえながら脱力するように椅子に座る。
「ってことは本当か後藤!」
「どうなんだよ愛路。天王寺先輩が彼女?彼氏なのか?」
英仁に襟首をつかまれて揺さ振られ、泰治は耳元で大声を出すので耳が痛い。首は絞まって苦しいし、小刻みに揺さ振られるので気持ちが悪くなってきた。
唯でさえ思考回路が混線しているというのに、身体的なダメージに吐き気を催したところで目の前の英仁が横から押されてテーブルにめり込んだ。
「後藤ちゃんに何してんの?」
愛路の首を絞めていた英仁の頭を掴みテーブルに叩きつけたのはエレガントという言葉を背負ったような雰囲気の青年だった。
明るい茶色に染めた髪をオールバックにセットしボタンダウン仕様のシャツにカーディガン。細身のパンツとカジュアルな服装から爽やかなイメージがあるが柔らかい笑顔に剣呑な空気が混ざっている。
「うわっ。天王寺志郎!」
泰治は尻餅をつきそうな勢いで後ずさった。
「失敬だよ山崎君。後藤ちゃん大丈夫?」
やれやれと苦笑しながら顔色の悪い愛路を気遣う姿は見た目だけならば絵になる。
「天王寺先輩。マナと付き合ってるって本当ですか?」
「は?」
「杏っ。」
突拍子もなく杏が事の真相を確かめようとしたので慌てて名前を呼ぶ。
「マナは男しか愛せなくて天王寺先輩とデキてるって噂があるんです。」
「へぇ。ボクと後藤ちゃんってそんな風に見えるんだ。」
楽しい遊びを見つけたように深く笑うと志郎は愛路の肩を抱いて手を握った。どこからか女の子の黄色い悲鳴があがる。
「残念だけど後藤ちゃんの好みは美人で優しい年上の女性だよ。この大学にタイプの子がいないから誰も相手にされないだけ。そういえば先月のバイトの後に綺麗なお姉さんにお持ち帰りされてたって本当?」
前半は杏に向けて、後半は愛路に尋ねるように暴露される内容に周りは絶句するしかない。同じく絶句している愛路がお持ち帰りされたのは事実だが保身のために肯定はしないでおく。
「ボクさ、後藤ちゃんと二人で話があるんだ。くだらない噂話なら他所でやってくれるかな。」
話し方は柔らかいが消えうせろという副音が聞こえるきがする。
「天王寺先輩。俺は愛路と長閑に昼食してた友達です。」
事の成り行きを大人しく聞いていた英仁が漸くテーブルから顔を離し鼻を押さえながら訴える。
「蛆虫と人間って友達になれたっけ?」
「愛路君?怒ってる?怒ってるの?ごめんってば。」
変な噂話を話題に出した意趣返しにと冷たい言葉を浴びせると英仁は土下座する勢いで謝りだした。
何がおかしいのか笑いながら志郎は泰治に視線を向ける。
「山崎君。悪いけど後藤ちゃんは諦めてね。」
何を隠そう志郎も愛路を自分の所属する≪かくれんぼサークル≫に入れようと何度も誘っているのだ。ルールが細かかったり、山へ遠征してサバイバル形式で行われたりする過酷過ぎるかくれんぼなのだが人気だったりする。
「ああ、天王寺がいないところで誘うよ。」
言いながら泰治はトレーを持って席を移動する。ここに残されては堪らないと慌てて英仁がその後を追った。
「で、君は誰かな?」
「マナ。あたしとは友達だよねぇ。」
可愛らしく首を傾げて問われても気色が悪いという考えしか浮かばない。
「他人以上、知り合い未満。」
「それってほぼ他人じゃん。」
猫でも追い払うように手を振る仕草に杏は仕方なくトレーを持って他のテーブルへ移った。
「何の用だよ。」
すっかり不貞腐れている愛路が漬物をかじりながら睨む。
「おっと、忘れるトコだった。」
志郎はリップクリームのようなスティック型のものを取り出し、左耳の髪を手で払い耳の後ろに塗った。
ふたを閉めると愛路のポケットに押し込む。
「え?何?」
「翔君に頼まれたんだよ。たぶん気付いてないからって。」
楽しそうに席に座ると志郎は携帯電話を取り出す。なにやらメールを打ち始めた。出来物でも出来ていたのだろうかと耳の後ろをなぞってみるが何もない。
「あんまり触っちゃ駄目だよ。」
言われて手を見ると肌色のものが付いていた。
ポケットに入れられたものを見ると先ほど志郎が使っていたのはコーンシーラーと呼ばれるシミや出来物の赤みを隠す女性用化粧品だ。
「ボクも柊さんに会いたかったなぁ。」
ぱちんと携帯電話を畳み視線を向ける志郎に悪い予感がする。
「随分と濃厚な “さよならの挨拶”だったみたいだね。」
耳元で誰にも聞こえないような小声で言われ、今朝のこととコーンシーラーで隠したものがなんなのか思い当たり、ぎくりと身体を揺らした。
「な、なななな、な。」
首元を手で押さえ、ワナワナと震える。なるべく考えないようにしていたというのに記憶を蒸し返され顔に熱が集まる。
「翔君の言った通り女慣れしてても本命相手だとウブなんだね。」
何故、己の周りには癖のある人間しか集まらないのだろうか。耳どころか首まで赤くした愛路は椅子を蹴り倒して立ち上がる。
「シローの阿呆っ。」
力の限り叫ぶと注目を集めた愛路は全力で走り食堂から出て行った。
◇山崎 泰治
英仁が所属するサークルの4年生。
中肉中背のフツメンだが語学堪能。
◇天王寺 志郎
かくれんぼサークル所属の4年生。
常に笑顔で物腰柔らかな青年だが醸し出すオーラがサイコパスなため職務質問経験豊富。
(◉ω◉)愛路の食器は志郎が責任を持って片付けました。