6th piece Selfish people
『蝶々がお花にキスをした。キラキラ光る小さな箱庭。』
唄が聞こえる。知らない旋律でも外れていると分かる音程、鈴を転がすような高音のソプラノ。
『キャンディ、クッキー、チョコレート。お菓子を広げて甘い時を。』
ブロック塀を超えて、空家の庭へと入る。彼女に教わった彼女の隠れ家だ。
『絵本、人形、毬、指輪。玩具を広げて楽しい時を。』
ひよこの描かれたレジャーシートに少女は座って唄っていた。その横にはウサギのマスコットが付いたトートバックが置かれている。
『小鳥が囀り、お花は唄うよ。蝶々が舞って風が踊るよ。』
首を左右に振って楽しそうに歌う姿は夢見るようだった。
『ふわふわお日様、キラキラ光る夢の国ぃ。』
唄が終わり、ニコリと笑いかけられる。初めから居たことは気付いていたようだ。
『何してんだ?』
『日向ぼっこ。』
少女の隣に座り空を仰ぐと青空が広がる。ひつじ雲が風に流されて気持ちよさそうだ。昨日季節外れの寒気が南下したせいで少し風が冷たいが日差しが心地よい。
『気持ちいいな。』
『うん。』
青みの深くなった空も新緑の匂いを運ぶ風も夏を感じさせる。もう春も終わりだ。
『あったけえなぁ。』
二人で肩を寄せ合い、日が傾くまで温かさに浸った。
あの日と同じひつじ雲が流れる空は青く、風には新緑の薫りが混ざっている。
大学に設けられた中庭のベンチにて愛路は缶コーヒーを飲みながら本を読んでいた。次の講義まで時間が空いていたのだ。
最後の一説を読み終えてパタンと本を閉じて空を見上げ、青い空に映える綿菓子の様な雲を眺めながら懐かしい記憶に浸った。
「マナぁ、聞いてよぉ。昨日、湊に逢いたいってメールしたらレポート書いてるからダメって言われたぁ。」
この世の終わりを告げられたような憂鬱な表情で杏は愛路の横に座った。麗らかな気分と雰囲気は見事に壊れる。湊とは愛路の幼馴染であり、杏の彼氏だ。
「恋人と勉強とどっちが大事なの。」
まるで結婚記念日をすっぽかされた夫婦の様だ。よくドラマなどで仕事と家族とどっちが大事なのかと詰め寄る描写がある。
まさか現実に見ることになるとは思わなかったが。
「単位がかかってる湊の都合と気まぐれな杏の我儘とどっちが大事なんだっつーの。」
デートの約束でもしていたのであれば、もう少し優しい言葉も出ただろうが完全な我儘を正当化させるわけにはいかない。
「慰めてよぅ。」
目に涙を溜めながら腕にすりつく。女の子にすり寄られて悪い気はしないが自分にも好みというものがある。
「体で?」
「バカっ、優しい言葉で。」
茶化すように冗談を言えば、睨みながら杏は離れた。
「もう、人が落ち込んでるのに信じられない。」
「そんなに逢いてぇなら差し入れでも持って押しかければよかったじゃねぇか。アイツ、ファーストフードとかピザとかコッテリした高カロリーなもん好きだろ?」
さらりと適当なことをいうと杏は頭を抱えて突っ伏した。
「その手があったかー。もう、私のバカぁ。」
杏が昨日の自分を責めだしたところで時計をみると講義まで20分もある。
どうやって時間を潰そうかと思った時、隣に一人の男子生徒が座った。英仁だろうかと顔を見れば全く違う人物だった。
「後藤、聞いてくれ。一生の頼みだ。」
そう言って深々と頭を下げるのは派手な服装の男だ。頭は赤く、腕や首にはジャラジャラと邪魔そうな飾りがついている。
愛路は彼の目を見ながらにこりと微笑む。
「ごめんね。」
「まだ何も言ってねぇだろ。」
耳元で叫ぶ男を無視して読み終わった本を広げた。
「話くらい聞いてあげたら?KNAVEの久信君の頼みだよ。」
「そうだ、俺の頼みだ。」
杏の助言で久信と呼ばれた男は急にふんぞり返る。彼はこの大学でかなりの有名人だった。高校時代からバンド活動をしており、最近ではCDまで出し始めたらしいが売れているかどうかは定かではない。
整った顔と口八丁で男にも女にもモテると聞いたことがあるが到底縁のない人物だと適当に聞き流していたため名前すら覚えていなかった。
「この前、駅前のショピングセンター居ただろ?店の電子ピアノで試し弾きしてるとこ圭志が見たってさぁ。あ、圭志ってのはウチのバンドのベースなんだけど、スラスラ弾いたって事は出来るやつだよな。音楽好きだよな?な?」
確認するように顔を近づけられ、思わず身を引く。言われて思い返せば知り合いの兄弟に連れられて行った先のショピングセンターで弟の方に無茶振りされて弾いたような記憶がほんのりとある。
「要点だけ言えよ。」
早く話を終わらせたいがために先を促す。久信のように派手な人種は苦手なのだ。
「キーボード担当が怪我した。今夜のライブ代わりに出てくれ。」
久信は拝むように手を合わせて深々と頭を下げる。
「すごいじゃん。ってゆうかマナってピアノ弾けたんだ。」
杏はバンドの助っ人に誘われた事より愛路がピアノを弾けた事に関して驚いているようだ。
「断る。」
「「何で?」」
溜息と一緒に言うと、杏と久信の声が見事にシンクロした。
「後藤しかいないんだよ。ピアノ弾けそうでそこそこ顔が整ってるなんて都合のいい奴。」
慌てて久信が肩を掴んで説得に入る。一瞬、愛路の身体が小さく撥ねたことには誰も気づいていない。
強引で相手の都合など考えていない行動には嫌悪する。いっそ殴り飛ばしてしまいたいという衝動にかられ固く握った右手を抑えた。
予定でもあればよいのだが生憎今夜はバイトもない。それ以前に指先の覚え弾きで何曲か弾けるだけで愛路は楽譜などまともに読めないのだ。こちらの話を聞かなそうな人間相手にどうやって断ろうかと考えていると携帯電話が鳴った。
「悪い。本当に出れねぇから。」
やんわりと断り愛路は物言いたげな久信を残して距離をとった。ディスプレイにはクソメガネと記されている。
≪よう、愛路。今日さ女と男が集まって楽しくお喋りしましょうって集まりがあるんだけど来ねぇ?≫
意気揚々と合コンなのか遊びなのか不純な誘いをしてくるのは英仁だ。
≪愛路が来てくれればみんな喜ぶし。≫
愛路は突然入った英仁の誘いと久信のライブを天秤にかけた。英仁の方が圧倒的な支持率で傾く。久信のあの様子ではまだ詰め寄ってくるだろう。予定があった方が断りやすい。
「分かった。」
≪そんな事言わずに気晴らしだと思っ……今何て言った?いいのか?行くのか?来てくれるのか?≫
「しつけぇ、一回で聞き取れ。」
自分から誘っておいて了承したことが意外だったのか、尚も嘘や悪戯ではないのかとかと詰め寄ってくるので行かない方がいいのかと問えば慌てて止めてくる。我ながら意地が悪いとも思ったが疑い深い態度の英仁が悪い。
≪ありがとう親友。これで女の子たちの期待に応えられる。見栄張ったかいがあったぜ。あ、愛路の分は俺のおごりな。≫
「いい。お前に借り作りたくねぇし。」
本当は断る口実に借りを作ってしまったのだが余計なことは言わないでおく。
≪気にすんなって。借りが出来たのは俺だ。実は男連中と愛路が来るか来ないかで賭けててな、俺の総勝ちボロ儲け。愛路様々ってな。≫
素直な事はいいが、呆れて二の句が出なかった。英仁はこういう人間だ。
≪講義終わったら迎えに行くからなぁ。≫
陽気な声を発して通話が切れた。
沈黙する携帯電話を持ってベンチに戻ると杏は拗ねた顔をしている。久信が何か言ったのだろうか。取敢えず愛路は元の位置に座った。
「頼むよ。後藤。」
頼みというよりは脅迫に近い。なんだか道端で因縁をつけられた時を思い出す。
「悪ぃけど、今夜は予定がある。」
「何だよ。どうせ大した事じゃねぇだろ。」
確かに英仁の誘いなど愛路からすれば大した用事ではない。普段であれば英仁の誘いに行くくらいなら辞書か電話帳を読んでいる方がマシだとさえ思える。しかし内容も聞かずに否定されると面白くない。
「あんたにとっては下らない用事かもしれねぇけどな、俺にだって人付き合いがあるんだ。」
「断ればいいだろ。ぜったいこっちの方が楽しいぜ?」
どうして世の中には自分の物差しでしか量れない人間がいるのだろうかとうんざりする。久信とは話をするだけ無駄らしい。
「とにかく俺は出ない。」
翔に今夜は遅くなるとメールを打っていると久信が携帯を取り上げた。
「大事なメールなんだけど。」
早く返せと手を出しても返す気配がない。門限があるわけでもないが一応連絡をいれておかなければ翔が良い顔をしないのだ。それ以前に人の携帯電話を取り上げるなどマナー違反どころか言語道断だ。何が何でも今夜のライブに出したいのだろう。
「いい加減にしてよっ。」
それまで不細工に顔を歪めていた杏が声を張り上げた。立ち上がって驚いていた久信の前に仁王立ちすると愛路の携帯電話を引っ手繰るように奪い返す。
「マナは出ないって言ってるでしょ。しつこいよ。大体ね、今は私がマナと話してるの。邪魔だしウザいから消えてくれない。」
はっきりと物事をいう事は杏の長所であり短所でもある。
「マナ、場所変えよ。」
杏は愛路の手を取ると早歩きで久信から離れていく。さり際に侮蔑と嫌悪の視線で睨みつける事を忘れずに。
「なんか言われたのか?」
もともと怒りっぽくはあるが脳天から湯気が出そうなほど不機嫌なまま先導する杏に聞く。
「ミスコン3位のこのあたしに思ったよりブズだって言いやがったのよっ。」
愛路にすら言われたことのない幼稚な貶し言葉に怒りヒールが折れそうなほど力を込めて歩く。
「あんのリンゴヘッドぉぉ!!腐ってハゲろ!!」
中庭には杏の叫びに唖然として言葉の出ない久信と飲みかけの缶コーヒーが残されていた。
◇久信
KNAVEという4人組バンドのリーダー兼ボーカル。絶対的な自信があるため強引。
(◉ω◉)愛路の平凡な大学生活を綴ったLate springはこれにて終了です。
次回から新章スタートです。
ここまでご覧いただきまして、ありがたく存じます。
お気に召していただけた方は、恐れ入りますが下記にてご評価いただけると幸甚にございます。
励みになりますので、よろしくお願い申し上げます。