56th piece Extremely hot day
照りつける太陽の下、愛路は吐気に苛まれていた。40度へ届きそうな猛暑日だというのに血の気は失せて手足は氷水に浸けたかのように冷たい。
遣る瀬無い気持ちを引きずったままやり様のない怒りを持て余す愛路は、もうもめ事は全て終わらせようと一軒の住宅の前に居る。
極度の緊張に震える手でインターフォンを押すと家主はドアホンに映る愛路の顔を見て慌てて玄関のドアを開けた。
「マナっ。どうしたんだ?」
信じられないモノを見たように驚愕した湊が必要以上に慌ただしく音を立ててインターフォンのある門戸までやってきた。
誤解されたままでいることが癪で思い立った勢いにまかせ連絡もせずに実家暮らしの湊の家まで来たのだ。
「話がある。」
偶然にも家に居た湊は無愛想に要点だけを言う愛路を迎え入れてくれた。他の家族は留守なのか静かな家の中を通り湊の自室に来た。
幼い頃は毎日のように遊びに来た場所だが今では最後に来た日が思い出せないほど久しぶりに来た。部屋の場所はそのままにインテリアがガラリと替わっている。
「適当に座れよ。ジュースでいいか?」
「いらねぇ。」
愛路がカーペットに座ると湊も隣に座ってベッドに背を預けた。何から話せば良いか考えがまとまらず長い時間俯いて黙っている愛路を急かす事無く湊は待っている。
「……別に俺の話は信じなくていいから。」
ふーっと緊張と吐気を和らげるように息を吐いて、そう前置きすると愛路は両親の死後から湊に再開するまで自身の身に起きた事を時系列に沿って話した。
小学校の時に剛史の家で過ごした日々の事。従姉弟の真理の事。中学校の時に勝敏の家で過ごした日々の事。クラスメートと枝里に暴虐され続けた事。輝架と出逢った事。夕月に助けられた事。愛路の所為で冤罪を着せられ夕月が柊になった事。高校の時に晴菜の家で過ごした日々の事。志郎と翔に助けられたこと。そのまま二人に甘えている事。夏休みが始まってすぐ、親戚達と決別したが縁が切れない事。
途切れ途切れに言葉を詰まらせながら紡いだ愛路の長い話を、湊は嫌な顔もせずに疑う事も咎める事もなく聞き入れていた。
湊は小さく震えながら俯いて黙ってしまった愛路の頭を掴むと乱暴に撫でる。驚いて顔を上げた愛路の瞳には涙が溜まっていた。
「何すんだよ。」
かき回されてボサボサになってしまった愛路の髪を手櫛で整えながら湊は困ったように笑う。他者からの吹聴による誤解とはいえ湊は愛路に酷い事をした。柊が言うように謝って許される事ではない。二度と愛路は湊に会ってはくれないだろうと諦めていた矢先だった。
「マナ、話してくれてありがとう。」
自分から話したのは湊だけだったと小さな声で告げれば、誤解して乗り込んだら柊から返り討ちに遭って全て知らされたと返されて愛路は落胆した。
再び黙り込んでしまった愛路に湊は笑う。
何度も、何度も湊は謝ろうとしていた。しかし自分が楽になるだけの謝罪など卑怯に思えて出来ない。
「マナ、お願いがあるんだけど。」
「改まってなんだよ。」
地味に落ち込む愛路に佇まいを正した湊が真剣な表情を浮かべて緊張を流す。なかなか湊が続きを言いださない沈黙に愛路の脳内へ走馬灯のように思いつく限りの湊のお願いの内容が浮かぶ。
「あの人のランジェリーのブランド教えて。」
「はあぁぁぁぁぁああああああ?」
プロポーズに匹敵する重要事項の勧告が如く真剣な声色と緊張した空気で言われた内容は下劣極まりないもので愛路は己の耳と脳を疑った。
「あの人の家に行ったときに服装的な問題でガッツリ見せられてたら忘れられなくなっちゃってさ。今まではさ、パステル系の清楚な可愛い系が好みだったけど原色のセクシー系たまらないな。あれマナの趣味なんだろ?俺も刺さったから杏に着てもうらおうかと思って。」
俗にいうコイバナをする初心な男子のように顔を赤らめて言い訳を並べる湊に愛路は何かが切れるような直情的な怒りを感じた。
「透けてるレース良かったなぁ。黒もいいけど赤も捨てがたいと思わねぇか?」
この男は人の話の何を聞いて何処を理解できたのだろうか。まず柊と愛路は恋仲でもなければどちらかが片思いすらしていない関係だ。
恋愛的な意味で体の関係も心の関係もないというのに愛路の好みの下着を柊が着用しているはずがないだろう。
それよりなにより不可抗力だったとしても柊の下着を湊が見た事に対して身内に欲情されたような嫌悪感が湧く。
そもそも血を吐くおもいで心苦しい話をした直後にどのような心境で下心満載な話題に切り替えられるのか。臨界点を突破した怒りに言葉も出ず、愛路は湊を力の限り蹴り飛ばした。
「いってぇなっ。蹴る事ねぇだろっ。」
「うるせぇ、爆ぜろ。」
愛路は湊に掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩に発展する。
「どんだけ馬鹿なんだてめぇはっ。この脳みそ桃色畑がっ。だいたい杏に柊と一緒のランジェ、しし下着が似合うわけねぇだろうがっ。」
「杏を貶すなっ。そしてランジェリーくらい言い換えねぇで吃らずに言えよっ。お子様かっ。」
喧嘩の原因がセクシーランジェリーなだけに下世話な言葉の応酬で怒鳴り合う。
散々言い合った後に愛路は少なくとも2ヶ月は口を聞かないと心に決め、親指を下に向けながら『覚えてやがれ』などという捨て台詞を吐いて別れてきた。
いかにも喧嘩しましたという出立で苛々と本を読む愛路を仕事から帰った翔のデコピンが迎撃したことは言うまでもない。
ご丁寧に柊にまで召喚されて喧嘩の原因を尋問された愛路は柊の下着のせいだと口を滑らせてしまい酷い目にあった。何故か着用中の下着を見せられながら好みを聞き出され羞恥に倒れそうなところで柊の額に翔のデコピンが炸裂して事なきを得たのだ。
そんな愛路を笑いに来た志郎と夏樹の受験勉強に付き合い、翔と料理を作る変わらない日常を過ごしていると夏休みは半分過ぎていた。
バイトに勉強に励み、桃花達や英仁に誘われて遊び、柊が遊びに来てはからかわれ、相変わらず本とピアノにのめり込んでいるが勉強時間は減っている。
当たり前に聞こえていた声と見えていた空想が無くなった日々はふと淋しさを感じる程度で怖いくらい充実していた。
(◉ω◉)素直に仲直りできない二人。




