53rd piece Last love song
8月9日。
今日は輝架の命日だ。もう6年も経ってる。
柊に付き添われてきたのは墓ではなく輝架の家だった。輝架は納骨される事無く彼女の部屋に居たのだ。電子ピアノ、限界以上に本を詰め込んだ棚。一度だけ訪れた時のままの部屋。
「お母さんがね、自分が死ぬときに一緒にお墓に入るってきかなくてね。」
年端もいかない内に子供が死してしまうなど親にとっては受け入れがたいことだろう。時間が止まっているような部屋に足を踏み入れ、埃一つついていない電子ピアノに触れる。きっと輝架はこのピアノを弾いていた。
「ゆっくりしてていいから。」
「うん。」
柊が退室すると愛路は机の前に立つ。ここに人が入っているとは思えないほど小さな骨壺が置かれていた。祈るように目を閉じた。
「テル、ずっと傍にいてくれたのか?俺が泣き虫だから。」
ずっと聞こえていた輝架の声と、いつも見えていた空想は真守と会った日から消えた。真守が貸してくれた黒いコウモリ傘も翌日には無くなっていた。確かに翔のマンションの玄関に置かれた傘立てに入れたはずなのに。翔に聞いても知らないと言うし、目の前で使っていた志郎ですら記憶にないと言う。
あの日は夢でも見ていたのかこの世ではない空間に入り込んでいたのか。
「もう、逢いに来てくれないのか?」
一言で構わないから声が聴きたい。一目でいいから逢いたい。
恋しくてたまらないのだ。
ばさり。
何かが落ちた音がして振り返ると、本棚の下に一冊のノートがあった。無理矢理詰め込まれたものが長い時間をかけて重力に屈し落ちたのだろう。
拾い上げてノートを見ると目を疑った。数日前に真守の家に忘れ失くしてしまった金魚柄のノートだったのだ。同じデザインのものだろうと自分を言い聞かせページを開いて腰を抜かした。
何度も何度も読み返した空想日記が描かれている。見間違えるはずがないこれは愛路が無くしたノートだ。何故ここにあるのか、真守が輝架に届けてくれたのか。
あり得ない事を考えつつページを捲ると違和感に気付く。最後に書かれた日記の次項が白紙でなくなっていたのだ。
ありがとう アイちゃん
たった一言、足されていた言葉に涙が出た。お礼を言いたいのは愛路のほうだ。何度も何度も助けられた。しゃくり上げて泣いているとピアノの音が聞こえる。直ぐ近くからとても小さな音で。
涙を拭いながら視線を上げると髪の短い女の子が電子ピアノを弾いていた。
フレデリック・ショパンが作曲した独奏ピアノ曲『練習曲作品10第3番ホ長調』。楽譜に表示される本来のテンポよりゆっくりと奏でられる旋律に魅了される。
ふと視界が光に満ちて明るくなり、眩しさに閉じた目を再び開けると愛路は真守の家の縁側にいた。四季を無視して色とりどりの花が咲く庭には記憶から消えていた11歳の輝架が立っている。
『来ちゃったんだね、アイちゃん。』
見られたくなかったと呟きながら輝架はひらひらと舞い散る花びらに手を伸ばす。
『ねぇ、アイちゃん。ずっと約束守ってくれてて嬉しいけどさ、ピアノだってやめたっていいし、本も読まなくていいんだ。』
ピアノも本もきっかけは輝架だ。しかし愛路は嫌々しているわけでも義務感からしているわけでもない。自分で選んでやりたいから実行しているだけだ。
『別に宇宙飛行士になったっていいんだよ?』
輝架の夢は図書館に住むことだった。中学生だった輝架と愛路はどうしたら図書館に住めるか考え、考えた末に司書になればよいと結論がでた。図書の収集・整理・保存・閲覧などの専門的事務を行う職で、図書館に暮らせるわけでも毎日好きなだけ本が読めるという事ではないが本に囲まれて生活ができる。最も理想に近い職だった。
だから愛路は司書の資格を取るために文学部を専攻した。当時の成績から進路指導の教師達や親戚は良い顔をしなかったが夢を叶えると言う輝架との約束を守りたかった。
『テルの事、忘れたっていいから。』
愛路の頬に再び涙が伝った。
「…テル?」
名前を呼びながら手を伸ばすが瞬きの瞬間に視界は彼女の部屋に戻り、輝架もピアノの旋律も消えてしまっていた。
「なんで、そんな事言うんだよ。」
約束など果たさなくて良いと突き放されたようで悲しい。輝架を忘れられるわけない。記憶が色褪せても、声や顔を思い出せなくなっても。
二人の関係に終止符を打たれたような喪失感に愛路は柊が呼びに来るまで動けなかった。
(◉ω◉)愛路が見たウサギさんと輝架はなんだったんでしょうね。
怪奇現象だらけのDepartureはこれにて終了。
次回から最終章です。
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