52nd piece Wasted love
気落ちしたまま志郎に連れられて翔のマンションへ戻ると家主は雨で仕事が休みとなり家に居た。
翔に出迎えられた玄関で愛路は咄嗟に目を逸らした。何といえばよいのか分からない。志郎に肩をたたかれるが沢山泣いた後の顔を上げることが出来ない。
無防備な愛路の額に翔はデコピンを放った。
「痛ぇっ」
強烈な一撃に愛路は叫び声とともに顔を上げる。
「よう知らん黒い虫2匹。ちっこい虫3匹。足がぎょうさんの虫1匹。羽根の長い飛ぶ虫1匹。黒い悪魔1匹。」
「翔?」
呪文のように虫の数を並べる翔。意味が解らないと首を傾げる愛路にデコピンの追撃が襲う。
「痛ぇってっ」
「たった数日、お前がおらん間にのう。大参事じゃったわ。」
都会のヒートアイランド現象を抑制する為に都市の緑化が注目されている現在。屋上の緑化や壁面緑化に力を入れるビルなどが増えつつある。マンション近くのビルも例にもれず屋上が公園のようになっていた。その影響か夏になると昆虫が多く出現するようになったらしい。
窓という窓に防虫剤を吹きかけぶら下げているが入るものは入る。常人であれば目にも止まらない小さな虫も翔のセンサーにはしっかりと引っかかるようだ。
「おかえり、しっかり働け。」
「……ただいま。」
容赦ないデコピンの多撃に愛路は涙が滲む。志郎はといえば飛び火が来ることを恐れて翔が一発目のデコピンを繰り出したあたりで暢気に手を振って退散していた。
家に入るが、リビングへ戻る道すがら方向転換した翔に首根っこを掴まれて愛路は脱衣所へ押し込まれた。
「風呂に入ってきぃ。」
良く分からないが言うとおりにしようと服を脱ぐと雨に濡れた所為か生乾きの臭いがした。臭ったのかと愛路は少しショックをうける。
適当にシャワーを浴びながら体を洗いぬるめの湯船に浸かっていると脱衣場から人の気配がする。
「マナちゃーん。お着替え置いておくわよ。」
「ありがと。」
生返事を返した直後にぎょっとして湯船に背を預けていた体を起こした。
「柊っ!?」
「大正解。お邪魔してるわ。」
ガラリと浴室の戸を開けて、臍と谷間の見えるVネックのTシャツにショートパンツと目のやり場に困る服装の柊が入ってきた。
慌てて愛路は浴槽に身を沈める。
「身体洗ってあげようか?」
「いい!もう洗ったっ。」
「照れちゃって可愛い。」
「柊ぃぃっ。」
真っ赤な顔で大慌ての愛路に柊はクスクスと笑う。口元ぎりぎりまでお湯に沈む愛路の濡れて髪の毛に手を絡ませて柊は遊びだした。
今度ばかりはもう駄目かもしれないと柊は諦めていた。戻って来られないと考え探しにすら行けなかった。だから志郎が愛路を連れて帰ると翔から伝えられていてもたってもいられずに来たのだ。
既に自分の役目は終わっているかもしれないと自嘲にも似た感情を振り払うように過剰なスキンシップを試みたが虚しさが湧くばかりだった。
「愛路はもういいの?」
そろそろ不毛な恋は終わりにしようと愛路へ問いかける。
「良くないけど、なかったことにするのはやめる。」
「そう。」
柊は愛路の頭を慈しむように撫でる。その表情は愛路にとってとても懐かしいものだった。
「テルに逢いに行こうと思う。でも、一人じゃいけないから付いてきてほしい。」
「いいよ。」
「ありがとう。お姉ちゃん。」
数年ぶりのお姉ちゃん呼びに終わりなのだと淋しさを感じる。しかし、やっと愛路が目を逸らしていた事に向き合えるようになったのだと喜びのほうが大きかった。
「お別れ、さみしいね。」
これからも柊は愛路を甘やかすだろう。二人が出会った当初のように世話好きの姉と姉を慕う弟のような優しく穏やかな関係に戻れればいいと願いながら柊は浴室から出て行った。
思考を停止したまま数十分湯船に浸かり風呂を出て十数分後、愛路は布団の中で眠っていた。
リビングに戻った瞬間に柊に捕まり髪を乾かされ、翔に飲み物を渡されながら事情聴取という名の説教が始まった。テスト期間中はネットカフェにいた事は夏休みが始まってから2、3日はお泊り女子会で遊んでいた事、何度かは着替えや勉強道具を取りに戻った事を洗いざらい吐かされた。しかし数日間まともな睡眠を摂らなかったツケがまわり、説教の途中で船を漕ぎ始めてしまい翔に布団へ投げ込まれた。
疲れ果てていた体へ回転する投げ技は響き、目を回したまま気絶するように眠ってしまったという訳だ。
残された翔と柊は日暮れ前にも関わらず酒盛りをしている。
「あんた、これからどうする気じゃ?」
「どうもしないわ。これからも愛路は私に振り向いてくれないだろうし。恋愛以外は順調だから何も変わらないわよ。」
空になった柊の器に酒を注ぎつつ問えば思ったより平気な答えが来る。
「今度こそ完全にフラれちゃったしどうにもならないわ。」
「何ゆうとんじゃ、そんな感情なかったんじゃろ?」
今思えば柊は愛路に恋などしていなかったのかもしれない。助けたいという使命感と芽生え友愛や親愛に近いものが恋をしていると錯覚していた可能性もある。
どんな形にせよ好意を寄せていた事だけは確かだ。
「翔君もいじわるね。」
「なんじゃい。俺は十分優しゅうしとるつもりじゃが。」
「それなら優しい翔君は私が告白したら付き合ってくれるわけ?」
「からかってくれるのう。」
本気にするぞと真顔で返す翔に柊は声を上げて笑った。
(◉ω◉)揃うと酒盛りが始まる二人。




