50th piece Zephyr
「少し、昔話でもしようか。泣き虫な女の子の話。」
とても聞き心地の良い声。この庭に入ってから程よい温かさに包まれ急激な眠気に抗えず失礼と分かっていても目蓋を開けていられない。縁側の柱にもたれかかって眠りそうな愛路に真守はひとり言のように話す。
「テルはね、類を見ない泣き虫だったよ。元気な時も難病になってしまった時もいつも泣いていた。」
初めて真守が輝架にあった時も泣いていたという。鵜崎をウサギと聞き間違えずっとウサギさんと呼んでいた。活発な少女だったが病弱でいじめられっ子。仲の良い友達も遊び友達すらおらず7歳で挿絵すらない本の世界に入り浸っていた。
「怖い事ばかりで嫌だといつもここに逃げてきたんだ。」
泣き虫な少女を懐かしむ真守を咎めるように強めの風が吹き抜けた。木々の葉を持ってきた風に微笑むと真守は眠る愛路へ語りかける。
「でも君に逢って笑うようになったよ。自分より泣き虫に逢ったってね。」
輝架と図書館で逢い、話すようになった頃に愛路はいつも泣いていた。楽しい話をしたときも悲しい話をしたときも。男なのに情けないと思いつつ感情を抑える事ができなかった。家でも学校でも真面な会話をしていなかったあの頃は人と話す事が泣くほど嬉しかったのだ。
「不思議だね。あった事もない他者と繋がりがあるなんてね。」
不意に愛路を襲っていた眠気が遠のいて目蓋が開く。目に映る庭には桜の木が満開に咲いていて花弁が舞い散り、山茶花、椿、紫陽花、藤、皐の花も咲き乱れている。同時期に咲く花ではないというのに夢見心地の愛路は違和感を覚える事も不思議に思う事もなかった。雨上がりのように水に濡れ太陽光で輝く花木がとても美しい。
「さて私は君を知らないし助けにもならないだろうけど涙のわけを話してくれるかい?」
思えば愛路も真守に会うときは泣いていた。初めて会った時は愛犬の命日だった。濁流のように連鎖する記憶が流れて動けなくなったとき真守が傘を差してくれたのだ。
今日、嫌な事から逃げて愛路はこの場に辿り着いた。真守の顔を見て安堵にも似た感情が溢れて泣きたくなったのだ。
「…ずっと、家族も友人も必要ないって言い聞かせていた。」
胸に閊えていたものを吐き出すように弱音が出た。考えても話しても辛くなるだけで決して口にすることがなかった事がするりと言葉になる。
「みんな死ぬか不幸になる。親も、いい奴も、悪い奴も。」
助けてくれた人ですら不幸にしてしまった悔悟。知らずのうちに虐げているかもしれない恐怖。近しいものの死と堕ちていく姿は愛路に深いトラウマを残していた。
「そうか。生きていれば嫌な事、怖い事、うまくいかない事、別れる事は大いにある。しかし君の場合は周りより少しばかり嫌な事が多いようだね。」
「……もう、何もしなくない。」
鼻を啜りながら涙に濡れた声で話す愛路。再び泣き出しそうな愛路の背中を真守は優しく摩った。
「逢いたい人はいないかい?」
あの日と同じ質問。帰りたいところはある。しかし帰ることが怖い。親戚たちから愛路の話を聞いて激昂した湊のように、いつの間にか慕って頼って寄り掛かっていた翔や志郎にまで嫌われたら立ち直れない。
やっと安心できる家があって、頼れる先輩がいて、くだらない馬鹿話に笑いあえる友達ができて普通を知ってしまった。今更、一人になどなれない。
「……もう帰れねぇ。」
親がいないだけで好奇の目で見られる事が堪え難く他人とは関わりなくない。遺産を奪われていたことも知らずに遜り諂い、八つ当たりで虐げられたなど惨めで恥ずかしくて顔を上げていられなかった。
無理やりにでも忘れるしかなかった。
ふとした瞬間に些細な切っ掛けで湧き出て纏わりつく嫌な記憶を否定したくて柊を振り払ってまで縋った楽しい過去は空想でしかなく、そんな情けない事情を翔にまで知られていた事に耐えられなくて逃げているのだ。
疎まれてしまう事が怖くて仕方がなかった。
「テルがね。心配しているんだ。」
黙り込んで膝を抱える愛路の頭を真守はそっと撫でる。まるで輝架がずっと愛路の傍に居た様な言い回しに顔を上げると真守の優しい眼差しと視線が合った。
「しかし、随分とテルに振り回されたみたいだね。あの子はおてんばだから色々と連れまわされただろう?」
何の話か分からずにいると鵜崎は愛路の斜め掛けのボディバックを指さす。指さす先の外ポケットには金魚柄のノートが入っている。取り出して真守に渡すとパラパラと中身を見ながらにこやかに笑った。
「空想を実現するなんてテルらしいね。泣いているアイちゃんに笑ってほしくて見せたテルの楽しい記憶は綺麗だったろう?」
真守の言葉に今まで疑問にも思わなかった事に気付く。空想の日記帳に書いてあることは曖昧な日付と何をしたかを簡潔につづられているのみ。
愛路は輝架の散歩道など知らない。流星群も見たことがない。マラソンコースの朝日など今朝初めてみたのに同じ情景を空想の思い出で何度も見たのだ。そもそも11歳の輝架の姿を知るすべなどなかったのにはっきりと表れる。夢や想像であれば見るごとに多少容姿が異なるはずだがいつも同じ姿だった。
聞こえる輝架の声と脳内に広がる情景は想像だけでは不可能な程に鮮明で、誰かの記憶を共有しているかのようで。
「ずっと傍にいてくれたのか?」
愛路に応えるように風が吹き荒れて桜、山茶花、皐、藤の花弁が降り注ぐ。四種の花吹雪が庭に舞った。
「君がそう思うならそうなのだろうね。」
肯定ともとれる真守の言葉に涙が溢れた。今日は泣いてばかりだ。ずっと支えてくれていた事が嬉しくて、存在に気付けなかった事が悔しくて、同じ時間を共に過ごせない事が悲しい。
独りよがりに殻に籠っていた自分が馬鹿みたいだ。
「格好悪くてもいいじゃないか。近しい人ほど無様を晒してしまうものだよ。見限り離れていく人とは縁がなかっただけの事だ。反対に泣き虫アイちゃんを受け入れてくれる人もいることを忘れないであげて。」
背中を摩ってくれる真守に返事も出来ない程、泣いた。
泣いているうちに再び強い眠気がやってくる。寝てはいけないと思うが、どうにか出来るものでもなく柱にもたれながらゆっくりと目蓋が閉じていく。
「どうやらお迎えが来たみたいだね。それにしても君と逢う時はいつも雨だ。傘を持っていきなさい。」
真守はあの日、差してくれた黒いコウモリ傘を眠る愛路に持たせるとにっこりと笑う。
「バイバイだね。泣き虫アイちゃん。」
優しい声を聴きながら愛路は眠りに落ちた。
(◉ω◉)優しいおじいちゃんは好きですか?




