49th piece Twilight
雨が降っている。もう夕方だというのに気温は下がらず湿度を増し真夏の蒸し暑さが増長される不快な雨。
そんな中、愛路は傘をさして歩いていた。
閉じ込めていた過去に打ちのめされた愛路は逃げていた。翔からも逃げて家に帰ることも出来ず、かといって何もかも投げ出すことも出来ない中途半端な行動に嫌気がさす。
霊園へと続く竹林に囲まれた石段を一歩ずつ登る度、足枷をつけられた様に重くなる。記憶を頼りに墓石の前に辿り着いた。墓石は薄汚れ、石の間から雑草が生えていた。命日から半月も経っていないというのに植物の生命力は強い。
周りに誰も居ないことを確認すると傘の上に花束を置き、袖を捲くった。右腕と左手首の傷痕が露になるのを見ない振りして除草した。
大きくない墓は5分程度で綺麗になる。花束を二つに分け備えつきの花刺しに生けた。傘の下で線香に火を点け供える。幸い雨は細かく、線香は白煙を上げて燃え続けた。
「遅くなってごめん。父さん、母さん。」
罪悪感と後悔が募る中、そっと墓石を撫で亡き人へ祈る為に手を合わせる。浮かぶ言葉は謝罪だけだった。
線香が燃え尽きる頃、霧雨だった粒は時が経つにつれ大きくなり音を立てるほどになる。
× × ×
その道は木々に囲まれ、舗装もされていない獣道。道の先は闇に呑まれて見えず、何所に繋がっているのかさえ定かではない。行きつく先を知っていたとしても不安に駆られるような場所だった。
『怖い?』
隣を歩む輝架が笑った。近道だと言われて連れられてきたが人が通る道ではない。空を見上げる輝架につられるように見上げると映ったのは真っ赤に染まり、黒に侵食されつつある夕暮の空。
『逢魔が時って言うんだって。』
一歩先に出て輝架は口を開いた。
『西方の天は緋に染まり、東方の天より闇が迫り来る。』
振り返りざまに輝架は手を掴み、闇へ誘うように歩き出す。
『夕闇に紛れ、獣の目が光り、アヤカシが蠢く酉の刻。不吉な予感に振り返ると来た道は闇に消え、足元に広がる赤い橋。』
あどけない笑みを浮かべる輝架が前に出て頭を下げる。
『いらせられませ彼の国へ。』
ゾクリと背筋に悪寒が走った。
『昼から夜に転じる時刻。いずこよりアヤカシが参り人を惑わす。』
獲物を品定めするように真っ赤な舌で唇を舐める輝架が知らないもののようで全身から嫌な汗が噴き出した。彼女が最近読んでいる本の一説を読み上げただけだというのに魅せられる。
『なーにビビッてんだ。』
魔性を帯びた笑みがからかいの笑みに変わり、ぺしりと額を小突かれて我に返った。
『アイちゃんって怖がりだな。弱虫のビビり。』
『てめぇが変な話すっからだよ。こんな出そうなところで。』
悪戯が成功したように笑いながら輝架は愛路の腕に抱きついた。
『安心しろよ。お化けが出たらテルが守ってやる。』
『そりゃ頼もしいことで。』
愛路は疲れたように息を吐き、さっさとここから出てしまおうと早足に歩く。
『お前は怖くねぇのか?』
『怖くねぇよ。不確定の存在なんていないも同じだ。』
強がりでも虚栄でもなく言われ、ちらりと盗み見る。
『怖いのは意志のある確定された存在だよ、アイちゃん。』
無表情で何の感情も込められずに放たれた呟きが胸に刺さった。輝架も自身に意識を向ける他人が怖いのだ。
夕闇と錯覚するような薄明るい早朝の獣道を歩きながら空想の思い出があふれ出る。
まだ、声が聞こえて夢を見ている。
獣道を進み木々の間を抜けると住宅街へ出た。夜明け前でもあり車通りもなく物音ひとつしない。
家の間を縫うように狭い路地を通り抜け、人ひとり通れるくらいの細い石の階段。息を切らしながら登りきると片側一車線の道路に出た。しばらく歩いて横断歩道の前で信号機が青に変わるまで待つと再び声が聞こえる。
『とぉーりゃんせぇ、とぉりゃんせぇ♪3・2・1・青。黒いところは底なしの海~。落ちたらファイト1発って叫ばないと沈んじゃうぞっ。』
遠い昔、小学校に入る前は自分もやっていたなんて懐かしく思いながら白線の上を歩く。
『とぉーりゃんせぇ、とぉりゃんせぇ♪』
横断歩道を渡って急斜面の坂道を登り再び現れた階段を上ると住宅街に出た。阿弥陀籤のように家の間を縫って歩き、塀と塀の間にある60センチほどの隙間を抜けると視界が開けた。
『ゴール!』
小高い丘の傾斜を利用して棚田のように家が作られていた場所の頂上にいる。
数十メートルほどコンクリートのブロックが詰まれた絶壁だ。下を見ると足が竦みそうになる。
この位置からだと街が一望でき、山が多い田舎だと思っていたが意外と家や高層の建物が多いことがわかる。夏の強い日差しを照らしながらオレンジの朝日が昇り始めていた。
11歳の輝架のマラソンコースの折り返し地点から見た朝日はとても美しい。今朝は真っ赤な朝焼けの朝日で幻想的であった。
『キレーだろ。』
誇らしげに胸を張り、笑みを浮かべる輝架が見えた気がした。何故だろうか、獣道を通り抜けた後から輝架が傍に居る気がする。
「俺も一緒に走りたかったよ。」
自分の強い願望が彼女の幻を見せているのだろうか。
竹林を通り抜け紫陽花が植えられた神社を経由して一度しか訪れなかった彼女の家を通り過ぎ空想の風景をさまよった。
『テルの秘密の場所。アイちゃんだけに教えてあげる。』
輝架の声が聞こえて追い風に押されるように歩いた。幻聴だと頭のどこかで解っていても振り払う事が出来ない。
『こっちだよ。』
ずっと輝架の声が聞こえる。道案内するように聞こえる声。まるで呼ばれているようだ。
ふと眠っていた筈の助手席に座る友人の案内で車を走らせたら崖に落ちそうになる怪談話が頭を過る。どうでもよいと声のするまま進むと古い家に辿り着いた。何年も何十年も放置されていたような外観の建物。何かに背中を押されたように足が進み門をくぐり進むと綺麗に手入れされた中庭に出る。真夏だというのに心地よい春の様な柔らかい日差しが差し、青々とした庭の木々を照らしていた。
縁側には丸いメガネをかけた白髪の老人が新聞を広げて座っている。愛犬ノックスの命日に傘をさしてくれた人だ。
立ちすくんでいた愛路の瞳には涙の膜が貼り、見る見るうちに決壊して幾筋もの涙が流れていた。意味も分からず泣きたくなったのだ。
「さて、雨の予報はなかったはずだが。」
「……っ。」
一言でも言葉を発すれば鳴き声になりそうで歯を食いしばり、のどの奥から漏れる嗚咽を必死に堪えていた。
「まぁまぁ。立ってないでこっちに座りなさい。」
老人は新聞を折りたたみ、縁側に置くと手招きした。今度は誰かに手を引かれたように足が動き愛路は老人の隣に腰を下ろした。振動でパタパタと涙が落ちる。
「初めましてではないね。私はウサギこと鵜崎真守と申します。泣き虫アイちゃん。」
朗らかに笑いながら自己紹介をした老人は取り出したハンカチで涙を拭いてくれた。
(◉ω◉)空想の思い出を巡り行き着いた先にはウサギさんがいた。




