45th piece Hopeless love
「落ち着いたかしら?」
「……すいません。」
煙草を吸いながら酒を呑みはじめていた柊に青白くなった湊は項垂れたまま謝罪の言葉をつぶやく。
柊に聞かされた暴行現場の音源に気分を悪くした湊はトイレに駆け込んで数回吐いていた。殴打する音と生々しい悲鳴。アクション映画の暴力シーンとは比べ物にならないおぞましいものだった。
「警察と駆け付けて間一髪だったわ。どれだけ殴られたのか歯は折れて、首には血管ギリギリの切り傷と絞められた手形がくっきり、頭部にはパックリと開いた裂傷、肩は脱臼してて、右足には刺し傷、よく生きてたのもよ」
血だらけの愛路を応急処置する横で、枝里は取り押さえられながらも自殺未遂を起こし半身が焼けた。搬送先で何日も生死の境を彷徨い二人とも一命を取り留めた。
妻と預かり子の緊急搬送を知らされて舞い戻った夫から事の顛末を聞いた親戚たちは大いに慌てて枝里の暴行を揉み消した。
虐待の証拠となってしまう愛路の日記帳を処分し警察などの調書に備えて口裏を合わせた。家主に見つからないよう勉強道具に紛れさせていた日記帳が家宅捜索をした警察の眼にもとまらなかった事は愛路にとって災いで親戚たちにとっては幸いだった。
虐待による殺人未遂などと知られるわけにはいかない。細かく調べられて愛路の両親の遺産分割協議での不正と特別代理人の偽造が知られれば事だ。養育費と銘打って4人の親族で山分けした少なくない金額の遺産。遺産分割協議が無効になってしまえば都合が悪い。全員の人生が家族を巻き込んで終わるだろう。
「愛路は不良だった。相手は分からないがいつも怪我をして帰ってくる。家でも暴れて手が付けられなかった。妻はノイローゼとなりアルコールに逃げて泥酔したはずみで無理心中をおこした。とんだ茶番だわ。」
狂気的な暴力を三流の悲劇へすり替えた親戚たちを柊は鼻で笑う。しかし怪我を不審に思った学校が保護者を問い詰めた時に申告していた虚偽の言い訳が決定打となり、それ以上の捜索はされなかった。加害者は精神を病み話も出来ない状態。被害者は親がいないから非行に走ったという偏見が邪魔をして大人はだれも信じない。
愛路は諦めたように口を閉ざし、真実は闇に葬られたのだった。
「それでも、ある程度怪我が治って動けるようになった愛路は私のところに逃げて来てくれた。」
愛路は混濁する意識の中で柊に隠し持っていたボイスレコーダーを渡していた。柊の家には予備の日記帳以外にも写真、動画、録音データと確たる証拠が置かれている。
全ての証拠を持って各所へ通報しようとした矢先、用意周到な親戚たちは愛路の非行を正当化する為に柊を生贄にしたのだ。
警察を連れた親戚たちが愛路を連れ戻しに来た。
「私は未成年に手をだし、ストーカーをする変態ですって。警察に捕まっている隙に愛路の私物を持ち帰ると偽ってファイリングノートも写真もレコーダーも根こそぎ処分されたわ。取られたのは突貫で作ったダミーで原本は貸金庫にあったから無事だったけどね。」
「いや、凄いですね。」
慎重すぎる保管方法に湊は顔を引き攣らせた。いくらなんでも厳重すぎる。
「女の勘。悪い予感だけは当たるのよ。」
大金が絡むと人は鬼になる。欲深い人間に脱帽する。偽造に横領、隠滅ともう親戚たちは後に引けないくらいの罪を犯しているのだから必死なのは仕方ない。
「大学は退学になったしアパートも追い出された。表向きには家族とも縁を切ったし実名が世に出ちゃったから名前も変えた。冤罪を晴らすだけでも半年かかった。でもどうしても愛路を助けたくて逢いに行ったけど玉砕よ。」
もう良いと言って拒まれた。自分が我慢すればよいのだと。全てを失った廃人の様だった。全てが愛路を追い詰めた。
「だから、私は夕月を捨てて愛路の過去を知らない柊になることにしたのよ。知りたい事は知れたかしら?」
「はい。」
ショックで吐くほど重い話を聞かされた湊は正座したまま萎れている。柊が無意識に足を組み直しても下着を気にする気力すらない。
「愛路を想うなら薄っぺらい付き合いをお願いしたいわ。」
「……はい。」
素行の悪さを更生させるなどという湊の意志は粉々に砕かれていた。愛路を殴ってしまった事に後悔している。
湊は愛路の為に関係を断ち切って欲しいと柊に警告に来た筈だった。しかし、逆に警告されてしまい叩きのめされた。
「……マナは俺のこと、もう友達とは思ってくれないでしょうか。」
萎れた湊の弱音に柊は腹を立てた。この件に関して湊は被害者意識を持つことすら痴がましいのだ。柊は頭を垂れる湊の肩を蹴り飛ばす。そして下着が丸見えになることも構わず仰向けに倒された湊を跨いで見下ろした。
「話も聞かずに、片側の意見を鵜呑みにして餓鬼臭い正義感で殴ったんでしょ?愛路じゃなくても嫌悪するわよ。」
それでなくとも何の前触れもなく、自分が何かしたわけでもなく虐げられた暴力は思春期の愛路の心に大きな傷を残していた。
「恐怖が根強くのこっているあの子にとって誰かと深く接する事は苦痛でしかないのよ。同時に全ての真実を揉み消した親戚連中なんて信頼できないでしょうね。」
硬直する湊の腹を踏みながら座り直すと柊は溜息を吐きながら片手で顔を覆う。
何も出来ず表情を失くした愛路に柊として接し空想の思い出を聞いた。とある少女と思い描いた夢物語を本物であるかのように。
時々逢っては継ぎ接ぎだらけの思い出を共有した。焼け石に水の様な慰めで高校に入学したころには少しずつ、笑えるようになり安心したのだ。しかし、仮初の平穏をあざ笑うように愛路は再び暴力を受けた。
「進学校でもね、救いようのない馬鹿はいたのよ。無駄に高いプライドとくだらない嫉妬で邪魔してくれたわ。」
塾にも行かずに成績が良い。女の子受けするすかした顔が気に入らない。それだけの理由で無残にも虐げられた。
記憶は繋がっている。繰り返される暴力で強制的に想起される記憶に愛路は怯えた。
「もうダメかなって思ったけど生きていてほしくて私は愛路に酷い事をしたの。」
「何をしたんですか?」
仰向けに寝たまま湊は問う。気が抜けて起き上がりたくなかった。
「一緒に死のうって。私には一緒に逝ってあげることくらいしか残っていなかったから。」
しかし愛路は拒絶した。唯一の味方でいてくれる柊の死を嫌がったのだ。人を気遣う余裕などない筈なのに愛路は柊を憂いた。
「自分だけが好きみたいに思ってて、私がどれだけ愛路を大切に想っているかなんてわかってないの。」
だからこそ愛路の想いを利用して自分の命を人質に思いとどまらせることができたのだった。
「あの子が一緒に死んでほしいって言ったら喜んで命を差し出すのにね。」
「そんな、それは間違ってる。」
「あなたの常識を押し付けないで。」
不幸の価値はその人でしか測れない。他人から見れば些細な事でも当事者からすれば絶望するほどの苦痛もあるのだ。
「でも……。」
「死にたいと思って死ぬわけじゃないわ。ここでは生きていけないと思ったら逝ってしまうしかないのよ。」
遠くを見るような目で語った柊の手首にはブレスレットに隠れて深い傷跡が刻まれていた。
「どうして、そこまで。」
「私の、家族を助けてくれたから。」
7年前、柊の家族は崩壊寸前だった。
家庭内は淀んだ空気に侵され家族全員が心身ともに疲れ切っていた。
柊の妹、紅林輝架は若くして病魔に侵され、苦痛も痛みもなく身体だけが動かなくなる恐怖に怯えていたからだ。死にたくないと毎日泣き、奪われていく身体の自由に嘆いていた。負の連鎖は家庭全体に広がり、両親も姉であった柊も希望のない看護と介護に疲れ果てていたのだ。
そんな時、残された唯一の日課であった図書館で愛路と逢い、もしもの話で救われて輝架は最初で最後の恋をした。愛路を想い心安らかに残された時間を過ごせたのだった。輝架の精神が安定したため介護にも余裕ができ、温かい家庭が戻った。
「バラバラになってしまいそうな家族が一つになれたの。仕事に逃げていた父は家庭を顧みるようになって嘆くだけだった母も向き合う覚悟を決められた。私も病気の妹を嫌う酷い姉にならなくて済んだわ。だからね、どうしても助けたくて。」
何もかもうまくいかなかった。助けることなど出来ず、友人にも恋人にもなれず中途半端な関係で空回りしてばかりだ。
「でもね、見ず知らずの人が愛路を助けてくれたの。事情も何も知らないのにあいつらから引き離してくれた。」
くだらない妬みでストレスのはけ口にされていた愛路を助けてくれた志郎。薄汚い金の亡者の巣窟から救い出してくれた翔。あの時は唾を吐きたいほど嫌悪する神の存在に感謝したのだった。
「だから、もう、私に出来る事なんてないのよ。邪魔な羽虫を潰すくらいしかね?」
苦渋の飲み込むようにグラスの酒を一気に煽った柊は頬を高揚させて息を吐いた。最後の言葉に背筋を凍らせた湊はゆっくりと起き上がる。
「今更謝ったって私が赦さないから。」
背を向けたままの柊へ頭を下げると湊は黙って退室した。
愛路ならば全てを知った湊が非を認めて誠心誠意謝れば許すだろう。しかし、柊は湊が楽になる為の謝罪などさせたくなかったのだ。だから牽制した。
玄関のオートロックが閉まる音を聞きながらパソコンの電源を落とすと、柊は空になったグラスに度数の強い酒を注いだのだった。
(◉ω◉)あー重い。よくこんな話を捻り出したものだと自身のお味噌を疑います。
そしてムードメーカーなクソメガネが恋しいです。




