41st piece Yellow-belly
ふと目が覚めた愛路はゆっくりと起き上がる。時計を見れば夜が明ける少し前。薬の効果時間が切れていたのか顔や口内が痛みだしていた。間接照明が足元を照らしほんのりと部屋が明るい。
とても嫌な夢を見ていた。手足が冷えて体が震えている。数年ぶりに受けた一方的な暴行は忘れようと押し込めた記憶を容赦なく引きずり出した。
交通事故や過度のストレスが原因で解離性健忘という特定期間の記憶だけが抜け落ちる記憶障害もあるらしいが愛路の嫌な記憶は全て脳内に残っている。
息苦しさを感じて窓を開けると雨は止んでいた。
薄明るくなってきた空の雲の切れ間に星が見える。今日は七夕だ。
七夕が近づくと折り紙と色画用紙抱えて部屋に入ってきた少女に七夕飾り作りを強要された。
『アイちゃんって不器用なんだな。』
『……うるせー。』
緑色の吹き流し、黄色の網飾り、青い貝飾り、橙色の提灯に、桃色の輪綴り。ノリとハサミで次々と飾りを作る少女の横で折った鶴はヨレヨレでみっともない出来である。
『飾れば様になるかなぁ。』
不出来な折鶴を見て困った顔をする少女。馬鹿にされている様で腹が立つ。
『まぁ飾りはこれでいいから短冊に願い事書くぞぉ。』
水色の細長い紙とペンを渡される。
『俺はいい。』
『ええ?アイちゃん願い事ないの?』
中学生になってまで七夕に願い事など気恥ずかしい。もう少し年を取れば開き直って叶うはずのない馬鹿な願望を書くようになるかもしれないが今は繊細なお年頃なのだ。
『つまんえぇ。じゃあテルが代わりにかいてやる。宇宙飛行士になれますよーに。アイちゃんっと。』
『待て待て待て待て。』
好き勝手に人の願い事を書きだした少女を止めようとするが寸で避けられた。それからは狭い部屋で追いかけっこが始まり、彼女の姉に二人仲よく怒られたのだった。
数日後の七夕当日は梅雨明け前という事もあり、生憎の天気で天の川が見られないと膨れていた。
拗ねる少女に愛路が小学校に入る前、天の川は七夕の日だけ見られる特殊な天体現象だと思っていた事を話すと自分も同じだと笑った。
嬉しくて七夕から一週間も過ぎた晴れた日に二人で天の川を見たのだ。
あの頃と同じ配置で見える星空から室内に視線を動かすと、愛路の私物が置かれている棚にある箱が目に付いた。お菓子メーカーのキャラクターが描かれた小さめの箱だ。
そっと蓋を開けて中を覗く。
貝殻、綺麗な石、押し花の栞、ビーズのブレスレットと子供が集める宝物のようなガラクタ。あとは数十通の手紙と二冊のノートが入っていた。
金魚の描かれたノートを手に取って適当なページを開くと、日付や文字、所々絵が描かれている。見て分かる通り日記帳だ。
始まりの日付は3月27日。終わりの日付は翌年の1月8日。日付は飛び飛びで毎日書かれておらず、日付のない日もあった。日によって筆跡が変わり、違和感のある日記。
この日記はとある少女がくれた思い出。
布団に座り、表紙に書かれた金魚の絵柄を撫でて1ページ目を開いた。
紅林輝架。後藤愛路。
最初のページには二人の名前が書かれている。輝く架け橋の意味とてるてる坊主の音を読みに込めた彼女の名前。互いに愛称で呼び合い、本名で呼ぶことなど一度もなかった。
日記帳を膝の上に置くと窓から吹き込んだ微風が日記帳のページをパラパラと捲った。
初めて出逢った翌日からマラソンに駆けだされた早朝、花と会話した朝、ピアノを弾いた昼下がり、星座を探した夜と何もない日常が綴られている。
花びらを追った散歩道、朝日と流星群を見た丘、カエルを手渡しされた神社の階段、本の世界に夢を見た図書館。夕闇の通学路、蛍狩りへ行った川、折り紙と画用紙で作った水族館など捲られるページにはイラスト付きで楽しい思い出。
雨の日はてるてる坊主を作り晴れの日は手を引かれて何処かへ出掛けたていた。
彼女はいつも楽しそうに笑っていた。宇宙飛行士、ピアニスト、硝子細工職人、潜水士と夢が沢山あり毎日を大切に生きていた。
目にも止まらない事に喜び、つまらない事に感動し、見逃していた些細な事を教えてくれたのだ。
年下なのに姉の様で彼女の存在が溜めこんでいたものを全て吐き出させてくれた。先延ばししにしていた愛犬と両親の死と向き合いやっと受け入れることが出来たのだ。
過去から抜け出せず後悔ばかりの毎日から将来の事を考えるようになり、前を向けた。諦めて捨ててしまった大切なモノを輝架が拾い集めて渡してくれたのだ。今の愛路があるのは彼女のおかげだった。
輝架に会えなくなってからとても酷い事があったが彼女との約束があったから生きてこられた。
しかし今、愛路の置かれている立ち位置と状況はとても危ういものだった。数々の事を清算しなければならないことを十分に承知している。
湊に殴られた頬に触れると強い痛みが走った。今更愛路が全てを話したところで信用されるだろうか。真実を偽りに替えられ言葉が伝わらない恐怖を知っている。
風がもう一つの無地のノートのページを捲った。日付もしっかりとかかれ一つの筆跡で描かれた日記帳。真実のみが描かれた字列を見たくなくてそっと閉じると金魚柄のノートと重ねた。
ゾクリと悪寒が走り日記帳を抱える。
『アイちゃんは願い事ないの?』
囁かれる輝架の声に俯いた顔をあげると、愛路の瞳に夜明けの空が映る。
有明の空から星が掠れて消えていく。
「逢いに行きたいよ。……テル。」
愛路は声にならない声で実現不可能な願いを呟いた。
今だけは嫌な事から逃げて、楽しい思い出に浸っても許されてほしい。
『Diary that nobody knows』
(◉ω◉)やっと思い出の女の子の名前が出てきました。
1話目から出てきた子なんで長かった―――。
嘘か真か幻か……そこそこ胡散臭い過去がちょっぴり出てきたFake colorはこれにて終了。
次回から新章です。
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