40th piece White lie
夕方いつもより早めに帰宅した翔は熱の下がらない愛路を病院へ物理的に引きずって行った。拒絶も抵抗も無視して物のように肩に担いで連れて行く様は人攫いのようで志郎の笑いのツボを擽った。どうせ担ぐなら横抱きしたほうがいいなどと言えば翔からも愛路からも物を投げつけられた事はお約束である。
横抱きなどされたらたまらないと観念した愛路は翔に付き添われておとなしく病院へ行ったのだった。
第三者による怪我は色々な手続きを通さねば健康保険が適用出来ず全額自己負担になるが愛路の状態を見れば医者の治療を受けた方が良い。
中学生時代は喧嘩に明け暮れた志郎と翔、過剰に殴られた痛みは身を持って知っている。加害者にも被害者にもなり親には多大な迷惑をかけたものだ。
散々世話になり時には拳骨付きの説教までされた個人医院にてきちんと治療を受けて鎮痛剤やら化膿止めの抗生物質などを処方された愛路は昨晩の睡眠を取り戻すように寝付いた。
一安心した志郎は人を待っている。
時刻は1時51分。
24時間営業のファミリーレストランもガラガラだ。眠気覚ましにコーラを飲みながら返信のこない携帯電話を開いたり閉じたりして眺めているとヒールの鳴る音がした。
「こんばんは。」
後ろから声を掛けられ振り返ると目が眩むような美人が立っている。
「私を呼び出すなんて高いわよ?」
そう言いながら向かいの席に座ったのは仕事帰りの柊だ。一応、仕事用のドレスから私服に着替えているあたり気を使ってくれたようだ。
「お手柔らかに。お店に行こうとも迷ったんですけどね、相手にしてくれないでしょ?」
「そうね、シロー君は素敵だけどお客様としては扱えないわ。」
本気なのか冗談なのか、柊は注文を取りに来たウェイトレスにメロンクリームソーダを注文する。
閑散とした静かな店内。流れている洋楽が陳腐な店をシックな雰囲気にしていた。
「それで、何かあったの?」
早々に運ばれてきたメロンクリームソーダを一口飲み、アイスを掬いながら本題を聞き出す柊。話題にはよく聞くが殆ど面識のない志郎はガラにもなく緊張している。
「昨日、後藤ちゃん殴られて怪我したんです。」
「あらあら、フッた女に逆ギレでもされたのかしら。」
心配より先に茶化す柊。相手が女ならどれほど良かったか。
「保護者の回し者にされた幼馴染君です。」
テーブルに肘をつき、頬杖をした柊はふうっと溜息を吐く。その視線は夜の街を見ているようだが何も映っていないようにみえる。
「相変わらずなのね。」
「相変わらず?」
言っている意味が解らず、首を傾げると柊は再び溜息を吐いた。
「志郎くんはどこまで知っているの。」
淡々と話す柊の声は冷たい。まるで志郎を責めているようだ。
「僕が知っている事なんて10歳の時に愛犬とご両親が交通事故で亡くなってそこから親戚の家を転々としているってくらいですよ。あとは本とピアノが好きでガリ勉でちょっと運が悪くて女難、綺麗な顔面を活かせなくて可哀想って事ですかね。」
薄い言葉で並べられた志郎が知りえる愛路の過去を柊はとても冷たい目をして聞いていた。
「あいつらに聞いた話は信じなかったの?」
柊の言うあいつらとは愛路の保護者を名乗る親戚の事だ。とても不愉快な愛路の素性を聞かされた時は我を忘れて殴り飛ばしそうになった。
少し一緒に過ごせばわかる。非行も暴力にも慣れていない小心で真面目が服を着ているような愛路が不良であるはずがないのだ。おおかた、初対面の時のように理不尽な暴力を受けていたのだろうと想像に容易い。
「参考程度に留めましたよ。僕は自分で見聞きしたこと以外は確固たる証拠を提示されない限り無暗に信用しないようにしているんで。人の話程、曖昧なものはありませんからね。」
ここに翔や同校の大学生がいたら『お前が言うな』と総出でツッコミが入った事だろう。志郎は嘘を言わないが真実か虚言か判断に困る冗談を含む誤解が生じる話し方が多い。口頭のみの話を信じるなという悪い手本のような人間だ。そんな彼の口から証拠のない話は信じないという言葉が出てくるなど世も末だ。
「それで、志郎君の用事は愛路の近状報告かしら?」
「落ち込んでる後藤ちゃんを元気づけてくれないかなぁっていう下心付きですけどね。」
病院へ連れて行くまでの愛路は酷いものだった。熱は下がらず食事はおろか水すら吐き戻す始末。心的外傷の方が強いと感じた志郎は少しでも愛路の慰めになればと柊に会いに来たのだ。
「私には無理よ。今逢っても重荷にしかならなわ。それに愛路には破滅的長距離恋愛の大事な女の子がいるもの。」
カラカラとストローで氷を混ぜながらどうでもよさそうに言われた柊の言葉に志郎は数秒硬直した。
「……初耳なんですけど。後藤ちゃん、柊さん大好きじゃないですか。絶対本命だと思ってたました。」
「そうね。慕ってくれてるわ。恋仲なんて甘い関係には発展しないのが残念よ。」
穏やかな時間を共有した同志のようなものでお互いに好いてはいるが恋人や友人などという関係ではなかった。ただ静かに平穏に過ごせればそれだけでよかったのだ。
柊はポーチから煙草を出すと火を点ける。
「愛路が中学生の時にね。役目を放棄した保護者役の親戚が知人に預けたんですって。その家の娘さんと仲良くなって悲しむことも向き合う事も出来なかった愛犬とご両親の死から立ち直ることが出来たそうよ。まぁ、すぐに預け先が変わって1年も一緒にいなかったみたいだけどね。私が愛路と逢ったのはその子と別れた後なの。」
くるくると髪の毛をいじりながら柊は話の続きを煙と一緒に吐き出した。煙に混ざって爽やかなシトラスのフレーバーが香る。
「誰もいない夜の公園で泣いてたから少しからかったら思いのほか可愛くてね。次に逢う約束なんてした事なかったけどたまに逢ってたの。」
「いたいけな後藤ちゃんの純情を弄んだと。」
「人聞きの悪いこと言わないで。志郎君って意地悪ね。大体、酷いのは愛路よ。目の前にこんな美女がいるのに別の女の子との思い出話ばかりなのよ?」
「まぁ、後藤ちゃんは女泣かせですし。」
困ったように笑いながら志郎が返すと、飾られたネイルが食い込み出血しそうなぐらい手を握る柊の眼に怒りが灯った。
「でも壊された。」
居場所のなかった家と学校。中途半端な時期の転校で友達も出来ず、柊は愛路の逃げ場だった。
出来る限り愛路を助けたいと思っていた。自己満足でも偽善でも構わなかった。しかし愛路を預かる親戚たちにとって柊の存在は邪魔なものだったのだ。
「あいつらはね、この私をブタ箱にぶちこんで淫行条例違反とストーカー規制法接近禁止令出してきやがったのよ。」
ぴくりと志郎の表情が固まる。予てより聞いていた愛路に纏わりつく女が起こした警察沙汰の真相だ。
親戚たちがそれらしい冤罪をでっち上げて警察へ突き出したのだ。行き場のない愛路を泊めた翌朝、警察が来て彼の目の前で連行した。
証拠不十分で起訴こそされなかったものの当時の柊は大学2年生。対して愛路は中学生であり世間の見る目は冷たいものだった。
事情があって保護していただけだが異性同士が一つ屋根の下に居た事は真実だ。
柊は退学を余儀なくされ住む場所すら奪われた。
「もちろん汚名は返上したわ。本当は白日の下に晒して骨も残さず粉砕してやりたかったけど愛路の立場を悪くするわけにはいかないから接近禁止令・淫行条例違反の撤回を条件に示談にしたのよ。私は優しいからね。」
本来であれば名誉棄損、侮辱、信用棄損などで民事による起訴で慰謝料や損害賠償請求ができただろう。場合によっては刑事罰を付けることが出来たかもしれない。
更に柊は彼らを黙らせる弱みを証拠付きで握っていた。冤罪を晴らし、柵から解き放つ準備を整えて愛路の元へ向かったが手遅れだった。
柊に火の粉が降り注ぎ炎上したのは全て己の所為だと自責に押しつぶされた愛路は、再び差し出された彼女の手を取ることが出来なかったのだ。愛路が拒絶しなければ嫌がる親戚達から引き離せたというのに。
「自分で言うのもなんだけど私って器量も要領も良くて頭脳明晰でしょ。財力も人脈もあって容姿もスタイルも完璧。仕事も順調だしね。なんでも出来て何でもうまくいって何でも手に入ってつまらない人間よ。」
幼少より柊は誰かに頼らず強要されず害されず軽んじられず勝ち組の地位をもぎ取って生きていた。
柊にとっては己の意見を聞き入れずに追い出した大学にもアパートにも未練などなかった。学べればどこでもよいとホステス業と同時進行で同系列の通信制大学へ入り、半年もたたずに企業の土台が出来上がっていた程だ。しかし気にすることはないと言えば言うほど逆効果で柊の言葉が愛路へ届くことはなかった。
「かかわると不幸にするって自分を責めて私と距離を置いちゃったの。」
隣に居られない程擦違ってしまい、助ける手段を使う事も出来ず陰から見守る事くらいしか柊には残されていなかった。希望も拠り所も失い、未来も自由も奪われていた愛路は勉強とピアノに逃げていた。高校時代の好成績も異常なピアノの上手さも死に物狂いの逃避の結果だったのだ。
「距離が開いたまま手を拱いている時に志郎君が拾ったってわけ。」
「あ、なんかスイマセン。」
「別に責めてないわよ。良い出会いだと思ってるもの。引き籠りのがり勉ちゃんに悪い遊び教えてあげたんでしょ。」
「人聞きが悪いなぁ。」
珍しく低姿勢の志郎をからかう柊。少し面白くて二人で笑った後、同時に溜息を吐いた。
本当に酷い話だ。愛路は心を開いた相手と別れてばかりだった。他者に振り回されつづけ嫌気がさして家出を続けるにも納得が出来た。
「後藤ちゃんが翔君のところに入り浸るようになったから柊さんも近くに引っ越したんですか?」
「それは偶然。大学卒業して本業に本腰入れる為に広めの部屋に引っ越しただけよ。」
現在、柊はホステス業と並行してフリーランスのWEBデザイナーをしていた。パソコンとネット環境さえあればどこでも仕事が可能だ。
今は愛路も大学生となり、ある程度は親権者の保護下から逃れて自由に出来る。更に逃げ場である翔は愛路にとって高物件だ。
海外転勤するほどの大企業勤めの両親がおり、年甲斐もなく恋愛にかまけて施設に入っているとはいえ祖父も未だに色々と伝手のある人物であった。翔自身も就職しており同年代の同性なのだから手の出しようがないだろう。
保護者などほぼ必要なくなったというのに、未だに柊とも距離をとるのは何故なのか。
愛路が親戚に冷遇されている事は一目瞭然だ。進学のタイミングで預け先が変わり、進む先も制限されている。本来であれば愛路の住まいは隣県の親戚宅。偏差値の高い進学校で成績上位にいたにもかかわらず愛路は進学せずに就職しようとしていた。
他者の都合で将来を諦める姿に腹が立ち、一人暮らしの翔が住まいを、貧乏ではないが裕福でもない志郎が学費のあまりかからない自身の通う大学を勧めたのだった。
愛路にしている事も、柊にしたことも腹が立った。
親戚連中は愛路を何度も連れ戻そうとしており、異常な程柊を敵視していた。面倒な預かり子が出ていき人の手を借りつつも自立しているのだから肩の荷が下りたと喜ぶべきだと思うのだが何故、傍に置きたがるのか。
まるで監視しようとしているようで気持ちが悪い。
彼らの語った愛路の中学時代の話。志郎自身が調べた愛路の情報。たった今柊に聞いた愛路の過去。繋がらない時系列と双方の矛盾を感じた志郎は煙草に火を点けたのだった。
「それで、この話ってどこまでが真実ですか?」
吐き出す煙と一緒に問えば、メロンソーダとアイスを混ぜていた柊の手が止まった。
「志郎君の意地悪。私の話も信じてくれないのね。」
「その話に生じる矛盾に気付く程度の情報があるだけです。」
志郎が持ち得る情報と辻褄が合わない所があるのだ。柊は信憑性を高めるために真実を混ぜて話を偽っているのではないか感じた。
「本当に意地悪ね。調べたの?」
「粋がっていた時期が僕にもあったんですよ。」
コネも力も財力もなかった当時の志郎が得られた情報などプロフィールに付け足しされた程度だったが情報は情報だ。しかし、その情報は浅薄にも助けようと息巻いていた志郎の意志を砕くには十分すぎるものだった。
「翔君に全部話してあるわ。知りたかったら彼に聞いてちょうだい。貴方の大好きな確たる証拠はないでしょうけど。」
「翔君、教えてくれないんですよ。」
「愛路の信じたい現実を私が否定するわけにはいかないわ。」
泣きそうに歪んだ柊の顔に、志郎はこれ以上聞き出す事を諦めた。虚偽に隠された真実から柊も立ち直っていない。乗り越えられないほど大きな波に飲まれ、打ちのめされて二人とも深く冷たく暗い場所へ沈んでしまったのだ。
「じゃあ最後に一つだけ聞いても良いですか?」
「一つだけよ?」
「貴女は誰ですか?」
随分前に調べた結果だが六車柊という名前の人間が存在しなかったのだ。夜の仕事の関係で源氏名を使うことはあるだろうがプライベートまで偽名のままだ。
柊は降参したように両手を上げて微笑むと、支払伝票を持って立ち上がる。
「忘れられた脇役よ。」
それだけ言って退席してしまった。残された志郎は肺の限界まで溜息を吐いて頭を垂れた。
『It's not you, it's me.』
(◉ω◉)柊さん♡
二人の過去の一部がやっとでてきました。




