37th piece Deep blue
※軽い暴力シーンが御座いますので苦手な方はご注意ください。
「おはよう。愛路君。」
愛路が教室へ入ると満面の笑みを浮かべた英仁に出迎えられる。昨日の事を忘れたわけではないだろうにどのような心境の変化なのか。
「何だよ。」
「クラスメイトより友情の方が大事って事だよ。」
彼氏持ちのクラスメイトより女の子を引き寄せる便利な男の友情の方が大事という意味になる事は間違いないだろう。英仁はどこまでいっても英仁だ。
歪みない英仁に苦笑が漏れる。
「そんな事よりさ今夜遊びに行こうぜ?愛路連れて来いって頼まれてんだよ。」
拝むように両手を顔の前に合わせ懇願する英仁にデコピンを見舞った。試験も近いと言うのに暢気なものだ。
「バイトあるから無理。」
「大丈夫。遅れて参加したら更に盛り上がるぞ?」
「アホか。帰って勉強するっつーの。」
「ええ?愛路、試験ヤバいの?」
余裕があっても試験に備えて復習するべきだろう。大学は義務教育ではないのだから救済措置は少ない。
「遊んでて単位とれるお前が妬ましいわクソメガネ。」
「誤解だよ。俺だってお勉強しているからね。」
いつも通りのくだらない会話。少し騒がしいが英仁の隣は居心地悪くなかった。年相応の会話と遊びの誘い。よくある大学生の日常ようだ。
いつの間にか英仁は愛路にとって友達の枠組みに入っていた。
この年になって友達などという言葉を用いるにはこそばゆいものがあるが悪くない。
『アイちゃんって友達いねぇの?』
あの少女にそんな問いかけをされたこともあった。長い間、友人なんていなかった。
友人の作り方なんて知らず、作ろうとすらしなかった。
『アイちゃんって友達いねぇの?』
『いねぇよ。ってか引越しばかりだしな。』
『その前は?』
かくんと首をかしげて聞かれるが質問の意味を理解しかねて同じく首を傾げた。
『アイちゃんの父ちゃんと母ちゃんが死ぬ前はいなかったのか?』
分かりやすく問われて一人の人物が頭に浮かんだ。両親が死ぬまで毎日ように同じ時を過ごした親友。
『……いたけど。』
『どんな奴だ?』
『いい奴だった。』
どんな人間だと問われればその一言だ。誰にも優しく明るい彼はいつも笑っていた。その上、何でも人より出来て周りには常に人が集まるのだ。
『そっか。逢いてぇ?』
『別に俺のことなんて忘れてるかもしんねぇしな。』
友人の多かった彼が自分一人いなくなったとしても淋しいはずもない。連絡もとれていないのだ。時と共に記憶から薄れて消えている可能性の方が高かった。
『お前はどうなんだ?』
『ウサギさんがいるぞぉ。』
話を変えようと少女に同じ質問をすると目をキラキラさせて力一杯答えられた。
『真っ白で、真ん丸い眼鏡で、でっけぇんだ。』
『お、おう』
両手を握り、興奮気味に思い付く限りを話す迫力に少し身体を引かせた。
『物知りでなぁ、色々教えてくれんだ。』
得意気に話す“ウサギ”という人物。聞いた外見的特徴のみで想像するならかなり怪しい人物像になるが自慢の友人なのだろう。
『大好きだ。』
嬉しそうな呟きに少しだけ羨ましくおもう。こんな風に人を好きになれれば世界の見方がかわるのだろうか。
『アイちゃんも好きだぞ。でも世界で二番目な。』
少女の世界がどれほどの規模なのかはわからないが出会って間もない自分が二番目に来るなど人間関係が狭いのだろう。
『一番好きな奴は命より大事な奴。二番目に好きな奴は命と同じくらい大事な奴。』
これは物知りだと言うウサギの知恵だろうか。彼女は持ちうる知識と言葉を総動員して説明しだした。
『例えばな、海で泳いでるだろ?そこで好きな奴が溺れてるんだ。でも使ってる浮き輪は一人しか浮かねぇ。一番好きな奴だったら迷わず浮き輪渡す。』
若干、支離滅裂しているが言いたいことは何となく分かる。己の命と他者の命の天秤だ。
『で、お前は自力で泳ぐのか?』
なぜか少女は諦めたような遠い目をした。
『泳げねぇから沈むだろうな。アイちゃんは?』
『俺だって泳げねぇよ。』
愛路も諦めたような遠い目をして答えた。足の着く場所ならば25mくらいは何とかなるが水深の深い場所では恐怖が勝り泳ぐことは出来ない。誰にでも苦手なことはある。
『おそろいだ。』
『嬉しくねぇ。』
自慢できるような長所が重なるならまだしも、情けない短所が同じなど間抜けなだけだ。
『アイちゃんが溺れてたら浮き輪一緒に使おうな。目の前で死なれるのも嫌だし死ぬのも嫌だ。』
しかし、その浮き輪で助かるのは一人だけだと少女は条件をつけていた。二人で使っては役目を果たすことは出来ないだろう。
『悪ぃけどアイちゃんは一緒に沈んでくれ。』
『ばっかみてぇ。』
『馬鹿じゃねぇ。』
少女は口を尖らせる。
世界で一番好きな人間の命は己の命より重く、二番目に好きな人間の命は己と同等であるという。どちらも愛するもののために命を手放すことに変わりはない。
でも自分の為に命を捨てるという人間がいるのは幸せなことだ。
『仕方ねぇから、お前も二番目にしてやるよ。』
一番好きな人間も決まっていないというのに二番目がいるなど滑稽なことだ。しかしこの瞬間は屈託なく笑う少女と一緒なら暗く冷たい海の底に沈んでも構わないと本気で思った。
他人が己の命と同等の価値がある存在に成り得るなど幸せな事なのかもしれない。
思い出に浸っていた講義中も食の進まない昼食中もべったりと離れない英仁を振り切り、一度帰宅してからバイト先へ向かおうと校舎を出る。
「マナ。」
呼ばれて振り返ると湊がいた。斜め後ろの杏が手引きしたようだ。ずきりとこめかみが痛む。
「何の用だ?」
「何の用だだと。話があるって言っただろ。何で昨日すっぽかしたんだ。」
頭が痛い。昨夜、何をしていたのか全く思い出せない。手を取られて人の少ないところへと半ば無理矢理連れて行かれた。
「電話も出ねぇしメールも返さねぇし。」
道すがら昨日の昼と同じような小言を湊に言われる。そこで愛路は携帯電話の存在を思い出すがどこに置いたか見当がつかなかった。
「マナ。津山さん達の事も考えろよ。人の好意を無碍にして楽しいか。」
聞きたくない名前が出て手を振り払った。津山は大学に入ってからの保護者の姓。父母が死ぬまで疎遠となっていた叔父だが名前を聞いただけで吐気がした。
「湊に関係ない。」
「何だと。」
「迷惑だっつってんだ。」
湊の目つきが鋭くなり顔面に拳を叩き込まれた。力いっぱい顔面を殴られ、踏ん張りも虚しく床に倒された。その場にいた杏の甲高い悲鳴する。
「立てよっ。」
胸倉を捩じり上げられ壁に押し付けられる。何とか体を支えるが顎への殴打が効いていて足が震えた。
「全部聞いたぞ。ずっと家に帰ってねぇって。人の世話になってて勝手過ぎる。甘ったれんな。いつまで捻くれてるつもりだよ。いい加減に受け入れろ。確かに同情はするよ。でも、悲観ぶってたら誰からも優しくされると思うなよ。」
湊の怒りはもっともだ。津山という今の保護者から全てを聞いたのであれば愛路は家に帰らず反抗を続けるロクデナシだと都合良く伝わっている筈だ。
捻じ曲げられた虚構を信じたのだろう。
「余計なお世話だ。」
弁解も面倒で嘲るように言えば、ぎりっと歯を噛みしめるような音が聞こえる。
「何も知らねぇ癖に他人がしゃしゃり出てくんな。」
静かに告げれば湊は怒りで顔を真っ赤にして拳を振り上げる。骨と骨がぶつかる音が連続して響いた。口内が切れたのか血の味がした。
「知らねぇのはマナが何も言わないからだろ。前にも言っただろ。心配なんだ。友達だろ?」
熱くなる湊とは逆に愛路の気持ちは冷めていた。友情に酔って熱血したいなら少年漫画でも読んでいればいいと嘲るような感情が湧く。
「誰が友達だ。てめぇこそガキ同士の遊び引きずってんじゃねぇよ。」
じゃりっと地面と靴がずれる音がした。まずいと思った時には手遅れで網膜に右手の残像が映った時には殴り倒されていた。
「ふざけんな。」
何度も殴られて頭がくらくらする。ぽたぽたと鼻から地面に血が滴った。拳で語り合うという言葉があるが一方的に殴られて通じることなど何一つない。暴力が齎すものは不信と恐怖のみだ。立ち上がれずにいる愛路に掴みかかろうとする湊。
「ストップ。」
二人の間に割って入り、湊を止めたのはかくれんぼなうというTシャツを着た桃花だった。
「立てる?後藤ちゃん。」
桃花と同じTシャツ姿で鬼の面を付けた志郎がひょっこりと現れて愛路を助け起こす。最恐の4年女子と最狂の4年男子の登場に空気と化していた杏はその場から数歩離れた。
「あらら、唯一の取り柄が無残な事になっちゃって。」
「……うるせ。」
緊張感のない戯言を場にそぐわぬ笑顔でほざく志郎は、足が震えて歩くことが出来ない愛路を抱えると颯爽と立ち去って行った。
「待てよっ。マナっ。」
追いかけようとする湊を桃花が壁を蹴り進路を塞ぎ止める。
「後藤ちゃんに酷い事しないでくれるかな?熱血君。」
両ポケットに手を入れたまま巨乳を揺らして立ちふさがる桃花の真顔は惨憺たる恐怖を植え付けるものだった。あまりの気迫に湊は息を飲み、杏は腰を抜かしてへたり込む。
最恐の4年女子と謳われる桃花は舌打ち一つで湊の士気を削いで萎縮させた。
(◉ω◉)美人が怒ると怖いを地で行く桃花。
美人さんって怒ってなくても無表情ってだけで怖い方いますよね。
因みに愛路は10歳まで空手を習ってましたが格闘センス皆無なので受け身も反撃もできません。
球技をすると運動神経悪くないのに高確率でボールを顔面へ受けるタイプです。




