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JIGSAW PUZZLE  作者: よぞら
Cocktail piano
34/57

34th piece Velvet Hammer

 52鍵の白鍵と36鍵の黒鍵の上を細長い指が軽やかに走り旋律を生み出す。通りへ微かに漏れるショパンの名曲に誘われてぽつりぽつりと客が入店していた。

 猫の瞳という店名の飲食店。夜8時以降はアルコール飲料も提供する喫茶店寄りのバーだ。

 間接照明のぼんやりとした柔らかな明かり。洗練されたシックな内装の店内には静かな音調のクラシックが生演奏で流れる。おしゃれで贅沢な空間が作られていた。

 愛路が弾くアップライトピアノ近くのテーブルには数人の女性が陣取っている。仕事帰りでスーツ姿の女性陣は社会人になり垢抜けたのか雰囲気も装いも学生とは一味違った。


「後藤ちゃん、これ食べなよ。」

「ありがとうございます。」


 曲の合間に品のある綺麗な女性が愛路の隣に座り飲み物と軽食を与えている。


「リクエストしてもいい?」

「いいですよ。」


 内緒話のように囁きながら楽しそうに笑い隣に女性を座らせたまま愛路は優しい音調の曲を弾きだした。リリース前の人気歌手のバラード。近くのテーブルの女性達は愛路の話に花を咲かせて呑んでいる。英仁が見たら羨望と嫉妬のあまり発狂しそうな光景だ。

 秘密という訳ではなかったが愛路の女性関係を不必要に暴露してしまった桃花は機嫌取りも含め急遽人を集めた。

 愛路をバイト先へ迎えに来た桃花に同じシフトだった志郎は一緒に夕飯を食べようと付いてきたが店の前で男子禁制と牽制され追い返された。

 雑な扱いに怒るどころか男子禁制の男子に含まれない愛路を憐れんだ志郎は通りを隔てた斜向かいのラーメン屋にいた。その頬にはくっきりと平手打ちの痕があり、正面には翔が鎮座して豚骨ラーメンを啜っている。

 翔のお叱り的な意味で身の危険を感じた桃花は志郎から歪曲して伝わる前に先手を打ったのだ。志郎が噂とトラブルの原因の一角を担っていたことを現在位置込で包み隠さず伝え、女子会と迷惑な女関係については1万枚程のオブラードに包んで伝えた。

 全ては愛路の面目を保つ為とデコピンから逃れる為。デコピン回避の理由が7割ほど強いが頭蓋骨が凹むと錯覚する破壊力なのだから仕方ない。

 案の定、志郎は愛路で遊ぶなと強烈な一撃をお見舞いされた。過去に志郎に遊ばれて臍を曲げた愛路の後始末を翔が押し付けられていたのだから当然の制裁だ。首が吹っ飛ばなかったのだかから手加減はされていただろう。


「後藤ちゃん。楽しそうだなぁ。」

「一緒に弾いとるからのう。」


 遠目に映る後輩の楽しそうな姿に独り言のつもりで呟いた言葉へ返ってきた翔の声。その意が分からずに眉を顰めて志郎は翔を見た。


「人生投げ出す程、好いとう子を想って弾いとるんじゃ。」


 目もあわさず餃子に醤油を付けながら言われて志郎は溜息を吐いて箸を置く。


「いい加減、教えてくれないかな。拾った僕にも責任あると思うんだけど。」


 出会った時から愛路には陰があった。親がいないとか過度ないじめを受けていたとか陰を落とすには十分な不幸に見舞われていたがもっと絶望的な何かを感じた。

 普段の素振りから翔は全て知り得ていると志郎は確信している。


「お前は知らん方がええ。」

「なんでさ。」

「ブチ切れたら手が付けられん。」


 憤りが一線を越えたら抑えられない自覚はある。己なかで許せない事象が起こり我を忘れた結果が今の悪評なのだから。

 中学までは親と教師の厳重注意で許された暴力行為も高校あたりからは罰則が厳しくなる。

 だから志郎は法学部にいるのだ。理不尽に虐げられる事が許せず物理的に殴って解決していた事を法的に殴って解決するために。

 それを知っている翔が知らない方が良いという。つまり愛路が抱えているものは志郎が怒り狂って暴れる可能性があると言う事だ。


「あんときは半年かかったんじゃ。また怖がらす必要ないじゃろ。」

「黒歴史を掘り返さないでよ。あの頃よりは自制を覚えたつもりだけど。」


 翔は愛路が志郎に怯えて距離を置かれる事を危惧しているのだろう。

 初めて会ったとき、愛路は同校の同級生と思われる数人に口汚く罵られながら暴行を受けていた。少年期に肥満体型を理由に自身も弟も嫌がらせをされていた志郎は理性を失い叩きのめしたのだ。

 愛路は今よりも10センチ程身長が低く中学生が複数の高校生に嗜虐されているという勘違いもあり容赦しなかった。

 大学生が高校生に暴力を振るうなど許される事ではないが志郎は友人に恵まれていた。同行していたものが愛路への暴行現場を動画撮影しており、親や学校へ申告しないことを条件に志郎の所業も申告させなかった。脅しに近い行為だが進学校の生徒が暴力行為など内申点に響く。証拠の動画を握られている以上は口を閉じるしかないが自業自得だ。

 ただ場にそぐわない煌めく笑顔で返り血を浴びながら過度な暴力を振るった凶悪な志郎の姿に愛路はひどく怯えてしまった。

 愛路が翔の家に入り浸るようになり、志郎が会いに行っても翔の後ろに隠れて拒絶されていた。

 あの手この手でなんとか翔を挟んで話をするようになり、少しずつ距離を縮めてぎこちない雰囲気が無くなるまで数ヶ月を要した。やがて一緒に遊ぶようになり敬語も敬称も無くなり今の距離になった。

 愛路の警戒心と恐怖心が解けるまでとても長かったと思う。ほぼ同じ顔だと言うのに夏樹は初対面で打ち解けたのだから余計だ。

 会話も無くなりラーメンを食べ終わった二人が店を出ると激しい音調の曲を弾き始めた愛路が見える。音は聞こえないが大きなガラス窓越しに見える腕の動きが俊敏だった。

 ふと志郎の視界にとある人物の姿が止まる。


「どうしたんじゃ、シロー。」

「なんでもないよ。」


 親指の爪を噛みながら猫の瞳の店内を睨む人物を横目に通り過ぎ、帰路に付きながら桃花へ帰り道に気を付けろと格下悪役の台詞のような警告メールを送る。

 愛路の奏でるピアノの旋律は店が閉まるまで続いた。



 モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、フォーレ、ドビュッシー、チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービン。

 クラシック音楽の作曲家達が多数残している優れたピアノ曲。


『クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ。』

『……は?』


 少女がピアノを弾きながら放った舌を噛みそうなカタカナに聞き返すことも出来ず首を傾げた。


『小さな音も大きな音も出せるクラヴィコード風チェンバロって意味。1790年にイタリアのクリストフォリが発明したんだ。発明当時は54鍵だったけど音楽が発展して表現力をもっと出すために18世紀前半から鍵盤が少しずつ増えて今から120年前頃に今の88鍵盤になったんだ。』


 意外と最近だと笑う。それ以上鍵盤の数が増えなかったのは人間が音程として聴き分ける事が出来ないかららしい。

 少女はピアノが好きだった。弾いている曲もどんな作曲家がどんな経緯で作曲したのか把握していた。過去の事なので諸説あるだろうか全ては本から得た知識だった。


『あーあ。一日が50時間くらいあればいいのになぁ。』

『いや、長すぎるだろ。』


 ジャーンっと和音を鳴らして仰け反る少女。唐突な発言はいつもの事だ。頭の中ではグルグルと思考を巡らせその一部を口に出すから脈絡がないだけなのだろう。


『もっと本もいっぱい読みたいし、ピアノも弾きたいし、アイちゃんとも遊びたいし。24時間じゃ足りねぇ。』


 誰でも楽しい事が好きだ。やりたい事がやりきれない程あることは幸せだと思う。再びピアノを弾きだした少女の隣で愛路は読みかけの本を開いた。

 静かに流れる楽しい時間が少しでも長く続けばいいと思う。



 筋肉疲労を起こす程ピアノを弾いて明け方まで共通の話題で討論した楽しい女子会の余韻に浸りながら愛路は本を読んでいる。作曲家たちの生涯と作品について書き下ろされた伝記だ。

 隣に英仁がいなければ至福の時間であるが携帯ゲームに夢中で話しかけてこないのでいないものとして扱う事にした。

 ふと目の前に影が落ち、視線を上げると似合っていない服装と髪型の女がいた。憧れのアイドルの服装を無理矢理真似たような不釣り合いな装いだった。

 焦った顔で英仁が服を引っ張ったので彼女が杏の真似っ子兼愛路を脳内彼氏にしている1年女子、内田 恵留なのだろう。

 ぽっちゃりもふくよかも通り抜け豊満と呼ぶにも申し訳ない体系であり、装いが杏と同じだとしても同じには見えない。英仁がいなければ彼女が恵留だと気づくことが出来なかった。

 ソーシャル・ネットワーキング・サービスに載せた自撮り写真は体型も顔も過度な加工が施されていたようだ。

 初見ながらインパクトのある恵留の姿は愛路の記憶の片隅にも存在していない。騒ぎ立てる周りに聞かされ情報として存在を知っているのみの1年女子。対面は今が初めてだ。


「何か用?」


 目の前に立つが話しかけてくるわけでもなく、もじもじと体をくねらせる姿が不快だった。対応の必要なしと判断した愛路は本を閉じ場所を移動するべく立ち上がる。


「あ、後藤先輩っ。」


 慌てた恵留の呼び声と同時に全身へ衝撃が走った。英仁の叫びを聞きながら視界と意識が真っ白な静寂に包まれた。


Velvet Hammer

ホワイトキュラソーとカルーア、生クリームでつくるカクテル。

カクテル言葉『今宵もあなたを想う』



(◉ω◉)喫茶店の店名というとキャッツアイしか浮かびませんでした。

そのまま使ったらやべぇかなぁと『猫の瞳』になりました。

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