31st piece Paradise
「あ、後藤ちゃん。」
「どうしたの?昼寝?」
部室を開けてすぐに目に映った親しい先輩の姿に気が抜けて英仁と杏がいる事も構わずに思わず抱きついた。二人はというと部室に掲げられた『かくれんぼサークル』の文字を見て廊下で直立不動となっている。
悪名高い志郎とその仲間達がまるまる入っており、その他のメンバーもかなり癖のあるサークルだ。関わりの薄い生徒にとっては聊か高い敷居であった。
よりにもよって愛路が抱きついているのは志郎と等しく悪名高く、女子の間で最も恐れられている4年生だった。
「大丈夫?誰かにいじめられた?」
「アメ食べる?」
大型犬を扱うように愛路の頭を撫でるのは緩いウェーブかかったロングの茶髪をハーフアップした松本 桃花。ポーチから飴玉を取り出して渡しているのは黒髪のストレートヘアーをサイドで纏めている大島 葵。二人ともそれなりに整った容姿をしているが桃花の方は元レディースの総長だったなどと恐れられている。
不良グループや暴走族など漫画やドラマではよく登場するが暴走族追放条例の施行や道路交通法改正により衰退し、現実には一昔前の伝説と成り果てているのだから彼女を妬む誰かが言いふらした戯言だろう。
常識的に考えればレディースの総長だったと聞かされても恐れる前に『今時レディースなんて存在するのか?』と絶滅危惧種の生存に疑問が飛び交うのみだ。
桃花は何を隠そう志朗と共に愛路を連れ回し遊び尽くした悪仲間の1人。愛路が高校生だった頃からの付き合いで年上と言う事もあり志郎と同じく慕い甘えている存在でもある。
「愛路君。俺も仲間にいれて。」
怖い噂があろうとも顔面カースト上位にいる先輩に挟まれている愛路を見て我に返り、敷居を超えたのは英仁だった。綺麗なお姉さんとお近づきになりたい誘惑には勝てないらしい。
「誰?後藤ちゃんの友達?」
「違うよ。後藤ちゃんに集る銀蠅って天王寺君が言ってた諸星って子だよ。」
「はい。愛路君の銀蠅の諸星英仁、文学部の2年生です。松本先輩、大島先輩どうぞ宜しくお願いします。」
銀蝿に喩えていた志朗も酷いが、己の欲のために自身を銀蝿と認めて自己紹介する英仁は空前絶後の阿呆だ。傷ついて落ち込むどころか開き直って利用している様は計算高いとも捨て身とも言える。
「あんたが後藤ちゃんをいじめたの?」
抱きついたまま一言も話さない愛路を怪訝に思い、桃花は剣呑な空気を醸し出しながら問い詰める。
「断じて違います。愛路君の同棲彼女の真偽を本人確認してただけです。」
「だから常盤杏がいるわけか。」
名前を呼ばれて部屋に入れずにいる杏がビクリと揺れた。理解の早い様子を見ると桃花も葵も知っていたようだ。余談であるがかくれんぼサークルの活動中は長時間物陰に潜んでいるわけで、人気の有無を問わず何処かに点在している。
サークルメンバーは少ないが隠れている間に聞こえてくる話し声に耳を傾けている者も多く自然と噂話や情報が集まっていた。
「鬱陶しいから入れば?」
「あ、はい。」
桃花の誘いに恐る恐る杏は会室に入った。気に入らない後輩を呼び出したなどと言われている先輩は恐ろしいのだろう。いつもの勢いはなくししおらしい。
ベンチシートに座っていた桃花と葵の間に愛路が収まり、正面にパイプ椅子を置いて英仁と杏が座るという配置になった。
4年生女子の圧に杏は非常に肩身が狭く息が苦しい。英仁は新たな人脈開拓の予感ににやけている。
「後藤ちゃん。今、天王寺に解決させてるから。」
「シローに?」
杏は先輩相手にタメ口の愛路に敬意と称賛と畏怖の視線を送る。そもそも志郎を呼び捨てにしている時点で勇者だ。
「写真の出処は天王寺。」
かくれんぼサークルの部室で昼寝をしていた愛路を撮り、加工アプリで落書きして遊んでいたら通り掛かった後輩と盛り上がりデータを渡したとのことだ。
「天王寺の悪い癖。後藤ちゃんの変な写真撮ったり悪意ある加工施したり。挙げ句サークルメンバーに横流ししてる。」
「これが寝顔写真の実物だよ。」
そう言って葵が差し出した携帯電話の画面で見せられたのは瞼には少女漫画の様な目が描かれ額に第三の目が開眼し立派な髭が足され頭から触覚が生やされていた爆笑必須の傑作品だった。先輩の前では大笑い出来ないのか英仁も杏も必死で堪らえている。
服装や体制から投稿の画像と同じだ。落書きの無い口から下を切り取って使ったのだろう。悪ふざけの賜物を部屋で寝ているかのような画像にするなど形振り構っていない。
「後藤ちゃんさ一回、天王寺をシメた方が良いよ。六法辞書なら貸すから。」
武器の提供を申し出る桃花に愛路は顔を引き攣らせる。理由は定かではないが法学部の4年生達は志郎に対して六法辞書を物理攻撃の武器として扱っている。
「後藤ちゃん関連の噂って色々辿ると何かと原因の一角を担ってるんだよね。」
「この写真以上の事やらかしたのか?」
「後藤ちゃんの事聞いてきた新入り1年に同棲生活してるみたいな事吹き込んでた。」
愛路は頭を抱えた。真実とは言い難いが嘘でもない。
家出して居候している状態を志郎ならば同棲と言い換えて言うだろう。策略も悪意もなく純粋に面白いという理由だけで。意図的な含みのある言い方をやめてほしい。親しくないものが彼と会話すると7割がた勘違いが生まれる。
「それで1年の一部に後藤ちゃんの同棲相手探しが始まってあの投稿も始まったってわけ。」
「ちょっと前に天王寺君と後藤ちゃんの噂があったでしょ?あれだけ派手に広がったから外堀でも埋めようと利用したんだね。どこぞの勘違い女が。」
志郎と愛路の噂と言えばいくつかあるが多数の生徒が知っている一番大きいものは一つだけだ。
たった一枚の写真と一人の戯言から伝説級の尾ヒレはひれが付いて下世話な噂が流れた。
たかが噂、されど噂。
関係性の高い画像が定期的に配信されれば信憑性は低くとも既成事実を捏造できる程度の噂に発展するだろうと策略できる。
件の1年女子は交際疑惑のある杏の真似をして自尊心を満たし、断れない状況下でなし崩しに男女の中に縺れ込もうとしているのだろう。
「後藤ちゃん綺麗系だから本当に変な虫が湧きやすい。襲われないように気をつけなよ?」
「昼間でも一人歩きしない方がいいと思うよ。」
「どいつもこいつも大学に何しに来てんだよ。」
桃花と葵の忠告に愛路は顔色を悪くさせながら脱力した。
色々と持て余した年頃で大学生活に華を添える為に恋愛は自由だが限度がある。春も過ぎ去り立夏も小満も芒種も経て、夏至が迫っている時期なのだから落ち着いてほしい。
さらに買い物帰りの主婦並に噂好きな生徒が多すぎる。遊び足りない一部の生徒だけであろうだがゴシップを追うより単位を追ってほしいものだ。
「でも天王寺君と後藤ちゃんの交際説面白かったよね。」
葵がむくれている愛路の頬を突きながら話を掘り下げようとしたため、頬を突かれている当人の表情は嫌そうに歪む。
「弄ばれて酷い失恋したマナが女性不信になって尖っている時期に、彼女取られたと勘違いした男に暴力振るわれて絶体絶命のピンチに通り掛かった天王寺先輩に華麗に助けられ、好いた腫れた惚れたで付き合ってるって噂ですか?」
「あの本一冊が出来そうなくらい盛りに盛り込まれた愛路と天王寺先輩の恋愛物語っすか。」
思わず英仁と杏は口を挟む。4月下旬から流れ出した志朗と愛路の交際疑惑の全貌は凄まじいものだった。
一癖も二癖もあり何かと騒がしい志郎と優れた容姿の物静かな愛路の不釣り合いな組み合わせは格好の餌食となり、こうだったら面白いという想像が真実のように付け足され甘酸っぱい逸話から下劣極まりない猥談に至るまで盛り込まれていたのだ。
渦中の愛路は噂など気にせず耳にも入れず志郎は否定も肯定もせずに笑っていた為、段々と面白みに欠け新鮮さも失い廃れているが細々と未だに語り継がれていた。
「あの噂、真実も混ざってるから笑える。」
桃花が何気無しに放った言葉は英仁と杏に激震を与えた。事と次第によって愛路と志郎の見る目が変わってしまう。
「え?先輩。それマジっすか?」
「どの部分ですか?どの部分が真実なんですか?」
「どの部分が真実なら痛快かな?」
背後から聞こえたここにいないはずの志郎の声に英仁と杏はホラー映画の主人公張りに悲鳴を上げた。
Paradise
アプリコット(杏子)をつかったカクテル。
カクテル言葉『夢の途中』
◇松本 桃花
かくれんぼサークル所属の4年生。
不本意にも最恐の4年女子と言われている。
◇大島 葵
かくれんぼサークル所属の4年生。
一見、真面そうに見えるが志郎と釣るんでいる時点で類友。
(◉ω◉)志郎、桃花、葵は法学部。愛路、英仁、杏は文学部です。
志郎は色々なところでやらかしてます。




