25th piece Time travel
男子トイレの鏡の前にて触診するように数回額を撫で、ペリペリと音を立てて湿布を剥す。青痣になっているが腫れも引いたのでもういいかと湿布を丸めてゴミ箱へと捨てた。
本日も学童の補助員を頑張ろうと気合を入れるため両頬を強めに叩いてトイレから出る。
「後藤センセー。」
教室に戻ろうと廊下に出たところで呼び止められた。昨日、女子の靴を隠そうとしていた男子の重人だ。
「ちょっと、話があるんだ。」
そう言いながら、重人は愛路の手を取ると男子トイレに隣接する資料室へと入っていった。
人気のない狭い空間へ連れ込まれるという事に関していい思い出がない。相手が女であれば傍迷惑な告白や恋愛相談。男であれば私刑だ。我ながら波乱万丈な学生時代だったと目頭が熱くなる。
閉所で出くわした苦い思い出に浸っていると思いつめたような表情で重人が口を開いた。
「俺、怒られなかったんだけど。」
「悪い事したの?」
脈絡のない内容に差し障りのない言葉を返すと重人は泣きそうに顔を歪めた。
「靴、捨てようとしただろ。他の先生に言わなかったのかよ。」
「だって捨ててない。悪いことだって気付いてやめたでしょ?だったら怒る必要も告げ口する必要もないよ。」
報告しようとも考えたが、単純に面倒だったからやめた。臨時であっても学生であるのだがら教師より生徒の言い分に味方してしまうのは仕方がない。
「でも、やっぱり後藤センセー変だよ。フツーの先生なら怒るだろ。」
「だって俺、先生じゃないし。重人君は怒られたいの?」
「怒られたくない。」
即答だ。しかし納得できないといった風体で唸っているのは意地悪しようとしたことに関する罪悪感があるのだろう。いっそ怒られてしまえばすっきりするのだろうが自分から悪事をばらして怒られるほどの勇気はない。
人の性が成すジレンマだ。
「さて、そろそろ教室戻らないと二人仲よく怒られるよ。」
重人が一人うろついていたらまずいが愛路はもっとまずい。一緒に資料室から出て教室へ向かう。
「センセー。」
「ん?」
重人はもじもじ両手を重ねながら視線を下げたまま話す。
「男子は諸星先生がいいって言うけど俺は後藤先生ほうが好きだよ。」
「あ、ありがと。」
突然の事に面食らって思わずお礼を言うと重人は廊下を駆けていった。やはり元気に飛び回っている方が彼らしい。
「走るなって注意すんの忘れた。」
まあいいかと教室へと足早に向かう。
『本が好き。』
ここではない他の世界にいけるだろう。どんなに辛い事があってもハッピーエンドに繋がる物語。王族や貴族たちの存在する華やかな世界。羅針盤と星を頼りに冒険する大航海。未来の機械に囲まれた宇宙船。念じるだけで全てが叶う魔法の王国。
色々な世界の主人公と自分を重ねて旅に出る。
ドレスを着て豪邸の庭でお茶を飲んだり、サーベルを持って海の魔物と闘ったり、銃を持って宇宙人と共闘。時にはコートを着て犯人を捜す名探偵、七つの海を自由に泳ぎ回る人魚。
何所に居たって夢が見られる。
図書室や図書館の静かな空気と古い本からする独特の匂いも好ましい。
『図書館に住みたい。』
厚い本を抱えて夢見る少女は夢を見ていた。あれは二人で行った図書館で本を読んでいた時だった。
本棚の前で物思いに耽っていると服の裾を引っ張られここが小学校の図書室だと思い出す。
「後藤先生。」
一人の女子生徒が遠慮がちに呼ぶので少し屈んで視線を合わせた。
「決まった?」
「まだ。だって毎週あるんだもん。」
溜息を吐いた少女は読まなければいけない本の選択に迷っている。
この学校では週に一冊の本を読み原稿用紙半分ほどの感想文を月曜日に提出するという習慣があった。
ゲーム機やテレビの普及で本を読む子供が少ないことから元校長の発案で数年前から実施されているものだ。
週末になると慌てて本を探す生徒が図書室に殺到する。金曜日である本日も例にもれず放課後になっても本が見つからない学童の生徒を連れて図書室に来たのだ。
毎週の恒例行事となっているようだ。
「どんな本が好き?」
「本は好きじゃない。面倒くさいもん。」
生徒たちからすればこの習慣は傍迷惑なものだろう。読書が苦手であれば苦痛でしかない。せめて月に一度であればよいのだが毎週となると読むものも尽きてしまう。苦肉の策として3年生までは漫画も許されているが4年生以上はきちんとした本を読むように指定されている。
本を読むだけでも一苦労だというのに感想文まで書かなければならないとなると嫌気がさしてしまう生徒もいる筈だ。
週一回の感想文付きの読書は生徒達にとっても本探しに付き合わされる学童スタッフにとっても感想文を見なければならない教師にとっても迷惑な習慣のようだ。
多方面に負担になっているならば廃止すればよいと思う。
現に文学部でありながら本など読まない英仁や他のスタッフは宿題を見ると言う名目で教室に残っている。
「じゃあ何が好き?」
好きなジャンルであれば読みやすいだろうと好むものを聞いてみると何か考えるようなそぶりをする。
「猫が好き。」
家では飼えないが祖父母の家には三匹もいて猫と遊ぶために遊びに行く日もあると語りだす。次々と出てくる猫の話を聞きながら愛路は本棚に視線を巡らせた。そして一冊の本を少女に渡す。
「猫好きならこれなんかどう?猫になって旅する話なんだけど。」
簡単にあらすじを説明すると早速開いて読み始めている。どうやら興味を持てたようだ。
愛路は小学校から図書室に入り浸っていたため読んだ本も数多い。新しい著者の本までは知らないが人に薦める程度には多くの本を知っていた。
ふと一冊の本で目が留まる。
ドイツの詩人の詩集だ。
夢が見たいからとファンタジー小説やSF小説を好む彼女の本棚に一冊だけ詩集が置かれている。年の離れた友人に貰ったと言って大切にしていた薄い本。
フロッシュ・リートの最初で最後の詩集『DEAREST』だ。
病弱な彼は自室の窓から外を見ていた。花売りの少女に恋をしたが医者から薄命と言われていた身で気持ちを伝えることは叶わなかった。その想いを綴ったものが彼の死後、遺族が詩集として世に広めたという。
多くの人から愛された悲劇的な純愛作家。
初めて読んだとき、狂おしいまでの恋する気持ちと迫り来る死への淋しさに強い衝撃を受けたことを覚えている。
懐かしさに目を細めながら本棚を移動した時、一人の女子生徒が目に入った。
小さな腕の中に5冊も本を抱えてまだ物色している。その顔には見覚えがあった。昨日と変わらずボーイッシュなファッションに身を包んだ竜ヶ崎雨音という女の子だ。
「全部読むの?」
「ひやっ。」
抱える本を覗き込むようにして話しかけると、女子生徒はびくりと肩を揺らして本を床に落とした。
「びっくりさせてごめん。はいどうぞ。」
謝りながら拾った本を渡すと、遠慮がちに受け取った。かなり警戒心が強い。
「本、好きなの?」
問うてみても俯いたままで何も言わない。こんな時はどう対応すればいいのかと考えるが名案など浮かばない。
「…から。」
「え?」
蚊の泣くような声を出した後、雨音は愛路から離れてしまった。追いかけようとするが足が床に縫い付けられてしまったかのように動かない。彼女の小さな声が愛路の脳内で木霊する。
夢が見られるからとあの少女と同じことを言ったのだ。
他の生徒に呼ばれるまで愛路は我を失ったままその場所から動けなかった。
(◉ω◉)初めて読んだ小説を覚えていますか?
主人公と自分が重なって夢をみていたような昂揚感がたまらず本に没頭しました。




