21st piece Blue sky which shines
「…っくしゅん。」
くしゃみの反動で身体が揺れて覚醒した。寒さに身体を震わせながら目を開けると仄かに明るくなっていた。
もう直ぐ6月だと言うのに東北地方の上空まで下りてきた寒気と雨の所為で関東も気温が下がっているらしい。朝方など冷えは増すばかりだ。
もう一枚なにか着ようかと腕に力を入れるが腰の辺りに纏わり付く重みで起き上がれない。乱れた毛布をそっと捲ると夏樹が抱き枕にするかのように引っ付いていた。
「離れろ。」
頭を押して引き離そうとするがホールドされた腕の力は強くなるだけだ。それどころか足まで絡めてくる。
「んー。もう食えねぇ。」
ありきたりな寝言を言いながら脇腹に顔を摺り寄せられ、くすぐったさに身体が跳ねる。終いには“兄ちゃん”などと呟く始末。
「ナッツっ。」
腕と足を使い時間をかけて何とか引き離す。寝ぼけた人間、酒に酔った人間などまともな思考能力が働いていない人間ほど恐ろしいものはない。
随分前に翔を起こしに行った時、布団に引きずり込まれて間接技を掛けられ身体がバラバラになるような苦痛を味わったことがある。
覚醒した翔は志郎の夢を見ていたなどと言い訳しながら申し訳なさそうに謝られたが数日は痛みが取れなかった。
息を切らせながら起き上がって辺りを見るとテーブルの上には数学のプリントと英語のノートが散らばっている。そういえばいつの間に寝たのだろう。毛布を掛けた記憶も無い。
額を擦りながら思考を巡らす。数学の宿題を何とか終らせて夕飯を食べた後、翔も混ざって四苦八苦しながら英文で手紙を書くと言う宿題を終らせたのだ。恥ずかしいだの伝えたい言葉なんてないだの手紙を書く段階で散々揉めた。読書感想文然り、作文然り文書制作など夏樹がこの世で最も苦手とする作業なのだ。
一番書きやすいであろう兄宛にしたのだが、手紙というよりは自慢話の作文になってしまい却下。宛先を親に変更したところで小学生の作文にしかならず却下。
宛先を変え題材を変え数々の不採用を経て最終的には同じ部活の友人に宛名を変え、何とか書き上げた文章を英文の直させる作業が如何に大変だったかなど語るまでもないだろう。
確か日付が過ぎても文法と格闘していた。志郎に苦手科目を教示された経験がある愛路は同じ遺伝子をもつ兄と弟が何故このように学力に差があるのだと思わずにはいられなかった。
終らせた後、力尽きるように眠ってしまい翔が毛布を掛けてくれたのかもしれない。精神的な疲労が身体に出ているような気がする。
だるい体を起こしてソファーにかけてある上着を着た。それでも寒さは収まらず何か飲もうとキッチンに入ってインスタントコーヒーをカップに入れてポッドのお湯を注ぐ。ドリップするのもお湯を沸かすのも面倒で即席コーヒーで間に合わせた。
リビングへもどりカーテンを開けて見ると雨がちらちらと降っていた。
コーヒーを飲みながら空を見るが雨雲が邪魔で今朝は朝日も見えない。どんよりとした灰色の雲が空を覆っていた。
カーテンレールに吊るされたてるてる坊主が笑っている。
ふっと感情的に目の奥が熱くなる。理由の分からない感情が込み上げてきた。言葉にするなら寂しいという言葉がしっくりくる。
少しだけ窓を開けると冷たい風が吹き込んだ。
何かを断ち切るように息を吐くと窓を閉め、勉強道具が広げられたままのテーブルの前に座る。
シャーペンや消しゴムを筆入れに仕舞い消しカスをゴミ箱へ払って開いたままの辞書を閉じテキストを重ねた。数学のプリントの上に英語の宿題を綴ったノートを置く。
親しい人へ綴られた英文の手紙。
共通の思い出を懐かしみ、その頃の感情を伝えて未来への願望を綴って終わりよくまとめた手紙は本人に届くのだろうか。
定期的に届いていた筈がある日を境に途絶えた手紙。届いた手紙の一枚一枚を捨てる事も見返すことも出来ずに仕舞ってある事を知ったら笑うだろうか。
再び立ち上がり、先ほどよりも明るさの増した窓の前に立つと雨が止んでいた。
昨夜の天気予報では昼過ぎまで降ると予報されていたのに綿菓子を千切った様な雲と青空が朝日に照らされている。
雨上がりの空を眺めていると想いが募る。
『本当は12月に生まれる予定だったんだ。だから父ちゃんは風雪って名前考えてたんだって。』
いつかの雨の日、少女はてるてる坊主を吊るしながら言った。
『ずっと冷たい雨が降ってて、もしかしたら雪になるんじゃないかってくらい寒い日に一ヶ月も早く産まれたって。』
器用にカーテンレールへ蝶々結びで結わえると椅子から飛び降りた。カラフルな包装紙と青いリボンで作られたてるてる坊主はにっこりと笑っている。
『生まれた後、少しだけ晴れて11月なのに虹が出たって。』
虹が出るにはいくつかの条件がある。日本の気候から考えると11月に虹が見えるのは珍しいことだ。
『すっげぇキレイだったって父ちゃん言ってた。だからな今のに名前変えたんだって。』
音を立てて降り注ぐ雨が弱まり青空が雨雲の間に見える。
『お、アイちゃんこっちこっち。』
立ち上がって少女は愛路の腕を掴むと自室から出て父親の仕事部屋へ行く。
『なんだよ。』
『あっち見てて。』
ベランダへ繋がる窓の前で少女が指差す先を見る。見えるのは黒い雲と青空。
雲の隙間から太陽光が洩れて幾つもの天使の梯子が出来た。
『すげぇ。』
思わず感嘆の声が出た。晴れと雨の狭間のような空はとても幻想的だ。見ている間に雨雲が風に飛ばされて雨が上がり澄み切った青空へと塗り替えられた。
『虹できなかったな。』
晴天を呼ぶてるてる坊主の意を音に込め、輝く架け橋という虹の意を漢字に込めた雨上がりの名を持つ少女が残念そうに笑った。
彼女の街も雨だっただろうか。それならば唄いながらカラフルなてるてる坊主を吊るしただろうか。
カーテンレールに吊るされた不細工なてるてる坊主を突っついた。
「お勤めごくろうさん。」
きっと今日は傘はいらないだろう。
『To the sweet person on this side of heaven.』
(◉ω◉)余談ですが虹は半円でなく円なのですよね。
虹よりも上空から見ると円型の虹が見られるそうですよ。




