17th piece It didn't work out
まだ5月の夕暮れ時だというのに半袖で丁度良い気温だ。今からこれでは夏はどうなるのかとげんなりする。
翔は帰路を進みながら冷蔵庫の中身を思い出し、夕食の献立を考えた。
「肉料理にしたら残しそうじゃから天ぷら蕎麦にしようかのう。」
ボゾボソと呟きながら歩いているとメール受信の着信音が鳴った。
後藤ちゃんは預かった。夕食不要。
誘拐犯の犯行声明のような文脈のメールは例に漏れず差出人が志郎だ。内容を要約すると愛路を連れ回すと言うことだろう。大学仲間との遊びかバイトのヘルプか。わざわざ連絡してくるのだから帰宅は遅くなるに違いない。
一人分となれば献立も手間も変わってくる。冷や飯にお茶を注いで簡単に済ませるかと手抜き料理に落ち着いたところで見知った姿が目に入った。
「こんばんは。」
今夜は仕事がないのか、ラフな服装の柊は翔に気づくと声をかけてきた。ここにいるという事は居候に会いに来たのだろうか。
「愛路なら今夜は遅ぅなる。志郎が連れ回しとるからのう。」
「翔君に用があるのよ。」
柊が愛路のいない隙に翔を訪ねてくるとなると長い話になるだろう。夕食を当初の予定通り天ぷら蕎麦に切り替えた。
「へぇ、夕飯は食うかい?」
「あら、ご相伴にあずかれるなんて嬉しいわ。」
その気でいたくせにと口の中で呟いて、なかなかお目にかかれない美女を自宅へと連れて行った。
「愛路はどう?」
「寝ねぇし食わねぇし吐きよるし体長はしょっちゅう崩しとる。泣きべそはかいとるし絶好調に手がかかっとるわ。」
家に入りキッチンに入りながらカウンターテーブルの席を勧める。早々に愛路の現状確認する柊へ赤ん坊のようだと愚痴った。
「すっかり翔君に甘えてるのね。」
仏頂面で飲み物を出す翔とは正反対に柊は楽しそうに笑った。
「先週もずぶ濡れで帰ってきよった。泣きはらした顔してのう、大学もサボったみたいじゃ。」
「18日に?」
限定的な日付の問いに翔は頷くことで肯定する。哀愁漂う気抜けした息を吐いて柊は表情を失くした。
「そう、今年は行ったのね。」
一昨年は無理に平静を装い気にも留めない素振りが痛ましかった。去年もそうだったが夜中に1人で声を押し殺して泣いていた。気付かないだけで愛路はいつも一人で泣いていたのかもしれない。今年はどのような心境の変化か感情を剥き出しにして数日前から荒れていた。
「墓が無くなったって泣いとった。あんたの事じゃ場所知っとるんじゃろ?」
愛路の生家に建てられた愛犬の墓。死後一年と経たずに家を売却することになったため、庭に置いておくわけにもいかず墓はペット霊園に移されている。とある事情から愛路関係の事は親類が手厚く処理しているのだ。その事情の所為で愛路は家出しているのだが。
「教えてやらんのか?」
「私が?場所なら教えるから翔君が連れて行けばいいじゃない。」
何故、知っているのかと問われたら返答に困る。一つを応えればまた疑問が生まれ最終的には全てを伝えなければならない。そして愛路に距離を置かれる事態を恐れ、口を閉ざしている現状だ。
「ずるいのう。」
「知らないふりはお互い様。貴方には包み隠さず全て伝えてあるんだから共犯よ。」
両親の死後、愛路の身に起こった事を知り得ている。親戚でも恋人でもないが必要性があり専門家の手を借りて徹底的に調査したため柊は愛路よりも詳しい情報を持っていた。
愛犬の二か月後に両親が死亡し自身も大けがを負い葬儀にも出れず、激動する環境に振り回され生活を送るだけで精一杯の日々が続いた。愛犬との別れの傷が癒えぬまま訪れた両親の死は悼む事も受け入れる事もできないまま時間だけが過ぎていたはずだ。
逃げていたわけでも向き合っていなかったわけでもない。法事は時期ごとにしていたが関わりの薄かった親族に気丈に振る舞う事に気が行き折り合いをつけられなかったのだろう。
顔色を窺って我儘も言えず、甘える相手もいない。大人の勝手な都合で愛路は長い間、生き苦しい場所に居た。
柊が愛路と出逢ったのは一人になって3年後の冬。当時中学生だった愛路は劣悪な環境に閉じ込められていた。過去にも未来にもあの時ほど酷い仕打ちは起こらないだろう。
未だに夢に見て魘され幼子のように夜を怖がっている。
天国の様な快楽も地獄の様な苦痛も全てこの世にあるというが、誰が見聞きしても地獄だった。
「助けるって約束したのにできなかったからね。偉そうに何様かしらね。」
全て落ち着いてしまった今となっては愛路自身が一つずつ清算していくしか解決法がない。数年間そうしてきたように見守っているしかないのだ。
「柊さんが悪ぅ事じゃない。」
「でも結果が全てよ。」
すっかり顔を伏せてしまった柊の前に突貫で作り上げた天ぷら蕎麦を置く。
「ありがとう。」
礼を言うと品良く手を合わせて天ぷら蕎麦を食べだした。いくらラフな格好をしていても柊はトップモデルの様な美女だ。ハリウッド女優が納豆を食べているくらい天ぷら蕎麦が似合わない。
柊の周りには権力的にも金銭的にも頼れる男がいるだろう。夜の仕事をしているのだから聞き上手な飲み屋のママの1人も知り合いにいるだろう。しかし、いつも翔に愚痴りに来る。
お互いに会話が途切れ、蕎麦を啜る音がダイニングに響いた。
「柊さんのう。このままでええんか?」
「良くないから早く私に堕ちるように誘惑してるじゃない。」
確かに柊の愛路に対するスキンシップは過度なものが多い。お互いに好意と信頼がなければ警察の世話になるだろう。毎回見せつけられている翔は堪ったものではないが手応えはあるというのに1mmも先に進まない進展のなさには同情する。
「もっと会いに来たったらどうじゃ?」
「駄目よ。愛路の負担にしかならないもの。」
今、二人が一緒になった所で破局することは目に見えている。必要のない心疾しい感情を持て余し、互いに自責の念に囚われて擦れ違って静かに擦り減って消失しまうだろう。
諦めたように鼻から息を出すと、翔は食べ終わった天ぷら蕎麦の汁を飲み干した。
(◉ω◉) 愛路のお墓参り篇のCasablancaはこれにて終了です。
次回から新章です。
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