15th piece Cleared up
「なにやっとんじゃい。」
夢心地でいたところ訛りのある聞きなれた声に顔を上げると翔が居た。何故ここにと思いながら回りを見て驚く。
無意識というものは恐ろしいもので気付くと翔のマンションの玄関前に居た。雨に濡れたままドアを背に座っていたので服や髪から滴る雨水で水溜りが出来ている。辺りはすっかり真っ暗だ。
「鍵、持っとろう?」
俯いたままの愛路の前にしゃがみ、翔はぽりぽりと頬を掻く。
「俺はここに居ていいのか?」
雨に濡れ、震えた声が出て頭を膝に擦り付ける。翔に見捨てられた時、この世界から居場所がなくなってしまうような気がして身体が震えた。
呆れを含んだ溜息が聞こえ、息が止まる。
「アホじゃのう。とりあえず立ち……。」
立たせようと腕を掴んだ翔が息を呑む気配がして顔を上げると驚愕する翔と目が合った。
どうしたのか訊こうとすると、垂れ下がった目じりが吊りあがる。
「こんのド阿呆ぅ!」
怒声と一緒に無理やり立たされ半ば引き摺るように家へと押し込まれた。
「翔っ、待っ、靴、靴っ。」
土足のまま廊下を進み、服も脱がないまま空の湯船へ放り込まれる。
「うぅ……いってぇ。」
投げ込まれた拍子に打ち付けた後頭部を押さえていると熱いシャワーを頭からかけられた。
「ぶっ、熱ぃ!熱ぃって、何すんだ!」
慌てて湯船から出ようとすると片足で胸元を抑え付けられて押し込まれた。その間もシャワーは容赦なく降り注ぐ。
「やかましい。氷みてぇな身体しよって。考えてみれば何が楽しくてズブ濡れとったじゃ。ああん?」
鬼の形相で早口にまくし立てられ呆然とした。
「大体、ここにおってええかじゃと?ほぼここで生活しとる人間の台詞かい。寝言は寝てから言い。アホだアホだと思っとたけどここまでじゃったとは。ほんに愛路は勝手に悩んで思いつめよってアホ晒すのう。何かあんなら俺でもシロでも言えっつっとるじゃろうが。類稀なき阿保なんか。」
口答えも言い訳する隙も与えられず翔の説教は続く。頭上に降る熱いシャワーが止むまでバスルームに怒声が響いた。
「いいか。のぼせぇまで出なよ。」
バスタブにお湯が満たされ、漸くシャワーと説教が止むと翔はバスルームから出て行った。服も靴も脱がずに風呂に入るなど初めてだ。むしろ経験する人間など数えるほどしかいないだろう。
温かくなったとはいえまだ五月だ。雨の日は冷える。かじかんでいた指先が急激に暖められて痛んだ。翔はいつも強引だ。
本気で抵抗すれば本気を出され、口でも力でも全く叶わず捻じ伏せられるのがオチだ。痛い思いをしたくなければ彼には逆らわないという教訓が出来上がるまでそう時間はかからなかった。
身体はすっかりと暖まったが風呂から出られない。今更、翔の前で取り繕っても仕方がないのだが醜態晒した後ではあわせる顔がないのだ。
このまま時間が止まってほしいなど非現実的な事を考えているとバスルームの戸が音を立てて開いた。
「何十分入っとる気じゃいっ。」
またもや腕を掴まれ無理やり立たされるが立ち上がった瞬間、ぐらりと視界が揺れた。
「あっぶな。」
倒れそうになった身体を襟首掴んで支えられるが、己の体重で首が絞まって苦しい。
「ほんに、のぼせてどうすんじゃい。」
「翔がのぼせるまで出るなっつったんじゃねぇか。」
「ド阿呆。」
強烈なデコピンをお見舞いされ鈍い音が浴室に響いた。翔は着替えと一緒にタオルを顔に押し付けると脱衣所から出て行く。
水分を吸って体に張り付いた服を何とか脱ぎ捨てると、洗面台に備え付けられた鏡に傷跡だらけの身体が映って目を伏せる。毎日見ているはずなのに嫌で堪らない。用意されていたスウェットを手早く着込み、タオルを頭に被ったまま浴室から出た。
人の声がするリビングへ行くと翔がソファーに座り、TVを見ながら酒を煽っている。足音で愛路の入室を察知した翔は振り向かずに人差し指をチョイチョイと動かし、近くへ来るように身振りで示す。
居心地が悪いまま、指示通りソファーの近くへ足を勧めた。
「ちょお、座り。」
「……はい。」
大人しくソファーの下に引かれたラグマットの上に正座すると、グラスをテーブルに置く音がする。
頭に被ったままのタオルの両端を掴んで引き寄せられ、雫の滴る髪をガシガシと乱暴に拭かれた。ある程度の水分をふき取るとタオルをテーブルに放る。
「左手出しぃ。」
言われるがまま左手を出すと怒気のはらんだ舌打ちと深い溜息をされる。翔は黙ったままソファーの横に置かれた救急箱を取り、消毒薬をかける。
「男じゃろう。がまんせい。」
傷口に沁みて顔を歪ませているとからかうような目付きで言われた。ガーゼを当てぐるぐると包帯を巻かれていく。
「訊かねぇの?」
いたたまれなくて自分から口を開くと翔が口元を吊り上げて笑う。
「言いてぇなら訊いちゃる。」
意地が悪いなんて思いながら俯くと口元の噛み切った傷に軟膏を塗り込まれた。
「一人でどうもならん事は人に頼ればええんじゃ。」
手当ての仕上げとばかりにデコピンされ、痛みに涙が滲む。
「家も墓も無くて。俺の所為で、そうじゃないって言うけど、俺が悪いって。」
翔には言わなければと慌てて口を開くが順序も言葉もバラバラでうまく伝えることが出来ない。そんな愛路に翔はもう一度デコピンをお見舞いする。
「言えるようなってから言い。」
救急箱を抱えて立ち上がった翔を目で追うと、それは窓の前で止まった。
「お、雨止みよった。」
星が出ているから明日は晴れだなどと勝手な天気予報をして、飯でも食うかと翔はキッチンへ入っていく。
容赦なく3発もデコピンされた額が熱かった。
(◉ω◉)服を着たままお風呂に入った経験はありますか?
とりあえず服が脱げなくなります。