12th piece After a dream
電車に揺られながら高速で移り変わる景色を見ていた。車内には疲れた顔をしたOLやサラリーマン。バイト帰りか塾帰りか、学生の姿もちらほらあった。
ポケットの携帯電話の振動を感じ取り出してみるとメールが届いている。開いてみると湊から詫びのメールだった。別に杏の我が儘など今に始まった事ではないというのに律儀なことだ。湊らしいといえばそうなのだか、あまり気を使われるとこちらのほうが居たたまれない。
気にするなと短い文を作って送ると数分としないうちに返信が来た。そこに書かれている文を見て脱力する。
“Loving my friend(^3^)-Chu!”
友愛を伝える単語と投げキッスの顔文字。食事中の告白といいなんとかならないのだろうか。幼少よりキザな性格だったが成長して拍車がかかっている。何かと英語やフランス語を用いるのは使いどころがなくて無理矢理使っているのか思春期の患いを引きずっているのかは知らないが鬱陶しい。
面と向かって言われると恥ずかしいのだか大切だと好きだと言われれば嬉しい。
あの少女も好きだと言ってくれたことを思い返し、顔の筋肉が緩んだのでゆっくりと俯いて寝た振りをする。
つい最近までは一人でよいと思っていた。人と接することが怖くて一人でよいのだと言い聞かせていた。
突き放しても、隣にいる学友や時が経っても変わらない幼馴染を見ているとよいものだと思えてくる。
小学校低学年の時、仲良くなった友達は突然遊んでくれなくなった。それからいじめられるようになった頃、湊が助けてくれた。
時々、意地悪をされたこともあったが湊がいてくれたから楽しかった。こんなに昔からあの幼馴染は守ってくれていたのだ。
10歳の時、家族で可愛がっていた愛犬が車に撥ねられて死んだ。生まれる前からいた犬は兄弟のような存在だった。
悲しくて、悲しくてずっと落ち込んでいた。いつもは男が泣くなと言ってくる湊がこのときは元気づけようと必死だった。
湊が今でも友達でいてくれることに幸せを感じた直後、寒気がした。
網膜に浮かぶ映像が怖くて無理矢理目蓋をこじ開けた。明るい車両が飛び込むが夢の中にいるようで現実味がない。
『獏って知ってるか?』
揺れる電車の席から外を見ながら隣に座る少女は楽しそうに話す。
『人の夢を喰って生きる幻獣で悪夢を見た後に“獏にあげます”って唱えると同じ夢を二度と見ないんだって。』
ばくと言うから奇蹄目バク科の哺乳類のバクかと思えば伝説上の獏であった。
『残念ながら一度も喰ってくれたことねぇけどな。』
困ったように笑いながら少女は車窓から正面に視線を移す。
『だからさ、海に行こうな。アイちゃん。』
この話の流れで何故海へ行くことに繋がるのか不明であるが少女に頼まれて片道50分海岸を目指し電車へ乗っている。
『嫌な事あって嫌な夢ばっか見るなら楽しい事いっぱいして楽しい夢が見れるようにするしかないだろ?』
『どんだけ嫌な事あったんだよ。』
11歳の少女の思考ではない。心配になり問い詰めると少女はきょとんとして笑った。
『嫌な夢ばっか見てんのはアイちゃんだろ?』
『え?』
『テルはシーグラスほしいからビーチコーミングに行くんだ。』
楽しそうに笑う少女を横目に愛路は頭を抱える。おかしいと思ったのだ。突然海へ行こうなどと言いだし半強制的に電車に乗せられた。
何度も夜中に飛び起きていた事を気付かれていたのかもしれない。寝言を聞かれていた可能性も高いと羞恥心が湧く。
『春色の汽車に乗って海に連れて行ってやるよアイちゃん。』
『汽車じゃなくて電車だし春色でもねぇよ。』
『ぴぎゃっ』
腕に抱きつく少女にデコピンをした。痛いと騒ぐ彼女を無視して外を見れば憎らしい程の晴天だった。
次の到着駅のアナウンスが車内に流れる。聞き覚えのない駅名にぎょっとして顔を上げると混み合っていた車内は閑散としている。
当たり前のように隣に少女の姿はなく車窓も晴天から夜の街並みへと変わっていた。
夢を見ていたようだ。
「どこだよ、ここ。」
停車した電車からホームへ降りて知らない駅名にぼやく。一つしかないホームへ設置された時刻表を見ると始発まで折り返しの電車がなく頭が真っ白になる。
数分間呆然と立ち尽くした後、改札を出て券売機の路線図を見ると20駅も乗り過ごしていたことが判明し眩暈がした。2時間近く寝ていたのだ。
駅員しかいない構内から出るとローターリーは街灯も少なく3階建て以上の建物のない見慣れぬ景観に心なしか恐怖心が芽生える。
時間を潰せる場所も見当たらず、待合室で本でも読もうと踵を返して足を止めた。駅周辺の施設情報が示された案内板の地図を携帯電話で撮影すると歩き出した。
歩道を直線的に進みながら横断歩道を2回渡り、6分程歩いて営業前の海水浴場へ辿り着く。何かの記念碑の先に桟橋を見つけ、先まで渡って腰を下ろした。
「どうしよ。」
途方に暮れるとはこのことだ。
取敢えず翔へ現在位置と間抜けな現在状況を理由に帰宅が遅くなることをメールで伝えて暗い海を眺める。海の先には明るい向こう岸が見えた。
なぜこんなことになってしまったのか。2時間も寝過ごすとは大失態である。
昨夜見た夢の所為だ。
何度も苛む両親が死んだ日の夢だった。
愛犬が死んで学校にもろくに行かず、呆然としていた日々が続いた。忙しい父が仕事を休み、甘ったれた泣き虫な子供を元気付けようと遊びに連れていってくれた。
遠出をする予定だったが、家族を乗せた車が目的地に辿り着くことはなかった。
カーブを曲がりきれず対向車線をはみ出した車と正面衝突したのだ。弾き飛ばされ、ガードレールを突き破り、崖下の海へと車は沈んだ。加害者となる相手は即死だった。父も一度目の衝撃で即死。母は沈んだ車の中で溺死。
車の外に放り出された自分だけ奇跡的に命を拾ったらしい。目覚めた白い部屋で何日も過ごし、傷が癒えて家に戻った頃には何もかも終わっていて両親は小さな箱に入り白黒の写真の隣に置かれていた。
あの時の痛みも何もかも鮮明に覚えていて傷跡も深く残っている。
今でも、自分一人が死ねばよかったのだろうと心から想う。そうでなければ一緒に海に沈むべきだったのだ。
せめて愛犬の死ときちんと向き合っていれば両親が死ぬことはなかった。もしあの時という後悔と自分の所為だという罪悪感が押し寄せる。
暦を見てその日が目に入っても気付かないふりをしていた。毎年、知らないふりをしていた。
必死に否定しても夢となって出てくる。湊が大した用もないのに呼んだのも心配したのかもしれない。
もうすぐ愛犬が愛路を庇って命を落とした日がやってくるのだ。
過ぎ去った事は変えることが出来ない。この日さえ来なければと毎年思ってしまう。目を開いていても網膜に映り、鼓膜に聞こえる。
起きていても悪い夢が消えないのだ。
たくさんの人に支えられても倒れそうな程、重い悔恨。
暗い感情を振り払うように左の手首を強く握ると、服の袖に血が滲んだ。
痛みだけが現実だった。
ぴこりん。
波の音が支配する空間に不釣り合いな電子音が鳴る。デフォルメ設定のままのメールの着信音だ。
翔の小言だろうかと開くと志郎からのメールだった。見た瞬間、愛路は立ち上がって駅へと向かい全力疾走で駆けだす。
時刻表鉄と見紛うような細かさで終電を逃した愛路が乗り換えを駆使して帰る路線情報が示されていた。
最後の頼みである電車が出発するまであと4分。苛んでいた嫌な夢も過去も忘れて愛路は走った。
(◉ω◉)とんでもねぇ僻地まで乗り過ごした愛路。
野宿を覚悟しかけた時に舞い降りた裏ワザ乗換術の帰宅経路。
駅までは600m、制限時間は4分。果たして彼は最後の電車に間に合うのか!?
頑張れ愛路。走れ愛路。
次回、ご期待!
ウソです。次回から新章です。
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