11th piece Have a smoke
日も暮れて少し遅めの夕飯の支度をしているとインターホンが鳴った。
翔は訪問者を確認することもなく解錠ボタンを押した。変な奴ならば追い返せば良いだけの話だと指を鳴らしながら玄関に向かい、再びインターホンが鳴ると同時にドアを開ける。
「はいよう。どちらさん。」
「ボクだよ。翔君。」
志朗の爽やかな屈託のない笑みを見た瞬間、ドアを閉めようと手を引くが足と手を捻じ込んで阻止される。
「酷いなぁ。大親友が尋ねて来たのに。」
彼の言う通りポジション的には親友ということになる。
少しばかりやんちゃに過ごした中学時代に出会い、売られる喧嘩を高額買取していたら肉戦車という不名誉な通り名がつくほど有名な不良のレッテルを貼られた仲だ。中学校は他校同士だったか高校は同じところに通い好き勝手に過ごした後、互いが決めた将来の為、別々の進学をして今に至る。
翔は建築系の専門学校を経て就職し、志郎は愛路と同じ大学に在学中だ。
10年近くも馴れ合っていれば縁も腐れ縁となる。ただし二人の間に友情などという甘い言葉は存在しなかった。
「せめて悪友とか言い。」
ドアを閉めようとする翔と開けようとする志郎。二人の攻防は掛けっぱなしのケトルの音で翔が負けることとなる。
見事に勝利を収めた志郎はダイニングの椅子に座り、夕飯の支度を再開した翔を目で追った。
海外転勤になった親の都合で高校時代から一人暮らしをしていた翔は料理上手である。本来ならば翔も行くはずだったが現地の水が合わずに断念したらしい。暫くは祖父と暮らしていたが意中の女性を口説き落とし未亡人同士仲良く老人ホームに入居してしまった。なんとも自由奔放な家族だ。
因みに翔の訛は東北育ちの祖父と関西育ちの母、九州育ちの父が日常会話に繰り出す三種の方言が混ざって出来上がったものである。
話は戻るがあっという間に1人暮らしになった翔にのしかかったのは食事問題だ。外食は面倒だしコンビニ弁当やジャンクフードは飽きたので自分で作ることにしたらすっかり板についてしまった事が始まり。一時は洋食や和食は勿論のこと中華、イタリアンからスィーツまでありとあらゆるジャンルの料理に手を出していたものだから料理関係の仕事に就くと思ったのだが、趣味は趣味だと言って全く違うジャンルの道へ進んだときは驚いたものだ。
なんでも歌って踊れて農作業や建築まで出来るアイドルに憧れ、虫が苦手なので農業は断念し、歌や踊りは出来たとしてもアイドルになるには顔が残念なのでなる気もなかったが断念。消去法で建築関係になったという可愛らしい理由だったりする。
「そんで?何用じゃ。」
「後藤ちゃんに用があったんだけど。」
言いながら志郎はポケットの煙草を取り出す。
「愛路なら友達と会うから遅うなるってよう。」
さらりと不在を告げられ銜えた煙草を手元に戻す。
「友達?大学の人かな。」
「いんや幼馴染の坊ちゃん。」
ふうんと興味なさそうな返事をしたのち志郎は一枚の紙を取り出した。
「だったら、これ渡しておいてよ。来月のバイトのシフト表なんだけどちょっと変わったから。」
「おーう。テーブルにでも置き。」
鍋を混ぜながら翔は指をさして指示する。
「遅ぉなるって電話きてのう。愛路ん奴、荒れとった。あんまからかわんと。」
言いつつ翔は意地悪く笑って振り返った。
「シローの所為で変態扱いされたじゃと。」
「ああ、アレね。本当は後藤ちゃんが撒いた種なのに。」
クスクスと笑いながら志郎は携帯電話を操作する。一枚の画像を取り出して翔に見せた。
「コレが掲示板に張られちゃったみたいでね、すぐ撤去したけど噂って怖いね。」
「いつの写真じゃ?」
「ん?2年くらい前だったと思うけど。」
翔が見せられたのは今より2回りから3回りくらい小さな愛路が満面の笑みで志郎に抱きついている画像だ。
「ボクの友達に混ざって遊びに連れてったんだよ。カラオケだったかな?後藤ちゃんってばボクのお酒間違え飲んじゃってねぇ、すごかったなぁ。」
「ああ、あん時な。」
げんなりと翔は携帯電話を投げ渡すとキッチンへ戻る。この時、志郎は“後藤ちゃんが大変だ”と大騒ぎで翔を呼んだのだ。何事かと駆けつけた先で目を疑った。
見たこともないくらい楽しそうに笑いながら女の子と肩を組んで歌っている愛路を見たのだから無理もない。
人気女子アイドルの歌を音域を変えて見事に歌っているものだから何故歌えるんだと場違いなツッコミが頭に浮かんだくらいだ。
呆然と立ち尽くす翔に気付いた愛路はマイクを投げ捨てて抱きつく始末。何が起こっているのか説明を問おうとしたとき泥酔した愛路は眠ってしまい、マンションまで志郎と交替でおぶったのだ。
翌日、二日酔いに苦しむ愛路にその時の記憶はなかった。これは好都合と志郎とその友達に騙し討ちに飲まされて何回か好き勝手遊ばれた事は言うまでもない。女装させられた写真が送られてきた時は合掌して哀れんだ。
「酔っ払った後藤ちゃん楽しかったなぁ。」
思い出に浸るほど楽しんだ志郎の悪い遊びが今も続いていないのは度数の少ないアルコール飲料をコップ1杯で泥酔する愛路の後始末を任される翔がいい加減にしろと鉄槌を食らわせたからだ。
身長は翔の方が低いが体格が違う。志郎も鍛えていて常人よりも筋肉質だがどちらかといえば愛路と同じく細身だ。対して翔は力仕事の肉体労働で勤務中だけでも鍛えられるというのに週に3回はジムに通っている。その上、家にある筋力トレーニング機具で暇があれば身体を動かしている始末。レスラーのようなマッスルボディに仕上がっていた。
高校生時代ならば互角であったが今となっては腕力で敵う筈もなく、半端な攻撃では鍛えられた筋肉の鎧でびくともしない。彼が攻撃態勢に入ったら鉄拳が落ちる前に降伏しなければ間違いなく病院行きとなるのだ。
「で、阿保丸出しん画像をお前さんの友人の誰かに貼られましたってかい。」
呆れた翔が話を纏めるが志郎は違うと首を振る。
「後藤ちゃん大学で密かに人気あるから女の子とか写真欲しがるんだよ。サークルの後輩にあげたのが流れちゃったみたい。それを後藤ちゃんに振られた子が手に入れて腹癒せに貼ったって感じかな?」
「画像渡したおめーが元凶じゃねぇかい。」
楽しそうに笑っている志郎へ手に持っていたお玉を投げつけた。額にヒットしてそこそこ大きめの音がする。渡すにしてももっとマシな写真があったはずだ。よりによって誤解を生むような紛らわしいものを選ぶなど悪意があるとしか思えない。
「イタタタタ。」
火を止めダイニングへ出ると床のお玉をテーブルに置いて煙草に火をつける。おでこを摩りながら志郎も手先で遊んでいた煙草を銜えた。
「それにしても柊さんも危険なことするねぇ。」
さすが人気のホステスだといいながら煙草に火を点けた。
「愛路はモテるからのう。虫除けじゃと。」
つまり誰も手を出すなという意味を含んだ所有印だ。服で隠れない箇所につけられた小さな欝血痕には色々な意味が含まれている。
「愛路とおれてええなぁ言うて俺に嫉妬されたしのう。柊さんも寂しいんじゃろうて。」
見えるところにつけるのはマーキングの意味。つまりエンゲージリングと同じ予約済みということだ。夜の営みがあったというサインなので常識的な大人はしない。更に男性が首につけていると社会人では評価が悪い。
翔は出かける直前に見つけ、電車に乗りながら慌てて志郎にメールしたのだ。志郎や翔など本当に親しい人間ならばまだしも、付き合いの浅い人間に見つかってからかわれれば羞恥のあまり高所から飛び降りかねない。
「後藤ちゃんも好きなら付き合っちゃえばいいのにね。柊さんにデレデレじゃん。」
「あん二人は無理じゃ。」
翔は煙を吐きながら天井を仰いだ。
「まぁ相手は五つも年上だし、男相手の商売だから気苦労もあるだろうけどさ。」
対して愛路は奨学金で大学に通い、バイトで生活を繋いでいる身だ。一応、面倒を見てくれる親戚がいるのだが翔のマンションに入り浸りで帰っていない。
「好きになっちゃったもんは仕方ないと思うけどねぇ。」
恋は落ちるものなんだから仕方ないと何処かで聞いたような一節を呟きながら志郎は煙を吐く。
「あん二人は互いが互いを好いとうん知っとうし一緒にいたい筈じゃ。」
ガリガリと頭をかきながら短くなった煙草を灰皿に押し付けると、もう一本取り出して火を点ける。あまり広くない空間で二人が煙草を吹かしている為、部屋は白っぽい。
「だったらさっさとくっつけばいいのに。」
「柊さんも柊さんじゃし、愛路がなぁ。」
勢いに任せて話すがその先を言っていいのか迷い、翔は言葉を切った。
「なんちゅうか、もう少し大人にならんとならんのじゃって。」
肝心な部分を濁すような言葉で翔は纏めた。愛路も誕生日がくれば二十歳だ。年齢的な大人であれば問題ないはずだ。日本の法律では18歳で結婚も許されるのだから。
精神的な大人であっても問題ないように思える。同年代の人間と比べても多少ひねくれているがしっかりしているほうだ。
「柊さんもな、まだ愛路とは一緒になれんて言っとってのう。」
傍から見れば愛路も柊も意地を張っているだけだ。見ているほうがヤキモキしてじれったい。しかしそれは事情を知らない第三者の意見であり、事情を知る第三者は見守るしか出来ないのだ。
「後藤ちゃんってば翔君には何でも言うんだ。」
「何でもなんて話してくれん。」
翔は眉間に皺を寄せると深い息と一緒に煙草の紫煙を吐き出した。
「ここ何日かしょぼくれとってのう、一人でウジウジしよって鬱陶しい。」
「でもボクよりは懐いてるでしょ?」
溜息吐きながら志郎は翔の膝にのる半蔵を見た。
「酷いねぇ。後藤ちゃんも半蔵もボクが拾ったのに。」
寂しいなぁと哀愁の笑みを浮かべる志郎を再びお玉で殴った。
「世話しとんのは俺じゃい。」
「だって家はインコいるから猫とか無理だし、甘えっ子の弟いるから後藤ちゃんもアウトでしょ。」
「インコはともかく、弟はシローが甘やかし過ぎじゃろうて弟狂い。」
語尾の単語を強調して言ってやるが志郎は褒められたように顔の筋肉を緩める。
「だって可愛いんだもん。」
家族思いはいいことだが行き過ぎると気色が悪い。彼のブラザーコンプレックスは今に始まったことではないので翔は煙草の煙と一緒に不満を流した。
「ほうら半蔵。一緒に遊ぼう。」
志郎は猫じゃらしを取り出して揺さ振るが半蔵は見向きもしない。
今から4年ほど前、志郎は道端に捨てられてたといってダンボールに入った半蔵を持ち込んできた。元の場所に戻して来いと言ったのだが一緒に世話するからと懇願されてしまい仕方なく家に置いた。
トイレもすぐ覚え、爪磨ぎも所定の場所でしてくれる。食べ物を食い荒らすこともなく悪戯もしない。半蔵は全く手のかからない猫だった。
猫は家に懐くと言うがこの場所が居心地良かったのかほんの数日で慣れてしまった。よく躾けられた捨て猫だった。
そして3年近く前、志郎は拾ったと言ってリンチに遭ったかのように怪我した愛路を背負って持ち込んできた。元の場所に戻して来いと言ったのだが一緒に世話するからと懇願されてしまい仕方がないと頷きかけた時、違うだろと怒りに任せて容赦なく蹴り飛ばした。
志郎まで卒倒してしまい仕方なく意識のない二人の世話をすることになったのだ。
目を醒ました愛路は警戒して、食べ物を出しても手を出さない。何を話してもだんまりで人慣れしてない野良猫のようだった。
「ほんに変わるもんじゃのう。」
当初と現在を比較して渇いた笑みが浮かぶ。
「あはは。それで今日の夕飯は豚汁かな?」
「食うて帰る気か?」
びっくりしたと目を丸める翔。
「だって翔君の料理だよ。食べなきゃ損だって。」
志郎は立ち上がって腕を捲くると二人分の皿を取り出す。勝手知ったる家の事でテキパキと夕飯の準備は整った。
鼻歌交じりに炊き立ての米を盛る志郎を見ながら翔は三本目の煙草に火を点けた。
(◉ω◉)二人とも愛煙家ですがヘビースモーカーではないです。
志郎は学生で構内は禁煙だし翔は昼の休憩時間と家でしか吸えないので2日で1箱いくかどうかくらい。
一昔前は何所でも吸えましたが今は喫煙所すら探さないと見つからない愛煙家には世知辛い世の中です。一部のマナーの悪い愛煙家が齎した分煙ですね。