10th piece Smiling weapon
「マナってさ笑わないよな。」
食後のコーヒーを口にしながら向かいに座る青年が囁くように言った。
「何だよいきなり。」
「俺といても楽しくない?」
口説くように首を傾げる青年の名前は針間 湊。5歳の頃から愛路の両親が亡くなるまで毎日仲良く遊んでいた幼馴染だ。
引っ越してからずっと連絡を取ってなかったが半年ほど前に偶然再会し時々逢っている。
「気色悪いこというんじゃねぇ。酔ってるのか。」
「まさか。ただ昔はもっと笑ってたなって。」
ゆるゆるとカップを揺らしながら遠い目をした。育ちがいい為、物腰柔らかで仕草や服装も上品に纏まっており絵になる。更に優しくて誠実な湊は誰からも厚い信頼を受け人気がある。
「猫かぶりしてねぇし。」
氷で薄まったコーラを飲みながら言えば呆れたような顔をされる。
「そうゆう愛想笑いとかじゃなくてさ。」
「笑うと疲れる。」
「疲れるって。」
ぶっきら棒な言い方に湊は溜息を吐く。
「俺からすれば常にヘラヘラ笑いこけてるてめぇの方が不気味でならねぇな。」
「そりゃあ人生うまくいってて大学生活も楽しいからね。可愛い彼女もいるし。」
確かに通う大学は難関といわれている有名国立大学であり、その中でも湊は将来を期待された成績上位の優等生。更に高校生時代は全国模試で10位以内、空手のインターハイで準優勝まで上り詰めた実力者だったらしい。そしてそこそこ上流の家庭環境で整ったルックスとくれば20歳にして人生の成功者といってもいいだろう。
英仁が愛路のことを才色兼備の文武両道だと騒ぐが湊を前にしたら裸足で逃げ出したくなるような実力差だ。
ただ文句をつけるとしたら一つ。
「可愛い彼女ねぇ。女の趣味悪くね?」
己のタイプから掛け離れている所為もあるだろうが湊の交際相手である杏に対して長所が見当たらない。
素直な愛路に苦笑した湊がコーヒーのおかわりを頼んだ。
「似たもの同士は反発するからな。」
「ああ?」
「寂しがりなとことか少し似てるかも。」
穏やかに語られる言葉に抗議するように睨みつける。百万歩譲って似ているところがあったとしても杏に重ねられることだけは我慢ならなかった。
「そうゆう怒りっぽいところもね。」
毒気を抜かれるとはこうゆうことなのだろうか。
文句を言ってやろうと開いた口は湊の先制攻撃が功を成し、音を発することも無く閉じることとなる。
最早怒る気も失せた。
彼に口で挑もうと拳で挑もうと敵う筈がないのだ。
「で、何のようだ。」
「用がなきゃ逢えないのか?」
「チャラいこと言ってんじゃねぇよ。」
苛々とグラスを傾けそこに残った氷を食べる。怒りに任せてガリガリと噛み砕いた。
「元気にしてるかなって思っただけだよ。いつでも逢えるわけじゃねぇし、マナは電話でねぇしメールも返さねぇし俺は心配だよ。」
「お前は俺の母ちゃんか。」
昔から世話焼きで心配性だった。一見、誰にでも優しく見えるがそれは表だけで大切な人間にしか優しさを見せない。
湊は一度敵とみなした相手には容赦しないのだ。子供の頃、同級生に泣かされたときなど随分と助けられた記憶があるから尚更だ。
優しい顔した人間ほど怒らせると怖いと言うが正にその人物だった。
「今日はいつにも増して機嫌悪ぃな。何拗ねてんだ。」
「話したら機嫌とってくれんのかよ。」
投げやりに話を合わせる湊は視線を上にして考える。暫くした後、頬杖を付きながら視線を絡め雰囲気たっぷりに微笑む。
「Tu es mon ange, C'ast-a-dire, je t'aime.」
完璧な発音で綴られた文脈に頭を抱えた。男に対して僕の天使だの愛しているだの気色悪い。
意味は解らなかっただろうがコーヒーを持ってきたウェイトレスが赤面している。
「機嫌治った?」
もし愛路が湊に好意を寄せる頭の弱い女であれば大喜びしたかもしれない。恐らく杏ならばこの一言で全て水に流すだろう。しかし愛路は男だ。女だったとしてもビターチョコのようにほろ苦い一昔前の恋愛映画に出てきそうな甘ったるい台詞に落ちるほどロマンチストではない。
「Comma ami, th es charmant!」
湊と同じくフランス語を用いて友達としてなら素敵だと言ってやれば噴出して笑われた。
「可愛くねぇの。」
「俺に可愛さ求めんな。」
もう一度、湊は可愛くないと言ってコーヒーに砂糖を加えた。
「俺じゃなくてもいいからさ。少しは人を頼れよ。まだ一人でウジウジ悩む癖抜けてねぇだろ。」
何も反応しない愛路。沈黙を肯定の意としてとらえたか湊は話を続ける。
「大きなお世話かもしれないけどさぁ、マナは直ぐ顔に出るから丸分かりなんだよ。明らかに悩んでます拗ねてますって顔に書いてあるのに誰にも言わねぇじゃん。見てるこっちはウザイだろ。」
「人呼び出して説教かよ。」
「だから拗ねるなって。」
湊の言葉通り不機嫌を顔に出し、不貞腐れるとゲラゲラ笑われた。
「やっぱりここにいた。」
唐突に弾んだ声と一緒にめかし込んだ杏が湊の隣に座る。
「杏。今日はマナと二人で話したいからって言っただろ?」
「だって、逢いたくなっちゃったんだもん。彼女と幼馴染どっちが大事なの?」
究極の二択を迫る杏に湊は諦めと呆れを混ぜた息を吐いて苦笑する。
「杏、今夜はマナの方が大事なの。」
「浮気者。」
「いやいやいや、友達と逢って浮気だったら毎日どころか毎時間が浮気だよ?」
アホらしいと息を吐いた愛路は財布から数枚紙幣を取り出すとテーブルに置いて席を立った。
「邪魔者は消えるんでごゆっくり。」
「待てよ。」
手を掴んで止めようとするがするりとかわされてしまう。
「次、呼び出すときはまともな用がある時にしろ。」
店を出て行く愛路を湊はテーブルに置かれた紙幣と伝票を持って慌てて追い掛ける。急いで会計を済ませ駅へ向う途中で愛路を捕まえた。
「何怒ってんだよ。」
「怒ってねぇよ。」
怒ってないと言うが表情から愛路の機嫌が悪いのは明らかだ。杏が来た事で急降下したのは間違いないがここまで仲が悪かっただろうか。
「マナってばお昼のことまだ怒ってんの?」
ヒールの所為で遅れて追いついた杏が不機嫌の原因をずばりと言い当てた。何の話だと湊は首を傾げる。
「今日のお昼にねぇ、マナの噂話で盛り上がったの。先輩とデキてるって話とか。」
「杏。」
咎めるように愛路が杏を睨む。
「何だよデキてるって。マナ恋人いたのか?紹介しろ。」
噂の相手を知らない湊は嬉しそうに話に食いつく。
「ダブルデートとか面白そうだしねぇ。」
「杏。」
本気の怒りを悟って杏は今度こそ黙る。愛路は女だろうと容赦はしない。手を出さなくても聞くに堪えない暴言を浴びせて泣かせるくらいはするだろう。
「落ち着けって。」
湊は二人の間に割って入り、愛路を宥めて杏を庇う。
「噂話で人からかって楽しいかよ。」
「言っとくけどね、マナだって悪いんだよ。」
己の恋人を盾にしながら杏は負けずと反論した。
「何で俺の所為になるんだよ。」
「面白そうだから調べてみたら、マナがこっぴどく振った女子が腹いせにマナは男が好きなんだって言いふらしてたんだもん。」
予想もしなかった噂に呼吸さえも止めて驚愕する湊を無視して記憶を辿るとぼんやりと思い浮かんだ。
数日前か数週間前か朝か昼過ぎか夕方か人気のないところへ連れ込まれて交際を申し込んだ女だろうか。それとも人通りの多い所で断られる筈がないという絶対的な自信と高飛車な態度で告白していた女だろうか。その他にもいくつか断ったような記憶がトレーシングペーパーよりも薄く存在する。
「だめだ。思いだせねぇ。」
「どうせえぐい言葉で泣かせたんだろ。知らない子に興味ないとか、迷惑だから無理とか言ってさ。」
「マナの事だから道端に落ちてる虫を食べる趣味はないくらいの猛毒吐いたんじゃない?」
非難するような目で湊が的確に愛路の行動パターンを指摘する。追撃した杏の推測が限りなく正解に近いのだが己の平和の為に思い出さないままにした。
「それにしても女は怖いな。断るにしても言葉を選べよ。」
「マナ顔だけはいいんだから笑顔で悩殺しちゃえばいいんだよ。」
二人が告げた改善すべきところの提案に少し考えると愛路はにっこりと微笑んだ。久々に見た彼の笑顔に杏は思わず頬が紅潮する。そんな二人を見て愛路はくすりと笑うと顔を傾ける。己の容姿を最大限に活かした猫かぶりモードだ。
「偶然同じ次元に同じ種族で存在する関わりの希薄な異性に寄せる行為もかける温情も持ち合わせてないから。」
笑顔のまま優しく甘い声で囁かれた毒に湊も杏も肝を冷やした。心地よい声色で丁寧に告げられた酷い内容にとろけるような笑顔が拍車をかけて恐怖さえ感じる。
これならばいつもの仏頂面で『迷惑だ。失せろ。』と言われたほうがマシなのかもしれない。
「じゃあな。」
にっこり笑って会釈すると時間を忘れた二人を残して愛路は駅へと歩いて行った。
笑顔は鋼鉄の鎧であり、微笑みは威嚇行為だと思わずにはいられなかった。
◇針間 湊
杏の彼氏。愛路が10歳まで一緒に遊んでいた幼馴染。
(◉ω◉)愛路の毒舌はとある方々に仕込まれてます。