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Ⅱ マリオネット

   庭で子猫が三回

   呼んだ

   その数どうして決ったの


   軒の風鈴

   返事はひとつ

   どうして二つじゃいけないの


   ぼくはおつかい

   郵便局へ

   何の気なしにまわり道


   ぼくの名前と顔をして


 午前中いっぱい、友也は傍らの窓から下界の景色を見降ろしていた。

 前庭の芝生では、患者たちと付き添いの者たちが幾人か、透き通った陽差しを浴びてそれぞれの無言劇パントマイムを緩やかに綴っている。あたりを包む花壇にはパステル調の黄やくれないや空色の花々が淡くきらめき、7階からでは本物か偽物か見定めにくい。だが、微風があるらしく、時折、花影がそれぞれの仕方でかすかに揺らぐその揺らぎ方には、やはり有機体に特有の気色悪さが漂う。彼らは無機物である水と二酸化炭素(※1)と光を糖に変える一次同化によって、今この瞬間にも、世界を有機化し、蝕み続けているのだろう。

 庭の外には町が延び、町の向うには海が見え、海には船が浮び、その向こうは空に続いていた。広すぎる。沖を行く船が目に映る通りの大きさのおもちゃではない事をこの幾日かの間に友也は学んでいた。空が、手を伸ばしても決して触れることのできないほどに深い、実体を持たない空虚であることをはじめて知った時は、足場がいきなり崩れ去って行くような恐怖に襲われたものだ。この有機世界を占める全ての物は、劇場の大道具や遊園地のミニチュアなどではなく、彼らが「実物」と呼ぶ本物らしい。

 もう一度、前庭に目を戻し、散歩する人々の動きを見つめて考える。彼らには台本がないのだろうか。台本を失くした自分のように、どの人間も、どの花も、その場その場で即興を演じながら、筋書きのない今を生きているのだろうか?


 きょうはこの後、臨床医との面談がある。入院後はじめての精神科医によるカウンセリングだ。

 覚醒直後の数日を除けば、友也は自分の恐怖や敵意を表に出してはこなかった。できるだけ平静を装い、用心深く心を閉ざし続けてきた。得体の知れない相手に手の内を晒すなどできるわけがない。だが、どれほど自分を抑えていても、友也の混乱は隠し通すにはあまりにも大きく、様々な折にほころびを見せずには済まなかった。そらの恐ろしい奥行きをはじめて知った際、その場にしゃがみ込んでしばらく動けなくなってしまったように、とっさの反射行動まで抑えきることはできなかったし、エレベーターに乗った幼児が、動いているのは自分ではなく外の景色の方だと主張するのに似た、基本的な世界観の落差を隠しきることも難しかった。図らずもそうした本性を晒け出してしまった場合は、事故の後遺症を装って取り繕ってみせてはいたが、果してどれだけの効果があっただろう。彼らが友也の正体に気づいていても不思議はなかったし、友也がそれに気づいていることも、あるいは知られているのかもしれない。

 友也には、今日の対応への迷いがあった。目覚めてからひと月近く、怪物たちを心に踏み込ませたことは一度もない。医師や看護士は、こちらが余所余所しく振舞っておけばそれ以上近づいては来なかったし、「母」でさえ、打ち解けたふりをする友也に距離を置いていた。それで当面の孤独だけは保たれている。だが、それは正しいのか?

 このまま、いつまで仮面を被り続けて行くのだろう。この見知らぬ世界の病室でただひたすら心を閉ざし続けるだけで何かが変るのか。もし、このまま彼らが何も仕掛けて来なければ、「私」はこの有機物の容れ物の底に、永遠に独りで置き去られることになるだろう。独りでは決して脱け出せない。

 危険を冒してでも踏み出して行くべきなのか?だが、それは破滅を招きかねなかった。


 静かに立ち上った医者は、友也に訊いた。

「君は誰なの」

 広すぎない診察室に、天窓から明るい陽光が降り注いで来る。窓全体がすみれ色の空とまっさらな入道雲におおわれていて、この部屋だけが虚空に突き出た空中回廊のようだ。友也は目眩めまいを覚えた。

 言葉が出ない。そのまま医者を見つめ続ける。ここでは一度も見たことのない相手だ。怪物たちの顔の違いや表情が、今ではかなり見分けられるようになってきている。見かけは大人だが、一瞬、年上の少年がそこにいるかのような錯覚がよぎった。

「よろしく、鬼藤きとうです」

 簡素な椅子にかけ直すと、鬼藤は目だけで友也を招いた。友也は一つしかない診療机をはさんで斜めに置かれた重厚なソファーに身をうずめる。

 医者が向こうから、友也の前に三次元タブレットと電子ペンをよこした。

「何かつくってみて」

 友也は静かに従って画を描きはじめた。できるだけ正確に、力の及ぶ限りのディテールを施して、最も表現しなければならない物の姿を再現する。途中、作業を止めて壊してしまえと警告する己の制止を幾度も幾度も、強引に幾度となく振り捨てて「それ」を創り上げ、差し出した。

 怪物は、受け取ったホログラムをしばらく見つめると、一度だけ机の上でクルッと回して別の角度からも確めた。そこには、ぎごちなく両脚を投げ出し、上体を頼りなく起してうなだれた人形の姿が浮んでいた。手足や首には何本もの糸が結いとおされ、どの糸も空中にたち消えている。

「これは何?」

 怪物が訊く。

「ぼくです」

 友也はまっすぐに顔を上げると言い切った。鬼藤を見つめたが、表情の動きは全くわからない。

「君はマリオネット?」

 声が興味深げに探って来る。

「はい」

 友也ははじめて自分の言葉で物を言った。もう何も隠さなくて良い。

「何でできているの?」

「ガラスです」

「ふぅん … 」

 医者の口もとがわずかにほころんだ。苦笑ではないかもしれない。友也には得体が知れなかった。

 診察はそれだけだった。

                       (※1 二酸化炭素は無機物)



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