第7話「9歳児、退ける」
大木のような巨体を俊敏に動かし、その巨人はらるかの前に立ちふさがった。黒髪で浅黒い肌をしたその巨人は、困ったように両眉を下げていた。手には巨人の身長くらいある凶悪なバトルアックスを握り締めていた。
いかにも強そうなのが出てきたじゃないか。ボクは強く拳を握り締め、彼を睨みつけた。
それにしても当たり前だが、巨人を見るなんて人生で初めてだ。見上げても顔が見えないほど大きいな。
あれもらるかと同じように、モンスターなのだろうか。
【そうですね。推定討伐難易度は10といったところでしょうか】
また10かよ!インフレが早すぎるって!
巨人は片手でらるかをひょいとつまみ上げると、ボクらに会釈をし、そのまま背を向けて俊敏に林の中へ消えていった。ドシンドシンと、巨人の足音が響く。その度に、地面が大きく揺れた。
彼らが遠ざかっていく。直に、辺りに沈黙が訪れた。……終わったらしい。
「えっ……!?何!?何!?今の!」
「何だったんだろうな……?」
思わずそう叫んでしまう。モーリーも一緒になって呆然としていた。戦いに来たわけじゃなかったのかい。彼も世界統一戦線とやらの仲間なのだろうか。
【追いかけなくていいんですか?逃げられちゃいますよ?】
いや、ここで追い打ち掛けたらそれこそボクが悪者じゃないか。それにしても、彼は何者なんだ?
「これで、もう大丈夫だと思うけど」
いかん、ボーっとしてた。モーリーに声を掛けられてハッとする。モーリーは、イヴから手を離してぐるぐる肩を回していた。
「3日くらいは、寝たきりかもな」
「あれっ!?」
「うわっ!?」
モーリーが喋ってる最中に、イヴが跳ね起きた。
「生きてる!あれ!?何があったの!?」
流石タフガール。ボクとモーリーは顔を見合わせ、それからお互い目を逸らした。イヴは真顔で自分の身体を触っている。
「なんかやばい女の人に襲われて、腹切られて死ぬーって思ったら、強い衝撃がきて……い、今に至る。」
「そうだね。」
適当に頷いた。
イヴは死んだ顔をしてるボクに、力いっぱい抱き着いてきた。初めて気球に乗った子どものように目を輝かせている。
「リヒトが助けてくれたの!?」
「いや、まあ……」
モーリーの責めるような視線を感じる。じゃあ何だよ、正直に言えばいいのかよ。蹴り飛ばしてバキバキにしちゃいましたって。
「だってあんな強そうなの倒せる人、リヒトしかいないもんね!!すごい、すごいなぁ……!」
イヴは涙目になって、もう一度強く抱きしめてくる。
「ありがとーっ!」
お礼ならモーリーに言ってくれよ。何もしなくてもボクの株が常にストップ高なんだけど。
* * *
そろそろ日付が変わる。
ボクはマットレスだけ綺麗にして、寝転がって満天の星空を仰いだ。
寝るスペースだけは確保できたが、屋根もないから雨が降ったりしたら終わるな。いや、もう終わってると言えば終わってるか。
幸いなのは、壊されたのがボクの部屋だけだった点だろうか。
瓦礫が足に当たる。見やると、『目標:ギルドを組む』と書かれていた壁の瓦礫だった。自室は終わったけど、結果としてかなりレベルが上がったから、ギルドを組むという目標には近づいた気がするな。
それにしても肌寒くて眠れないので、ボクは暗闇の中、手探りでリビングまで足を運んだ。
あの惨状、父さんに何と説明すればいいんだろう。そんなことを考え、ぼんやりと椅子に座っていた。
程なくして、やけにくたびれた様子の父さんが帰ってきた。逆光で姿のシルエットしか見えない。ゆらゆらと揺れながら家に帰ってきた彼は、アニメの悪者の登場シーンのようだった。
ドアのない玄関に気付いて「はは」と乾いた笑みを浮かべてから、彼は物音を立てないようにそっと入ってきた。
「おかえり」
「どわっ!」
ボクが起きているとは思わなかったのか、ボクが声を掛けると父さんは大袈裟に驚いて後ろに数歩下がった。父さんの姿が照らされる。そこで、コートに大量の血が付着しているのに気付いた。
ボクがコートをまじまじと見つめていたからか、父さんは振り返って「全部返り血だよ」と自慢げに笑った。そんなに血が付くなんて、今日だけで何体のモンスターを倒したんだろうか。ボクは「派手にやったね」と笑った。
「そっちこそ、派手にやってくれたなぁ。」
父さんはボクの部屋の方向を一瞥し、再び乾いた笑みを浮かべた。
完全にボクの仕業だと思われてるな。というか、部屋一つ潰れてるのにノリが軽いな。流石ボクの父さんだ。
「ご、ごめん……」
「家がぼろいからな、多少のことは仕方ないが……まったく、何やったんだ?いや、明日聞こう。今日は疲れたから……」
父さんはコートからマッチ棒を取り出し、リビングのテーブルに設置されているロウソクに点火した。部屋が少しだけ明るくなる。
「それにしても、こんな時間まで起きてちゃダメだろ?」
「だって、家にいても寝るくらいしかすることないし。」
ボクはそう返して軽く笑ったが、父さんは急に真面目な顔つきになってボクの目を見た。
「そうだよな……お前も、もう9歳なんだよなぁ。いい加減、外で普通に生活したいよな。」
「えっ?」
ボクの年齢を覚えていたのか。少し驚いて、ボクは顔を上げた。
「悪いな。学校に行かせてやれなくて。」
「あっ、いや……」
ロクな思い出のある場所じゃないし、学校には全然行きたくないからそれは全然いいんだけど。
ボクの力が強すぎるせいで、学校に行くことも、友人と遊ぶことも、父さんには基本的に止められている。そりゃそうだ、握手で親の手を粉砕する子どもを外に野放しにしたら何が起こるか分からないからな。勝手に押しかけてくるイヴとモーリーに関しては、黙認されている節があるけども。
どうも父さんは、そのことを申し訳なく思っているらしい。
「今度、俺の仕事に付き合うか?モンスター討伐、きっと向いてるだろ。」
「えっ、いいの!?」
ボクは声を荒げた。
「……まあ、いきなりは無理だけどな。お前が家を壊さなくなったら、考えてやるよ。」
そう言って困ったように眉を下げ、父さんはくしゃくしゃとボクの頭を撫でた。
「誕生日おめでとう、リヒト。……プレゼントがあるんだ。今日渡せてよかったよ」
言いながら父さんは、かっこいい柄の付いた短刀をコートの裾から取り出した。鞘にも龍の刺繍が施されていて、いかにも高級品って感じだ。貧乏なこの家にあまりにそぐわない代物だ。無造作に渡してくる父さんに対し、ボクはやたらと仰々しく両手を掲げて受け取った。
「た、短刀……!?」
「かっこいいだろ、男の子ってこういうの好きだもんな!」
確かに、正直言って嫌いなセンスではないが……。
9歳児の誕生日プレゼントのチョイスとして、かなりズレてるんじゃないか?いかにも高そうだし、こんなところにお金をかけるくらいなら、日々の食事にお金をかけてほしいものだ。ずっしりと重みのある短刀を手に、ボクは若干引きつった顔で父さんに視線を向けた。
「あぁ、それだけじゃないぞ。刃物を贈ることには、災いを断ち切り、自分の手で未来を切り拓け、という願いが込められているんだ。」
父さんは、短刀を持つボクの手ごと、ぎゅっと握り締めてきた。
「散々な世の中だが……お前が望む未来を切り拓けるよう、俺は願っているよ。じゃあ、おやすみ。」
「お、おやすみ……?」
ダサいチョイスだと冷かしてやろうかとも考えたが、父さんがあんまり真剣にボクのことを見つめるのでボクは閉口した。
父さんは深いこと考えてこの短刀をプレゼントしてくれたみたいだが、ボクには気持ちがさっぱり分からないぞ。
ボクは父さんに手を振り、自分の部屋へ向かった。
ベッドの上でさっき貰った短刀を眺めながら、ボクは自分の未来に想いを馳せた。望む未来、かぁ。
今のボクの一番の夢は、ギルドを組むことだ。もうボクもそれなりに大きくなったし、少し現実的に考えてみよう。
ギルドを組むためには、まず城下町に行かなきゃならない。そして、そこで力を認められなきゃならない。しかも、ギルドは団体じゃないといけないから、最低仲間が一人は必要になる。きっとギルドを組めさえすれば、僕には力があるからどうにでもなるだろう。
ボクは落っこちてる壁の瓦礫の中で、そこそこ大きめのものを拾い上げた。貰った短刀を手に、ゴリゴリと文字を刻む。
まず最初にすべきことは、城下町に行くことだよな。こんな田舎で仲間集めなんかできないし。まるいち、城下町に行くと書いておこう。その次にすべきことが仲間集めだな。で、ギルドを組めたら、その先は頑張って階級を高めて、一番名誉なプラチナギルドに認められれば、もう最高の人生じゃないか。
よし、最高の人生のために、具体的に何をすべきか、順番に書いていこう。
『①城下町に行く
②仲間を集める
③ギルドを組む(ブロンズ)
④シルバーギルドになる
⑤ゴールドギルドになる
⑥プラチナギルドになる
⑦超最強』
こんなものか。なんて簡潔なフローチャート。一本道じゃないか。
最初にすべきは城下町に行くことだ……なんて言うは簡単だが、こんな田舎から城下町に行こうと思うと、馬車を使うしかない。そのためには、運賃を手に入れないといけないな。モーリーに頼んだら一発かもしれないが、これ以上迷惑をかけたくないし。となると、どうやって稼ごうかなぁ。
なんて将来のことを思い描きながら、ボクは大きくあくびをした。流石に今日は疲れた。
短刀をテーブルの上に置いてから、すぐに眠りについた。
* * *
「おはよ!」
頭にガンガンと音が響く。重みを感じながら瞼を少しだけ開くと、見覚えのある少女の顔が視界に飛び込んできた。その衝撃で、寝起きの頭が急速にクリアになっていく。
「夜這いに来ました!」
「えっ……もう朝だけど……」
「だって夜は眠いもん」
そりゃあ9歳児だから、夜は眠くなっちゃうよな。
「……いいからどいて!っていうか、勝手に家に入ってこないでよ。」
イヴが、ボクのベッドに勝手に上がってきているのだ。馬乗りになって、ボクの顔を覗き込んでいる。今までも我が物顔で家に来るような子ではあったが、ノックもしないで勝手にベッドまで上がってきたのは流石に初めてだ。
「だって鍵かかってなかったし。というかドアもなかったし。……あたしだからよかったけどさ、不用心すぎない?」
イヴは悪びれる様子もなく、ボクの膝の上に腰かけた。確かに、ノックするドアもないんじゃしょうがないかもしれない。
「ま、この家は女の人の幽霊が出るって噂されてるし、普通の人はそもそも近寄らないか。」
「え?幽霊?」
そんな話は聞いたことがない。まあ、ボクが会話する人間なんて父さんとイヴとモーリーの三人だけだし、知らなくても当然かもしれないが。
気になったから追求しようとしたが、イヴの頭の中は別のことでいっぱいだったみたいだ。
「昨日、本当に大変だったね!あたしたちを襲ってきたのって、人じゃなくてモンスターだよね?」
「え、ああ……。」
「人型だったから、リヒトのパパも見逃しちゃってたのかな。それにしても、最近モンスターの出現が多い気がするんだ。駐屯兵に連絡して、城下町から応援を呼べたらいいんだけど……」
イヴは真面目な顔でそう口にした。
この世界には、騎士団というものが存在している。治安維持、モンスター討伐等の仕事を担っている、言わば警察のような存在だ。この村にも、騎士団の人が何人か駐屯兵として駐屯所に滞在している。
が、マジで弱くて何の役にも立たない。駐屯所で麻雀ばかりやってるクソ共だ。彼らが働いているところを見たことがない。
それでも村の治安が維持されているのは、ボクの父さんの活躍があるからだ。ボクの父さんはフリーの傭兵として、この村でモンスターを狩っている。そのおかげで、村人がモンスターに襲われる事件はあまりない。だから安心してくれ、と父さんには言われている。
「リヒトのパパだけじゃ、無理だよね。あたしのパパも協力してくれたらいいのに……。」
イヴはそう独り言ち、寂しそうな目をした。
聞くところによると、ボクとイヴの父さんは仲が悪いらしい。二人とも、過去に同じギルドに所属していたらしいが、ボクの父さんはギルドを抜け、この村の傭兵として働いている。対してイヴの父さんは、ギルドに所属したまま城下町でバリバリ活躍していると噂を聞いた。
二人で村を守る傭兵やってくれたら助かるのに。まあ、傭兵じゃ全然稼げないらしいから仕方ないか。むしろ何で父さんはギルドをやめて傭兵なんてやってるんだ?
「ていうか、こんなこと喋りに来たわけじゃないの!また助けられちゃったし、恩返しがしたいなって思って!ね、何かしてほしいことない!?」
そういうこと言われると申し訳なくて死にたくなるから帰ってほしい。
「あたしずっと一人暮らしだから、料理とか結構得意なんだ!オムライスとか!作ろっか?」
イヴはベッドから降りて、腰に手を当てて自慢げに言った。
「……それはありがたいけど、恩返しなんかされるほどのことじゃないから!それに、貧乏だから材料も材料費もないし……」
「ああ、それは大丈夫だよ。あたしの家から色々取ってくるから!あたしにリヒトのうなじ周辺の髪の毛を何本か分けてくれれさえすれば」
ボクは思わず、自分のうなじを両手で押さえた。
「……ボクの髪の毛何に使うの?料理?」
「いやあるとモチベが上がるから。リヒトが食べる料理にリヒトの一部入れたってしょうがないでしょ。入れるならあたしの髪の毛入れるよ」
「結構です」
その時、誰かが壁を叩く音がした。礼儀正しく、トントントンと3回ノック。モーリーではなさそうだ。
「すみません!リヒト様のお宅ですよね?」
女性の声だ。壁を叩いてるのは、扉がないからだろうか。それにしても、こんな辺鄙なとこにある家を訪問してくるなんて何者だろうか。ボクは立ち上がった。
「誰?女の人?」
イヴはボクより先に立ち上がって、勝手に玄関へ向かっていった。別に全然いいんだけど、ここはボクの家だぞ。
* * *
扉の前には、甲冑に身を包んだ人が立っていた。甲冑の女は、ボクを見つけると仰々しく頭を下げた。
「初めまして。私はポラリス騎士団第13支部所属、サリアと申します。リヒト様、貴方に依頼があって来ました。」
何だなんだ、全く話が読めないのだが。
“ポラリス騎士団”……。駐屯兵にはこんな仰々しい甲冑なんか与えられていないから、彼女は恐らく城下町からわざわざやって来たのだろう。彼女の背後には、ゴージャスな馬車が停まっている。
城下町の人間が、ボクに何の用だろう。
「い……依頼って、何ですか?」
「騎士団の指導をお願いしたいのです。城下町まで、共に参りませんか?」
何の話だ。何の話か全く分からないが、これは城下町に行く展開じゃないか?
フローチャートの①が早速達成できそうだ。