第6話「9歳児、善戦する」
「ちょっきん♡」
彼女が言い終える前に、ボクはモーリーとイヴを部屋の外に蹴っ飛ばした。
彼らはトラックにでも轢かれたかのように大きな弧を描いて宙を舞い、地面にぐしゃっと墜落した。
荒い息を整えながら、ボクは自分のお腹をさすった。……上半身と下半身は、無事くっついている。
見上げると、さっきボクの腹部を貫いていた黒い円が、空中で収束して消えていた。
なるほど、黒い円はギロチンの刃のようなものだろうか。「ちょきちょき」がセット段階で、「ちょっきん」が刃を振り下ろすターンみたいな。
「……なんだ、君がリヒトだったんだ~。ってか男児じゃないじゃん!嘘情報じゃん!」
「ブー!」「ブーブー!」
今度は大勢がブーイングする声が聞こえてきた。目を凝らすと、彼女は手に何か小さな電子機器を持っているようだ。あれでオーディエンスの音を出しているんだろう。
「ボク、男ですよ!」
言いながら、チラとらるかの向こう側、部屋の外に目を向けた。
二人とも血を流してぐったりしているが、腹を真っ二つにされてはいないようだ。よかった、いや何もよくない。ぐったりしてるじゃないか。強く蹴り上げすぎたか?最大限手加減したつもりではあったんだが。
「ちょきちょき」
彼女は表情を変えずにスペルを唱えた。直後、ボクの身体の真ん中を貫くように黒い円が出現した。ボクは甲高い悲鳴を上げ、その場を飛びのいて離れた。
「フーン、けっこー強いじゃん?」
甘ったるい声がする。らるかはまるで緊張感のない様子で、品定めするかのようにボクを見てきた。
「うん、殺せって言われたけど……君が望むなら、見逃してあげてもいいよ?利き腕と交換で♡」
せ、せめて利き腕とは逆の腕にしてくれよ。
どうしよう、彼女はボクが敵う相手なのか?大人しく、腕一本差し出した方が賢明かもしれないな。でもどうなんだろう、言うことを聞いたとしても本当に助けてくれるかなんて分からないし……。
「判断おっそー。ちょきちょき」
即答しなかったからか、らるかはボクの首元に黒い円を出現させた。
「ひあああ!」
完全に冷静さを欠いたボクは、尻もちをついて後ずさった。これもう殺されるやつじゃないか。
「ちょきちょき」
再びらるかがスペルを唱える。ボクの首に、また黒い円が出現する。まずい、腰が抜けた。身動きが取れない。これもうゲームオーバーじゃないか?
「でやああ!」
くそ、タダで死んでたまるか。ボクはやけになって、地面に落ちていた瓦礫を拾い、らるかに向けて思いっきり投げつけてやった。
雑な悪あがきのつもりではあったが、それは意外と威力を発揮した。
ボクの手から離れたその瞬間、細かな瓦礫が弾丸のようにらるかに襲いかかったのだ。ボクの腕力にかかれば、ただの石ころも銃弾に早変わり。
――ドドドドドドドド!!
投げた瓦礫は彼女の身体を幾か所も貫き、彼女の背後に生えていた杉の木に着弾し、凄まじい轟音を立てて倒れた。風圧に負け、部屋に残っていたベッドや机等の家具も、遥か後方に吹っ飛んだ。ボクを中心とするこの一帯に、まるで隕石が落ちたかのような惨状だ。
「いっだあああああああああ!!」
木々が倒れる轟音に混ざって、らるかの絶叫が聞こえてくる。彼女は右腕があったはずの場所を見つめて泣き叫んでいた。投げつけた石が腕に当たったのか、彼女の右腕は散り散りになったらしい。彼女の足元に、血だまりが広がっていく。
これ……絵面的にボクが悪者じゃないか。
惨劇を生み出した張本人であるはずのボクが、あまりの光景に真っ青になってしまった。訴えられたら確実に負ける気がする。さっきまで死が迫る気配を感じていたのに、今は別の意味で血の気が引いていく。
【おおっ……まさか倒しちゃうなんて!流石ですね!】
女神は、手のひらを返したように称賛してくる。さっきまで祈ってた人のセリフとは思えないな。全然余裕で倒せたぞ。
たららたったら~!
【リヒト様のレベルが72に上がりました。
炎撃Ⅱ及びⅢ、氷撃Ⅱ及びⅢ、雷撃Ⅱ及びⅢ、隷属Ⅱ及びⅢのスキルを獲得しました。】
ん?レベルが異常な勢いで上がってないか?
【そりゃあ、推定討伐難易度10のモンスターを退けたんですから。経験値も異常なほど獲得しますよ。】
これがゲームだったら本当クソだな。プレイ初日にボス級のモンスターと対峙し、地道なレベリングなしに強くなって。逆に新しくて面白いかもしれない。
【それより、モーリー様方は大丈夫なんですか?】
そうだ、腕を失って彼は大丈夫なのか?ボクは慌てて立ち上がり、のたうち回るらるかを放置して二人の元へ駆け寄った。
「モーリー、大丈夫!?」
モーリーは生気のない顔で何度か咳き込んだ後、ボクが吹っ飛ばした地面を眺め、神妙な面持ちで黙ってしまった。腕があった場所から、ダバダバと血とか変な色の液体が流れている。
腕の付け根に覗く白いものは……骨だろうか。ボクはあまりにリアルな惨状に、思わず息を吞んでしまった。
「う……で…………」
モーリーは震える唇で、そう発した。……腕?
ボクは部屋に戻って切断された腕を抱え、モーリーに手渡した。
モーリーはボクに支えられて身体を起こし、切断された腕を、肩の接着部にくっつけた。
「り…………りか、ば……」
彼がそう唱えると、付け根がぽわっと光り、ダバダバ流れていた血の流れがみるみるうちに収まった。グロテスクな色をしていた腕が、生気を取り戻していく。
すごいな、完全にもげても回復スキルならくっつけれるのか。人体の神秘だ。
しばらくそうした後、モーリーはゆらりと首をボクの方に向けた。
「お……お前は、大丈夫だったか?」
ボクは鼻を手の甲で擦った。
「いや大丈夫じゃないよ。ほら、鼻血」
【全然大丈夫じゃないですか!紛らわしいんですけど】
鼻を打った覚えもないし、多分らるかに迫られてテンパって、頭に血が上って鼻血が出ちゃったんだろうな。我ながら情けない。
「じ……じゃあ、イヴを治さないと……」
モーリーは瀕死の状態で、左腕を地面について立ち上がろうとふらついた。
「だ……だめだよ、動いちゃ!死ぬよ!?」
「で……でも、イヴが……」
コイツ、あんまり知らなかったけどめちゃくちゃいい奴だな。ボクはモーリーから手を離して立ち上がった。
「ちょ……ちょっとここで座ってて、運んでくるから!」
イヴは口から血を流し、気を失っていた。モーリーに関してはらるかが腕を切ったせいもあるけど、イヴの怪我は100%ボクが悪いんだよな。申し訳なさで胸がいっぱいになる。
ボクは腰をかがめてイヴの背に手を回し、お姫様抱っこしようと抱え込んだ。ちょっと力んだその瞬間、力加減を誤ってしまい、イヴの身体はぶっ壊れた折りたたみ椅子のようにV字型になった。バギャっと、人間から出てはいけない音が響く。
「うわあああああああああああ!!」
今日一番の絶叫が、ボクの口から飛び出た。
ボクの腕の中で、イヴがガクガクと血を流して震える。やっちゃった。
「どうしようどうしよう!モーリー助けて!イヴが!」
バキバキのイヴを抱えてモーリーの前に下ろす。モーリーは元々悪かった顔色をさらに青くして、目の前の多分生きてるイヴを丸い目で見つめた。
「おまっ……おま……何してんだよ!」
「バギャってやっちゃった!バギャってなっちゃった!!」
「ブー!」「ブーブー!」
ブーイングが聞こえた。レコーダー特有のザラザラとした音質だ。ボクは慌てて振り返った。
彼女は残った左手にレコーダーを握り締め、ボクのことを潤んだ瞳で睨みつけている。
「えっ……殺してなかったのか!?」
モーリーは顔だけボクに向けて、「信じられない」と言いたげな表情をした。
またやらかした。レベル上がったし、倒したものかと勘違いしていた。まだ生きていたのか、流石モンスターだ。
というか、見た目が完全に女性なんだぞ、そんな情け容赦なく殺せるわけないじゃないか。
なんて考えている場合ではなかった。途端、地震が発生したかのように地面が大きく揺れた。ドシーン、ドシーンと恐竜が迫ってくるかのような音がする。らるかの背後の、雑木林からだ。
げえ、仲間を呼ばれたのだろうか。
「も……モーリーたちは下がってて!」
「馬鹿か、怪我して立てねえよ!何とかしろ!」
高圧的に情けないこと言わんでくれ。ボクはモーリーたちを庇うように、立ち上がって腕を広げた。
らるかが血眼で、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。すごく不気味だ、ボクにあんなボコボコにされておいて、勝てる算段があるのだろうか。
唸り声が聞こえた。直後、現れたのは、恐竜なんかじゃなかった。
現れたのは推定4メートル、自宅程の大きな巨人だった。これまた、どう考えても強そうなのが現れてしまったな。怒涛の勢いで襲い掛かってくるじゃないか。
そいつはバトルアックスを手に、一歩一歩近付いてきた。