治癒術師はいかにして苦痛を愛するようになったのか?~聖女様は痛いのがお好き~
私はエマ・マリアリア。治癒術師をしています。
え、なぜ魔導師ではなく、治癒術師なのか、ですか?
それは、私が神より授かりし力は魔法の力ではなく、ただ人を癒す力、治癒術だからです。
私の治癒術は普通の魔法とは違い、魔力を消耗しません。そして、なぜか私は魔法が一切使えません。
全ては神がこの治癒術でもって、世のために尽くせと私に示された結果だと思います。
私はこの力に目覚めた時はいつかと言うと、母が言うには私がお腹にいる時から不思議と怪我がすぐ治り、病気もしなかったとのことですので、この世に生まれ出でる前よりこの力を得ていたのでしょう。
私が覚えていますのは、小さい頃、友人が怪我をして泣いていた時に急に私も同じ場所が痛くなって泣き出し、慌てた親がやって来たときには友人の怪我がすっかり治っていたことです。
そうです、私の治癒術は魔力を使わず怪我や病気の人を癒し、その苦痛を私が引き受けることで治す、そういったものです。
物知りの魔術師に聞いても、私のような力を持つものはなかなかいないとのことでしたので、やはり、神に与えられた力なのだと思います。
子どものころ、この力を積極的に使おうとは思いませんでした。なにせ、治癒する相手の苦痛をこの身に引き受ける訳ですから、当然、痛いし怖いです。もし、その苦痛が治らなかったら、そう思うと怖くて怖くて、とても私にこんな力がある、など主張ことはできませんでした。
ですが、あの日、今も鮮明に覚えています、14歳のあの日、王都の大通りで荷馬車に轢かれ死にかけた子どもに、すがり付くように叫ぶその子のお母さんを見て、身体が勝手に動いたのです。
道に横たわるその子に駆け寄り、傷口に触れました。全身に激痛が走り、頭をなにかで殴られたような強烈な衝撃を受け、私は全身の感覚が苦痛一色に塗りつぶされました。
時間にしても一瞬だったのでしょう、私が感覚を取り戻し目を開くと、ぽかんとしてこちらを見る子どもと、やはり呆然としているお母さんが視界に入りました。
その後、土下座せんばかりのお母さんのお礼を聞きながら思ったのです。私がこの世に生まれたのはこのためなのだ、と。
人を救うため、人の代わりとなって痛みを受ける。それで救われる人がいる。ならば躊躇う必要はありません。たとえ、永遠の苦痛に苛まれたとしても、誰かの笑顔のためこの力を振るおう、とそう決意しました。
だから、私は治癒術師なのです。
それから毎日、街角に立っては人を癒し続けました。ある時は病気の老人を、ある時は大怪我をした子どもを。その度に強烈な痛みを受けます。ですが、誰かの笑顔が見られるなら、誰かが幸せになれるなら、そう思うと、痛みに耐えることも難しいことではないような気がします。
そうしているうちに、いつしか私は巷では聖女と呼ばれるようになっておりました。
私には、癒す以外に何もできません。決して聖女などと崇められる器ではありません。私はただ、笑顔が見たいだけなのです。なのに、そう伝えると、皆さんそろって聖女と呼ばれるのです。さすがに大袈裟にすぎる二つ名ですので、どうしようかと困っていたところ、ある方に声をかけられました。
その方はこれから魔王の討伐に挑むという、若き勇者様でした。
「魔王討伐のため、聖女様のお力をお借りしたい」
そう仰いましたが、私は聖女などではありません、と一度はお断りしました。
しかし、その方、勇者様は街を襲った魔族との戦い、大怪我を負われてしまったのです。
私は必死に勇者様のもとへ走り、無我夢中で治癒を行いました。勇者様の傷は相当なもので、私が受ける苦痛も想像するに恐ろしいものでしたが、勇者様の勇気を思うと、躊躇うことは私自身できませんでした。
「くッ……うぅッ」
経験したことのないほどの激痛が私を襲い、思わず声が漏れました。
魔族が与える傷は、これ程までに苦痛を伴うのかと思い知らされました。と、同時に勇者様が魔族に立ち向かっていることは、本当に勇気の必要なことなのだ、とも思いました。
「君が癒してくれたのか?」
目を開いた勇者様が、そうお尋ねになりました。
私は頷くだけで精一杯でしたが、勇者様はそれで察していただけました。
「君を巻き込まないと、そう決めたのに、すまない」
不甲斐ない、と勇者様は仰いましたが、違います。最初から私が、勇者様のもとに控えていれば 、そもそも勇者様はこんな傷を負わなくてもすんだはずです。
「勇者様、私を旅のお供にお連れ下さい。私は勇者様のどんな傷でも癒して見せます。ですから、どうかこの私をお役立てください」
気がつけば、私の口からこんな言葉が出ておりました。そうです、私は勇者様のお役に立とう、そう思ったのです。苦痛の中で勇者様が目を開けられたとき、どれ程嬉しかったことか。この苦痛のお陰で勇者様が助かったのなら、何を厭う必要がありましょうや。勇者様のためならば、喜んでこの身を苦痛に晒しましょう。
こうして、私は勇者様のお供をすることになりました。といっても、私は戦う力はありません。魔法の知識もありません。器用な手先で罠を外すことも、鋭敏な耳で物音に気づくこともできません。ただ、ただ、人の苦痛を肩代わりして癒すことしかできません。
それでも勇者様は、私を必要だと仰ってくださいました。
ならば、私も勇者様のため、進んでその苦痛を受け入れましょう。そう、全ては勇者様のために。
私が苦痛を受ければ、勇者様が救われる。勇者様が救われることが、私の喜び。全ては勇者様のため、そのために私は苦痛を受けるのです。
それが私の望んだこと。
勇者様は、これからもっと困難な敵に立ち向かわれます。きっとその身に幾多の傷を負われることでしょう。ですが、勇者様には私がついております。どのような傷であったとしても、私が癒して差し上げます。そう、苦痛の末、勇者様の無事なお姿を見ることが、私の喜びなのです。
ある時の戦いで、勇者様が大怪我を負われました。すぐさま私が癒しを行いましたが、その傷は大変に大きく深いものでした。
「くッ!……あぁッ!」
不覚にも、勇者様の前で苦痛の呻きを漏らしてしまいました。
「どうかしたのか!?」
勇者様が心配して下さいました。しかし、私が勇者様の苦痛を代わりに受けていると、気付かれてはいけません。優しい勇者様のこと、私が苦しむのなら、もう一緒に連れていってはくれなくなってしまうでしょう。
「なん……でも、あり……ません」
精一杯、普通の振りをしましたが、声が出てきてくれませんでした。
「なんでもないわけないだろう!何があった!?教えてくれ!」
勇者様の優しさに私は涙が出そうでした。私はこの時、罪を一つ犯しました。勇者様に嘘をついたのです。体調がすぐれない、と。
勇者様はすぐに近くの町まで連れていって下さり、休ませて下さいました。でも、この時、私が本当に欲しかったのは、休息ではありませんでした。もっと、勇者様を癒したい、勇者様の代わりにその苦痛を受けたい、と、そのことだけを考えていました。
そう、勇者様の苦痛は私のものです。他の誰にも渡せません。私以外の治癒術師が勇者様と一緒にいたら、私はその者を許すことはできないでしょう。この苦痛は私が受けるもの、私だけのものなのです。
あぁ、勇者様の苦痛の何と甘美なことでしょう。私がこの苦痛を受けている限り、勇者様は負けません。私は常に勇者様と共にあり、私がいる限り勇者様は不死身も同然なのですから。
法悦とはまさにこのこと、私は勇者様のお役に立てていることが、苦痛を受けることが何よりも喜ばしいのです。
さあ、勇者様、もっと私を喜ばせて下さい。もっと、もっと傷ついて、私に苦痛を与えて下さい。
私はあなたが命尽きるまで、お側におります。ですから私にもっと苦痛を。
やがて、勇者様は残虐の魔王を討ち滅ぼされました。そのときの苦痛たるや筆舌に尽くしがたい愉悦でした。魔王が倒れたとき、私もまた倒れ伏しておりました。
そして、勇者様の腕に抱かれ目覚めたとき、思い出したのです。私が何者なのかを。
私は被虐の魔王エマ・シルヴァリア。魔王シルヴァリアの生まれ変わりだったのです。私の力は癒しではなく、苦痛を奪うこと。
でも、これは秘密。勇者様がその生涯を終えられるその日まで、私がお側にお仕えするために、私の胸の中にしまっておく秘密なのです。
~END~