2.悲劇の序章
逃げて、また逃げて。
各地を転々としながらの生活は、身体にも精神にも負担が大きい。
ここで言う負担は、人間の母にとってという意味だ。
純血の父や、混血とは言え吸血鬼の力を持つ俺はともかく、純粋な人間の母には辛く過酷な旅だった。
母は俺たちを心配させまいと笑うが、次第に笑顔にも陰りが見え始め……
そして、若くして母は旅立ってしまった。
二度と会うことのできない場所へ。
母はずっと病を患っていたようだ。
必死に痛みを耐え、笑い続けた毎日に、母の強さを感じる。
俺にとっても、父にとっても、母は支えだった。
そんな母との別れは、死ぬことが出来ない父にとって、文字通り永遠の別れとなってしまった。
残された俺たちは、しばらく何も手につかなかった。
悲しみに打ちのめされ、身動き一つとれず蹲る父。
その隣で涙を流していた俺の腹が鳴って、父は立ち上がった。
「……俺がしっかりしなければ。あいつの分まで、プラムを立派に育てるんだ」
父の力強い言葉は、俺の耳にも届いていた。
最愛の母を失った悲しみは消えない。
それでも託された者の責任を果たそうという覚悟が伝わって……
俺も涙を拭った。
母の想いを受け継いだのは父だけじゃない。
俺も……母の代わりに、父を支えなければ。
もしも、母が俺たちを見たとき、ちゃんと笑ってもらえるように。
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最果ての山奥。
誰も寄りつかないような秘境に、小さな街があった。
その街に名はない。
あえてつけるなら、吸血鬼の里。
純血の吸血鬼たちが暮らす街に、俺たちは足を運んだ。
人里で暮らしていくには、俺たちは異質過ぎる。
母がいなくなった影響も大きかった。
そこで父は、一つの賭けに出ることにした。
「――ん? お前は……デビスか」
「はい。ご無沙汰しております」
「ふむ。で、その子供は何だ?」
里に入った俺と父を、吸血鬼たちが出迎えた。
出迎えというのはピリピリしていて、睨まれているようで緊張する。
「私の眷属です」
「ほう、眷属を作ったのか。何故だ?」
「ただの退屈しのぎの一環です。眷属を作ることは、別に禁じられていなかったはずでしょう?」
「……」
父と話している男が、俺のことをじっと見つめる。
疑っているのだろうか。
フードで顔を隠し、日の光が当たらないように着込んでいるから、確かに怪しくは見える。
「……顔を見せてもらえるか?」
「はい」
俺は言われた通り、被っていたフードを脱ぐ。
黒い髪と赤い瞳は吸血鬼の特徴、加えて無尽蔵の魔力。
それを見せることで、俺が吸血鬼であることを証明する。
こういう展開を予想して、日が沈んだ頃に里へ入ったが、どうやら正解だったようだ。
「ぬしの名は?」
「プラムです」
「そうか……良かろう。長旅の疲れを癒すが良い」
「はい」
男がそういうと、集まっていた他の吸血鬼たちが散り散りに去っていく。
どうやら最初の関門は突破で来たらしい。
表情には見せない父も、内心ではホッとしていることだろう。
掟を破った者が、掟を定めた者たちの元に戻る。
中々分の悪い賭けだが、異質な俺を育てる環境として、吸血鬼の里ほど適したものはなかった。
だが、大変なのはここからだ。
混血であることがバレないように生活しなければならない。
幸いなことに、吸血鬼同士は不干渉が基本で、こちらの事情に入ってくる者はいない。
順調だった。
滞りなく、不便もなく日々は続いた。
俺がもう少し大きくなって、自立できるまで成長すれば、こんな風に隠れ住む必要もなくなる。
あと少し……もう少しの辛抱。
気の緩みはなかった。
そうだとしても、隠しきれなかった。
なぜなら、俺の身体は成長していたから。
人間とは違う時間の中でゆっくりと、しかし確実に変化していた。
その変化は、永遠を生きる吸血鬼にはないものだった。
俺たちへの疑いの目は、日に日に増えていく。
そして遂に――
「デビス貴様……掟を破ったのだな!」
俺たちの嘘は暴かれた。
疑念の目が増え、問い詰められ、日の元に出されたことがきっかけだ。
俺の身体はまた燃え上がり、死の苦しみを味わった。
父が庇って燃え尽きる前に影へ入り、何とか助かったものの……
「日の元に出れぬ身体……やはり混血か」
「掟を破るなど……デビス! 貴様何を考えているのだ!」
「……申し訳ありません」
父は同胞から非難された。
罵詈雑言を浴びせられ、殴られ斬られ。
吸血鬼は死なないだけで、痛みに強いわけではない。
殴られる痛みも、斬り落とされた腕を見る精神的苦痛も、ちゃんと感じる。
そうして、父はいたぶられ続けた。
まるでストレスのはけ口にされるように。
次第に治まって、落ち着いた頃、父は同胞に告げる。
「私とプラムは出ていく。もう二度と、この地へ足を踏み入れない。それでどうか……」
「いいや、出ていくのはお前だけだ。デビス」
「なっ、どういうことですか! じゃあプラムは!」
「混血の子供はここに残ってもらう。以後、この地から出ることを禁ずる。デビスお前は、すぐにこの地から去れ、そして永遠に近づくな」
「そんな! 待ってくれ!」
父の前に、同胞が立ち塞がる。
「去れ!」
「父さん!」
「プラム!」
暴れる俺を押さえつける男たち。
父は抵抗しようとしたが、人数の前になすすべもなく敗れ去った。
まさしく悲劇だ。
母を失い、父とも引き離されて。
俺は……一人になった。