10.吸血衝動
案内されたのは最上階の部屋。
ベッドも二つあって、広々としている。
簡易的だけどシャワーもあった。
中心部から離れて人気のなさそうな宿屋だけど、中々悪くない。
「良い宿が見つかったな」
「あ、あの……」
「さて、今日はもうゆっくり休もうか」
「あの!」
突然ラルフが大きな声を出した。
ベッドに寝転がる寸前だった俺は、慌てて起き上がる。
「な、何?」
「さっきのお金は何ですか?」
「何って、お金はお金だけど」
「そうじゃなくて! あんな大金いつ用意したんです?」
「いつって、出す直前だよ」
「直前……まさか――作ったんですか?」
ようやくラルフも察したようだ。
その通り。
さっき差し出したお金は、俺の物質創造スキルで作り出した物だ。
そうじゃなきゃ、千年引き籠っていた俺が、現代のお金を持っているはずもない。
「だ、駄目じゃないですか! そんなの詐欺ですよ!」
「ちょっ、声が大きいから。一旦落ち着いて」
こういう反応になることは予想できたけど……
ラルフは優しくて、同じくらい真面目だ。
「確かに騙しているような物だけど、スキルで作ったお金は本物だよ」
「で、でも騙してることは同じじゃないですか」
「そうだね。だけどこうでもしなきゃ、泊る所すら確保できない。それが今の……吸血鬼の置かれている立場なんだ」
「ぅ……それは……」
辛そうな顔をするラルフを見て、本当に根から真面目なんだと再認識する。
わかってはいても、割り切れない。
そんな感じか。
「無理に合わせなくて良い。嫌なことはしなくても良い。そういうことは俺がする」
「そんなの卑怯ですよ。嫌なことばかり押し付けてるだけで……」
「良いんだよそれで。俺は嫌なことなんて思ってないし、生き残るために最善の選択をする。それが千年間で選んだ生き方だ」
手段を選んでいたら、純血には届かない。
完全無欠の存在に手を伸ばすということは、同時に犠牲を払うことも覚悟しなければならない。
そこに関して悩む段階は、とっくの昔に超えている。
「生き方……そんな風にはまだ……」
「伊達に千年引き籠ってないからね。別に良いことってわけじゃないから、真似はしなくていいよ」
「……はい」
割り切れない気持ちを飲み込んで、考え込んで。
サバサバした吸血鬼にはない……人間らしい悩みだ。
「さぁ、今日もはもう休もう。長旅で疲れてるだろ?」
「はい」
純血なら寝る必要もないけど、混血はそうもいかない。
吸血鬼度が低い彼女は、人間と変わらない疲れや眠気に襲われる。
そして疲れているのは俺も同じだった。
ベッドに入って目を瞑ったら、すぐに意識が沈んでいって。
でも、早々に目が覚めた。
隣から聞こえてくる辛そうな声で。
「ぅ……う……っ」
「ラルフ? どうし……!?」
寝ぼけ眼で彼女に視線を向けた。
苦しそうに丸まって、額からは大量の汗が流れている。
何より一番驚いてのは、灰色の瞳が赤く染まっていたこと。
まさしく吸血鬼のそれだ。
「どうしたんだ? ラルフ!」
「だ、大丈夫……です」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ。どこか痛むのか?」
「ち、違います……これは……吸血衝動の所為で」
吸血衝動?
そう言えば、旅の道中にラルフが話してくれた。
吸血鬼には、相手の血を吸うことで魔力や生命力を吸収したり、眷属に変える力がある。
だから吸血鬼という名前がついた。
ただ吸血行為は極論、相手を殺すか眷属にする以上の意味はない。
あくまで吸血は一つの手段だ。
でも、現代に残った混血の吸血鬼には……吸血したいという衝動が突然押し寄せることがあるらしい。
俺は千年間一度もなかったから、吸血鬼度の高さが原因だろう。
旅の間はなかったけど、遂に彼女にも吸血衝動が現れた。
「いつもはどうしてるんだ?」
「ふ、普段は……仲間同士で血を……」
「吸っているのか?」
「はい……混血だから、吸血鬼じゃない血を取り込めるから……それで」
吸血鬼ではない者の血が、衝動を抑える薬なのか。
俺も半分は人間だから有効だろうけど……
「俺の血は吸わないほうが良い」
そもそも吸血鬼にとって、同胞の血は毒なんだ。
彼女たちの対処が有効なのも、おそらく吸血鬼度が低いから。
そうでなくても俺の血には……
「他にないか? 衝動を抑える方法は」
「血……じゃなくても、体液なら……」
「体液って」
唾液とかそういう……いかん、変な想像をするな。
「あ、とは……肌を触れ合う」
「肌を? それで治まるのか?」
「一時的に……抑える……だけなら」
それが一番抵抗もなさそうだな。
よし。
「それでいこう」
と、選択したはいいもの……
結局後悔することになった。
いや、後悔というか我慢というか。
「お、落ち着いてきたか?」
「……はい。少し」
「そうか、良かった」
状況は全然良くないけど。
男女二人が同じベッドの上で、上半身裸で抱き合っている。
俺の胸にすっぽり収まるラルフの息が、地肌にかかる。
あーくそっ、人肌ってこんなに温かいのか。
心臓の鼓動も、呼吸のリズムも肌で感じる。
こんな所でも引き籠っていた弊害が……
「ごめんなさい。また迷惑かけて」
「き、気にするな。迷惑だなんて思ってないから」
「プラムは優しいです」
「君も優しいだろ」
「私は……」
まだ呼吸が荒い。
汗も流れているし、辛そうだ。
混血には弱点が多い。
彼女の話によれば、現代の吸血鬼はスキルのほとんどを受け継いでいないらしい。
血液操作はないし、物質創造も魔導具生成もない。
弱点ばかりが残って、それを補う術も知らない。
今までも……彼女以外にも、たくさん辛い思いをしてきたんだな。
「ラルフ、試験を受けるのはさ? 別に俺だけでも良いと思うんだ」
「それは……駄目です」
「でも、今より辛い思いをたくさんするかもしれない」
「わかって……ます。だけど、そのために私は……ここに来たんです」
苦しそうな顔で、ハッキリとそう答えた。
どうやら野暮な質問だったらしい。
「やっぱり強いな」
そういう意思の強さを感じて……少し、母さんを思い出した。





