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第54話:正義の秤(はかり)

 





 偉大なる正義の門番が放つ本気の神威………。

 背中がゾクゾクして………無性に喉が渇く。それに……頬を伝う感触が教えてくれる。これは………涙だ。 いつの間にか溢れ出た涙が頬を伝い、喉元へ下っていく。

 それでも、瞳を閉じることはできない。涙を拭うことも(はばか)られる。

 まっすぐに……何かを問うようなまなざし。それを遮るような仕草は全て、この場に似つかわしくない。そう、俺の心が理解しているらしい。

「―――っ」

 ………息を飲んだのは、眼前に広がる仕草の優雅さに思考を奪われた証拠。輝かしいルビーのようなオーラ。それをまとった純白の羽がゆらりと開かれ……美しい左右対称(シンメトリー)を示した。

「汝、陸人に問う」

「……はい」

 その瞳や仕草を見るだけで……その力強さに敬服し、その言葉に従いたくなる。心身を揺さぶる衝動―――……恭順。………どうしても抑えきれない……。今から起ること全てについて………心が答えを出してしまった。逃げられない、避けられない、動けない、断れないと………。

 眼前に示された黄金の天秤。まるで偉大なる大天使の意志が宿っているように、左右の皿が静止し、均衡状態を示す。

「右の皿には、カイトが天界にすぐさま帰る未来がある」

 ゆらりと、淡い炎が皿にのる。

「左の皿には、カイトをこのまま地上に留める未来がある」

 静に、青い炎が皿に乗る。

「汝の正義は、いずこにある?」

「………」

 俺の答えに、なにが委ねられてるんだろう。

 兄さんの未来?

 なんとなく…………それだけじゃない気がする。

 けど今、この疑問を口に出すことが………どうしても憚られる。問われたこと以外、口にすることを許されないような重さが、この部屋の空気を支配してるから。これが正義の門番たる大天使の力なんだろうか……。

 渇きをごまかすように喉を鳴らして。青い炎と赤い炎……その揺らめきを見つめながら、自分に問う。直観的に……そのどちらに、皿が傾いて見えるのか。そして……その傾きの理由はなんなのか。そこに………どのような正義が潜んでいるのか。

 …………気のせいかもしれない。

 でも心なしか、赤い炎が大きくなって……微かに天秤が傾き始めたように見える。

 俺は、兄さんが天界に戻ることが正しいと思ってるってこと?

 いや、そんなことはない。兄さんには、できたらずっと……地上に留まってほしいんだ。

 でもこれは………俺の我がまま、なのかもしれない。

 ……………いや違う。三バカ兄弟やジェイ、父さんや母さんの願いでもあるはずだ。みんなの幸せに繋がる選択のはずなんだよ。

 ……………………けど、違うのかもしれない。兄さんの幸福へと続く選択じゃないのかもしれない。天界に戻って神々と楽しく過ごす時間も、兄さんにとっては幸せな未来だろうから。守護神や五賢帝、その眷属のみなさん、天使や悪魔にとっても、幸せな未来に違いない。

 …………だって、地上にいても苦しいことばかりだ。

 星外の魔物やデミ・ゴッド、その背後にいる神々との戦いに身を投じる日々は、幸せとは言い難い。そのせいもあって、恋愛も……必ずしもうまくいってるとは言い難いと思う。人知れず、己を犠牲にしてまで星を救ったのに……兄さんは今、封印状態なわけだし。神々は、こんな状況に心を痛めてるに違いない。

 ………うん。こうした苦しみから兄さんを解放する未来、そして心を痛める神々に寄り添う未来に繋がると思えば、兄さんが天界に戻るって選択肢は……正しい。

 不思議だ…………。また少し……赤い炎が大きくなった気がする。

 揺らめく炎の膨張に押し出されるように、唇が動く。

「俺は………ずっと兄さんを、ヒーローだと思ってます」

 …………うん。

 地球にいた頃からずっと。

 兄さんは、予知のせいで、他人には理解してもらえないような暴挙にでることがあった。

 誰かの大きな事故やケガを防ぐために、授業や行事を台無しにして、人がそこに集まらないようにしちゃったり。体育館を水浸しにして、バスケの授業ができないようにしたときは、大反感をくらったとか。友だちを大きな怪我から救うためだったんだけど、理解してもらえなくて。クラスメートも、自分が救われただなんて理解しようもなくて。兄さんにヘイトが集まるだけだった。

 でも、俺と家族、何人かの友だちは、知ってた。暴挙はいっつも、誰かを救うための行為だってことを。予知が的中して気持ち悪がられても、予知を回避できたのに救った人からヘイトを稼いでも……。何度だって、最後の最後で勇気を出して、他人を助けた。そのたびに、鋭いナイフのような言葉で心を傷つけられながら………。

 自室にこもって、誰にも迷惑をかけないように気をつかって。俺や家族が、傷ついた兄さんを見てさらに傷つかないように……一人で自分を癒そうと踏ん張ってきた。

 うん………ずっとずっと、ヒーローなんだ。孤独な、人知れずみんなを救うヒーロー。泣いた赤鬼って物語に出てくる、青鬼のような損な役回りを続ける偉大なヒーローなんだよ。

 この星に転生してからも、ずっとそうだ。みんなを救い続けてる。人知れず邪竜と交渉するなんて、バカげた危険を引き受けまで………。

 だから………そうだ。

 うん………そうなんだよ。

「………今度は、俺の番」

「………」

「そしてみんなの番でもある。俺らが………………傷つく番だ」

「…………」

 青い炎が……大きく揺れる。

「兄さんに……会いたいっ」

 両の炎が勢いを増す。

「話がっ………したい」

 揺らめき………輝きを増していく。

「……汝の正義はいずこに?」

 片膝をついて天秤に手を伸ばす。

 手が触れずとも、言葉に出さずとも、秤はどうやら、俺の意思を汲み取ってくれたらしい。ユラユラと揺れた秤が静かに、でも思った通りに……決着を見せた。

「兄さんが地上に残る未来を。兄さんが無意味に傷つかぬように努めます。仮に傷ついたときは分かち合い、喜びの時を目指して共に歩む。そのために己が傷つく覚悟にこそ、わが正義は宿ります」

 天秤が輝き、放たれた光が天上へと昇っていく。

「……汝の正義、しかと受け止めた」

 そっと瞳を閉じたミカエル様の神威が………部屋を覆いつくす。

「フフフフフ? それであなたは、どうするのかしら?」

 先生の暖色のオーラが、優しく背後から俺を包んでくれる。

「………ディーテ殿。リクの言葉を借りれば………次は我らの番、だそうだ」

「フフフフフ?」

「我が意はもとより、リクの正義を支持すること」

「つまり………戦いを選ぶのね?」

「………えぇ」

「ちょっと待ってください! 戦うって……誰と誰が?」

「カイトを天界に戻せと騒いでるのは……あの神さ」

「あの神?」

「バカ社長よ。フフフフフ?」

「バカ社長? それってまさか―――」

「「創造神」」

 じゃあ、戦うって……創造神と?

「あと、ガブリエルも、カイトを天界の戻せ派だったわよね? フフフフフ?」

「そうね。これ以上カイトが傷つくのを見るのは………辛いの」

「……………ありがとうございます」

 ガブリエル様は愛情深いらしい。ツンツンして見えるけども。

「でも、誤解しないでね。私はミカエルと同意見よ。カイトのことを誰よりも知る弟―――リクの正義を支持するわ。それに、そもそも私は守護神と戦う気はないの。カイトが悲しむでしょう?」

「フフフフフ? 同感ね」

 え?

 ちょっと待って。まず……守護神のみなさんは、俺と同じ考えってことですよね?

 それから……ミカエル様の秤はつまり………大天使の皆さんが意思決定をするためのものだったってこと?

「つまり……俺の選択のせいで、天使と悪魔のみなさんは、創造神と戦うことに?」

 だとしたら、俺はとんでもないことを……。

 ……………ダメだ、吐きそうっ。

「フフフ? 大丈夫、落ち着きなさい」

 強められた暖色のオーラのおかげで、寒気と不安が瞬時に失われていく……。

「リクよ。正確には、加勢することに決めた……それだけのことだ」

「加勢?」

「えぇ。守護神は本件について、創造神に反対の意を、正式に伝達済みだそうだ」

「その通りよ? フフフフフ?」

 よかった……俺と同じだ。兄さんを天界に戻せというのは不当だと、守護神のみなさんは判断したってことだ。

「そして今、天秤より放たれた光により、天使と悪魔が加勢することが伝えられた」

「えぇ。事態は急変するわ。急ぐわよミカ―――」

「―――待ってくださいっ」

「リク、どうしたんだい?」

「本当に……いいんですか? 天使と悪魔のみなさんは、創造神と戦うことになっても?」

「あぁ。我ら天使と悪魔は、創造神に恩はあっても、従う義理はないからね」

「えぇ。それに恩も義理も、カイトの方がおおきいのよ。どう考えてもね」

「……………でもこの選択は」

 俺がした。兄さんがしたわけじゃない。

「もし俺の選択が間違ってたら……」

「リク……いや、偉大なるヒュム族が守護神カイトの眷属にして、最愛の家族たる陸人よ。我が天秤は正義を量る。それに、正義と正答は同一の概念ではない。正しい答えとは常に、正義の器のなかにある」

「ミカエル、まどろっこしい表現は止めてあげなさい」

「なんだよガブリエル、たまにはカッコつけたっていいだろ?」

「たまには? いっつもカッコつけてるじゃないの?」

「いつでも大天使ミカエルであろうとしてるだけさ? それがいけないことなのかい?」

「えぇ、そうね。時と場合によるのよ」

「あの……え?」

「……わかった。率直に言おう」

「わかればいいのよ」

「リク。未来に正解なんてない。大事なのはどんな未来を創りたいか、だ。そこにどんな正義があるかが大事なのさ。正しい答えは、そのなかで人々が見出す努力によってのみ創出しうる」

「………まだかたい」

「そうかい?」

「えぇ」

「つまり……そうだね。カイトのために、カイトの幸せを願う者のために戦えるなら、我らみな、本望。あとのことは………また考えればいいさ」

「………ありがとうございます」

 偉大なる神々が、ここまで言ってくれるなんて……。ウリエル様も兄さんのことをしたってるみたいだし……。ホント、神タラシだよね。

「ガブリエル、それじゃあ行こうか」

「えぇ」

「行くって……」

「あぁ。天と地の軍勢―――精鋭二十万。創造神の社へ急行する」

「本当に……戦うんですか?」

 創造神。

 おそらくこの宇宙のラスボス的強さを誇る相手だと思うんだけど……。それに、創造神って偉い神と戦うってだけで、とんでもない事態なんじゃないかな。

「恐らく、そうなるだろう。少なくともカイトの封印が解けるまで………時間稼ぎくらい、してみせるさ」

「時間稼ぎ………?」

 目覚めれば、兄さんの意思確認ができる。兄さんの意思確認ができれば、創造神も分が悪い……のか?

「あぁ。カイトが目覚めし後、天に戻るかどうか……本人がこの星に残るという意思を表明すれば、加勢する神々や眷属はさらに増えるだろう」

「えぇ。バカ社長はめんどくさいことが嫌いなの。この星の神々を全て敵にまわすような事態は避けるわよ」

「フフフ? 同感だわ?」

「ちょっと待ってください。今、この星の神々全てっておっしゃいました?」

「あぁ。守護神やその眷属―――従属神たる神々、大天使と大悪魔王の座にある神々…………」

「全て、ではないけれども。確かにそういって差し障りがないほどの神々が、カイトに恩を感じているわ」

「………神兄さんは、なにをしたんです?」

 ヒュム族の守護神として神様業をしてたってことは把握してるけど。ダンジョンを生み出して、みんなの幸福を追求したってことは理解してるつもりだけど。

「あなたのお兄さんはね、【神々の春】―――そういわれる黄金期を生み出した偉大なる神なのよ」

「神々の春………」

 春? 黄金時代ってこと?

「ミカエル、そろそろ行かないと」

「あぁ、そうだね。兄さんが動いてるわけだし」

「兄さんってルシファー様ですか?」

「あぁ。兄さんは既に社に向かってる。おそらく今回は………本気だ」

 大悪魔王ルシファーの本気…………。宇宙が吹っ飛びそうな気がする……。

「フフフフフ? では、ここは私たちが引き受けるわね?」

「えぇ、頼んだわ」

 美しい光のなかに………消えていく。

 優しい笑みとともに………。

「フフフ? ひとつめの戦いは避けられたわね?」

 ひとつめの戦い……。やっぱり大天使と戦うつもりだったってことだ。

「…………先生」

「フフフ? リク、私が誰の護衛かと聞いたわね?」

「はい。えっと現状では……兄さんと俺、ですよね?」

 仮に、天使たちが兄さんを天界に戻すという意思決定をしたのだったら、ディーテ先生は戦うつもりだったんだろう。多分、大天使ミカエルさんと。

 でも、現状は変化した。ミカエルさんはこちら側につき、相手―――創造神は孤立状態のはず。

 そうなると、手っ取り早く、兄さんに直接、手を出してくる可能性がある。

 そして……俺。俺は兄さんの弱みになる。俺になにかあれば、神兄さんが苦しむ。そして神兄さんが苦しむことを、多くの神々が厭う。

 …………つまりはからずしも、悲劇のヒロインポジションに兄弟で立たされてるわけか。

「えぇ。カイトが目覚めるまで、あなたとカイトを守れれば私たちの勝利ね?」

「つまり、地上に残るか、それとも天界に戻るか………兄さんの自由意思を尊重できるわけですね?」

「フフフ? 正解よ? トール、シヴァ神、そしてポセイドンも地上に降りているわ」

「ポセイドン先生も下界(こっち)に?」

「えぇ。カイトの傍にいるわ」

 …………とんでもなく心強い。

「具体的に………俺らは、誰から狙われてるんです?」

 創造神のところに、大天使と大悪魔王が向かう。そうなると……バカ社長はここには来れないだろう。

 つまりディーテ先生たちは、別動隊を想定してるってことになる。

 それって多分、創造神の部下……眷属だよな?

「フフ……覚悟なさい?」

「覚悟?」

「………強敵よ。フフ?」

「強敵?」

「えぇ………。相手は巫女よ。創造神のね」

「巫女って―――」

 ―――マジか。

 あの女神様は確か、巫女でもあったはず。

 創造神の………。





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