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振り返ってはいけない……。  作者: 黒田十羽
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第四話 【窓】


「あれ、美沙。カーテン買い換えたの?」


 ふと、思い立ったように祐里子は言った。窓際では太陽の光を吸収したオレンジがより鮮やかな色に染められている。


「うん。……なんかさ。この間の話を聞いたら、気味悪くなっちゃって」


 ティーカップにお湯を注ぎながら、美沙は答える。


「だけど、あの話って本当なのかなぁ。私はどこにでもある、作り話みたいに聞こえたけど」


 現実主義の祐里子は、自分で見たこと以外信用しないタイプ。興味はあれど、半信半疑の枠を超えることはない。けれども美沙は違った。


「確かに、ちょっと嘘っぽい話かもしれないけど……。なんだろう、なんか引っかかったんだよね」


 祐里子の真逆を行く美沙は、その時その場で感じた自分の感覚に重きを置いている。


「まぁ気分転換にもなったから、結果良かったってことにしておいて」


 そう言って、淹れたての紅茶をテーブルに並べた。

 ソファに腰を下ろし、真新しいカーテンに目を向けると、あの晩の記憶が蘇ってくる。


 ――先日、美沙と祐里子は大学の同じサークルに所属するメンバーと男女間交流会を開いていた。所謂、合コンである。そこで出会った男子メンバーの中に、奇妙な話をする男がいた。


 当初、美沙はその男が場を盛り上げるために、とか、どうにか女性の気を引くためにそんな話をしているのだろう程度に取り合っていた。ありがちな、それでいて定番化している『霊感』にまつわるネタ話。いったい何が面白いというのか?

 

 付け加えると、美沙は『霊感』を売りにするタイプの人間が嫌いだった。

 

 ただ不幸なことに、その男は美沙の目の前に座っていた。

 視線を外そうが否応なしに会話が届いてしまう距離。料理を口にしながら、お酒で唇を濡らしながら、意図して意識を分散させつつ話の内容を聞いている風を装っていたのだが。


「――暗い色のカーテンは、霊の通り道になるんだよ」


 その言葉を聞いた途端。美沙の目は吸い込まれるように男の目を捉え、研ぎ澄ませるように耳を傾けていた。


「ブラック、ダークグレー、ダークブラウンなんかのダーク系統の色がそうだね。一般には白い壁と組み合わせるとモダンな感じがしていいんだけど……」


 まさに、である。美沙の部屋にはダークブラウンのカーテンが取り付けられていた。

 ひとり暮らしを始める際、家具や部屋全体のバランスを見て購入した、お気に入りのカーテン。


「所謂霊道って言われるものとは違うんだけど。霊はね、暗い場所を好むんだ。だから、昼間よりは暗くなった夜、霊を見ることが多いでしょ」


 当たり前にそんなことを言われても……、霊なんて見たいわけないじゃない。

 美沙は心の内で反論する。


「だからね。玄関は明るい方がいい。玄関が暗いのって、なんだか気味悪いでしょ。例え霊を連れてきてしまっても、明るく、綺麗な玄関だと霊には抵抗感が出る」


 美沙は辟易していた。

 もう。霊なんてどっから連れてくるのよ。喉元までせりあがった思いを、視線に滲ませる。


「そして、大切なのが窓。ここのカーテンが暗いと霊が通りやすくなる。だから色選びが重要なんだよね。どうかな。みんなの部屋は大丈夫?」


 そう聞かれた瞬間。美沙は男の目が自分に向けられていることを意識した。

 しかし、ここで自分の家のカーテンが……なんて話を向ければ、話題はもっと肥大化していくだろう。好奇の目の集中砲火。自分に最も都合が悪い展開となることは明白だ。


 視線を外すか、適当な嘘を言って誤魔化すか。美沙が思案に揺らいでいると、突然、隣に座る祐里子が流れを寸断した。

 トイレに行こうと肩を叩く。

 終始、興味なさそうに聞いていた祐里子らしい行動ではあったが、渡りに船とはこのことである。

 助かった――美沙は快く頷き、祐里子の後を追った。


 次に二人が席に戻った時、話題は別の内容にすり替わっていた。


 それでも結局、美沙は次の週末を利用して新しいカーテンを購入したのだった。


「だけど美沙。本当に霊の存在なんて信じてるの?」


 カップを手に取り、琥珀色の水面を揺らしながら、祐里子が問い掛ける。


「別に信じてるってわけじゃないよ。だって幽霊なんてみたことないし……」


「ないし、……か」


 祐里子が意味深に悪戯っぽい笑顔を浮かべる。


「もうっ、やめてよ! 祐里子だって幽霊なんか絶対に信じないくせに!」


 確信犯とはこのことだ。祐里子は絶対幽霊なんて信じない。本人は、人並みに怖がりな方だと言ったりもするが、『見えないものは信じない』それが彼女のルール。

 

「でも、もしかしたら? って、思ったんでしょ。だからカーテンも替えた」


「だから、気分転換も兼ねてだってこと。全部あの話のせいじゃないんだからね!」


「はいはい。わかってますよ」


 

 ――祐里子が帰った後も、美沙は物思いにふけていた。

 

 幽霊なんて本当にいるのだろうか?

 そもそも、幽霊の存在を一番最初に伝えた人って誰?

 誰も見たことのないものだったら、幽霊なんて言葉すらないんじゃないのかな……。

 

 と、ひとり幽霊談義に迷い込む。


 仮に誰かが見たことがあって、それが幽霊だとすれば、当たり前に幽霊が存在するってことになる。

 存在するからこそ、幽霊って言葉があるってことだよね……。

 

 卵が先か鶏が先かに等しい展開に眉根を寄せる。そして、巡り巡って出た答え。


「やっぱり幽霊はいるんだ!」


 確信が声になって口を抜けていた。


 全く、自分で言っておきながら……ではあるが、幽霊という不可視かであったものの存在を肯定してしまった途端、頭の中が不安な気持ちで埋め尽くされてしまう。

 美沙はかぶりを振り、カーテンに目を向ける。夜になり一層濃く映るオレンジがとても鮮やかだ。


「大丈夫。こんなに綺麗なカーテンなんだし、幽霊だって入ってこない」


 あえてそう言わずにはいられない。また、自身を励ます上でも声に出すことは効果的だ。何事も切り替えは肝心。

 美沙は就寝の準備を始めた。気が付けば時計の針は二十三時を回っていた。 


 ベッドに横になりながら天井を見上げる。

 ふと無意識に、幽霊かぁ……と呟いていた。脳裏に染み付いた残滓感。打ち消すことは難しく、閉じ込めた不安が再燃してしまう。


 美沙は布団で額を隠した。そして自分に言い聞かせる。

 もう、私ったら。いつまでこんなことを考え続けるつもりなんだろう。こんな時は寝てしまうのが一番なんだんだから。


 無理にでも切り替えてやろう。そんな強い気持ちを巡らし、目を閉じた暗闇の中で睡魔の切れ端を手繰り寄せていく。が……。


 あれ? 携帯のアラーム。セットしてたかなぁ。


 このまま寝れるかもしれない、と感じたのも束の間。一度でも気になってしまえば無視することなんてできない。こっちは現実問題なんだから。


 とりわけ美沙は、寝坊癖があるわけではなかった。それでも稀に……が明日起きてしまうことは避けておきたい。


 目指す携帯電話まではツーアクション。灯りを付けるまでもない。

 布団から出て、手を伸ばして、とその時。


 ――!?


 暗闇の中で、視線の端が揺れ動いたような気がした。カーテンだ。

 美沙は顔を向け、目を細める。


 ……気のせいかな。まさか、窓が開いてるわけもないし。


 それでも不確定要素は気味が悪い。美沙は部屋の電気をつけた。改めて眺めてみるも、変わったところは見受けられない。


 見間違い、だよね。

 余計なこと考えてるからだ。錯覚、錯覚。


 なかったことにすればいい。思いながら、温もりの残る布団を心地良く感じ、眠りに就いた。

  

 どれくらい時間が経っただろう。


 ふと、眠りから目を覚ました自分に気がつく。

 ごく自然な目覚め。眠気も引き摺らず、不快感はない。いったい何時なんだろう。

 

 ベッドから這い出るように身体を動かし、腕を伸ばす。携帯電話を手に取った。


「まだ二時か……」


 思いの外、時間は経過していなかった。起床時間を考えると倍以上は寝れる。そう思えば得をしたようで気分もいい。布団に戻った美沙は体を丸め、枕に顔を埋める。瞼を閉じた。


 ――コンッ。


 まるで条件反射のように、瞼が跳ね上がる。

 耳が拾ったであろう音が、脳の中でリピートされた。


 何、今の。

 確かに、コンッ、って。


 眉根を寄せ、枕に沈む反対側の耳に全神経を集中させる。


 コンッ、コンッ。


 まただ! 間違いなく、今度ははっきりと聞こえた。

 やはり窓。音の出所は、あそこ以外にない。


 美沙の選択は素早かった。飛び起きるようにベッドから抜け出し、部屋の明かりをつける。

 恐怖は多大にあった。けれど、それ以上に暗闇にいる自分が不利な状況に陥っているようで恐ろしかった。


 「誰かいるの?」


 誰か、はいない。いるわけがない。それでも声に出てしまう。美沙は自分の不安が在らぬ方向に向かっていることに焦りを覚える。

 だって。でも、仕方ないでしょ。と言い訳したいくらいに。 


 静寂と相反する鼓動の高鳴り。

 視線の先にはカーテンがあるのみ。揺らぎもない。けれど、間違いなく音がした。

 

 息を呑み、僅かな音も聞き洩らさないよう耳を凝らした。

 カーテンの先。いや、実際はその先にある窓ガラスのさらに先の空間へ意識を向けている。


 物音はない。耳が拾うのは、自らの呼吸音のみ。美沙は嫌な息苦しさに顔を歪める。

 それでも、と覚悟を決めた美沙は、ゆっくりと足を踏み出した。


 ここはマンションの三階。外から人が登ってくるなんて有り得ない。

 風で飛んできた何かが窓に当たったか、鳥でもいたのだろう。


 冷静に考えればわかること。現実的にある筈がない。美沙は言い聞かせ、そっとカーテンへに手をかける。

 奥歯を噛み締め、息を押し殺す。僅かに開けた隙間から、外界を覗き見するように目を凝らした。


 ……なにもなさそう、だ。やっぱり風の影響だったのかもしれない。


 ふと、そこで美沙は我に返った。いったい自分は真夜中に一人、何をしているのだろう、と。


「バカみたい」


 美沙は項垂れた首を左右に振った。

 自分自身の行動に、疑心に縛られていた精神状態に興ざめした。

 怖がり過ぎだよ、ほんとに。


 思いながら美沙は、これまでの不安を晴らすように、カーテンを半面開いてみる。


 ほら、何もない。ただ真っ暗な――。


「!?」


 美沙の目が大きく見開かれたのと同時に、心臓が、ドクン、と拍動した。

 首筋が凍った。そう表現する以外に方法がないくらい、卒然とした寒気に支配された。


 美沙は見ている。いや、見てしまっている。

 部屋の内と外との明暗によって、鏡と化した窓ガラス。映る自分。

 その背後に立っている、女の姿を――!


 何っ、誰っ。

 

 振り返ることなどできない。否、振り返らなくとも、わかる。

 窓ガラス映る二つの姿。ひとりは自分。もうひとりは……俯いた姿勢で前髪の隙間から覗かせた視線を美沙の背中に向けている。


 一見すればそれは、美沙と同年代の女性の姿も見える。けれどそんなことはどうでも良かった。

  

 嘘よ。何!? いったい誰? 何なの!?


 思考回路が目まぐるしい速さで動いても、答えには辿り着かない。

 それどころか、美沙の脳や肩、全身を覆いつくすような恐怖に、自分が立っている感覚ですら奪われている。

 

 身体全体を覆うように濡らす汗。呼吸が思うようにいかない。

 過去、経験したことのない恐怖。美沙は現実を受け止めることができなかった。けれど――。

 

 どう考えたってアレは人間じゃない! だからって、幽霊なんて……。


 目を背けることができなかった。美沙は顔を歪める。

 これを……現実と認めろと?


 なんで、どうしてこっちを見てるの? ねぇなんでそこで立ってるの?


 自らが置かれた状況を理解することができない。ただ身動きの取れない身体と、全身を覆いつくす冷気の膜が美沙を凍り付かせる。


 が、恐怖は更に加速していく。


 美沙が瞬きをした途端、女の姿が移動した。

 歩みでもなんでもない。一瞬で二人を結ぶ距離が削られたのだ。


 驚きに息を呑み、焦りに反して瞼が上下する。はっ、とした時には遅かった。

 再び女の姿が移動した。ガラス越しに見る女は、手を伸ばせば届く距離に迫っていた。


 窓ガスを通して、二人の視線が重なった。

 逃げ場のない絶望感。美沙は念じた。動け。動け、動け、動け、と。

 そして美沙は叫んだ。否、叫ぼうとした。


 声にならない咆哮が、喉元で堰き止められている。

 出さなきゃ。吐き出さなくちゃ。思いながら、全身の力を絞り出すように押し上げた。


 次の瞬間。


「あああぁぁああぁぁああああああっ――!!」

 

 反り返るような身体の反動と共に、それまで自分を縛り付けていた鎖が弾け飛んだ。

 動いた! と思った途端、美沙の足元が崩れ落ちた。

 そして倒れ込む。転がるように美沙は、床に伏してしまった。


 血の気が失せていくような感覚に視界が歪む。

 床越しに映る部屋。これが現実だとするなら、女の姿はない。


 ……どうして?

 

 思考の行き着く先に答えはない。

 眉根をきつく寄せながら、手のひらを床に付け、力を込める。

 身体を押し上げた。ただ起き上がるだけの動作がこれほどまでに辛いものか。美沙は残されたエネルギーを絞り出すように、ゆっくりと立ち上がった。

 

 窓ガラス越しではなく、肉眼で見る世界。ありのままの自分の部屋。

 

 ……誰もいない。

 何も変わらない。だけど、どうして。


 あれが現実じゃないなんて言うの?

 確かにいたの。私は見た。見たのに……。


 何が現実なのか? 答えなく迷走するように首を振る。

 全身に恐怖という名の汗を滴らせ、呆然と視線を彷徨わせながら、立ち尽くす。


「あれは絶対に現実だった。絶対にそこに立っていたんだから……」

 

 声にすると、『恐怖』と『戦慄』を凝視していたその瞳からは、自然と涙が溢れ出ていた。


「こんなことって本当にあるの?」


 誰にでもなく問い掛ける。

 わからなかった。もう、何がどうなって……。


 混乱と落胆。疑心は解けず、半ば放心状態のまま、美沙は振り返った。

 カーテンを閉めよう、と。


 窓ガラスに映る部屋の中。そこには――。


 美沙のすぐ後ろに立つ女がいた。

 女の両腕が……、ゆっくりと、美沙の身体をを包み込んでいく……。


 




**************************************************************************************


【回想】

 

 旅先でホテルの部屋を出た時。

 階段の脇にポツンと座る男の子の姿があった。

 

 寂しそうに膝を抱え、こちらを向いている。

 しかし、僕はその子に視線を合わせることなく、すぐ脇を素通りするように立ち去り、先の階段を下りていった。


 僕にはわかっていた。


 その子が『向こう側の住人』であることを。


 そこに意識を同調させることは、後で後悔することになる。

 僕に、テレビに出てくる霊能者のような力はないから。

 

 僕の中のルール。

 こちらからは、彼らの世界に足を踏み入れないこと。

 それが僕の自己防衛でもあるから。





 そう言えば、あの話の途中で、美沙さんと祐里子さんはトイレに行ったんだよね。まだ、あの話には続きがあったのに。


『一度でも、そういった色のカーテンをつけてしまった時は気をつけて。その後、急にカーテンの色を変えてしまうと、行き場を失った霊達は、その部屋に閉じ込められてしまう。だからカーテンを新しくする時は――』


 ‥‥‥。

 

 ちゃんと、僕の話を最後まで聞かないから。

 皆さんの家のカーテンは大丈夫ですか?





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