18章-8:先を征く者
〜日本_■■■■■■■■■〜
「………………………………あら」
契機は些細な数字の変動だった。
暗がりの部屋の壁一面に羅列するモニター、その光に照らされた顔にほんの僅かな怪訝が映る。
モニターが示すのは空を泳ぐ龍のような、身を貫く針の筵のような、山のような谷のような、千差万別に揺れ動く人類の栄枯盛衰の軌跡。すなわち株価や物価指数などの変動を示したグラフの数々である。
その一角に違和感を感じ取る。
普通であればこの程度の微弱なサインは一瞥して流すところだが、その小さな起伏だけは妙に引っかかった。
彼女の勘が耳元で囁いている。
『資本の魔女』。
はたまた美と富と豊穣と幸運を司る女神『ラクシュミ』とまで噂されている彼女のセンスが告げている。
匂う───と。
一度目線を離し、電動車椅子の背もたれに深く寄りかかる。特注のクッションの軟らかさに包まれながら浮かべるのは、ほんの先にある未来だった。
「少し、調べてみようかしらね?」
白い天井に向ける彼女の顔は、新しい玩具を得た子供のような、期待と好奇心に満ちたそれ。
───富と情報。
人間の心を縛り、翻弄せしめる大きな力がゆっくりと動き出す。
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カツ、カツ………と。
ハイヒールが大理石を鳴らす音が部屋に響く。
プリムローズ・フェイロン。
肩ほどの長さの髪を揺らして歩く彼女の手には小さなティーセットがあった。
コトン、と軽い音を立てて、デスクに白のカップが置かれる。その目はまるでゴミか何かを見ているような蔑みの目だった。
「………ミスター?」
「ん?なんだいプリムローズ。今は少々手に負えない状況でね、端的に言うと放っといてくれ」
「なるほど、確かに命の危機ですねよく分かります」
プリムローズの虚無の瞳がひとつの光源に焦点を当てる。
「画面上にある赤色のゲージ、あと少しですしね」
どうやら鎧甲冑の主人公を動かすTPSゲームのようだ。のろまな鎧甲冑が剣を片手になんかうねうねしたでっかい塊と戦っている。塊の体力ゲージは半分くらい、対して鎧甲冑の体力ゲージは一、二割といったところ、つまりピンチである。その上鎧甲冑は塊の腕(?)が届かない範囲で距離を詰めあぐねている。
ぶっちゃけ望み薄である。
「どうしたのだプリムローズ。私が我が家で何をどうしようが自由というものだろう?」
「我が家………ですか。私は大統領補佐官であってメイドではないのですけど?」
ついでに言うと、ここはふかふかのソファ付きのコテージなどではなく、世界に誇る荘厳なの総本山───ホワイトハウスである。
つまり、私がわざわざ淹れてきた紅茶を無視してペットボトルのコーラ(2リットル)を飲みながら遊び呆けるこのオッサンは………
「いいじゃないかこのゲームはちゃんと自費で買っているぞ?」
「その給料が血税だと言ってるんですけど?」
いっそ電源ケーブルでも引っこ抜いてしまおうかとも考えたが、子育ての経験上それをされた人間がどんな暴れ方をするか想像がつかないことを知っている。最悪核のボタンに手を出されては大変だ。
「わざわざ野党を活気付かせるようなことしてどうするんですか。こんな下らないことで『本命』の活動を邪魔されて困るのは貴方でしょうに………」
キリキリと痛み始めたこめかみの辺りをぐりぐりと解しながら。
「これを野党から追求されたら私は喜んで寝返って対抗馬として出馬しますからね?私は手強いと思いますよ?とか、とか。敵に大変めんどくさい塩を送ることになります。非常にエキサイティングな大統領選挙が待ってること請負ですねというか私がエキサイティングにしてみせますとも」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あ〜………………………………………まぁ、その、なんだ………………………………………………ごめんなさい」
こうして必死の抵抗を見せていた鎧甲冑は無惨にも血の海に沈むのだった。その様をただただ見つめていた大統領、彼の携帯が鳴る。
「どちらからです?EUからのラブコールですか?」
「………君の勘はよく当たるな」
画面をタップし耳に当てる。
『こんにちは、ご機嫌いかかです?』
「最悪だよ。死んだ」
『………はい?』
「死んでしまったんだよ、ゲームオーバーだ。おかげですっかりやる気も失せてしまったよ」
『そ、それはいけません!』
「ん?」
『あなたの人生にどんな壁が立ち塞がったかは分かりません。主はときに試練を課すものです。ですがそれは貴方を更に高みへと押し上げるためのもの、貴方の存在を否定するためではありません。バネは強く縮めるほど高く跳べる、それを主もよく分かっているのです』
「………………ほう?」
『一方で短いバネに過剰な力をかけても潰れるだけなのも事実です。主は信じているのですよ、この負荷を力に変えられる可能性が貴方にあるということを。貴方に神の存在を信じろとは言いません、ですがどうか自分の中にある自分自身の可能性を信じてあげてください』
まるで懺悔室の壁の向こうから響くような、相手の心を包み一縷の希望を指し示す言葉だ。失意のどん底でうずくまる人にとっては神の啓示にも匹敵するありがたい言葉である。
お世辞にも我が家でぐうたら遊び呆けている国家元首にかけられるような言葉ではない。
「………………………………………何か、勘違いをしてないかい?」
『勘違い、ですか?』
「ゲームだよ、死んだのは。私はこの通りピンピンだよ」
『………………………………………………………………………………………………天罰、覿面』
「おいおい、早とちりで人を天秤にかけるものじゃないよ。ところでそんな私になにか用があったのではないかね?」
『そうでした!』
こほん、と咳払いを挟み、声の主は普段の凛とした声色で報告に入る。
『彼───桐崎洋斗の居場所が判明しました』
「ふむ」
ぴん、と緊張の糸が張られる。
『我々』が史上最脅威として位置づけている人物、あちらの世界で匂いすらぱったりと行方が消えていた人物がこちらの世界で見つかった。
事態が軋みをあげて動き出すのを感じる。
場所は京都の某高等学校、そこで起こったことに関しては全国区のニュースを通じてアメリカでも知ることができるほど知れ渡っている。
「しかし、聞いたところによると校舎ひとつが吹き飛んだそうじゃないか。人探しにしては少々派手にやりすぎではないかね?彼女にかかれば人ひとりの暗殺など造作も無いはず、というよりその手腕を買われてメンバーにいるのだと思っていたのだがね?」
『あの子は見た目通り気まぐれですから………何か思いがあったのかもしれません』
「思い、ねぇ。どれほどのものかは知らないけども、確かなことがある。この一件、我々が思っている以上に尾を引くかもしれない。今回見逃した代償はかなり大きいと私は考えるがね」
『………………そうですね。桐崎洋斗───彼のケースはこれまでの粛清とは大きく異なります。この一件が後の世界に大きな影響を与えることは間違いありません。なので………今回はあなたの力を借ります。お願いできますね?』
「全く………うちの神様は、いつもいつも人使いが荒いな」
大袈裟に息を吐きながらも、その目は確かな意思を示している。
「承知した。全ては天秤の示すままに」
電話を切る。
しばし画面を眺めて、鋭い光を宿した目を補佐官に向ける。
「プリムローズ」
「はい」
「至急日本へ行く用事を作れるかね?」
「日本の総理は自民党の支持率低迷に頭を抱えているはず、厄介な第三国への対処方法についての対談を持ちかければ間違いなく応じるでしょう。『仕事してます』アピールをする上でこれ以上無いチャンス、これを逃すほどの鎧甲冑でもない限り、ですが」
「上等だ」
黒髪と金髪が入り混じった前髪を上に掻き上げる。
仕事モードに入る時の合図だ。
「こちらも『仕事してます』アピールと行こうじゃないか」
「ところで、今のは私のゲームプレイが下手だというジョークかい?」
「図星でしたか?」
「辛辣だな、全く」




