4章-2:努力と変化と異世界と
ユリアが保健室から出ていって、俺はもう一眠りしようかと考えて目を閉じた。
「青春してますね」
「!?!」
───すぐに覚めたが。
洋斗と同じように担任である橘先生もベッドで寝ていた。
「せ、先生!?なんで先生がここに!」
「えーと、生徒と一緒に逃げてるときに階段で派手に転んでしまいまして…………」
やはり、橘さんは見た目に違わぬドジを踏んだようだ。
「何か失礼なこと考えてません?」
「そんな事はないですよ。えぇ全く」
「………まあいいです」
相手は先生だ、共通の話題もなければ無論話なんて続かない。別にいいかとも思ったが、折角の機会なので長年の疑問にメスを入れてみた。
「そういえば、先生っていつも教科書とか持ってきてませんよね?授業の進行とかどうやってるんです?」
「ふふふ、毎年同じような質問をしてくれますね新入生は。実は、教科書の内容、全部覚えてるんですよ」
「…………冗談ですよね?」
「本当です。国語数学理科社会英語、それ以外の教科も含めて、同じ教科で違う出版社のものも全て一字一句覚えています」
「や、やっぱりスゴい人たったんですね」
「…………全然そんな事無いです」
先生の声が小さくなる。
「私、あなたやユリアさんと同じように能力が使えないんです。生まれてこの方、能力を出したことはありません。学校の先生になりたての頃は本当に何も取り柄のない教師でした。けれど、周りのすごい人たちの中で一緒に働いているうちに、『このままじゃ駄目だ』って思うようになったんです。それで何か誰にも負けないものを作ろうと思ったんです。私にとってのそれは『記憶力』でした。私は5年くらい前からずっと記憶力を磨き続けて、今ではこの通り───各クラス、各科目の進行状況、生徒の名前、それぞれの得意、苦手科目まで記憶して、座学の授業全ての教鞭を取れるようになりました」
「う、嘘…………?」
「正直に言うと自分でも驚いています。まさかここまでになれるなんて………ですが、それでも他の先生方に比べればまだまだですけどね。なのでもっと頑張っていくつもりです」
「………………」
「長く話しすぎましたね?お互いに少し寝ましょうか。今のうちにたくさん休んでおきましょう」
「そう、ですね」
先生に促されて、洋斗も布団を肩までかぶる。
(それにしても、先生ってああ見えて努力家だったんだな)
この日、洋斗にとっての尊敬する先生のリストに橘先生が載るのは、もはや必然だった。
ー2012.06.18ー
俺、桐崎洋斗は復活した。
いや、実際には昨日には大方回復はしていたのだが昨日は日曜日で学校は休みだったので、今日は事件後初登校だ。
という訳で俺はユリアとともに学校に来ているのだが───
「…………………直ってるな」
「…………………直ってますね」
『事件?何それ美味しいの?』
といわんばかりに見事に完治していた。むしろ場所によっては前よりきれいになっている(具体例を挙げると、あの城門の開閉が手動から自動になってたり、ドアの滑りがよくなってたり .etc)。
「よく見たら床もきれいになってるな」
「そういえば芦屋、(あの時私が爆破した)校舎だけど、あそこに新校舎立てるらしいわよ?流石に建設にはもう少しかかるらしいけど…………」
「そ、そうなんだ………まあリニューアルってことでいいんじゃないかな…………たぶん」
14日の事件は、洋斗たちにいろんな変化をもたらした。そのうちの一つが、『芦屋と鈴麗が以前より仲良くなっている』ことだ。洋斗とユリアは逃げている間に二人に何があったのか知らないが、二人に聞いても『き、気のせいじゃない?』と濁されるだけで『何か話しづらいことでもあるのだろうか?』と首を傾げるばかりだった。
「おはようございます、皆さん」
あれこれ話していると、橘先生が教室に入ってきた。
「せ、先生!学校が…………」
「ああ、先生方が土日の間に修復したそうですよ?やっぱり能力はすごいですね」
「そ、そうですね……………」
そして、能力実習の時間になった。
ここで二つ目の変化だが、『ユリアが何かと頑張っている』ことだ。現在ユリアは能力が使えないため『諸事情による見学』という形になっているのだが…………。
───現在、ユリアは仰向けで寝そべってプルプルしている。
その光景を見ていると、どうしても問いかけずにはいられなかった。
「……………何してんの?」
「何って、ふ、腹筋、です…………っ!」
確かに両手を頭の後ろに組んで膝も曲がっていて、言われてみれば腹筋に見えなくもない。だが、腹筋というより『ごろ寝してテレビ見てたら金縛りにあって動けなくなりました!』と泣きべそでもかかれた方がしっくりくる。たぶんこの体勢で鍛えられるのは、お腹ではなく首だと思う。
…………後で筋トレ法でも考えてやろう。
そう考える洋斗であった。
この他にも、宿題を頑張ってやっていたり、あまり弱音を言わなくなった。ゴードンさんも「以前は『私はドジで間抜けですし………』と言って、挑戦すらしなかったのに…………」と感心していた。ユリアもユリアなりに変わろうとしているのかもしれない。立派な教師になるために記憶力を身に着けた橘先生みたいに努力が実を結ぶことを願うばかりだ。
そして、三つ目の変化は、『桐崎洋斗が能力を使えるようになった』ことだ。
彼は今、入学時と同じように紙を持っている。持っている手にぐっと力を入れると、それまでの苦労が嘘のようにバチッ!、と大きな放電を始めた。
「おお…………!」
「なんと言いますか…急に出来るようになりましたね。それにしても何でいきなり…………」
(あるとしたら、あの時だよな…………?)
それは不審者から渾身の一撃を食らった、あの時だった。うまく言葉にはできないが、確かにあの瞬間に頭の中で何かが変わったような気がしていた。
もしかしたら、交通事故にあった人の性格が変わることがあるように、能力を受けたことで俺の中の『何か』が切り変わったのかもしれない。
「まあいいです…とりあえず今日から…それをコントロールする段階に入って下さい。あと夏休みについてですが…とりあえず補習は無しとします。ですが…ギリギリなことには変わりないので…家での練習を怠らないようにして下さい」
「はい!」
「うぐぐ…………」
私は最近、洋斗君の言葉を励みに色々と頑張っています。本当に洋斗君には感謝しっぱなしです。
今は見学の合間を使って腹筋の最中です。なぜか洋斗君にはおかしな目で見られましたが…………。
「………………ぷはァ」
私はおなかに入れていた力を抜いて寝転びます。ぐったりです。
ぼんやりと天井を見上げていると、私の顔を覗き込む影がひとつ。
「…………何してるの?」
「!?さ、坂華木先生!」
この人は実習担当のもう一人の先生、坂華木 舞子先生です。なのですが、ぜんぜん授業に来ない(具体的に言うと『1ヶ月に一回』くらいしか来ません)上に特に何もせず帰ってしまうので、正直に言うとよく分かっていません。
「能力が使えない私は何も出来ないので、この間に基礎体力とかを鍛えておこうかと思いまして、それで腹筋をしていました」
「へぇ…………じゃあ手伝ってあげる」
坂華木先生が足を抱き込むように押さえてくれます。
「よし、いいよ」
「はいっ、せーの…………ふっ!」
「……………」
「うぐぐ……………」
「……………どしたの?早く始めて」
「もう、やってます……………!」
「…………?金縛りに遭ってるようにしか見えないよ?」
「ふえッ!?」
「これは…………筋力が無いというレベルじゃないね。筋肉の数が足らないんじゃないの?」
「そ、そこまでですか!?」
思わずお腹の力が抜けて、くったりとへたり込んでしまいます。
「…………やっぱり能力がないと何も出来ないんでしょうか?」
ぽつり、と思わず口からこぼれ落ちた。
「…………どういうことだ?」
「能力がないと、その、能力がある人には歯が立たないんでしょうか?」
「別にそういう訳でもないよ?」
「ですよね、私なんかじゃ………………
え?」
「いや、え?じゃなくて、能力無くても能力使いを倒すくらい出来るよ?」
「く、詳しくお願いします!!」
「…………そんなに戦いたいの?」
「はいっ!!」
「何で?」
───なぜ戦うのか。
普通なら答えに躊躇してしまう質問。
しかしユリアはそれに巻末入れずに答えを返した。
「『誰かの力になるため』です」
その凛とした答えに、先生は一切の勘繰りをやめた。
「…………分かった、着いて来て」
ー2012.06.15ー
時は少しさかのぼり、洋斗が保健室で橘先生と話している頃───。
「僕と、付き合って下さい!」
「………ご、ごめんなさい!」
とある学校の体育館裏で、一つの恋が終わりを告げた。告白を終えた男子は走って逃げ去っていく。
それを静かに見送るのは、告白を断ち切った金髪の美少女・巳島由梨香だ。
そう、ここは洋斗が元々いた世界の───本来ならば洋斗が入学するはずだった『京都府立倉華高等学校』だ。
「また告白されちゃったよ。これで今月で6人目、先月の8人を越えそう。その気はないって言ってるのに、私の何がいいんだろ…………」
由梨香は、教室の一角でご飯を食べながらグチっている。その向かい側でボーッと話を聞いているのは…………
「だからさ、って───
聞いてるの、ヒロ?」
誰がどう見ても、あの『桐崎洋斗』だった。
「…………聞いてるっての。それで、そいつがなんだって?」
『桐崎洋斗』は、露骨に気だるそうな感じで答える。
「そう!それでね、私がそんな事言う人はなおさら嫌い、って言ったら逆ギレし 」
由梨香の口が不意の出来事に止まる。あの由梨香のマシンガントークが途切れた理由はただ一つ。
『桐崎洋斗』が突然『ブレた』からだ。
まるでテレビ画面にノイズが走ったように、『桐崎洋斗』の部分だけ歪んだのだ。
(え…………?何今の…………)
由梨香は思わず目をゴシゴシとこする。目を開けると、そこには「どうした?」と言いながらだるそうに頬杖をつく『桐崎洋斗』がいた。特に変わった様子はない。
(……………気のせい、だよね)
「ううん、何でもない!」
(今日は早めに寝よっかな)
この世界の裏側で起こっていることを知るのは、もっとずっと先の話。