18章-6:動き出す世界
───65kg。
一般的な成人男性の体重であり2歳児3人分、スイカ13個、ついでに言うと某ゲームのボールに入りたがらない黄色い齧歯類11匹分と言われている。
何が言いたいかというと。
「重んもて………げほッ!?」
黒煙立ち込める廊下の途中、洋斗は気絶した爆弾魔をずるずると引き摺っていた。
爆弾魔の服が煤で汚れていく。爆破による炎は概ね鎮火していたのだが炎により焼き付いた煤は依然として爪痕として残っている。さらに窓が割れているとはいえ煙は廊下を埋め尽くしており、空気を吸い込むたび、煙を吸い込んでむせ返ってしまい力が入らない。
能力で筋力を上げれば───とも考えたが、雷属性で強化されるのは速度に関するもののみでパワーはさほど上がらない。ボディビルダーが徒競走で速いとは限らないと考えれば腕力と敏捷性に相関が無いのを理解しやすいかもしれないが、強化の方向性は属性によって若干異なるのだ。
ズリズリ引きずりながら元々入り込んだ場所まで戻ってきた。
校舎の三階、その下側で金色の髪が翻る。
「洋斗くん!!」
「おごっ!!?」
ユリアは飛翔の勢いそのままに洋斗に飛びつく。階下から上へ突き上げる形での抱擁、衝撃で洋斗の足は若干浮いた。
「洋斗くん!洋斗くん洋斗くん洋斗くん!!」
「ゆ、ユリア!嬉しいけどコイツを下ろしてからにしてくれ、ってか重い!全身軋んでるから!?」
「おも………ああごめんなさい、戦ったあとなのに………でも、心配しました。無事で良かったです」
「………ん」
洋斗に埋めた頭を離し微笑むユリア。その朗らかな表情には溢れんばかりの安堵が満ちていた。
「この人は私が円盤を出すので、それに乗せて降りましょう!」
「だな、そうしてもらえると助かる。ついでに俺も降ろしてくれ………」
「もちろん!ちょっとお待ちを………」
洋斗の横でパンっ、と一発引き金が引かれ、撃ち出された光弾がピザ生地のように薄く伸ばされていく。大人ひとりが十分寝られるくらいの大きさまで伸ばされ、ちょうど膝の高さほどでピタリと動きを止めた。
円盤に重い腰を落とすが、円盤はしっかりと安定感を維持している。それだけユリアのイメージが確立できており、コントロールが上手くできているということだ。
(やっぱり成長してる………威力、正確性全部、俺が知ってるより遥かに)
自分がこちらに戻ってからもひたむきに研鑽を続けていた証拠だ。それだけの時間が過ぎていたのだという感傷以上に、自分がいなくてもなおめざましいユリアの成長のほうが嬉しかった。
円盤にユリア、洋斗、気絶した真砂を乗せ、ゆっくりと下降していく。その動きはかつて鈴麗の学生寮から抜け出したときとは比べ物にならない滑らかさだった。
「………………………………………………」
ただ、言葉を失った。
由梨香の目の前で巻き起こった非現実が頭の中でひしめき合っている。完全に腰が抜けてしまって、地表にへたりこんだまま上の階で起こっている事を見上げていた。
桐崎洋斗が二年ほど別の世界にいたことは知っている。しかしそれはあくまで言葉で聞いただけであってその様子などは知らない。聞いてはいるが理解が追いつかない、と言ったほうが正確かも知れない。
これが、そうなのか。
これが桐崎洋斗が過ごしていた向こうの世界の物理法則。
そして、この世界に戻ってきてからも時折想起していた景色の一端。
それをようやっと知ることができて───それでもなお遠かった。
洋斗ともうひとり、ユリアと呼ばれていた女の子が薄い円盤に乗って校舎を降りてくる───その姿が由梨香からどんどん遠くへ離れていく、そんな錯覚すら覚えている。
これ以上彼の近くには近づけないような気がして、
その先の世界に自分の居場所は無いような気がして、
向こうの世界で優しく笑い合うふたりが眩しく見えてしまって、
「ヒロ………」
由梨香は思わず目を細めていた。
「えっと………とりあえずここから逃げた方が良いんじゃないかな、僕たち………」
洋斗が降りて間もなく、再会を喜ぶでもなく、そう切り出したのは芦屋だった。
「「………え?」」
「「………あ!」」
ユリアと鈴麗の目が点になり、洋斗と由梨香の目がはっと見開く。
そうだ。
洋斗、由梨香はまだしもユリア、芦屋、鈴麗は完全に『この世界に存在するはずの無い人間』である。こんな状況で部内外など言っている場合でないのでは事実だが、果たして事情聴取を求められた時に上手く凌ぎ切れるだろうか?
警察に事情聴取を求められ、彼らのルーツを辿られてしまっては異界の門の存在さえも明るみにされかねないため、第三者に拘束されてしまうことは避けなければならない。それは最悪学校爆破事件すら上塗りされかねないほどの歴史的大問題へと発展する。
「えっと………」
そこで由梨香が恐る恐るといった様子でそっと手を挙げた。やはり相手は初対面、由梨香の口調は下手だった。
「確かあっちに穴が空いたフェンスがあります………穴の向こうは空き家のはずなので他の所より出やすいかもしれません」
「学校から出れば関係者になるかもだけど、別の所を経由すればそれも無くなるわけだね」
「丁度そこの曲がり角の向こうにあるので、そこから出れば………」
「あとは人目を避けつつ洋斗の家で合流、てわけね。分かったわ」
「わ、分かりました!」
芦屋と鈴麗が即座に、ユリアが少し遅れて理解する。そこは戦略をこねくり回してきた経験の差が現れた結果だろう。
この時点で各人の方針が決まる。あっちの世界の住人であるユリア、芦屋、鈴麗は例のフェンスの穴から人目につかないよう学校を脱出、洋斗と由梨香は辛うじて難を逃れた体で避難した生徒の中に合流するしかない。
「それじゃ一旦離れて」
「洋斗の家でまた集合ね!」
「おう………ってなんで俺の家知って───」
「ヒロ早く!」
そうして犯人である真砂晴敏を残し、彼らは校舎裏側と校庭側へと二分した。
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〜夕刻〜
「
まずは昼に入った速報です。
京都府宮津市で発生していた連続不審火の犯人が逮捕されました。
逮捕されたのは住所不定の無職、真砂晴敏で、犯人は逮捕の直前、京都府立創華高等学校に侵入し校舎を爆破しましたが、酸欠により意識を失っていたところを確保されました。爆発により二名が負傷しましたが命に別状はないとのことです。
なお、逮捕の際に使用していたと思われる爆発物は押収されず、爆破の際に用いた火元など現在調査を進めています。
───えー、というわけで近頃宮津市を騒がせていた発火事件の犯人が逮捕されたということですけれども、その前に学校を爆破した、なんていうその………衝撃、と言いますかね。そんなニュースですが、いかがですか笹野さん。
───そうですね、爆発の跡とかも見ましたけど、死者が出ていないのが不思議といいますか、奇跡と言ってもいいですよね。それに関しては本当に良かったなと思いますね。
しかしひとつ気になっているのが、出火の原因がついに分からなかったということですね。爆発物が見つからなかったんですよね、あれだけ大きな爆発だったのになんの痕跡も出てこないなんて考えづらいですよ。それに出火の原因が分からないまま犯人が捕まったので、警察の方もこの先あまり込み入った調査はやらないと思うんですよ。ですので、今後こうした不審火がまた起こらないとも言えないですから、警察にも頑張って原因を突き止めていただきたいですね。
」
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飾り気の一切を廃した、簡素極まる部屋に置かれた一台の事務机。そこに一人の男が腰掛けていた。
真砂晴敏。
つい先日校舎へと侵入して学校を爆破した挙げ句、一人の少年を窮地に追いやった爆弾魔である。
ここは京都府北部に唯一存在する拘置所、舞鶴拘置支所の取調室。これから延々と終わりの無い、事情聴取という名の罵詈雑言を浴びせられるのだろう。
───そう思っていた。
「ありゃ、意外と平常心だね?一周回って落ち着いちゃった?」
目の前の空間から声が響いた。
目の前には人間どころか音が鳴る物さえ一切存在しない。それでも鳴り響く声に、真砂は最初ほどの驚きを感じなかった。
声色からして例の女性だ。かつて自分を刑務所から容易く脱出させ、対価として少年の殺害を求めてきた女性だ。頭のどこかでいつか来るだろうと解っていたからかも知れない。
「私が心配で様子を見に来たのかね?」
「ははーまっさかー。かわいい女の子ならまだしもこんなおっさんのために御足労?ありえないでしょ」
真砂としても本気で心配していたなどと思っていない。
目的は大方検討はつく。
下された非合法な任務に失敗した人間に指示者が会いに来る理由など相場で決まっている。
「………私を殺しに来たかね?」
「え、違うけど?」
返されたのは否定だった。
そんな発想など端から無かったと言わんばかりに軽々しく一蹴したのだ。
真砂もこの返答は予想外だった。声色からしてはぐらかしているわけでもない様子だし、そもそも口封じならば声をかけることなく息を止める方法などいくらでも持っていそうだ。
では………?
「アンタを外に出しに来たんだよ」
「………は?」
回答は真砂の予想遥かに斜め上を行くものだった。
「いやだからここから出してあげるよ、ここに来たときと同じようにね。ほら立って立って」
そう言われて、真砂は抵抗することなく即座に立ち上がる。意識せずとも身体が自動で立ち上がってくる。
「んじゃ、案内するから普通に歩いててね」
「案内………?着いて行くべきものが何ひとつ見当たらないのだが?」
「歩きたいように歩けばいいよ。何となくで進めば着けるから」
カチリ、と。
目の前の鉄扉から音がしたと思えば、ゆっくりと開いていく。
さっさと出ろ、ということだろうか。
扉を抜けると特筆する所のない簡素な廊下が伸びていた。警察官と思しきここの職員たちも普通に歩いている。
───そう、普通に歩いているのだ。
目の前で学校を爆破した犯人が堂々と拘置所から抜け出そうとしているにも関わらず、こちらを見向きもしない。しかも肩がぶつかりそうになれば自分を避けて歩くにも関わらず、自分に声をかける者は誰一人としていない。彼らはあくまで日常通りの活動を続けているのだ。
不思議な感覚だった。
まず見向きもされない。自分の存在どころか鳴っているはずの自分の靴音にすら誰も関心を示さない。そして全く道に迷わない。分岐路に着いた時には『何となくこっちに歩くべきな気がする』といった感じで歩けてしまっている。もとの世界で刑務所を徒歩で脱出したときと同じ現象だった。
全ては目の前を歩いているであろう人間の仕業なのだろう。一体どんな能力をどう使いこなせばこんな偉業を成せるのだろうか。
いや、もしかしたら能力とは別、もっと質の違う何かによる………?
「しかし………」
真砂は何となしに喋ってしまう。あとで周囲を見回してもこちらに意識を向ける者は誰もいなかった。
「………こんな私をあっさり外に連れ出して大丈夫かね?また何処かを爆破して回る可能性については」
「考えてないよ。というかその可能性が無いってのは自分が一番分かってるんじゃないのー?今回の件で毒気が抜かれたかな?」
確かに、と思ってしまった。
自分の能力が封印されている、なんてことは無い。なのでその気になれば壁でもなんでも爆破して抜け出すことは容易だった。
───だが、そうまでしてここを出ようとは思わなかったのだ。
以前のような物質を世界に解き放たれていく様を見たいという衝動が、凪のように引いている。
『改心した』というよりは『飽きた』という方がニュアンスとしては近いだろうか。何かを形という固定概念から解放する、という根幹に対して『では形を一掃してしまおう』というのは芸術家としてはあまりに愚直ではないか?もしかしたら心のどこかにあった『何かを吹き飛ばしたい』という欲望だけが独り歩きしていたのではないか?
長いブランクの後に再び爆破に走った中で、新しいアプローチを見出しつつあった。
「それに、もしそんなことが起これば………」
加えて、声の主はわずかも揺らぐことなく言い切った。
「───その時は私が世界の果てまで殺しに行ってあげるよ」
どさ、と。
真砂のすぐ横で、何か重いものが落ちる音がした。
倒れていたのは二十代後半くらいの男性警官だった。
何かの衝撃を与えられたわけでもなく、不意に膝から力なく崩れ落ちた。
そして何より。
すぐ横のデスクでキーボードを叩く女性社員も、
コーヒー片手に歩く白髪混じりの男性社員も、
この異常事態に誰ひとり見向きもしなかった。
「………………………」
真砂の足が止まる。
警官はすぐに息を吹き返し、首を傾げながらぶちまけた書類を拾い始めていた。
『誰かに何かされた』という認識すら見られない。
首が飛んだことにすら気付かない、それほどの手際で存在ごと刎ね飛ばす死神の手腕に思わず唾を呑み込んだ。
これがただの見せしめ。
人命の生殺与奪をサイコロを振るような手軽さでやってのける気まぐれな死神、その鎌で首を撫でられながら余生を過ごすわけだ。
真砂はそこにいるかも分からないまま、正面を向いて口を開く。
「なぜ、私を自由にする?」
「………これを見た上で『自由』って言っちゃうあたりやっぱ歪んでんねーアンタ」
「なに、自由に動けるだけ儲け物というだけだよ」
今の言葉で納得は得られたのかもしれない。少しの間があって、返答の声が飛んできた。
「特に悩むことでもないよ?ただの成功報酬、ギャランティーってやつ。一応アンタは命を賭けた、その対価は十分に払うってだけ」
「彼は今も生きているわけだが?」
「別に、そこまでしてくれればラッキーくらいにしか思ってないし?アンタに課したのはあくまで『ミッション』、自ら餌になって桐崎洋斗を釣り上げるっていう『ノルマ』は達成して無事及第点、ってわけ。それともこれだけじゃ足りなかったかにゃ?」
「………そうか」
そもそもの目的はそこにあったのだ、とようやく理解した。このミッションの焦点は桐崎洋斗が死んだかどうかではなく、桐崎洋斗が存在するかどうか。それを確認するための手駒でしかなかったということだ。
同時にこのミッションに自分が抜擢された理由も大方理解した。自分は言わばあの少年をおびき出すために建てられた広告塔であり、爆発というインパクトの大きい目立つ能力が付いていたからという些細なものだったのだ。
「そんじゃ、とりあえずあっちの世界まで連れてくからねー。そっから先はどうぞご自由に」
真砂晴敏の足は抵抗ひとつ無く拘置所の正面玄関を跨ぐ。声の主は確かに『あっちの世界まで連れて行く』と言った。であれば声の主はまだ自分を先導しており、そのまま目的地まで導き続けるはずだ、でなければこうして外を普通に歩けているはずがない。雲一つない空に目を細めながら、真砂はその口を動かす。
「最後にひとつ教えてくれないか」
「ん?」
「貴方は、一体何者なんだね?」
「………………んー。まぁ、世界を取り巻く流れそのもの、かな?あとは、世界の停滞を願うもの、てかんじかな」
「流れそのものが停滞を願うのかね?」
「面白いでしょ?」
その言葉通り、雲を掴まされたかのような曖昧極まりない返答だった。
しかし、
「別に世界が四六時中回り続けてることだけが正義じゃないし。流れを止めることだって、今の時間を守ることに繋がるんだから」
その言葉にだけは、細い一本の線が通っているような、そんな気がした。




