18章-3:未知の暴炎
校舎に駆け込み、入口に鍵をかける。
影から覗くと、煙の中からふらふらと歩み出てきた放火魔は洋斗の後を辿るように入口の方へと歩いていた。
このまま校舎に乗り込んで来るなら回り道を強いられる。しかし、彼のこれまでの行動を考えれば、迂回もしなければピッキングで鍵を突破するなどの面倒なこともしないだろう。
………この先どうするか。
放火魔への対処は言うまでもないが、他の生徒がいないかを確認して回るのも重要だ。
頭を巡らせた末、放火魔を上階へと誘うことに決めた。下階が火の海になっては逃げ遅れた人が煙に巻かれてしまうし、そもそも下の階を破壊されて上階諸共瓦解───なんて事態だけは避けなければならない。
階段を一段飛ばしで駆け上がっていく最中、下の方から爆発音が響く。例の放火魔が入口を爆破してこの校舎に入ってきた証拠だ。予想が正しければこのまま一直線に階段を上がってくるだろう。
立ち昇ってきた煙の匂いを感じながら最上階、三年生の教室が並ぶ三階へと走り込む。
「おい!誰かいるか!いたら返事しろ!」
緊急事態なこともあって扉は乱雑に開け放たれたまま。そこから中を覗いて声をかけることで逃げ遅れの有無を確認していく。
端から順に確認していき、中間ほどまで差し掛るところだった。
「………逃げるな」
「っ!?」
低く、重くのしかかるような声が耳に刺さる。
振り返った先には例の放火魔。
そして、こちらに迫る爆炎の猛威だった。
自分が立ち位置を炎が貫くのと、反射的に横の教室へ飛び込むのがほぼ同時。もし認識が遅れていたら、全身が灰となっていたところだ。
「が、あっづ………ッ!?」
洋斗も無傷ではなかった。
靴を脱ぎ捨てると真っ赤に変色した左足が露わになる。すぐに火の手から逃れたおかげで爛れることはなかったが、足全体を刺すような痛みが足の感覚をかき乱すのは避けられない。
足の痛みに顔をしかめながらも立ち上がる。足が床に触れるたびに痛みが肌を刺し、思うように踏みしめられない。第一、足の不調を訴えたところで格好の的になるだけだ。
(そういえば、あの時も似たようなことあったっけかな………くっそ………ッ)
確か、あっちで入学してから数カ月経った頃だった。
今と同じように学校に乗り込んできた不審者がいた。あの時はひとりではなく集団で、例の大きな校門をぶち破って乗り込んで来たんだったか。思えば出くわした男の属性も火だった。あの時は『あの子』も連れて逃げていて、自分が攻撃を一発食らった時に初めて能力が使えるようになったんだった。今回もまた一発食らえば能力戻って来るだろうか───なんて考えも浮かんでくるが、出来ることなら御免被りたい。
足の調子を確認している間に、飛び込んだ入口から放火魔がゆっくりと足を踏み入れる。
「足を、留めたな。気が変わったかね?」
「休憩してただけだっての………ッ」
火傷を誤魔化すために強がりはしたが、足は未だに滲むような痛みを発している。瞬発的な移動は難しいかもしれない。
しかし、忘れてはならない。
今の自分の最優先事項は眼前の敵の打破ではなく、由梨香も含めて生徒全員が逃げるための時間稼ぎ。
為す術は、なにも拳を振り回す事だけではない。
かつて、あちらの世界で出会った『親友』も使っていた戦術た。
「………お前、全体的に何なんだ?」
「漠然だな。趣旨が、見えん」
「分かんないことだらけなんだ、何もかも。お前が誰で、どこからどうやって、何をしに来たんだ?お前は俺の命を取りに来てるんだ、俺にだってお前を知る権利はあるだろ」
「そもそも私は、君の名前以外、知らぬ。私への指示は『ある少年に近づくほど大きく爆発が起こせるはず。その少年を殺せ』、それだけだ」
内容はいまいち掴みきれないものであったが、ひとつだけ引っかかる単語を聞いた。
「『指示』………………誰の?」
ここで答えが返ってくれば御の字、という程度にしか考えていない。目的は時間稼ぎ、つまり会話を続ける事にこそ意味がある。
放火魔は一切表情を変えることなく口を開く。
「知らぬ」
「………………………………………………………………は?」
知らない………?
無論、端から素直に答える事は期待していなかった。
だがこの男ははぐらかす事もなく、黙秘を貫くでもなく、無知を装った。『指示を受けた』という情報を隠す素振りは見せる事なく、だ。
あるいは、本当に知らないというのか?
「それ、どういう………」
「そのままだ。不思議な話でね、私に指示を出す声が目の前から聞こえる。机を挟んだ向こう側からその声が発せられていると確信はある。というのに、そこに誰かがいるという認識が無い。あれは実に不思議な感覚だった。声も無く近づかれたなら触れられても気づかぬ予感すらしてくる。あるいは、首にナイフを突き立てられても、な」
「そ、そんな誰からかもわからない指示に素直に従ってるのか………?」
「些事である」
そう言った放火魔は『本当にどうでもいい』という気持ちを全面に押し出していた。
「確かに誰の指示かは分からない。しかし、現にこうして労せず牢の脱出を為し、どことも分からぬ世界の地を踏んでいるのだ。その対価は払わねばならんだろうよ。私もこうして外を歩くのは至福なのだ、そうは見えないだろうがね」
どことも分からぬ世界の地を───と、この放火魔は確かにそう言った。やはりこの男はこことは違う世界から来ているのだ。
それも恐らく、洋斗がとてもよく知っている、あの世界から。
しかしこの男は妙に口が緩く、情報を隠そうともしない。どうやら指示はされていても口止めまでは頼まれていないらしい。この男の依頼主は自分の存在を明かさずに指示を出す割に随分とずぼらな性格のようだ。
「牢の脱出、ね。囚人かなんかかあんた」
「ああ。私の崇高な理念は世間には理解されなかったようでね」
「………理念?」
「理念、そう理念だ」
放火魔は噛み締めるようにその言葉を繰り返し口にする。
「私は私に委ねられた理念に従い行動を起こす者だ。本来ならば少年ひとりの排除など、私の理念に反する行いなのだが、こうして天の下を歩くための対価なのだろう」
「そう言ってる割には随分乗り気に見えるけど?」
「勘違いするな。私は命を散らすことになど興味はない」
放火魔は半ば怒りの感情まで見せながら吐き捨てる。
洋斗はその姿に放火魔の行動理念、その核心を見た気がした。相手がその行動を起こす上での指標であり当人の根幹を成すもの、それを不用意に逆撫でされとあっては意地でも反論したくなる。そこを突いたということは、それだけ対話が続くという事と同義だった。
「私は、物体を存在の枷から解き放つ事にしか、興味はない。私の手でエイドスという名の牢獄から存在の真なる姿を解放する───それこそが私の理念なのだよ。この力もこの理念遂行のために与えられたものだと私は確信している」
「はた迷惑な芸術家だな。巻き込まれる人の身にもなれっての」
「イデアをその身に感じることができるのだ、本望だろう。その結果が死であるなら感受することこそイデアへと至る一助となろう。無論、お前にとってもな」
放火魔は黒板に置かれていたチョークを掴む。
それを、ぽん、と。
洋斗へと放り投げた。
子供にアメでも投げるかのように。
「………………え」
チョークは緩く放物線を描き、トンと洋斗の胸に当たる。
(………………………)
それを受け取るべきかすら判断が追いつかず、ただただ放心する洋斗。
その胸元で。
ボッッ!!、と。
チョークが、爆ぜた。
「が………ッ!?!」
熱と衝撃が腹にめり込み、身体が後ろへ飛ぶ。
胸から臍にかけて平手で叩かれたようにじくじくと痛む。衝撃のせいで呼吸の感覚をわずかに忘れてしまった。
苦痛に歯を食いしばりながらも放火魔へと目を向けるが、それより先に目に入ったのは、まさにこちらへ放られた黒板消しだった。
反射で横に跳ぶ。
すぐ後方で解き放たれた衝撃が背中を叩き、体躯を教室の外へと押し転がした。
転がる慣性を利用して柔道の受け身のような動きで身体を起こし、そのまま隣の教室へと逃げ込む。
未だ残る腹の疼きに顔をしかめながら教卓の裏へ身を潜める。
(今のは、何だ………?)
放火魔の手を離れたチョークが爆発となって散った。
それも、手榴弾のように炸裂した破片が撒き散らされたのではなく、チョークそのものが熱の塊となって周囲を吹き飛ばしたのだ。
それはさながら、チョークそのものが火薬であるかのように。
しかしそれは筋が通らない。
火属性の能力使いは体から火を放つ。体表と外界の間にフィルターのようなものがあって、体内の生命力がフィルターを通ることで炎へと変質する………らしい。それが授業の中で先生から学んだ能力の基本原理のはずだ
だが、コイツは違う。自分が火を放つのではなく、触れた物の性質を火力を放つ爆弾に変えているとすれば通常の能力とはプロセスが異なる。
まさか。
「ただの火属性、じゃない………のか………?」
あちらの世界では時にそうした『亜種』のような能力を持つものが現れるらしい、と授業の雑談で先生が話していた。この放火魔がそれなのだろうか。『新たな第三の世界からの来訪者』という線も頭に浮かんだが流石に追い払った。
多少悩みはしたものの、考えを一度止める。
相手の背景に興味はない。
どんな分類、どんな背景があろうがアイツの芸術観と相まって非常に質が悪いことに変わりはないのだから。
事実、余計なことに思考を割く暇も無かった。
教卓越しでも伝わってくる確かな熱。それを感じ、教卓から全力で跳び退く。
教卓が吹き飛ぶ。洋斗の腕を掠めて背後の窓を叩き割った。
「対応が早い。慣れているな」
「………………………」
「わざわざ抹消を命じられる男だ、何らかの曰く付きだとは思っていた。間違い、ということは無さそうだ」
チョークが投げられる。先程の教室でありったけのチョークを補充したのかも知れない。
(………………まだだ)
宙で回るチョーク。
洋斗はそれを咄嗟に避けようとはしなかった。
ギリギリまで引きつけ、一気に教室の後方へと走る。
ボッッ!!!と、生じた爆発が洋斗の背中を突き飛ばし、一瞬で普段の全速力を上回る速度を叩き出す。
(この感じ………)
左右に並ぶ机の風景が刹那のうちに後ろへ飛んでいく。
人の感知を超えた、俊足とも言える速度。
しかし洋斗は、足がもつれることもなく教室の後ろまで到達する。
近い感覚を知っていた。
雷電のように疾駆していたあの速度を思い出した。
洋斗が向かったのは教室の後ろに鎮座するロッカー。
扉をこじ開け、1メートル弱ほどの在り来たりな箒を取り出す。箒の下げ緒近くを持ち、穂先を放火魔へ向けて握った。
「………武器のつもりかな?」
「備えあれば、って言うだ、ろっ!!」
床を蹴り、机の天板に飛び乗る。
そこから他の机へと飛び移りながら、放火魔へと一直線に突っ込んだ。
「無駄だ」
ぽん、と再度チョークが投げられた。緩く放物線を描くチョークは、このままでは机の上を走る洋斗に丁度当たる。
「ふっ!!!」
両手で握った箒を水平に薙ぐ。
円弧の起動を描く箒の穂先がチョークを捉え、横へと弾き飛ばした。
───チョークが爆発するまでには多少のラグがある。
恐らく触れた瞬間に発破すると放火魔本人に危険が及ぶからだろう。
しかし、ラグの秒数を適宜設定し直せるほどの自由度はない。故に、全力で投げつければ即座に決着がついたものをわざわざ緩く放り投げてタイムラグを稼いでいたのだろう。
それは洋斗にとってチャンスとなる。投げた物が爆発する前に他所へと退かしてしまえば意味を成さないからだ。
しかし相手も能力を使い慣れていて、洋斗の手が届く範囲からわずかに外れたところで爆発するように投げる起動をコントロールされている。投げられた物を退かそうにも、手が届かなければ意味がない。
だからこそ洋斗は箒を掴んだ。
その箒の長さの分だけ距離、ひいては爆発物に届くまでの時間を得る。また、箒の穂先が扇状に広がっているため、飛んでくるチョークを捉えやすくなる。
箒に弾かれたチョークは、洋斗が爆発のダメージを受ける範囲から外れて発破する。
「な………!?」
チョーク一本を投げて終わると思っていたのか、放火魔がわずかに怯んだ。
それだけの時間があれば放火魔に十分届く───!!
机の天板を強く蹴り、放火魔のもとへと一気に飛びかかる。
そして、
「らあッッ!!!」
全体重を載せて箒を振り下ろした。
放火魔が身を守るために出した手に箒が叩き込まれる。
洋斗はなおも動きを止めず、空いた脇腹を蹴り飛ばした。
「ぐ………ッ」
苦悶の声を挙げて床を転がる放火魔。
追い打ちをかけようと一歩を踏み出す───その時。
ドッッッ!!!!、と。
熱量と衝撃が間近から洋斗を叩いた。
「が………ッ!?!」
爆散の中心は手持ちの箒の穂先だった。
確かに箒を振り下ろしたとき、放火魔の手に箒の穂先が叩き込まれた。その瞬間に箒の穂先は導火線に火の付いた爆弾へと変わっていたというのか。
(あの一瞬で………………!?)
手元で発生した唐突な爆発、その威力は突貫する洋斗のバランスを崩すのに十分な威力だった。
衝撃で頭が揺れる。
───駄目だ。
このまま床に転げてしまっては作ったチャンスが無為に終わる。
止まるわけには、行かない。
ダンンッッッ!!!、と。
体勢などお構いなしに力強く一歩を更に踏み込むことで転倒を叩き伏せる。
これだけで完全にバランスを立て直したわけではない。
だが、十分………!!
(このままゼロ距離まで………っ!!!)
相手に近距離格闘の技能は無い。
突っ込み、懐に入ってしまえばこちらの領分だ。
拳でも膝でも何でもいい。
放火魔が何かに触れるより速く、重い一撃を叩き込んで終わらせ
「ヒロ!!!」
その、一歩手前。
背後で誰かが叫んだ。
この場で最も聞こえてはいけない声。
(由梨香………!?)
眼前の敵から目を逸らさずにはいられなかった。
意識を後ろの入口にずらさずを得なかった。
───それが、隙となった。
放火魔が咄嗟にそばの黒板消しクリーナーを叩く。
クリーナーの発破を洋斗が止めるには一瞬遅かった。
ばんっ!!、とクリーナーが爆発する。
中に溜まっていたチョークの粉が撒き散らされ、放火魔に突っ込むはずだった軌道がずれて壁に衝突する。
「い、づ………………ッ!?」
眩む目を放火魔へ向ける。その先では放火魔の手からまさにチョークが放られる所だった。
───洋斗にではなく、由梨香の方へと。
「え、」
「由梨香!!!!」
呆けている由梨香に向けて全力で走り、細い腰に飛びつく形で押し退ける。
「ちょ、ヒ !?」
動揺する由梨香の声はチョークの爆発で掻き消された。
暴力的な風圧が二人を襲う。
身を呈して由梨香を庇った洋斗は爆発を間近で受け、肩のあたりが炙られるような痛みに襲われる。
だがそれに構うことはしない。
由梨香の腕を掴んで教室を飛び出し、階段を駆け下りる。
由梨香はしばらく喋らなかった。先の爆発で目を白黒させたまま走らされている雰囲気で、親に手を引かれる子どものように脚も覚束ない。
見ると由梨香の制服が肩のあたりから焦げ落ちており、腕が赤く変色していた。全身爆風に呑まれるのは避けられたが、完全に庇いきる事は出来なかったようだ。
「なんでわざわざこっちに来たんだ!?来たら分担した意味無いだろ!?」
由梨香を守りきれなかった口惜しさでつい口調が荒くなる。しかし由梨香から返ってくるのは「うん………」という空気の抜けたような浅い返事だけだった。
由梨香の腕を引いたまま1階へと駆け下りて玄関へと向かう。
由梨香が傍にいたのでは放火魔と抗戦することなどできない。このまま放心している由梨香をグラウンドまで引き連れていき、由梨香を避難している生徒達に合流させる。
それから戻ってまた相対すればいい。生徒達に合流してしまえばそう簡単にははぐれられないはず───
一瞬。
階上から吹き下ろす熱風を不意に感じ、洋斗は上を見上げる。
その直後には握っていた由梨香の腕を全力で前へと投げ飛ばしていた。
「きゃッ!!?」
勢いそのままに校外へと放り出されるのと、後ろで轟音が響くのとがほぼ同時だった。
腹に響くような衝撃と吹き荒れる熱気に煽られ、更に遠くへと転がる身体。目まぐるしく回る視界は砂塵のせいで更にかき消される。
「いたた………………何す、る………………………………………………………………」
喉が詰まった。
視界の先。
ついさっきまで駆け下りてきたはずの階段が消えている。
あるのは堆く積み上がった瓦礫の山だけだった。




