16章-4:手放したものに気付くまで
ー2014.09.21ー
とある道場の一室。
あまり使われていないのか、宙を舞う埃が夕日に照らされてホタルのように揺らめいている。
───そんな中。
「ごぶるふぁぁ!!??」
ドバアァン!!、と。
部屋の押し入れが爆散した。
押入れの中から射出された人肉が襖を枠ごと吹き飛ばす。そして突き抜けた勢いそのまま向かいの本棚に背中から激突して、その動きを止めた。
つい先程までの涙など遥か彼方に吹き飛んでいた。
「ぐ、痛って…………げほ、げほッ!、くっそホコリが喉に…………っ!」
激突で肺が圧迫されるわ舞い上がった埃でむせるわで散々な帰還だった。
思えば。
かつて同じ機構で人型が射出された際、成人男性がその衝撃によって脳震盪に陥っている。それほどの威力が今度は逆方向に撃ち出されたのだ。
───当然こうなる。
「こんちくしょォ、せめて掃除くらいしとけって…………ん?」
なんとか体勢を立て直し、逆薙の柄頭と下緒にしっかり結ばれた山吹色の紐を確認する洋斗。その目がふと床に散らばった本の一冊に吸い寄せられた。
「『生命力の基礎』…………あっちの世界の教科書だ」
パラパラとめくる。劣化によりわずかに黄ばんだ本のページを斜め読みすると、生命力という概念の歴史や扱われ方に関する文が並ぶ。自分がフォートレスで使っていたものと概ね同様のことが書かれているのはすぐにわかった。
また、時折文から線が伸びて雑な字でメモが書き残されていた。
「一応、勉強はしてたのか…………」
真面目に席についた親父がノートを書いている姿が思い浮かんで、思わず失笑がこぼれる。
しかし、裏は取れた。
親父───桐崎龍治はやはりあの世界にいたのだ。鬼を封印まで追い込んだ、救世の第七班の一員として。
そうしてパラパラとページをめくっていた、まさにその時だった。
「俺の家に忍び込むたァいい度胸じゃねぇかごるあアアアアアアアアアアアアア!!!??」
ドバアァン!!、と。
今度は入口の襖が爆散した。
穴だらけの木枠と化した襖が洋斗を直撃する。木枠をぶん投げるように脇にどかしてとっさに叫んだ。
「くっそ帰ってきてから散々な挨拶だなクソ親父!!上等だ帰宅早々拳の味思い出させてやんよ!!」
「馬の骨にしちゃ威勢がいいじゃねぇかこの……………………『親父』?」
「息子が馬の骨で悪かったなこの野郎」
脇に引き絞った龍治の腕がふにゃりと垂れ下がる。そこからたっぷり数秒ほど呆けた顔で立ち竦んだ。
「…………………………………………帰った、のか」
その果てに口からこぼれたのはそんな呆気ないひとことだった。
洋斗が「おう」と簡潔に答えたことで再び静寂が始まる。息子との再会による思考のフリーズからなのか、「そうか」と言ったきり二の句が継げないようだった。
その静寂を聞きつけたのか、爆散して開けっぴろげになった入口の陰から龍治の妻である世良が顔を覗かせた。
「犯人死にましたか龍治さん?」
「勝手に殺すな、てか犯人を殺すな」
洋斗の反射的なツッコミにより、世良とばっちり目が合った。
「…………え………………………………洋斗?洋斗なの?」
「おう」
「……………………洋斗!!」
世良は息子のもとへと飛び出して、強く強く抱きしめた。
「洋斗…………ああ、洋斗…………っ!良かった、良かったわ本当に…………!!」
「…………うん」
唐突な抱擁につい身体を強張らせてしまっていた洋斗だが、春の日差しのような安心感が緊張を優しくほぐしてくれる。
───自分が今の今まで見逃してきた温もりが、すでに手元にあった。
(…………暖かい)
この家族に引き取られたときから何度か同じように抱きしめてくれたけれど、その時は伝わる熱を素直に受け止めることができなかった。
だけど、今は違う。
ずっと目を逸らして忌避していたものだって、その背中に腕を回せばすぐに感じることができる。
こんなものなのかもしれない。
自分がずっと見て見ぬふりしてきたものは普通に生きていれば当たり前のように感受できるもので、むしろよくここまで避け続けてきたものだと呆れられるくらいには至極ありふれたものなのだろう。
けれど、洋斗はこの『ありふれたもの』がふと消えうるものであり、これこそ自分に無限に近い活力をくれるものだと知っている。だからこの温もりがある限りいつまでも頑張れる気がする。
「向こうでは大丈夫だったの?怪我とかしなかった?一体向こうで何が…………!?」
「分かった話すよ。話すけどその前に…………」
心配が積もっているので仕方ないのだろうが、洋斗にはそれらの質問に答える前に是非ともやらせていただきたいことがあった。
「その、風呂とか行っていい?部屋のホコリを浴びて煙たい」
「え、ええそうね疲れてるわよね。お風呂なら私達が入ろうとしてたからもう沸いてるわ」
「じゃ行ってくるよせ…………あー………………………………………………………………」
「どうかしたの?」
ふと物思いにふける洋斗。
しばらく動きを止めていたが、改めて口を開いた。
「…………いや何でもない。行ってくるよ母さん」
飛び散った襖の破片を避けながら洋斗は部屋から出て行った───その顔に一抹の気恥ずかしさを覗かせながら。
ホコリが舞う部屋に残された両親はそのひとことで完全に固まってしまっていた。
それだけの衝撃が、そのひとことの中には含まれていた。
「龍治さん」
世良のまんまるに見開かれた目が龍治の方を向いた。
「いま、『母さん』って…………!」
信じられない、といった様子の妻の肩に手を置き、龍治はふっと笑いかけた。
「やっと、呼んでもらえたな」
「…………ぅ…………っは、はじめて母さんって…………うぅ…………っ!!」
世良は遂に堪えきれず、顔を両の手で覆って泣き崩れてしまった。
龍治は『親父』と呼ばれる事に思うことはない。しかし世良は『母さん』と呼ばれないことで、自分が母親の代わりとして役不足なのではないかという不安で夜毎胸を痛めていた。
ずっと呼んでくれなかった。
ずっと呼んでもらいたかった。
ずっと、認めてもらいたかった。
洋斗のひとことでようやっと、本当の意味で心を開いてくれた気がした。ようやっとひとりの親として認められた気がした。
育ての親としてこれほどの幸せは無かった。
「今夜は赤飯だな」
「ぞれ妊娠した時ですぅ…………っ」
その後世良の感涙にむせぶ声が十数分にわたって部屋にこだました。龍治は彼女をそばでなだめつつ泣き止むのを待つ。
そうして彼女の涙が無事収まった頃、
「…………しっかしまぁ」
ふと感慨にふけりながら龍治は呟いた。
「随分変わったな、洋斗」
「ぐずっ、ぞうですね…………ずびびび」
「おまッ、俺の服で鼻かむんじゃねぇ!?」
「あっちで色んなことがあったに違いないです、きっと」
「だろうな。くっそべっとりじゃねぇか…………」
それは龍治と同じ考えだった。
きっと今まで知り得なかった未知の世界で多くの人と出会い、多くの体験をしてきたに違いない。
「メシの間にでもいっぱい聞かせてもらおうか」
「そうですね」
ふたりは息子の冒険譚に胸を膨らませながら、団らんが待つ食卓へと戻っていった。




