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Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~  作者: ふろすと
現世編
50/61

16章-2:暁に沈む想い

 


 かくして。

 異界からの来訪者桐崎洋斗は遂に帰る方法を見つけ…………というより教えられていよいよ帰還までの身支度を整える決意をしたわけだが───。




 ー2014.09.20ー


「………………………………………………………………………………………………………………………………はぁ…………」

 現時点における当の本人、桐崎洋斗は全くそれどころでは無い心境だった。

 何か考え込むように呆然と一点を見つめていると思ったら、数秒の後にはキョロキョロと辺りを見回してはため息をつく。居ても立ってもいられず右往左往するまではいかないが、その姿を一瞥する通行人の目には妙にそわそわしてるのが明らかだった。

 時間は午前11時あたり、場所はフォートレスの正門前。土曜日なこともあって学校関係者の通行が少ないのは唯一の救いである。

 しかしなぜ、天使や鬼すらその拳で相対してきた戦の鬼がここまで座りの悪い状態に陥っているのか?


 ───その答えは昨日の昼下がりの一幕にあった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 ー2014.09.18ー


「あ、あの!」

 いつもの通り廊下を歩いていた洋斗を呼ぶ声がひとつ。振り返ると同居人なこともあって見慣れたはずのユリアが、いつになく真剣な顔つきで相対していた。

 その気迫に多少面食らいながらも、洋斗は返答する。

「えっと、どうかした?」

「………………………………あ」

「?」

「あの、えぇと…………その、ね…………」

 真剣な表情だった彼女の目がくらりと泳いだかと思えば、途端にもじもじと狼狽え始めた。その様子が心配になって『本当にどうしたんだ?』と言いかけた。

 ───その瞬間。


「わ、私とデート、してくださぃ…………」

 しぼむような弱々しい一声が、(したた)かに洋斗の胸を貫いた。


「………………………………」

 耳の奥で何かが爆ぜる。頭が白み、体が動かない。重々しい沈黙が二人の間にのしかかる。

 その重圧に耐え切れなかったのか、ユリアは合流する時間および場所を早々に喋った後に逃げ去ってしまった。

 それを無言で見送る洋斗、その後しばらくは胸の痛みに縛られて身動きひとつ取れなかった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 ───そんなわけで。

 その指定された時と場所が現時点と言うわけである。

(頬赤くして尻すぼみにデートのお誘いとか、反則だよなぁ…………)

 ───というのが、当時のことを思い返した洋斗の率直な感想だった。

 一度言おうと決意した矢先本人を目の前にして恥ずかしさが湧き上がる。それを必死に押し殺し、勇気を振り絞ってデートに誘う。

 文字通り振り絞ったその声に、恥ずかしさを乗り越えんとするその姿に、果たして胸を撃たれない男がどれだけいるだろう?

 誤解の無いように言うが、これまでにも洋斗とユリアがふたりでどこかに出かけたことは何度もある。それは常に同じ屋根の下で過ごしているのだから至極当然のことで、それ自体にさほど動揺はない。

 だがそれは同居人および親友であるという前提があったからで、今回のように『デート』という名目で出かけたことはない。以前のような『親友』として出かける遊びと、あくまでも『一組の男と女』として出かけるデートが同じ心持ちのはずがないのだ。

 それを再確認して改めて心がぐらつく青少年桐崎洋斗であった。

「洋斗くん!!」

 そこにかけられる朝の空のように澄んだ声。振り向くと、膝下ほどのスカートを揺らしてユリアが駆けてきていた。

 その姿を見ただけでトクンと胸が高鳴ってしまうのだ。

「すいません、少し遅くなっちゃいました」

「いやそんな事…………ああ、少し過ぎてたのか。気付かなかった」

 俺も今来たところだ───というのがこのシチュエーションにおける常套句だが、この二人に限ってはそれを使うことができない。なぜならこの二人は同じ玄関から出ており、相手が何時に家を出たのか、ひいてはいつ頃に待ち合わせ場所に着いたのかは大方予想がつくからだ。

 なお待ち合わせ時間を過ぎていたことに洋斗が気付いてなかったのはユリアに罪悪感を抱かせない為の優しい嘘ではなく、緊張故に本当に時計を見る余裕が無かったからだったりする。

「それじゃ、行きましょう!」

 飛び跳ねそうなほどにうきうきした様子で腕を引くユリア、洋斗は抵抗する事無くその後を追った。

「………………………………」

 歩いている最中、つい黙って見つめてしまう。自分の腕を引き、自分の斜め前を歩く彼女の背中にさえも心が奪われる。

 今日のユリアの服は花柄をあしらった若葉色のゆったりしたワンピースにベージュ色のパンツといった様相。

 金糸のような髪の流れ、腕をつかむ細い指先、狭い歩幅で動く脚線美、歩みに同調してふわりと揺れるスカートの裾。その機微に心が動き、目が揺れ移る。

 これではいけない、と気持ちをぐっと引き締めて、洋斗は静かに話題の提示を試みた。

「にしても…………」

 目的地へと歩みを進めて五分ほどのあたり、洋斗は浮かんだ疑問をユリアに投げる事ができた。

「どうして集合場所があの校門前だったんだ?別に家からでも、なんだったら現地集合とかでも良かった気がするんだけど…………?」

 言った後で流石に現地集合は有り得無いなと反省するが、折角くぐる玄関が同じなのだから一緒に出れば共有する時間も長くなるのではないか───なんて事をふと思ったのだ。

 その問いかけに対し、ユリアは「実は…………」と切り出した。

「折角思い切ってデートに誘うんですからデートらしい事を色々したいなぁ、って思ったんですよね。そのひとつが『待ち合わせ』なんです」

 金色の長い髪を揺らしながら、彼女は照れくさそうに笑う。

「現地集合や同じ家から同時に出るのはなんだかチョット味気ないと思いまして。やっぱり楽しい時間、至福のひとときというのは人と人の出会いから始まるのですから。もし家からずっと一緒だと同じ家に住んでる時間の延長になってしまいます。そこをあえて一度別れて、心身整えた上で出会い直すことが重要なんです!」

 ピッと立てた人差し指を教鞭のように軽く揺らしながら待ち合わせ、もとい人と人との出会いについて力説するユリア。両者が同じ屋根の下に生きる者たちだからこそ思うところがあるのだろう、そう思いながらも───、

「要するに『二人が待ち合わせがデートのスタート』なんです!家に帰るまでが遠足なのと同じ摂理なんですっ!」

 そう結論づけたユリアの満足げな顔から待ち合わせへの熱意を重々理解して、洋斗は素直に納得した。

「礼に始まり礼に終わる、みたいな感じか。なるほどな」

「ふふっ、例えが武道家みたいです」

「『みたい』は余計だけども」

「でも『嵯鞍人拳はケンカ術の延長』って言ってましたよね?つまり洋斗くんは武道家というよりケンカ番長に近いのでは…………?」

「まさか『武道家』って所に疑問を持たれるとは思わなかった…………」

「実際どうなんでしょうね?」

「ん…………とりあえず番長ってガラじゃないのはともかく、ケンカって言うには動きが違うと思う。あんな雑じゃないだろ?」

「確かに動きはとてもキレイで…………か、カッコ良いです」

「そ、そっか。それは素直に嬉しい」

 洋斗は小恥ずかしさで頬を掻きつつ頬を緩めた。幼少時代から培ってきたものをこうして褒められるのは喜ばしいことだったりする。

「けど、それを言ったらユリアの動きも様になってると思うぞ?」

「へ?そ、そうでしょうか…………」

「あぁ、銃を手に入れた頃からは見違えた」

「あはは、それはもちろんあのときと比べれば全然違うと思います。なんと言ったって練習時間が段違いですから」

「一年の白宴祭の頃だから…………ちょうど二年前くらいになるのか」

「そうですねぇ…………ずいぶん練習しました」

 感慨深そうに遠くを見つめて呟いたユリア。練習の積み重ねは洋斗の腕を取る手の感触にも強く現れていた。

 人差し指の腹と母指球(親指付け根の肉厚な部分)に角質の硬さを感じる。数多の回数だけトリガーを引き続け、その都度射出の反動を受け止め続けた結果の変質だろう。

 溢れるほどの生命力を養い、それを巧みに操る術も身につけた。

 天使に授けられた神通力だって自分に相応しい形を掴み取った。

 体の質を変えるほどの銃の鍛錬を二年もかけて積み上げた。

 その全てが、今の彼女の実力を創り上げているのだ。フォートレス能力専門高等学校に入学して間もなくの頃───能力が使えず二人で首を傾げていた頃が、今や遠く懐かしい。

「…………全部洋斗くんのおかげです」

 洋斗の手を掴んだままユリアは言った。

「何も能力が無かった私がここまで努力を続けることができたのも、その努力が実を結んだのも…………いや、きっと今日まで生きていられたことも含めて、洋斗くんが私の傍にいてくれたからです」

 くる、と体の向きをこちらに変える。翻る金光から覗いたその表情はとても朗らかだった。

「だから今回のデートはその恩返しでもあるんです!楽しんでくださいね!」

 きっと、この花のような笑顔が見られただけでも洋斗がこの世界に来た意味はあったのだろう。

 そう思うほどに、胸のうちに確かな温もりを感じるのだ。

「まぁ、まだまだ課題はあるけどな」

「うぅ…………がんばります」

 そうして二人は今後の課題などを話しつつ、目的地であるデートスポットへと歩を進めた。




 ~~~~~~~~~~~~~~~



 ───待ち合わせをしてからおよそ40分。

「着きました!」

「ほぉ…………!」

 二人の目の前には大型のショッピングモールが広がっていた。実はもとの世界でもこれほどの大型ショッピングモールに行った経験は無い洋斗は端から端まで感嘆の眼差しで見渡しながら、それでもひとつのため息をつく。

「てっきり数分くらいかと…………まさかバスまで乗り継ぐとは思わなかった」

「今は開いてるお店が少なくて、特にこれだけ色々揃っているところとなるとこれくらい歩かないと…………あ!もしかして疲れましたか?すいません病み上がりなのに…………!」

「いや、気にしなくていい。こうして歩くのも久々だし、リハビリの一環だとでも思っとくよ」

「うぅ…………すいません。つい…………」

 しかしそう言いつつ、ショッピングモールは洋斗の視界を上下に切り分けるほどの広大な建物で、一望するその景色はもとの世界でもここまで大型の店舗に縁が無かった洋斗に来る価値はあると思わせるには十分だった。

 二人がショッピングモールの中へと足を踏み入れると、横に広く薄っぺらい空間をイメージさせる外観に反して、その天井はとても高かった。広い通路を挟んで小型の店が軒を連ねる典型的なアーケード。二階の店の(ひさし)を跨ぐようにガラス張りの天窓がアーチを描き、透過した光が吹き抜けを通じて階下の中央通路に降り注ぐ。

 中を行き交う人を上手く躱しながら、洋斗は質問を投げた。

「ちなみに今日は何をするつもりなんだ?」

「なんでも、です!中に入るときに分かったと思いますけど、ここにはデートで思いつく事はほとんど揃ってます。なのでたくさんの事ができますよ!」

「なるほど、そりゃ楽しみだ」

 中に入る際に施設内の案内図を見たが、施設内にはたくさんの店がある。全部回るのは無理かもしれない、というのが洋斗の率直な感想だった。

「まずはお昼ご飯にしましょう!」

 時計に目を向けると、時刻はすでに正午に差し掛かっている。ここで何かするにしてもまずは腹ごしらえだ───というわけで、二人は飲食エリアに向かった。

 飲食店エリアはレストランなどの店舗が横並びに門を構える通りと、机椅子が並ぶ広間を囲って出店形式の店が並ぶフードコートに分かれていた。今が丁度昼時なこともあって、そのどちらも家族連れを始めとした多くの人でごった返している。

 その間を抜けながら一通り見て回ったあと、結果として二人が選んだのはフードコートの中でも一際長蛇の列を成すハンバーガーのチェーン店だった。

「…………いいのか?ハンバーガーで」

「実を言うと、しばらくハンバーガーを食べてなかったのでちょっと食べたくなりまして」

「気持ちはなんとなく分かるな。こういうのは一度思い出すと無性に食べたくなってくる」

「そうなんですよ!体に悪い…………というかお腹に悪いと分かっていてもつい…………」

「あはは…………美味しいものはだいたいカロリー高いもんだって言うしな。ハンバーガーはきっと、体が恋しく思うくらいに『美味しい』んだろうよ」

「………………………………………………………………………………………………だめですやっぱり別のお店にってすでに引き返せない所まで列が進んじゃってるのですけども!?」

 長蛇の列とはいえ、辛抱強く並んでいると意外と早く列が縮んでいた。すっかり背水の陣に立たされたユリアは動揺を隠せない。

「ほら、腹括って潔くメニューを選ぶんだ。カロリーがユリアを呼んでるぞ?」

「…………そうですね。ちなみに『腹』を使ったのはわざとですか?逃げ場を失った私への当てつけですかキュキュッと綺麗に括れちゃうお腹待ったなしって事ですかどうなんですか!?!」

 ───その後。

 結局ユリアも含めて両者ちゃっかりポテトもセットで購入。ユリアは「絶対、カロリーに、はむっ、屈したり、しません、あむっ、おいしい」と必死の抵抗を見せつつハンバーガーを頬張る。

 そうして熱戦を繰り広げたあと、残ったのは中身が消えた空の容器と───。

「……………………………………………………………………………………」

 それをぺろりと完食して真っ白に燃え尽きたユリアのみだった。勝利の余韻に何やらブツブツ呟いているが、口の動きを追うと「燃ヤす…………全テ、燃やス…………フふふ…………」なんて言っているように見えるのはきっと気のせいだろう。

「まぁその、なんだ。銃の練習とかしてれば多少エネルギー使うだろうから大丈夫だって。な?」

「………………………………そうですね、いやむしろそうしないと…………ふフ」

 彼女が放火魔に堕ちかけていたのをなんとかなだめて、二人はモールを歩き始めた。これだけ多種多様な店が軒を連ねているのだ、歩いていれば通りすがりの店に興味が湧くこともあるだろうという算段である。

 ───のだが。

 歩き始めてものの数分、二人の足は早々に止まった。

「あ…………」

 進んでいた足がわずかに緩んだユリア、その目が見つめる先はある洋服店の棚、色とりどりの洋服だった。そのうちのどれかにふと目を惹かれたのかもしれない。

「見て来るか?」

「え、あぅ…………そうですね、見てみましょう!」

 そう言って上機嫌な様子でユリアが入店する。

 ───困惑する洋斗の腕をがっちりと掴んで。

「……………………なぁ」

「はい?」

「まさか、俺も入るのか?」

「え。あ…………」

 対してユリアはその言葉で性別の壁を察し、その一方で『一緒に入ってくれないのですか?』と言わんばかりにもの寂しげな雰囲気を醸す。

 その穏やかなプレッシャーに、洋斗の方が折れた。思い直せば男性服と女性服どちらも売っている店だってあるだろうから、そこまで過敏になる必要も無いのだろう───と、自分の中で強引に折り合いを付けることにした。

 中に入ってからは、ふわっと香る(気がする)女性の雰囲気に緊張し、死角に小さく設けられていた下着売り場に出くわして大慌てし、店員に声をかけられてどう言い繕おうかと慣れない思考を巡らせ、良さげな服を見つけて試着したユリアを見るたびに頬を赤くし…………といった具合で着々と精神を擦り減らす。その果てに、店から出る頃には彼女が買った服を手に提げてぐったりする青少年の図が完成していた。

「大丈夫ですか?」

「なんだこれすげぇ疲れる…………筋トレなんかと比べ物にならねぇぞこれ…………」

「あ、そういえば下着が古くなっていたような気が…………」

「戻らないぞ?もう二度とあの世界には戻らないからな!?」

「へへ、冗談ですよ。でもあんなに混乱してる洋斗くんも新鮮でした」

「勘弁してください…………」

 肩を落とす洋斗とその横でいたずらっぽく笑うユリア。


 そんな和気藹々の雰囲気が沈むことなくショッピングモールを縦断していく。最中に何件かの店を覗きながら回り、ショッピングモールを踏破して外に出る頃には太陽が目線の高さまで落ちていた。

「ふぅ…………」

 外に出た二人はひとつのベンチに腰掛ける。一息つく二人の姿を真っ赤な夕陽が暖かく彩っていた。

「今日は楽しかったですね」

「そうだな。楽しかったよ、とっても」

「はい、楽しんでくれて良かったです」

 二人は互いに言い合ってからしばしの沈黙にふけり、眼前に佇む夕陽を眺めていた。一日の終わりを告げる斜陽の強い光が二人の間を染める。


(……………………これが、最後なのかな)

 日光を肌で感じながら、洋斗はそんなことを考えた。


(こうして二人っきりで、一日中ずっと笑い合いながら遊ぶのは、これで最後…………)

 今日一日で行った場所、交わした言葉、笑いあった時間が少しずつセピア調に霞んでいくのがわかる。そう思うと悲しい───と感じる気持ちは、実を言うとさほど無かった。

 洋斗の胸にある一番の気持ちは───『最後を飾るに相応しい、楽しい時間だった』。

 正直に言って、今日のデートを心の底から楽しめるかが不安だった。二人の別れはすぐそこまで迫っているのに、そんな二人がデートなんてしてもいいのか?

 変にユリアに期待させてしまっては別れの時に一層辛くならないか?

 そんな疑念が脳裏を巡って昨夜もなかなか寝付けなかった。

 しかし終わりに差し掛かってみれば、そんな不安を忘れるほどに楽しい時間を過ごし、心中はとても晴れやかだった。

 これで後悔すること無く───。

 そんなことを考えていた時だった。

「洋斗くん」

 その声に顔を向けると、彼女は指を組んで少し俯いている。しかしその目には確かな決心が浮かんでいた。

「私も、今日はとっても楽しかったです。思えばいろんなことがあって、洋斗くんと一日中こうして過ごす事が出来てなかったですから…………」

「あぁ、確かにそうだな」

 一年生の頃はそれなりの時間があって遊びにもそれなりに行っていた。

 しかし二年生になってからは、春は鬼を宿した洋斗と鬼を恐れたユリアで距離を測りかねて敬遠していたし、夏は天界兇変の上に二度目の『鬼神ノ災禍』と続いて二人の時間を満喫する暇も無かった。

 そのことを、彼女は気にしていたのかもしれない。

「…………いえ、それだけじゃないですね」

 しかし、それは矢先に自己否定される。

 彼女は伏目で正面を見つめながら弱々しく笑った。

「洋斗くんが別の世界からこちらに来て、私の家に泊まることになって、一緒の学校に通うことになって…………それからずっと私にとっては大事な時間でした。洋斗くんと一緒に食べるご飯は美味しかったし、洋斗くんと登校するといつもより距離が短く感じるんです」

「…………うん」

 二人の思いは同じだった。

 大変なこともあった。

 大小のハプニングには見舞われたし、命の危機にだって幾度と直面した。

 それでもやっぱり二人で並んで歩いた時間は、それらをひっくり返すほどに幸福な時間だったと思う。

「こんな時間がもっと続けばいいなぁって思いますし、一緒にいろんなところに行って、いろんなことをして…………いっぱい、話をして…………ずっと……………………」

 虚空を見つめていた瞳が揺らいだ。

「ずっと、それが続くと思っていたんです」

「……………………」

 スカートの上に置かれていた手が、ぐっ、と小さく握られる。何かを堪えるように、それでも言葉を紡ぐユリアを洋斗はただ見つめていた。

「けど、洋斗君がここじゃない別の世界から来て、つまり元々いた世界に帰っちゃうかも知れないんだって…………そうやって考えた瞬間、胸がギュッて苦しくなるんです。洋斗君がここからいなくなってしまったら、一緒に学校に行くことも、一緒にご飯を食べることも出来なくなっちゃうんだって…………そう思うと立っていられないくらいに、思いが…………溢れてくるんです…………っ」

 その時。

 ───ぱた、と。

 その手に、ひとつの涙が落ちた。

「ユリア…………!?」

 大丈夫か?───そう言って手を差し伸べようとする。


 ───その時。

 ユリアか二人の間に手を突き、俯いていた顔を洋斗へと向ける。




「私は、洋斗くんの事が…………好き」

 彼女へと伸びかけていた彼の手が、止まった。




「好きです、大好きです。洋斗くんのそばにいたいんです。ずっと近くに、洋斗くんと一緒にいたいんです。離れたく、ないんです」

 泣き腫らして紅潮した頬、震える唇から紡がれる愛の旋律、涙を湛えて潤んだ瞳。

 夕日のベールをまといこちらへと向けられた儚げな表情、神々しさすら帯びるその魅力は洋斗の目線を離さない。

(………………………………それ以上は)

 ぎり…………と、

 彼の心は嬉しさでも気恥ずかしさでもない、全く別の感情で締め付けられていた。

(その先を聞いたら…………)

 ───打ち立てた決心が、揺らいでしまう。


「お願いです。ずっとこの世界に…………私のそばにいてください」


 まるで時すら動きを止めたかのようだった。半端に伸ばされた腕も動かない。なのに、胸の軋みだけは絶えず洋斗を苦しめ続ける。

 洋斗は泣いている彼女を支える手を───下ろした。

「…………ごめん」

 声が自分のどこから発せられたのかも分からなかった。

「そ、れは…………?」

「『どっちも』だよ」

 心が発する鈍痛を噛み殺し、揺らぎかけた決心を口にする。

「鬼になった俺と戦う中で、たとえ途中からでも、俺をここまで育ててくれた親の存在が俺にとってどれだけ大事だったのかに気づいた。その途端にどうしても帰りたいって思ったんだ。俺は元いた世界に帰って、両親にこの気持ちを伝えなきゃいけない。大事な家族がいる元の世界で、これまで逃げてきたものと、人と、世界としっかり向き直って生きていきたい───って、そう思えたんだ」

 ───痛い。

「俺は元々いた世界に必ず帰る。だから、ずっとユリアと一緒にいることはできない。そして、ユリアの想いに応えることも、出来ない」

 ───痛い。

 心が胸に大きな孔を穿つみたいだ。

「か、帰るって…………まさか、帰り方を…………?」

「あぁ、というか最初からナギが知ってたんだ」

「そ、それなら、なにも今じゃなくったって。もっとずっと先に…………」

「いいや、今がいいんだ。今じゃないと…………」

 ───この決心が、次はいつできるか自信が持てない。

「……………………そ、そうです!」

 ユリアの顔がはっと上がる。

「でしたら私も…………私もそちらに行きます!」

 一縷の希望に満ちた声が響く。

「鬼神ノ災禍の時も叔父様が言ってましたよね、こちらの世界に来た桐崎龍次はセーラ・カリファーと二人で別の世界に行ったって!でしたら私も───」

「ここにいる人たちはどうするんだ?」

「っ…………!」

 取り巻く空気が一瞬で落ち込むのが目に見えるようだった。

 ここの人たちは彼女の存在を大事にしていて、彼女もここの人たちを想っている。そして彼女自身この地に住まう住人を見守っていく責任を自覚しているからこそ、私情でそれを放棄することは出来ないと分かっている。

 そんな優しくて責任感の強い彼女だからこそ、こうして葛藤を前に苦しそうな顔をして涙を浮かべているのだ。

 我ながら意地の悪い質問だったと思う。その優しさがあったからこそ洋斗は彼女を好きになったのに、今はその優しさにつけ込んでいるのだから。

 これを承知の上で、あえてユリアを突き放す。

「…………とにかく、俺は親が待ってるもとの世界に帰る。ユリアと一緒にいる選択肢は無い」

「…………っ…………ぅぅ…………!」

 彼女は遂に言葉を失い、肩を震わせて泣く事しかできなくなる。

 洋斗はその姿を黙って見つめる。今にも腕が彼女の肩を支えそうになるのを堪えて、その涙が胸を引き裂く痛みに耐え続けた。







 ───それから。


 自分がどうやってユリアの屋敷まで戻って、屋敷の中でどんな事をしたのか、その記憶が曖昧だった。

 鉛のように重くなった買い物袋を手に、泣き続けたユリアに優しくすることもできぬまま空が紫紺に染まる中を歩いて帰った事。ゴードンさんへの挨拶もなしに逃げるように部屋に閉じ籠ってしまった事。食事の際ぽっかり空いた彼女の席にセリカさんが戸惑っていた事。

 思い出せるのはそれくらいだった。

 月明かりの中で布団に倒れても、涙を流すユリアの表情が脳裏から離れない。

 この世界との縁を断つための第一歩。

 そのたった一歩はあまりにも重く、苦しい。

「主さま」

 ナギがベットの横で正座して様子をうかがっている。今日のデートの行く末は、言わずともその姿で察しているようだった。

 だからだろう。ナギは一言、こう問うた。

「後悔は、無いのですね?」

 ズン…………、と。

 その問いが胸にのしかかる。洋斗は手で顔を覆い隠した。

「…………後悔、しそうだよ」

 遮られた視界の闇に彼女の涙の残像が光る。

 今日洋斗は自分をこの世界に縛り付ける一番大きな枷である『ユリアとの関係』を破り捨てた。

 あれだけユリアを傷付けて、ユリアを泣かせておいて『やっぱり辞める』と日和(ひよ)る事は断じて許されない。自分を世界に繋ぐ全てを徹底的に破り捨てて前へ進まなければ、自分を想って流されたユリアの涙に嘘を吐くことになる。

 もう、後に引くことはできない。

 ───分かっているのに。

「…………胸が痛い」

 この決断を良しと割り切ることは、どうしてもできなかった。

「今まで告白なんてされた事無かったからさ。相手の想いとか、そういうのを目の前で拒む事がこんなにキツいなんて知らなかった」

「…………主様がそれだけユリア様を想っていた、という事なのです。むしろそれだけの想いを築けた幸福とそれを自ら断ち切った勇気を誇るべきかと」

「…………そう、かもな」

 この世界から離れるにあたり、それを拒む『枷』はまだたくさんある。教師、親友、家族───二年の間に築かれてきたちっぽけな幸福の積み重ねが、今の洋斗を苦しめる。

 故に、この胸の痛みには嫌でも慣れなければならない。この先幾度となく感じるであろう痛みだ。

「…………これからも、こんな事があるのかな?」

 ───元の世界と向き合う。

 漠然とそう言ってきたけれど、具体的には自分の周りにあるはずなのに見て見ぬふりをしてきた人や物、そして幸福をしっかりと認めて生きていこう、ということである。

 五年前に自分から故郷を奪ったパンデミック以来、身の回りにあるそうした『世界』はいずれ消えゆくものと定義されていた。それと向き合うという事は、そうした幸せを享受し関係を築いていくという事。即ちその関係の破壊とともに再びこの苦しみ味わう可能性も伴うのだ。

 この痛みに、これから先何度耐えられるだろう───そう考えたときだ。


「『向き合う』と、そう決めたはずでは?」

 傾ぎ始めていた軸が、ふと止まった。


 少女の凛とした声に、洋斗は思い知らされた。

 自分は決心したではないか。

 あれだけ重い第一歩をたった今踏み出したばかりではないか。

 後ろにはもう引き返す道が無いことを、何度となく認識したはずではないか。

「…………あぁ、そうだったな」

 弱気になった自分を、揺らぎかけていた決意を正してくれた───その感謝の意を込めて正座しているナギの頭を優しく撫でる。ナギは表立って喜ぶことはせず、静かに目を閉じて浸るように彼の手を受け入れていた。

(…………この痛みは、絶対に無駄にしない)

 ナギの髪を手櫛で()いてやりながら、自分のやるべきことを整理した。

(ここから先、苦しくても前に進むのみだ)

 ナギが刀に具現したのを確認し、明かりを消して目を閉じる。

(断ち切るんだ、全部)

 胸の軋みをなだめつつ、なんとか眠りにつくことができた。





 ー同刻ー


 静謐な部屋の中。窓のカーテンを閉める気すら起こらず、そこから漏れ入る月明かりだけが部屋の輪郭を浮き立たせている。

 その端に置かれたベットの上、長い金の髪を広げて仰向けに倒れる少女がいた。

「…………………………………………」

 意を決した告白を前にして苦痛に歪む彼の顔が、暗闇に浮かぶ。そのたびに彼女の心が罪悪感で捻られるようになった。

 彼がここからいなくなると分かっていながら彼女を告白に駆り立てたのは、『この気持ちを伝えたい』という純粋な恋心と、もうひとつ。

 それは『私が告白すればこの世界に残ってくれるかもしれない』という醜い打算だった。

 ユリアは洋斗の感情を利用しようとしたのだ───ユリア・セントヘレナ自身の存在を、桐崎洋斗をこの世界に繋ぎ止める(くさび)とするために。

 しかし、その目論見は失敗した。

 桐崎洋斗の決意の硬さを実感し、罪悪感だけがユリアの胸に刻まれた。

 自分の根幹、誇り、活力の源泉だったはずの恋心。それを自らの手で汚してしまったのだ。後悔が彼女の心に刺さり、まるで心臓を縛られるような鈍痛を発した。

(………………………………真剣、なんだ)

 胸の疼きに呻きながら、それでもなお彼の事を想う。辛そうな表情をしながら、それでも自身の決意を貫き通した彼の事を。

(洋斗くんはそれだけ真剣に自分と向き合って、自分のやるべきことをやろうとしてるんだ)

 ───正直に言うと。

 ユリアは自分が洋斗と結ばれる可能性はあると思っていた。

 一体どこからそんな自信が───客観的にそう感じるのはもっともだが、普通の男女ならともかく、互いに意識しない頃から同じ屋根の下で一年半も生活を共にしていれば、互いの感情の機微だって自ずと伝わる。ユリアは数多の時間を共有する中で、二人の間に芽生え育っていく絆を確かに感じていた。打算という雑念が混じっていたとはいえ、後がないこのタイミングで思い切って告白に踏み切れたのも、培ってきた絆の強さを信じたからだ。

 しかしその絆を、彼はその意志をもって振り切った。

 彼もきっとこの絆を感じてくれていたのだと思う。告白を断るかどうかを真剣に迷ってくれていたのだと信じている。でなければ告白を断る時にあんな表情を見せるはずはない。ただひたすらにもとの世界へ戻るという彼の意志が強かったのだ。それだけの大事な第一歩を、彼はしかと踏み出したのだ。


 ユリアの思考がここまで至って───ぴた、と。

 角を曲がった先が行き止まりだった時のように、思考が不意に行き詰まる。

 眼前の、黒く冷たい壁面にはこう書いてあった。




『ワタシはどうするの?』




 ユリアは微動だにせず、まぶたの裏で揺れるその文字を見つめる。

 思えばずっと彼の背中ばかり見てきた。必死に、ひたむきに、彼の勇姿を追い続けてきた。

 その後は?その先は?自分は何になりたくて、何がやりたくて、何を目指すのか?

 果たして本気でそんな事を考えたことがあっただろうか?彼の背中がいつまでも眼前にある事を勝手に前提に据えて、それを追い続ければいいと勝手に自己完結してはいなかったか?彼を追い続けていれば間違いない、と自分が持つべき旗を他人に丸投げしてはいないか?

 彼がこの世界からいなくなる可能性があって、何より彼自身がそのために行動していると分かった今こそ、私自身で存在の在り方を考える時なのかもしれない。

 ───そう思う頃には、告白を断られた悲しみは心の奥に隠れていた。

 食事も睡眠も、時間すら忘れるくらいに、空の移り変わりすら気に留まらないくらいに、ユリアは熟考に沈んでいった。





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