15章-5:余韻は儚くも美しく
〜14:52〜
「はぁ…………はぁ…………っ!」
大きく肩で息をしながら、ぬかるんだ地面に転がった嵯鞍の姿を見つめる。
いつの間にか全身を打ち付けていた雨は止んでいた。それどころか雲に切れ目が差し、そこから陽光が降り注いでいる。仰向けで倒れる嵯鞍もその強い日差しに照らされていた。
覚束ない足取りで嵯鞍の傍まで近寄ったところで洋斗の体力が尽き、嵯鞍の横に仰向けで倒れた。朧気に見上げた空、それを覆っていた雲の切れ間から鮮烈な青が覗いていた。
「……………………晴れたな」
「!?お前、起きて…………!!」
「…………そう長く、ない。鬼に呑まれた時点で…………俺はもう、死んでるのと変わらない」
彼は絞り出すように、呻くような声色でそう言った。
何かに取り憑かれる、というのは人の精神が死霊に呑み込まれる行為だ。弱い霊なら除霊すれば完治できるが、強い霊───まして朱点童子ほどの悪霊に呑まれた精神が無事でいられるはずがない。事実、朱点童子の憑依による魂の摩耗に加えて、二度に渡る討伐作戦により受けた損傷、黒色水晶碑に封印されていた14年間による衰弱の影響で人間である彼の本体は摩耗しきっていた。その身体は最早朱点童子が復讐のために動かす人形に過ぎなかったのである。
「…………あの子を刺す前、殴り飛ばされたあの時…………意識が少し、戻った。最後の一撃も、見てたよ」
あの子、というのは恐らくナギのことだろう。ナギがあの時に何をしたのか───洋斗はまだそれを知らないが、それの影響が『呑まれていた意識がわずかに戻る』というかたちで現れたのかもしれない。
言葉の後に次いで出たのは、ひとつの疑問だった。
「…………なぜ、避けずに…………止まらず走ることができた…………?」
疑問に思うのも当然だ、洋斗はそう思った。
横で同じように倒れている嵯鞍洋斗があの過去の惨劇から分岐した一端なら、彼も自分と同じく嵯鞍人拳の正当後継者のはずであり、であれば最後の猛進が持つ『らしくなさ』を如実に感じ取っているはずだ。
思えば自分自身でもよく途中で折れなかったと思う。あの瞬間で嵯鞍人拳で培った経験に従っていたら、拳が届く前に妖気の鎧が復活していただろう。あのタイミングでとどめを刺せたのは、大勢を決するあの一歩が有るか否か───紛れもなくその選択があったからこそだ。
なぜあんな事ができたのだろう?───洋斗は熟考してみたが、その答えはひとつしか浮かばなかった。
「笑えるくらい真っ直ぐな親父の背中をしばらく見てたから、だろうな」
回答に含まれる『親父』という言葉で嵯鞍は大方悟ったのだろう───桐崎洋斗が、血にまみれた世界から救い出されて自分が知り得ない未来を歩む自分の姿だということを。
彼の顔にわずかな驚きの色が浮かぶ。そして「そうか…………」と、息を吐くように小さく漏らした。
「お前は…………助けられたんだな…………」
「………………………………」
洋斗はそれに言葉を返すことができなかった。
ここの世界の洋斗は誰に救われることもなく、失意と絶望のうちに堕ちたのだ。そんな彼に向かって、『救われた』自分がどのような言葉を伝えればいいというのだろう?
だが彼に言葉を返す必要は無かった。
───安心した。
彼のそんな言葉を聞いたのだ。
「え…………?」
「俺が救われる未来なんて無い、希望なんて無い。俺はこの真っ暗な世界で苦しみながら生き続けるしかない───ずっとそう思っていた。血だらけの故郷で息絶えた時も、封印されていた時も…………ずっと、ずっとだ」
辛うじて横に目を向けると、嵯鞍は視線を空へ向けている。青を映すその瞳はその空のように澄んでいた。
「けど…………そんな事はないんだって。『俺』が救われる未来もあって、その未来は一層『俺』の力になってくれる、とてもいい未来なんだってわかった」
青い瞳がこちらを向いた。
「他でもない『俺』が───『俺』自身の拳が教えてくれたんだ。鬼に呑まれた『俺』を救い出すことでな」
目を見張る洋斗に、嵯鞍は言葉を続ける。
「俺もそっちに行けたら最高だったけど、『俺』に未来が、生きる可能性が用意されていたのが知れた───それだけで上出来だ、今はそう思える」
「………………………………」
後悔の色など微塵もない視線───それを受けて、洋斗は目的が完遂出来たことを察し、肩の荷が下りたように大きく安堵した。
自分の口からちゃんと伝えるつもりだったが、この世界のもう一人の自分は自分の姿を見て、拳を交えることで理解してくれたのだ。
たとえ砂漠の中の砂金ほどの微々たる可能性だとしても、あの地獄の中で亡霊のように徘徊する『嵯鞍洋斗』には確かな救いの可能性が、『桐崎洋斗』という新たな人生があるのだ───鬼に呑まれた彼をこの手で倒すことで、それを直接伝えることができた。未来への希望を閉ざした彼にその光を再び灯すことができたのだ。
───嬉しかった。胸の中に熱が灯るのを感じるほどに。
「…………きっと運が良かっただけなんだ」
洋斗は、蛇足なのを覚悟の上で言った。
「俺達の違いなんてその程度の小さなもんだ。また同じ人生を進んだとしたら、きっと救われたのはそっちの『俺』だ」
後半は寝言のようにほそぼそとした声になっていた。意識が落ちかけている。わずかに残っていた体力が遂に尽きようとしていた。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………そっか」
自分の声が聞こえる。
まるで安堵したような、未来への恐怖など微塵もない落ち着いた声だった。
「…………そうだと、いいな」
返事は返ってこなかった。
張り詰めていた気が緩んだことで緊張の糸が切れたのかもしれない。
大の字で横たわった、自分と瓜二つな身体を横目で一瞥して、『俺』は空を見上げる。
「…………救いは、あったよ」
なぜか口からそんな言葉がこぼれた。
理由はわからない。ただ、その一言で肩の荷が下りたような安心感を感じた。
『俺』は半開きだった目を閉じる。
その先の闇に、絶望は無かった。
~~~~~~~~~~~~~~~
───あの日、『俺』は地獄を見た。
苦痛に歪んだ知人の悲鳴。
畑の土を染める子供の鮮血。
むせ返るほどの死の匂い。
通りを埋め尽くす友人の亡骸。
この世の物とは思えないような、死に支配された世界に、『俺』は独り取り残された。
───しかし。
最初は畑の作物を手で掘り返して、
畑が空になれば食べることを忘れ、
最後は獣の本能を思い出して死肉を食い漁りながら、
───それでもなお、『俺』はその世界で命を捨てることはしなかった。
自分がなぜ生きようとしたのか、自分が何を求めて生き永らえたのか、こうして鬼から開放された今でも解らない。
ただ。
心の何処かで求めていたのかもしれない。こんな世界でも、自分を救い出せる何かがあると信じたかったのかもしれない。
求めて、
信じて、
願って、
叶わなかった。
体が骨と皮だけになり、まばたきする力すら失った身体が世界を覆う空を見上げる。
…………救いは、無いのか?
命が身体を離れる中、心が世界に問う。
真っ暗な絶望の中でその願いに答える声は無く。
『こんな世界、僕が消してやる』
聞こえたのは年齢も性別も解らない声。
───そして、
『君のために、君の身体を貸してくれ』
地獄のような血の色の光を放つ稲妻だった。
~~~~~~~~~~~~~~~
〜15:18〜
「ケンジ速く!!」
「お前が速過ぎんだよ相良!」
以前の面影を失った閑散とした大通りを、二人の学生が走っていた。
片や明朗快活なムードメーカー相良 葉菜。片や寡黙で冷静沈着を貫く昌蔵 謙二郎。
性別も性格も正反対なこの二人だが、どちらも同じくある少女の友人である。
彼らは一般市民と一緒に避難していたのだが、舞咲への心配が限界を超えた相良がUターンし、それを昌蔵が追いかけたのだ。
真っ先に向かった舞咲の家の前では、二人で絶句した。
周囲の住居に比べても遥かにメチャクチャになった───この家だけピンポイントで叩き壊されたような光景を見て舞咲を狙うただならぬ雰囲気を感じ取った。
そこから、森で迷わないために落としたパンくずを辿るように、残された凄惨な破壊の跡を辿って走り続けているのだ。
───この先に彼女がいると信じて。
「……………………なに、これ」
「……………………」
大きな屋敷の門の前まで来た。
扉は既に外から打ち破られていて面影も無い。そこに至るまでに伸びるえぐれた地面がその破壊力を物語っていた。
そして、この先に彼女がいるであろうという事も。
「……………………行こう」
早良は言う。
「…………あぁ」
昌蔵は同意を示して歩を進める。
早良の震える手を押さえて、それでも進むという彼女の決意を断れなかった。
彼女は、そこにいた。
台風が通った後のように至る所に建物の破片が飛び散り、地面はボコボコに凹んでいる。そんな、戦後の荒廃した世界を思わせる空間の中心で、彼女は座り込んでいた。
そのまま砂のように崩れそうなほど脆く虚弱な背中、背中に飛散した真っ赤な血の跡を目にして、それだけで昌蔵は萎縮してしまう。
ここは自分達が踏み込んではいけない世界なのだ───そんな声が聞こえてくるみたいだった。
昌蔵が光景に立ちすくむのをよそに、早良は小さく一歩前へ出る。
「…………舞咲?」
声を震わせながらも、その背中に声をかけた。
ゆっくりと彼女の首がこちらへ回る。
「……………………」
無言でこちらを向いた二人の親友。
そのぼろぼろにくたびれた身体と虚を覗いたような───むしろ何も見ていないみたいな無機質な瞳に、二人は遂に言葉を失ってしまった。
彼女の腕に抱かれた、兄の死体が目につかない───いや、ただ単に誰かの死に遭遇した経験のない二人にはその死体は人ではない『何か』としか受け入れられなかったのかもしれない。
とにかく、今の二人は抜け殻のような舞咲の姿から目を逸らせなかった。
「…………何が、あったの?」
問わずにいられなかった。
「なんでこんな…………それに、お兄さんが…………どうして…………」
「…………………………………………」
頭の整理がつかず文章にすらなっていない質問に対し、舞咲は口を動かすこともなく回した首を戻してしまった。
───その沈黙を破ったのは、意外にも昌蔵だった。
「…………教えて、くれないか?」
昌蔵は出来る限り優しく声をかけた。
「辛いのはなんとなく分かる。だけど…………頼む。俺たちに教えて欲しい」
「……………………………………………………」
舞咲は依然として黙っていたが、昌蔵と早良も口を噤み、彼女が自分から話してくれるのを待った。
───恐らく数分はそうしていただろう。
「…………………………………………兄さまが、いなくなった」
ぽつり、ぽつり───と。
彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「…………それに、父様もこの手で殺した」
その背中に心情は何一つ無い。
盤上に駒を置くように、ひとつひとつ丁寧に機械的に言葉を並べていく。
「たった一日で、私が欲しかったもの、大事なもの…………全部壊れちゃった…………」
つ───、と。
歯を食いしばることも、嗚咽を漏らすこともなく。
壊れた機械から溢れた油のように。
彼女の頬を一筋の涙が落ちた。
「どうして、こんな事になっちゃったのかなぁ…………?」
涙と出たのは、溢れんばかりの『後悔』の言葉だった。
二人が惨憺を孕んだ表情で射竦む先で、彼女はただ沈黙と後悔の中に沈んだ。
───私は。
私はただ、幸せに暮らしたかった。
兄さまと一緒に学校に行って、友達と取り留めのない話題で盛り上がって、時々桐崎先輩と稽古なんてしちゃったりして。
それだけじゃない。
父様の事だってそうだ。
確かに父様のことはずっと疎ましく思っていたし、いつまで経っても私たちに目を向けてくれないことに腹を立てたこともあった。一族の繁栄に家族を利用したと知ったときは確かな殺意を抱いて相対した。
けれど。それでも。
普通の家族らしく『お父さん』って呼んで、一緒にご飯を食べて、学校であったことを話して、笑いあって…………。
私は、そんな時間がいつか来ると信じていた。
ただ家族みんなで一緒にいたい。
そんな当たり前がいつか来ると思っていた。
なのに…………。
この手から、全て消えてしまった。
この手で、全て壊してしまった。
一人の少女が思い描いた理想は、もう二度と叶わない。
ぱた、と。
熱も感じなくなった家族の頭に涙が数滴落ちる。
失意と絶望の中、無明の暗闇へと沈む。
もう希望なんてない。
沈み、浮き上がる気力も失せた彼女の身体。
「…………大変、だったんだね」
───沈みゆくその腕を、誰かが掴んだ。
後ろから手を回して身体を抱きしめられる温もりを感じる。シンプルで真っ直ぐな励ましの言葉が冷え切った心を揺さぶる。
それはあまりにも心地良くて、鬱陶しかった。
「…………離れて」
「離れないよ」
なんとか突き放す言葉を絞り出した。けれどそれは即座に却下された。
「離れて」
「イヤだ」
友達はその手を解いてくれない。
それどころか、拒絶される度に友達の腕は一層強く身体を包み込んだ。
沈んだ身体を引き上げる浮遊感───それがとても、怖かった。
「…………独りに、して」
堪らず本音の片鱗が零れる。
このままじゃ、これ以上優しくされてしまっては。
私はきっと、『何か』が壊れてしまう。
───しかし。
「絶対独りにしない。独りになんてさせない」
それでも友達は、舞咲を見捨てたりはしなかった。
きっと友達も察しているのだ───舞咲を独りにしても別の『何か』が壊れる事に。
「お兄さんだけじゃない、舞咲には私がいる!ケンジだっている!私達がずっと一緒にいるよ!だから…………そんな事言わないでよ」
とても優しい言葉だった。豪雪の先に見える家の明かりのような、儚くも暖かく力強い言葉であった。
───けれど。
「…………………………………………な、んで?」
それがどんなに優しい言葉でも、彼女はそれを受け入れることができなかった。
むしろ受け入れてはいけないとさえ思っていた。
「私、『化物』なんだよ…………?」
私にそんな資格は無いと思ったからだ。
「家族だけじゃ、ない。私はたくさん人を殺した。私はきっとここにいちゃいけないの。なのに、なんで……………………?」
私が近づいてしまっては、暖かい明かりの点いた家の扉を開けてしまっては、
きっと中の人は血濡れた姿を見て怯えるだろう。嫌な思いをしてしまうだろう。迷惑だってどれだけかけてしまうか解らない。
───だったら。
たとえどんなに寒くても。身も心も寒波に凍えようとも。
扉を叩いてはいけない。その向こうの幸せまで壊してはいけない。
それが『自分以外』誰も損をしない最適解なのだから。
なのに…………なぜ?
───その解に。
───その問いに。
───その言葉に。
涙を浮かべる相良は一瞬の迷いも無く叫んだ。
「『友達』だからだよ!!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
舞咲には、その言葉が飲み込みきれない。けれどもその言葉は確かに雷撃のように身体を貫き、舞咲の胸を打った。
胸の内に浮かんだ言葉を、相良は嗚咽混じりで叫ぶ。
「悪いことをしたんだと思う。やっちゃいけない事を、しちゃったんだと思う…………だけど…………っ…………だけど舞咲は私の大切な友達なんだよ…………っ!だから私は離れない!友達のことを化物だなんて言わない!たとえ舞咲でも、私の友達を化物なんて呼ばないでよ!!」
冷え切った彼女の心に響くように強く訴えかける。彼女の肩が、少しだけ震えている。その顔は見えない───けど、なんとなく解っていた。
「それに───」
相良は抱き締めていた腕を解き、舞咲の顔を手で挟んで、顔がこちらに向くように回した。
「化物じゃ、そんな顔出来ないよ」
…………………………………………………………………………………………………………私は。
私は今───どんな顔をしているのだろう?
鏡なんてない。水たまりでも覗けばその顔を拝めるだろうか?
けれど。
たとえそんな事をしなくても、確かなことがある。
後悔、悲哀、嘆き、愛情。
ありとあらゆる感情がぐちゃぐちゃになって冷え切った心を焦がす。熱い、とても熱い気持ちが胸の中から溢れてくる。
───涙が、止まらない。
「舞咲は優しいもんね。辛いこと全部抱え込んじゃうよね。悪いことしたら、反省して、それを返さないと…………これからどうするか、あとで一緒に考えよ?」
相良がまた舞咲を抱き寄せて言う。
「だけど、今は…………今だけは泣いてもいいんだよ」
死んでいた心が溶かされていく。
その温もりに縋らずにいられなかった。目からぽろぽろと涙をこぼしながら、それでも聞いた。
「こんな私を、まだ…………『友達』だって…………言って、くれるの…………?」
「大丈夫。言ったでしょ?私達はずっとそばにいるよ───離れても、ずっと」
───限界だった。
相良の体を掻き抱き、しがみついて泣き叫んだ。
ぼろぼろに荒廃した地域に、血だらけになった少女の泣き叫ぶ声が響き渡る。
その悲痛な叫びを聞き入れながら、二人の友達は背中を優しく撫で続けていた。
~~~~~~~~~~~~~~~
ー2014.08.24ー
洋斗が目を開けると、見覚えのある白い天井が広がっていた。脱力しきった目で天井を眺めているうちにそれが学校の保健室のものだったと洋斗は思い出す。
セントヘレナ宅より硬めの布団の感触、開いた窓からそよぐ風になびいたカーテンなどにも覚えがあった。確か、最後にここに来たのはマーデルの研究所で風穴を開けられた後だったか。あれからまだ2ヶ月も経っていない実感が洋斗には無かった。
彼は布団の中で身を捩ろうとしたが、どうも動きに阻害感がある。周囲を一瞥して分かった理由は2つだ。
ひとつは全身に巻かれた包帯。
ミイラのように…………ほどはいかないまでも至る所が包帯でぐるぐる巻きだ。それ自体が関節を邪魔しているのはもちろん、傷が包帯と擦れて滲みた。
もうひとつは横で寝ている女の子の存在。
丁度腰のあたり、頭髪を輝く金色に彩られた彼女は布団の上で腕を組み、それを枕にして小さな寝息を立てていた。心優しいユリアのことだ、きっと見舞いに来た時に寝てしまったのだろう。
起こすのも悪いと思い、洋斗は大人しく頭を枕に戻す。そして思った。
(…………あれから、どうなったんだろ)
嵯鞍の事、ユリア達の事、蘇我の事、蘇我舞咲の事。
きっとこれらの事は複雑に絡み合っていて、自分は氷山の一角ほどしか関わっていないのだろう。それらがどうなっていたのか、それが今どうなっているのか。一角とはいえ当事者である以上知らなければならないと思った。
「……………………んぅ…………」
ぼんやりと天井を眺めているうちにユリアがゆっくりと目を覚ました。腕枕から顔を上げた眠気眼のユリア。「寝てましたぁ…………」と独り言を呟きながら目をこすっていたが、その目がふと彼の目を向いた。
「……………………………………………………」
「…………お、おはよう」
「……………………………………………………」
「えっと…………」
洋斗を呆然と見つめているユリア。何となく気まずくなったので朝の挨拶で間を埋める。それでも言葉が出ないユリアだったが、
「…………よだれ、出てるぞ?」
「ッ!?」
流石に反応を示さずにはいられなかったようだ。
顔を真っ赤にして自分の口元をグシグシと拭う。そして誤魔化すようにコホンとひとつ咳払いして、優しく微笑んだ。
「目が覚めたんですね!良かったです!」
「あぁ、おかげさまでな」
「心配したんですよ?丸二日寝ていたんですからね?」
「そうだったのか…………」
自覚はあったけれども、やはり身体は相当疲弊していたようだと自覚する。しかし一日経っているなら事態もある程度沈静化しているだろうから、ユリアも事の成り行きを聞かされているはずだ。洋斗がそれについて質問し、ユリアがそれに答える───そうして少しずつ頭に絡みついた疑問を紐解いていった。
まずはユリアの顔に貼ってあるガーゼに目を向けた。
「その、特別大きな怪我はなかったみたいだな」
ユリア、芦屋、鈴麗、あとは玄チャンを始めとした教職員達は洋斗の『我儘』を支援するために蘇我氏を足止めを引き受けてくれていた。
ユリアは照れくさそうに頬を掻きながら言う。
「はい、先生たちが最前線に立って私達は後方に回ってたので、特に大きな怪我もなく無事に沈静化できたんです。蘇我の人たちはまとめて警察団に引き渡されて、今は勾留所に収監されています。後のことは警察団に引き継いで学校側は街の復旧に全力を注いでいるみたいです」
『後のこと』というのは一連の事件における真相の究明のことだろう。蘇我、学校、そして鬼。
これらの関連を先に調査することになる。
「そういえば、…………洋斗君は坂華木先生と、その…………戦ったんですか?」
「え…………あぁそうだ、確か街で出くわして…………」
「学校の先生たち…………特に坂華木先生は洋斗君に謝りたい、って言ってました」
嵯鞍洋斗と桐崎洋斗は実際ほぼ同一人物だから無理もないのだが、洋斗に疑いをかけてしまったことに坂華木先生は強い罪悪感を感じており、復旧に目処が立ち次第謝罪に訪れるそうだ。
もちろん、洋斗はその謝罪を後腐れ無いよう受け入れるつもりだ。
そう考えていたが、自然と思考が別の方向へと飛んだ。
「そうだ、鬼は……………………もうひとりの俺は、どうなった!?」
洋斗が知りたい事情のもうひとつ───むしろこれが本命。自然と声が荒くなる。
確か嵯鞍洋斗は俺と一緒に路頭に倒れていたはずだ。自分がこうして保健室に搬送されているということは嵯鞍洋斗も何かしらの『処置』を受けているはずだ。
「あ、それは…………その…………」
しかし、その疑問を問われたユリアは後ろめたそうに目を伏せた。それが答えとなっているので、その先を聞くことなく「そうか…………」と呟いた。
「今、その…………『俺』の死体はどこにあるんだ?」
「…………先生たちが、元々鬼が封印されていた黒色水晶碑の傍に埋葬してます。黒色水晶碑はそのまま慰霊碑として残すそうです」
「見せしめとして何処かに磔───なんてなってたら堪えるからな。良かったよ、ちゃんと埋葬してくれて」
「…………そう、ですね」
洋斗は大きく安堵した表情を見せる。彼の柔らかい表情を見て、ユリアも少し頬を緩めた。
ユリアを安心させるためにはもちろん、洋斗自身、二度も京都を壊滅的な危機に追い込んだもう一人の自分がどんな扱いを受けるのか心配だったのだ。鬼に呑まれた人間が天国に行けるのかは分からないが、せめて死後の世界の中だけでも平穏な時間を過ごしてほしいと思う。
「あ、それと…………」
何かを思い出したユリアは、おもむろにショルダーバッグを漁る。
その中から出たきたのは一通の封筒だった。住所はユリアの邸宅だが、その宛名には『桐崎 洋斗』と明記してある。
そして、差出人には『蘇我 舞咲』と書かれていた。
「まだ封は切っていません。渡しておきますね」
お大事に───とひと言加えて言い残し、ユリアは病室をあとにした。
「………………………………」
彼女の背中を見送り、封筒の封を切り始める。
舞咲の事は今も鮮明に覚えている。放課後の剣術指南のとき見た翡翠色の雷、湖のそばで刃を交えたときの追い詰められた表情が印象的だった。
そんな彼女からの手紙。
封を切り終えた洋斗は開いた便箋に目を通した。
━━━━━━━━━━━━
拝啓 桐崎洋斗様
雨上がりの蒸し暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
先輩は昨日から入院していると学校からうかがっています。一連の騒動で怪我を負ってしまったということで、一日も早い快復を祈っています。
今回こうして手紙を書かせていただいたのは、先輩に謝罪の意を伝えるためです。本当は直接会いに行きたかったのですが、今は京都府警の拘置所に留置されているので出所も面会もできません。どうかお許しください。
湖のそばで先輩に刃を向けたとき、私はまだ誰かの命を奪う怖さを知りませんでした。けれど自分の能力で、怒りに任せて人を殺し続けた後、その重さがのしかかったのです。多くの命を奪った後悔で身体が震えるほどでした。こうなってしまう前にそれを教えようとしてくれた人を、私は殺そうとしていたのです。
とても後悔しています。本当にごめんなさい。ここで今できる精一杯の謝罪です。
私のこの後ですが、何日か取り調べを受けたあとで検察に送検、そこから起訴されればその二ヶ月後に裁判だそうです。警察団の人が教えてくれました。
許されるなら罪を償う機会が欲しいですが、それはとても難しいことだと分かっていますし、どんな重い罰でも受け止めようと思っています。
けれど、家族をすべて失ってしまったけれど、私には帰りを待ってくれる友達がいます。後悔と自責で押し潰されそうだった私を抱き締めてくれる友達がいます。なのできっと自分が侵した罪としっかり向き合おうと思えます。なので、どうか私の事は心配しないでください。
長文となってしまいましたが、先輩のご快復と今後の明るい明日を心より願っています。
敬具
二〇一四年八月ニ三日
蘇我舞咲
追伸
数回でしたが、放課後に稽古をつけてくださってありがとうございました。
将来、先輩みたいな強い人になりたいです。
━━━━━━━━━━━━
その全容は見えないまでも、洋斗が知りたかった事は何となく知ることができた。
彼女はあれから何かしらの原因で雷神の力が暴走し、その結果家族を失った。それで現在は警察の人たちに身柄を保護されている───ここまで文面から把握できれば十分だ。
まだどんな罰を受けるのから決まっていないようだが、きっと彼女なら逃げずに向き合えるだろう。
───嵯鞍洋斗に桐崎龍次と桐崎世良がいたように、蘇我舞咲にも見放さず寄り添ってくれる『友達』がいるのだから。
「……………………………………………………家族、か」
そこまで考えて、洋斗はふと思う。
もし桐崎龍次と桐崎世良がいなかったら、自分はあの地獄の中でどのように死んでいただろう───と。
嵯鞍洋斗のように、残酷な世界に対する憎悪に呑まれて死んでいただろうか?
蘇我舞咲のように、家族親類を殺した後悔で押し潰されて死んでいただろうか?
そのどちらでも無い『桐崎洋斗』として今を歩けているのは、紛れもなくそれを支えてくれる人がいるからなのだ。
───今、自分はその人たちとは別の世界に生きている。
それでもいいんだ、と言う思いがあった。
この世界での生活は楽しい。とても充実した時間を過ごしている。新しい自分の居場所も出来たし、新しい友達も出来た。
それらを手放したくないとも思っていた。
───けれど、今は違う。
今すぐあの人たちに会いたい。
会って、この世界であった事を全部話して───そして出来る限りの感謝を伝えたい。
もとの世界にいた頃は自我を守るので精一杯でそんな余裕は無かったけれど。
たとえすべてがリセットされて、またイチから世界を作らなければならないとしても。
───ありがとう、と。
感謝の言葉を伝えたい。
「…………………………………………帰り、たいな」
自分の中で、ひとつの答えが定まった気がした。




