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Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~  作者: ふろすと
現世編
47/61

15章-4:誰が為に雷鳴轟く

 


 〜14:12〜


 最早建物の原型すら留めていない、かつて広大な屋敷だった空虚な敷地。

 石と木の残骸しか残っていないこの空間を、翡翠の閃光が一閃に貫く。

 逐一策なと練らない。

 ただ感情に身を任せて、舞咲は渾身の一撃を叩き込んだ。

 守近が引き抜いた短い刀と舞咲の童子切、二本の刀の『白刃同士』が交錯した。

「…………?」

 刃が擦れ、ギリギリと金切り音が鳴らされる。その事実に舞咲は思わず目をきつく細めた。

 拮抗した鍔迫り合いから距離を取り、翡翠色の雷撃を放つ。しかし空気が爆ぜるほどの閃光は、守近が俊足で振り回す刀によって打ち払われた。

 ───能力では弾けない雷神の雷を正確に、一つ残らず。

「不思議かね?通常では弾けない雷撃を老体がいなしていることが」

「……………………」

 完全に図星を突かれたため、じっと押し黙る舞咲。

 本能があの刀に違和感を感じていた。

 刀同士がぶつかったとき、童子切がまとっていた雷撃をあの刀はすり抜けて、直接童子切と拮抗した。距離を取って雷撃を飛ばしたときは、刀に当たった瞬間雷撃が弾けた。まるで雷撃を切り裂いたかのように…………。その上歳を取った身体で雷撃のスピードに追いつき、童子切より範囲の狭い刃を正確に当ててみせた。あの年齢であの動きができるとは、舞咲には到底思えなかった。

「不思議に思わなかったのか、この時期に突拍子もなく事態が進展した事に」

 そう言って守近は見せつけるように、手元にある刀を翳した。それは童子切より短いにもかかわらず、童子切とはまた違う気迫を放っている。舞咲にはそれが直刀よりも短い脇差であることしか分からなかった。

 脇差は、相手との間合いが近かったり破損したりという理由で直刀が使えないときに用いる、通常よりも短い日本刀だ。そのため直刀と脇差の二本を常にセットとして腰に差していることがほとんどだ。しかし守近はその脇差以外の刀を帯刀していない。それだけその脇差に自信を持っているということを意味していた。

 守近はその銘を口にする。


「銘は『雷切』、かつて雷を斬った逸話の残る天下五剣の一振りである」


 ───雷切。

 舞咲の手にある童子切と同格にあたる天下五剣の一本だ。かつてその刀は『千鳥』と呼ばれていたのだが、それが『雷切』へとその銘を変えた背景にはある逸話の存在がある。

 天文17年、かの武将である立花道雪が35歳の頃。彼は当時故郷の藤北の大木の下で昼寝をしていた。その時急な夕立で雷が落ちてきたが、道雪は枕元の『千鳥』を抜いて落雷を切り裂き、木陰から飛び退いた。その衝撃で道雪は半身不随になったが、落雷から生きて帰ったという称賛からその刀は『雷切』と銘変わった。

 もしその史実が事実であれば、雷への耐性が一際強いという事にも繋がってくる。

 すなわち、

(雷を、斬られていた…………?)

 雷を撃ち出した時はそれを斬られ、鍔迫り合いの時は童子切にまとっていた雷を斬っていたと言う事だ。

 ただ、まだ腑に落ちない。

 その答えを、守近は見越したように補完した。

「流石は名刀、儂の身体を風のように『動かしてくれる』ぞ。それこそ稲妻に追いつけるほどに、な」

 ───前提として

 雷を切り裂くためにはその雷を目で追い、それに刃を合わせる必要がある。しかし人間本来の能力ではそれはまず不可能だ。だから人類の脅威である雷への対抗策として『持ち主に特殊能力を付与する妖刀』を作り上げた。

 すなわちその特殊能力は───神速。

 持ち主に、落雷を目で追えるほどの視力と、『刀が身体を動かす』ことで落雷に対応できる反射速度を授けるのだ。

 それを聞き、これまでの異様な反応速度を思い返し、そして。

「………………………………だから何?」

 それらの考察を全て他所へ放り捨てた。

 たとえ雷を斬り裂く妖刀であっても、たとえ異常な反応速度を備えていようと、たとえ相手が雷神の天敵であったとしても───それでも舞咲のやることは変わらない。

「御託なんて関係ない。私がアンタを殺すだけだ!!」

 舞咲は駿足で間の距離を喰らい、守近に上段を叩き込んだ。翠雷に輝く刀と頭を庇うように割り込まれた脇差が激突する。放出された雷が左右に裂け、彼の背後にある地面を縦に抉り取った。

「この力を蘇我のために使ってくれれば良かったのだがな…………だが」

 ビリビリと空気を震わせるほどの力の奔流をしわがれた肌に感じつつ、守近は口角を吊り上げる。

「この力を拝めただけでも、『兄を殺した価値のある』というものだな?」

「づ…………ぁああああああ!?!」

 舞咲の頭が瞬時に湧き上がった。

 溢れる怒りに任せて縦横無尽に斬りかかる。

 雷切はまるで童子切に引き寄せられるようにひらりと華麗にいなし続けた。しかしそんな事など歯牙にもかけず、舞咲はただ力任せに雷撃をぶつけ続ける。

 一切の策も無い、まるで子供の癇癪のように単調で純粋、そして獰猛で愚鈍な攻撃だった。

(……………………………………………………容易い)

 守近は歓喜を通り越し、筋書き通りに行き過ぎて退屈という感情を抱いていた。この複雑な感情をあえて一言でいうならば、『拍子抜け』が相応しい。

 思えば、今日まで長い時間を待ち続けた───剣戟の最中そんなことを思うほどに、この戦いは退屈だった。

 彼女が『思春期』という多感な年齢に育つまで動き出したくなる衝動を抑え込み、その時期に合わせて『雷切』という名の手綱を手に入れ、兄の死によって大きく舞咲の心を揺さぶり───彼女の中の雷神を叩き起こす。

 長い期間、彼女に雷神が宿ったと知ったその瞬間からずっと、ずっと温め続けた。全ては雷神の力を、ひいては過去の栄光を蘇我に再びもたらすために。

 その計画を、彼らは忠実になぞってくれた。しかし、その雷神がこの有様だ。憤怒と雷神の力が共鳴し、自身ですら制御できぬままに手足を振り回す様は只の餓鬼だ。感情に後押しされた彼女は、最早本能に従い暴れ回る猛獣でしかなかった。

 その上、今も守近の体を踊らせる雷切ですら守近が思うほどの力ではなかった。ひと振りで雷神もろとも吹き飛ばすような絶大な力を想像していたのだが、本来の持ち主であった立花道雪ですら落雷で半身不随に陥っているのだから無理もない。むしろ未だ雷撃を受け続けても五体満足でいられている程度には史実以上の効果を発揮しているのだろう。


 ───だから。

 守近は静かに頭を切り替えた。

 雷神を操る術はない。

 だからせめて、蘇我が上へ登る足がかりとして、街に(あだ)成す雷神を討ち取るという名誉だけでも頂こう、と。


 守備から攻撃へ。

 明確に行動理念をシフトする。

 理念を行動に移すのは容易だった。ほんの少し手首を(ひね)る。僅かに刀の軌道を変える。一瞬の間だけ肘に力を入れる。小さく体を前に傾ける。

 それだけで雷切は理解する、彼が発する反撃の意思を。

 効果は即座に、明確に現れた。

 上下左右から暴風雨のように降り(しき)る稲妻を滑らかに掻い潜り、体が想像より早く舞咲との距離を詰めていく。

 そして無数の乱撃の中、舞咲の右の脇腹に刹那の隙を認めた。

 腕に付いた糸を引かれるような感覚とともに刀が一瞬で軌道を変える。白刃が雷撃の隙間を縫い、右の脇腹へと吸い寄せられ、彼女の腹に赤の傷をつけた。

「っ…………!」

 舞咲の顔が苦痛で歪む。

 だがそれも一瞬で、それも眉間にしわが寄り口元に力が入る程度の機微なもの。すぐに怒りがそれを塗り潰し、雷撃と斬撃を叩き込んできた。どうやら傷が浅かったようだ、まだ雷切を操りきれていないらしい。

 だが、恐らくそれも時間の問題だろう。

 少しずつでいい。

 雷神を(なぶ)りながら慣らすだけだ。



(当たらない…………ッ!!)

 何度となく童子切を振り下ろし、

 山ほどの雷撃を叩き込んだ。

 頭も冴えてる。身体も依然として軽く、体から溢れる雷光の破壊力は屋敷『だった』風景が物語っている。

 ───なのに。

 腹部への横薙ぎは受け止められた。

 上段の袈裟斬りはいなされた。

 脳天を穿つはずの翡翠の雷槍は撃ち出した傍から真っ二つに両断された。

 脇腹が熱い。守備に徹していた守近が、『飽きた』と言わんばかりに攻撃を混ぜ始めている───などと頭をよぎっている間にも頬にピッ、と一筋の刀傷が走り、刃先が肩を掠めた。網に追い込まれる魚のように、首筋に向けてじわりじわりと魔の手が迫っている。

 それはまるで遊び相手にでもされているような気分で、相手にすらされていないような気がして。

 焦りが、舞咲の自我を炙る。

(私は…………私は、兄さんを殺したあいつを殺す)

 理性を焦がされ、彼女の本能の部分が───兄の死を隠れ蓑にした、父に対する『殺意』が主張を始める。

 目の前の男を、兄の仇敵をこの手で斬る。その意思だけで今の彼女は動いている。

 その焦燥感が、復讐心が。

 彼女の心を削り、本能に囚われた猛獣を雷神に相応しい形へと作り変えていく。


 ───世界が変わる。

 ───体が変わる。


 ───心に雷神が憑依する。


「これが、雷神の力か?」

 衝撃が渦巻くなかでの鍔迫り合い、その最中に守近は口を開く。

「とんだ『化物』に成り下がったものだな、舞咲」

 毒の絡んだその言葉に、ギリ…………と奥歯が軋んだ。

「…………どの口が言うの…………」

 ───ふざけるな。

 舞咲には、その言葉があまりに憎らしい皮肉に思えた。


「お前のほうがよっぽど『化物』じゃない…………!!!」


 お前にだけはその言葉を言われたくない。そんな思いが炎のように口から吹き出される。

「私達家族から自由を奪って、利用して、駒として使い潰した挙句に『いらない』って吐き捨ててるのよ!?そんな奴の方が人の革を被った『化物』じゃない!!そんなお前には…………お前には私を『化物』なんて呼ぶ資格はないッ!!!」

 バヂン!!、と。

 力任せに守近を薙ぎ払う。足を滑らせながら体勢を立て直した守近は、娘の怒号を目前で受けてなお不敵に笑った。

「その身体で、一体どこから威勢が出てくるのかが疑問だが」

 舞咲の体には無数の傷が刻まれていた。

 腕、足、脇腹、頬も切れて血を垂らす。服は無残に割かれ赤い斑点に彩られている。

 雷切も徐々に体に馴染んできている。その証拠に、わずかだが後に刻みつけた傷ほど深いものになっていた。

 戦況は圧倒的に守近の優勢だった。

 だが。

(…………しぶとい)

 舞咲は倒れない。

 確かに彼女の白い肌に無数にある傷は全て致命傷とは程遠いものだ。平々凡々な人間だったとしても、苦しんで悲鳴を上げこそすれ死に至ることは無いだろう。

 だがそれを考えても今の彼女はおかしい。倒れるどころか揺らぎもしない。苦しむどころか怯みもしない。

 いや、それ以前に───。


 きっかけは、小さな違和感だった。

 ズドンッッッ!!!、と。

 雷切がかざされた所に最上段からの雷鳴が轟く。その稲妻の破片が、守近の耳を少し切った。

(…………!?)

 ───なぜ。

 戦闘の最中では当然のように起こる事のはずなのに、守近は思わずそう思っていた。

 童子切と雷切が織り成す殺陣(たて)の中で、守近は自身に一片の傷もつかないという安心感のようなものを感じていた。舞咲の雷が己を傷つけることは決して無い、そう錯覚させるほどに。しかし、耳に傷が入ったこの瞬間からその安心が霧散し、わずかな焦りが(すくぶ)った。

 爆散した雷撃の先には、刀を振り下ろして頭ががら空きになった舞咲がいた。

 すかさず雷切がその首を狙い、横薙ぎに滑り込む。

 ───しかし。

 舞咲はそれを、更に頭を落とすことで回避した。

「っ…………!」

 宙を舞った髪の切れ端を置き去りにして、地面と額が触れるほど重心を下げた。それによって曲がりきった足の力を爆発的に解き放ち、突貫。



「な…………!?」

 守近が怯んでいる間に、雷切が舞咲を振り払っていた。舞咲は10メートルほど距離を開けた先に着地している。

 守近は思わず一瞬前に起こった一連の出来事を反芻した。

 上段から刀を全力で振り下ろし、遠心力につられてバランスを崩した彼女の身体───それを彼女は更に強引に身体をねじることで頭を落とした。そこから無鉄砲な突進で間合いを潰し、振り切って切り返せない刀ではなく、腹の肉を引き千切らんとばかりに翡翠色の雷撃をまとった手で掴みかかってきたのだ。

 それはあまりに唐突で、直感的で強引に繋がれた攻撃。ほんの数分前の彼女には無かった動きだ。

 そのうち守近は一つの可能性に至る。


(…………………………………………まさか、『まだ覚醒していなかった』のか…………?)


 フーッ、フーッ…………、と荒く息を吐く舞咲の動きが、少しずつ鋭利なものへと変わっているのが分かる。確実に彼女の中で何かが変わり始めている。

 これの意味するところは、舞咲は雷神として未だ未完成だということ、そして彼女が完成の域へと踏み込みつつあるということである。

 だとすれば、悠長に構えてなどいられない。得意気に飄々と攻撃をいなし続けているなど愚策の愚策。

(急がねば。雷切の手に負えなくなる前に仕留めなければ取り返しの付かない事態になる…………!)



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 ───早く、

 ───速く、

 ───疾く。

 一瞬、というわずかだった時間が今では何倍も永く感じられる。

 強く鋭く、荒々しくも一片の無駄も無い動きが、私の身体に馴染んでいく───まるで過去の記録を紐解いて飲み込んでいくかのように。

 だが無論、そんな記録は舞咲の記憶には存在しない。その記録は雷神の力の本質であり、雷神としての在り方だ。

 溶けていく。

 体が、意識が、心が───。

『私』が雷神の中に、溶けていく。

 痛み、怒り、そして自我までもが希薄になり、霧のようにぼやけて…………。



 ───思えば。

 私が『誰の為に』戦っているのか?

 この時既に、そんな事さえ忘れてしまっていた。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 気づけば、これまでの攻勢など消え失せ、互角以上の戦いを強いられていた。

 雷撃を受けた老体が浮き上がるほどの威力になっている。それはつまり、雷切の力を持ってしても御しきれない境地まで至りつつあるという事だ。

「一体、何が……………………何が雷神をそうさせる!?なぜ儂ではなくその小娘なのだ!?」

 守近は舞咲へと叫ぶ。いや、正確には舞咲を内から操っている雷神に胸中を吐露していた。

 ───なぜ彼女なのだ、と。

 ───なぜ平世をのうのうと生きるだけの彼女ではなく私を選んでくれなかったのか、と。

 だが。

「……………………………………………………………………………………」

 フーッ、フーッ…………と。

 怒気を吹くような荒い息を吹き続けるだけで、舞咲は言葉を返さない。

 それどころか眉目一つも動かさず、感情の変化を見せず、老体に翡翠の雷撃を叩き込んできた。

 交錯する剣戟を境に交わる視線。文字通り雷光弾ける舞咲の瞳、その奥に獲物を狙う狂暴な色を見た。

 全身のバネを酷使した野性的な動き。

 言葉に意を介さない威風堂々とした立ち居振る舞い。


「…………とうとう言語すら忘れたか…………この『化物』め」


 ───それは獰猛な野獣の姿と相違なかった。

 人の器で人の域を超えるため、雷神は人の心と人の理性を喰らったのだ。心を失った彼女はただ無慈悲に力を解き放ち、理性(タガ)の外れた彼女はその身を焼きながら人体の限界を超えた力を操る化身となる。

 それは雷神の器への強制的な転変に他ならない、度を越した所業だった。

「  !」

 足が地面を割る轟音を置き去りにして、雷神の間にあった十数メートルの距離を焼き切った。

「く…………ッ!!」

 守近が目を見開くより速く、雷切が仇敵の対応に走る。胸の前に斜めにかざされた脇差の刃、それに吸い込まれるように童子切の(きっさき)が突き込まれた。

 最早雷切をもってしても華麗に流すことなど叶わなかった。名剣に受けきれなかった剣先、雷撃、衝撃。その全てが老体を吹き飛ばす。世界が二転、三転と駆け巡る。目まぐるしく回る視界についていけず、守近には受け身の一つも取ることができない。

 坂道を転げ落ちる人形のように地面すれすれに放り出される身体。

 その目が一瞬だけ捉えたのは───無防備な自分に向けて今まさに刀身から翡翠の雷槍を放たんとする、小さな雷神の姿だった。



((つい)えてしまう…………)

 大化の改新───蘇我入鹿が暗殺された謀反事件以来、藁にすがるようにして蘇我の家系は細々と繋がれてきた。

 確かにそれは、千と四百という長い年月を永らえ、現在に至るまでその名を絶やさなかったという功績を残している。それは生半可な力と意志では成し得ることの出来ない成果であり、名誉である。

 ───だが現代に家名を継いだ守近はひたすらに野心家だった。これまでの者が見過ごしてきた、『平穏』という名の停滞を良しとしない程度に。『躍進』を高望みしてしまう程度に。

 故に、偉人の遺した知識を探り、故人が綴った歴史をなぞり、在るかも解らぬ逸話を辿って、来るかも解らぬ期を望んだ。

 ───その期に遂に恵まれた、その結果がこの顛末だ。

 悔しい。情けない。

 まるで蘇我などこの程度だと笑われているようでならない。

 家系の抱えた運命に、守近は抗う事ができなかった。

(─────────無念)

 翡翠の波に呑まれる中、脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。




 ~~~~~~~~~~~~~~~




 〜13:58〜


 後方へと押し戻された洋斗の脚が、ぬかるんだ地肌を滑る。

 目に入りかけた血染めの雨水を腕で拭い去り、未だ衰えぬ闘志を秘めて鬼を見据える。

 戦闘は依然として、接近しては押し戻されるの繰り返しだった。接近のさなかに迫る猛攻をいなし続けた両の腕は疲労や裂傷でぼろぼろになり、やっと攻撃に転じても明確なダメージを与えきれぬまま反撃を受けて叩き戻される。口の中には鉄の味を、額には流れ出る熱を感じていた。

 しかし、

(──────やっと、見えてきた)

 未だに洋斗の闘志は失せない。それに留まらず、嵯鞍洋斗の『癖』を掴み始めていた。

 ───再度発走する。

 走る洋斗めがけて雷を帯びた黒い妖気が怒涛のように押し寄せる。躱し、流し、ぎりぎりのラインでそれを回避しながら、嵯鞍の姿を射程に捉えた。

 洋斗は更に地面を蹴り込んで加速、嵯鞍の懐へ走り込む───と見せかけ、目前で能力による身体強化込みで一気に横へ回り込んだ。

 研究所でマーデルと対したときにも用いた迫真のフェイント。速度の緩急をつけた、その姿を見失うほどの急激な方向転換。

 迫る敵を上から叩き潰すように落とされた妖気の杭が残像を貫いたことに───『相手を見失った』事実に嵯鞍洋斗の目が揺らぐ。鬼の動きに空白を生み、一瞬かつ決定的な隙をつくった。

「ふッ!!」

 その間隙を縫って妖気を帯びた洋斗の蹴りが貫く。脚をまとっていた妖気は嵯鞍を覆っていた妖気を砕き、速度の乗った蹴りを側頭部に受けた嵯鞍は吹き飛び、家屋の壁を突き崩した。

 幾多の死線を潜り抜け、傷を負いながらも手にした最初の有効打だった。

「やっと一発入った…………こっから勝負だな…………っ」

 荒く呼吸しながら崩れた壁の先を睨む。その眼に油断や慢心などといった感情は無い。これで出発点、この瞬間ようやく嵯鞍洋斗と桐崎洋斗は同じ舞台に立ったのだから。

 その視線の先。

 巻き上がる粉塵を、ボッッ!!!、と黒の稲妻が貫く。

 洋斗は横に跳ぶことでそれを回避した。一度前転した後、無茶な体勢なのも覚悟で拳を振りかぶる───その目線の先には、瓦礫を押しのけて突っ込んできた嵯鞍が、同じように拳を振りかぶっていた。

 ───雷電が炸裂する。

 ゴッッ!!!!、と、音と衝撃が聴覚を麻痺させる。赤と黒、洋斗の視界の中でおぞましい極彩色が暴れまわる。

 爆風に押し飛ばされ、二匹の鬼の間に再度空間が空く。

 動きが変わった。

 これまで、拳を振ることはあっても洋斗に当てるために振ってはいなかった。拳の延長上の妖気を操るために腕を使っていたのだ。

 しかし、今の一撃には『洋斗に拳をぶつける』という明確な敵意が現れていた。

 恐らく嵯鞍洋斗にとって桐崎洋斗がようやっと脅威であると判断した───洋斗はそう解釈する。

 そして、闘いは先程までの一方的なものではなくなっていた。

 嵯鞍の動きが『排除』から『戦闘』に切り替わり、近接による猛攻を行うようになっていた。妖気そのものを操って鞭のようにぶつける先程の動きに加えて洋斗に直接殴りかかってくる。その突き、蹴りは素人の喧嘩のように無骨だがその一つ一つに途轍もない重みがあり、雷神の斬撃を華麗に躱した嵯鞍人拳の捌きをもってしても衝撃を殺しきれないほどだった。

 一方で、洋斗は持ち前の速度と緩急を酷使してその連撃を掻い潜る。そして針の穴を通すように一瞬の隙を突き、その瞬間に加えられるだけの一撃を加えて姿を眩ませる。

 鉄塊のような嵯鞍洋斗の連撃に対し、桐崎洋斗は白刃のような一撃で食い下がる。

 それも、織り成す連撃の全てが能力の域を超越した人外の一撃。

 荒れる衝撃、宙を舞う瓦礫、世を蹂躙する雷撃。

 一対一の領域を超えた戦闘の余波が一帯の空間を支配した。


 ───その空間の端。

 天災のような猛威の様を目の当たりにしながら、それでも逃げ出すことなく。

 泥まみれの紺色の浴衣を纏い、建物の影に身を潜める少女の姿があった。

「う、なんて妖気…………」

 黒刀逆薙───が具現した少女ナギは、その光景を見て汗を流した。

 吹き荒れる暴風に乗って、泥のように不気味な雰囲気が少女の肌を撫でる。目、鼻、耳、手足の末端までがそのおぞましさを感じ取り、ナギの脳天を揺らす。

 ぐら ぁ…………、と。

 決意が、崩れそうになる。

 土砂降りの雨の中、つい数十分前に立てたばかりの決心が、目眩とともにその根底から傾覆しそうになる。

 しかし、そんな自分に気付くたびに己を奮起させ、背後へ後ずさりかけた脚をその場に縛り付ける。

(目を逸らすな、です…………)

 そして反らしそうになる目線を乱戦の様子に釘付けにした。

(きっとチャンスはそう来ない、その瞬間を逃さないために…………)

 いつでも飛び出せるように常に覚悟を絶やさない。退かず焦らずじっとその機会を狙い、留まる。


 ───これから君には、あの鬼に接触してもらいたい。それも長い時間だ。


 ここに来る最中、雨空の下を駆けている途中で聴いた言葉だ。


 ───君が鬼と接触している間に、僕の空の器で鬼の妖気を『喰らう』。これは元々同じ妖気を入れていた器だからこそ出来ること。それであの鬼から妖気を奪い、力を削ぐ事ができる。洋斗の負担はこれで大いに減らす事ができるだろう。ただし…………


 ───君は悪意の奔流を直接流し込まれる事になる。自身の身を守ることもできず、僕がそれを低減させることもできない。前回以上の『感情』が、君の剥き出しの心を犯すことになる。


「……………………」

 巻末入れずに頷ければどんなに良いだろう、そう考えていても躊躇してしまう。

 蓬莱山の研究所で勃発したDr.マーデルとの闘い、その中でナギは鬼の妖気をその身に浴びた。だから、彼女はその妖気のおぞましさを知っている。認められていない者が強引に妖気を取り込めばどうなるか、その回答を体感で知っている。

 しかし、ここで受け入れなければ変われない。底知れない程の覚悟を決めなければ、この先の一歩をいつまでも踏み出せない。

 その覚悟は、今に至るまでに何度だって固めてきた。それのぐらつきを押し留めて、ぐっ、とその先を見つめる。


 ───斯くして、その期は唐突に訪れた。


「ふッ!!」

 嵯鞍の妖気を寸前で躱し、洋斗の鋭い拳が側頭に突き刺さる。数回ほど泥土を転がった後、滑った鬼の身体が動きを止める。

 ───今しかない!

(…………ッ!!!)

 建物の影から紺の浴衣が脱兎のごとく跳び出した。

 小さな躯体は真っ直ぐ、二本の脚で勇ましく駆ける。頬を切る風雨にのって恐怖が心を撫でるが、少女はそれをも一心不乱に踏み越える。

 そして───。

「今、ですっ!!」

 速度を落とさず、膝をついたままの鬼の背中にしがみついた。

「!?」

 嵯鞍はナギを振り解こうと身体を無尽に振り回すが、彼女の小さな手はそれを意地でも離さない。

「が…………あァァア!!」

 身体から染み出した妖気が、背中に張り付いた『異物』を廃除せんと動く。正確には、『異物』を貫こうと妖気で出来た黒い槍を振りかざした。

 音もなく、少女の脳天めがけて、

 その槍が───落ちる。


 ───精々、壊れないように踏ん張ってて。

 その時、その瞬間。


 ───始めるよ。

 ごりゅ、と。

 彼女の心が、(ねじ)れた。


「う、ぁぁあああ゛ああ、ぁあああああああああぁぁぁああああああ゛ああああああ゛あああ ああぁぁぁああああぁぁぁあああああああああああ あああああああ゛ああああああああああ゛ああああああああぁぁぁあああああああ ぁああああああ゛ああああああ゛あああああぁぁぁああああぁぁぁああああああああああああああ  ああああ゛ああああああああああ゛ああああああああぁぁぁああああああぁああああああ゛ああああああ゛ああああ あぁぁぁああああぁぁぁああああああああああああああああああ゛ああああああああああ゛ああああああああぁぁぁあああああああ───


 腹の底から溢れる悲痛な叫び。

 自分の鼓膜さえ裂きそうな程の悲鳴を挙げなければ、心は一瞬で潰されていた。

 黒い感情が滾々と流れ込んでくる。全身の皮膚から泥が染み込むように。

 心と身体、臓腑の全てを『死』と『恐怖』が蟲のように這いずり回る。

 全身から油のような汗が噴き出し、ぐらつく瞳からは涙すら溢れてくる。

 自我を潰すほどの死の奔流を前に意識が暗転しかける。

 だが───

「ああぁぁ…………がぐ…………うぅ…………!!!」

 ナギはその黒い感情に耐え続けた。

 それがかつて経験したからなのか、固めた覚悟が実を結んだのかは分からない。しかし、機械が壊れる前の軋みのような悲痛な叫びを挙げながらも暴れる鬼を掴む両腕は絶対に解かなかった。

 指の力が抜けていく。意識が着実に遠くなっていくのがわかる。魂が肉体から抜け出してまで逃げ出そうとするのを必死で食い止める。

 ナギが必死に耐える最中にも嵯鞍洋斗は足掻きを止めず、なおも身体を振り回し続けている。妖気だけでなくそれに振り落とされないように、歯を食い縛って必死に耐え続けた。

「があぁッ!!!」

 鬼が一際大きく身体を振り回し、その腕がナギの頭にぶつかった。

 そこで握力と精神力が遂に限界に達する。衝撃が頭を揺さぶると同時に掴んでいた手が襤褸布を滑り、解けてしまった。

「……………………」

 少女と鬼の身体が離れ、少女の方の身体が泥の上を転がる。その体に再び立ち上がるだけの活力は残されていなかった。

 ひた、ひた、と。

 裸足が泥水を踏む音が少しずつその身に迫る。黒い稲妻を撒き散らして歩いてくる鬼。それを前にして、しかしナギにはそれを睨む力すら無かった。

(ぐ…………まず、い…………っ)

 危機が迫っているのは理解している。しかし狂気に打ちのめされて朦朧とした頭では打開の糸口など掴めるはずもなく、口が閉じず(よだれ)を拭う力すらできない身体は最早皿に飾られた餌の類に過ぎない。

 ナギは既に、半ば命を諦めていた。


 ───離れたみたいだね


 既に思考を諦めた脳裏に朱点童子の声が響く。

 ナギとしては、自分がどれだけ妖気を奪い取れたのか、そもそもどれだけの時間鬼にしがみつくことが出来たのかは分からない。時間感覚は妖気の侵入が開始した瞬間から死んでいる。

(よ、妖気、は…………?)

 妖気の光で全身を熱せられながらも、落ちかけた意識を留めて朱点童子に問う。鬼の足は数歩踏み出せばナギの頭を潰せるくらいの距離まで近づいていたが、それ以上に主への貢献の大小の方が重要だった。

 妖しい暗黒が集まった鬼の手が少女の顔にかざされる。『死』という概念が明確な形を持って示される。

 その目前。

 返答を待つナギの脳裏に、フッ、と失笑をこぼす息遣いが響いた。



 ───3割だ。

 ───僕の想像を遥かに超えた、想定以上の『戦果』だよ。



「は、なれろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」

 ゴッッッッ!!!、と。

 拳が骨をえぐる音とともに、鬼が視界の外へ吹き飛んだ。

「大丈夫か!?」

「あ………る、じ………………………」

 遂に明滅し始めた視界。

 それを上に向けると、そこにいたのは何度も見てきた我が主の姿。

「なんでここにいる…………とか、聞きたいことはいくつかある。けど…………」

 彼はそう言って、少女の頭に優しく手を置いた。

「ありがとう」

「…………!」

 少女の目が(かす)かに揺れた。

「少し待っててくれ。このチャンス、絶対に無駄にしない」

 短い言葉を残し、主はすぐさま鬼が吹き飛んだ方へ駆けていった───この大雨の中で、心がボロボロな状態の少女を置き去りにして。

(………………………………あぁ)

 冷たい雨に打たれる中。

 それでもナギは決して寒くも心細くもなかった。

 ───ありがとう

 その言葉が彼女の心を温めていたから。

 それは高々ひと振りの刀相手には絶対にかけない言葉であり、無能な役立たずには決してかけない言葉だ。そんな勿体無い言葉を言ってくれた───それが何より嬉しかった。

 天幕が降りるように、ナギの瞼が下りていく。視界が暗転し、その機能を失った。

(私は、役に…………立てたの、でしょうか…………?)

 闇の中で、ナギは問いかける。

 主人の道具としての使命を全うできず、本来持ち合わせていないはずの人としての肉体を使って、なけなしの勇気を振り絞った。たったそれだけで、与えられた御恩のわずかでも返すことができたのだろうか、と。

 その問いに朱点童子は答えをくれなかったけれど、笑顔で小さく頷いてくれている───なぜだかそんな気がしていた。





(無駄にしない、絶対…………ッ!!!)

 雨を凌げる所に寝かせることもせず、この雨の中ナギを放置して洋斗は駆け出した───鬼を倒す最大の機会であるこの瞬間を逃さないために。ナギが決死の思いで作り出したチャンスを無為にして、その奮闘を徒労にしないために。

 それがどういう理由かはわからないが、鬼の周囲を渦巻いていた妖気の層が薄くなっている。鬼を完全に停止させるために、攻撃が通るこの時間を逃すわけにはいかなかったのだ。

 妖気を帯びた足が向かう先では、殴り飛ばされた嵯鞍が既に体を起こし、剥き出しになった身体を妖気が再度覆い始めていた。

「ぐ、があああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 憤怒の塊のような咆哮を挙げ、丸太のような妖気の槍を数本撃ち出した。

 空気を割いて迫る妖気を前に、洋斗は急ブレーキをかけて回避に回ってしまいそうになる。

 攻撃を巧みに受け流すことで窮地を乗り切る───それが身体に叩き込まれた嵯鞍人拳の基本コンセプトだ。故に時間をかけて積み上げてきた経験が強く洋斗に絡みつく。

 だが───。

(……………………いや)

 まだ妖気が身体を覆いきれていない間に、最短距離で一撃を叩き込むことに全神経を注ぎ、それ以外の選択肢を排斥する。嵯鞍で培った基本理念をかなぐり捨てて、その速度を落とすことなく突き進んだ。

 固く拳を握った腕に赤黒の雷撃を凝集する。脚力増強のための妖気だけ残してそれ以外の───防御のために費やしていた分の妖気を全て拳に集中させる。宿主の腕の筋肉すら血が滲み、焦げるような痛みが神経を通じて(ほとばし)る。肉体が限界を迎えるほどの熱量であることの証明だった。

 鮮血と妖気で赤く染まった手腕を振りかざし、ただ一点───鬼の姿のみを見据えて、首を降ることもなく奔走した。

(止まらない…………全力で走り抜ける!!)

 赤黒の槍と腕が接近する。

 そして───交差した。

「ッ…………ぐ!」

 ドッッッ!!!!、と。

 新幹線が眼前を駆け抜けたような、空気が炸裂する音が耳を穿つ。

 赤黒の光、雷、熱が顔を焦がし、耳の皮を引き裂く。

 洋斗の『顔面すれすれを』妖気の槍が貫いた結果だった。

「ッ!?」

 鬼の顔に驚愕の色が浮かぶ───その姿は紛れもなく人間の表情だった。

 洋斗の体が最高速を維持したまま無数の槍に支配された領域を通過。あと少しでまといきっていた妖気の隙間の剥き出しな部分は、既に射程の内にある。

(───これで、終わるぞ)

 弓矢のように拳を肩口に引き絞る。

「ぁ、ゥァァアアアアアアああああああ!!!!!」

 対して嵯鞍も妖気の鎧を諦め、妖気とともに拳を振りかぶる。


 接近する両者。

 宙の中で彗星が出会うように、曇天の下で尾を引く赤黒の雷光。



 その拳が───交差した。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 〜14:49〜



 その瞬間、一際大きな稲妻が二発轟いた。

 それは京都の風景を真横に引き裂き、抉り取り、吹き飛ばし、砂浜を手で削り取ったような跡をその地に刻んで───戦っていたすべての人間はその手を止めた。

 ───そして、それを最後に翡翠色と血赤色、二色の稲妻の轟きは嵐の後のように静まっていった。


 降りしきっていた豪雨も嘘のように収まる。

 雲の切れ間から差す陽光は、鬼の宴て荒れ果てた静寂の京都を優しく照らした。




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