表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~  作者: ふろすと
現世編
46/61

15章-3:鬼の宴は華やかに

 

 開幕の音頭は天高く打たれた。


 京都の街を舞台とし、黒煙と爆発の歓声が湧き上がり、皆一丸となって騒乱の美酒に酔う。上昇を続ける熱気は未だに天井を知らない。

 整然と区画された街区はその面影を残しながら目も当てられぬ混沌へと沈む。


 その、黒々とした混沌の中心で足掻く三匹の鬼。

 彼らは混沌の泥沼の中から何を掴み、何を手放すのか。



 宴はまだ、始まったばかり。




 ~~~~~~~~~~~~~~~



 〜12.49〜


 それは、鏡を向き合わせたかのような光景だった。

 空を覆っていた厚い黒雲が遂に雨を落とし始め、街路の路地を濡らしていく。この雨は昼過ぎまで強くなる一方のようだ、と昨日の予報を思い出す。

 ユリアたちと別れてかなりの時間走り続けた。ナギの指示に従って、まっすぐと一直線に。一度として止まることのなかったその足が、遂にその動きを止めた。

「……………………」

 肩で大きく息をする洋斗の前にいたその姿は、紛れもなく『自分』だった。

 この邂逅は洋斗が想像していたよりも速い。ユリアが「洋斗を森で見た」と言っていたので、森の中にいるものとあらかじめ見切りをつけていたのだ。なので、鬼が町中を歩いていたことに、少なからず驚いている。

 しかし、それ以上に驚く、というよりも意外だったことがある。

「…………すごいなここまで俺と瓜二つなのか。まあ同じ俺なんだから当然なんだろうけど」

 そこにいるのは、まさしく洋斗そのものだった。それはもう、当の本人が見て思わず笑いがこぼれるほどに。

 確かに違いはある。髪の長さ、爪の長さ、肌の状態など、それなりに観察すればその差異はすぐに解る。だがそれらは『時間とともに変化する部分』で、それを除けば何一つ違いが見つけられなかった。

 ───もしあの時、嵯鞍洋斗が救われていなかったら?

 目の前にいる彼の姿が、その答えを忠実に体現していた。

 頭を抑えながらふらふらと歩いて来る自分は、見るに耐えないほどに痛々しく、辛く苦しそうで、絶望をかたどったような表情に歪んでいる。それを見て、その内側にいる鬼を抑え込むのも限界なのだとすぐに悟った。

 洋斗がマーデルの研究所で鬼に取り憑かれたときは痛みなど無かった。それが意識が別のところに行っていたからなのか、朱点童子が融通を効かせてくれていたのか、洋斗が半ば存在を認めていたからなのかは分からない。それでも、精神世界の中で鬼の妖気に拳を突き込んだ時の痛みはまるで皮膚を剥がされるような苦痛だった。彼がその痛みをずっと抑え込んでいると思うと手を伸ばさずにはいられない。

 洋斗は前髪から滴る雨を気にも止めず、彼をいたわるように声をかける。

「キツいか?」

「…………………………………………」

 絶望に染まった瞳が自分に向けられる。その瞳に生気は感じられない。

「苦しいよな?水晶とかいうやつの中にいたときも、罪悪感とかで胸が一杯だったんだろ?俺が知ってる嵯鞍洋斗っていうやつはそういうヤツだったよ、確か」

「…………………………………………」

「鬼が今も騒いでるんだろ?お前を苦しめた世界に復讐するために、何よりもお前の為を思って我を忘れて暴れてるんだろ?それで、それを抑えられない自分を十年以上も悔やんでたんだよな」

「…………………………………………」

「…………もう大丈夫だ、我慢しなくていい。後悔する必要もない。お前は十分戦った、鬼とも自分とも。それは助けられた俺にはできなかった事だ。俺なんて、あんな事があったのに五年以上も見てみぬふりをしてきたんだから。だから賞賛と労いを込めて、代わりに俺がお前を止める。お前が鬼と戦ってきたように、俺がお前の中の鬼と戦う。誰にも救われずにそんな風になってしまった『俺自身』を、他の誰でもなく、俺自身の手で救ってみせる。その苦しい時間を俺の手で終わらせてみせる」

 彼を見捨てるような事はしない。

 一歩間違えていれば鬼の妖気に苦しむ運命を辿るのは自分だったかもしれないのだから。それを無視して前へ歩を進めることなどあってはならない。

 だから真正面から受け止める。

「………………………………………ゥ、グ」

「だから…………」

 張り詰めた空気の中で、洋斗はふと頬を緩めた。

「あとは俺に任せろ、溜め込んでた分好きなだけ暴れていい。自分がそんなふうに苦しんでるの、見てらんないからな」

 ───その瞬間。

 嵯鞍洋斗の様子が一変した。

「ご、おおおぉぉぉぉぉぉおおおおおああああアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアア゛アアア゛アアアアア゛ア゛アア゛アアアア!!!!!!」

 人から発せられたと思えないような咆哮が大気を震わせ、その全身から黒い何かが溢れ出す。

 それらは落ちることなくその体を渦巻き、その輪郭を変える。その顔や身体の一部が揺らめく暗赤の気に覆い隠され、垣間見えるその瞳は血よりも深く、紅く濁っていた。

 まさに芦屋から聞いていたとおりの姿、鬼神ノ災禍で暴れ回ったとされる鬼の姿そのもの。だが、その姿から放たれる威圧だけはその予想を超えていた。

 重い。とにかく、重い…………。

 肩から背中にかけて鉛のような質量を感じる。実体を得るほどのプレッシャーが洋斗の身体を震わせる。

 ───どうやら俺の言葉を信じて、思いっきり最後の一線を飛び越えたらしい。

 崩れ落ちそうになる身体を力ませ、洋斗もその瞳を赤へと変えて鬼を睨み返す。妖気を使う事なく鬼と太刀打ちできるとは最初から考えていない。

「準備、できてるな。ナギ」

(気を張っていないと力の流れだけでへし折れてしまいそうですが…………!どうか私の事は気にせず、存分に振るってください!)

 全身、刀身。その両方から走る深紅の雷。逆薙を握り直し、全神経を相手の挙動に集中させる。一挙一投足の寸分も逃さない体勢を取り、相手の挙動を伺う。

 これから先の、わずかも見逃せない刹那を争う一戦に備えて。

 雨音のみが響く空間の中で、二人が動く。

 立っていた鬼の身体がこちらへゆっくりと倒れ───。

 ドッッ!!!、と。

 その脚が地を蹴った。

 距離が失せる。

 その距離は既に目前、鬼が手を突き出すまで一刻もない。擦り切れるほど神経を研ぎ澄ませていた洋斗は、クロスカウンター気味に逆薙を振り抜いた。

 黒い妖気を溜め込んだ腕と赤の稲妻をまとった一閃が、刹那のうちに交差する。


 瞬間、二人の周囲から音と色彩が消し飛んだ。


 赤黒の力の本流が周囲を飲み込み、地面を砕くほどの衝撃が音の域を超えて一帯を薙ぎ払う。

 一撃の跡に残ったものは、腕と刀で互いを押し合う二匹の鬼のみ。それ以外はたった一閃で原型の半分を削ぎ落とした。

(ヅ、が…………ッ!!)

 鬼の攻撃を直に受け止めた逆薙がギチギチと軋むような音を鳴らすのを感じ、吹き荒れる余波の中心から一度後退して間を取る。洋斗は腕に残る痺れを感じて思わず顔をしかめていた。

(…………強いな、やっぱし)

 冷や汗が頬を伝わる。

 一度交わった限り、嵯鞍自体の身体能力は人並みだ。ただぶつかり合い、武を競うだけだったならまず負けない───肉体同士、なら。

 だが、彼の放つ妖気の濃さが全く違う。『鉄』と『鋼』の違いに似ているかもしれない。それを成す物の本質は同じはずなのに、その濃度のせいで全く異質かつ強靭な何かへと変わってしまっている。そしてその濃すぎる妖気が彼の動きに合わせて暴れることで、彼の人並な挙動が怪物の一撃へと引き上げられているのだ。

 ───これが鬼の頂点、朱点童子の『本物』の妖気。

 受けるだけで能力どころか物体さえも消し去る、それほどの力なのだ。

 それだけでは無い。今の交錯でもう一つの懸念が生まれていた。それ確認するため、洋斗は逆薙の意識へと語りかける。

(ナギ、無事か?)

 一瞬、あの一撃が交わった瞬間にナギが苦しげに呻く声を確かに聞いた。これまでの戦いの中でナギがそのような声を上げたことは一度としてない。故に洋斗はナギの悲鳴にただならぬ様子を感じ取ったのだが…………

(大丈夫…………と、言っても意味はないですね。精神が繋がってるんだから隠し事自体無意味なのです)

 ナギは罰の悪そうに小さく声を響かせた。その言葉は、鬼の攻撃を受け続けたら刀身が保たない、と言うことを口裏に語っている。つまりこのまま戦い続けていたら折れる、すなわちナギが命を落とすと言うことになる。

 しかし、しぼんでいた口調は次には真剣味を帯びるものへと変わっていた。

(ですが私は天下五剣の一角を担う一振り、戦うために鍛えられた道具。戦いの中で、主様を守るためにこの身が滅ぶなら、それは名刀としての本望であり、誇りなのです。主様…………どうか私の事は気にせず、道具としてお傍で戦わせてください!)

(……………………ナギ)

 一切の迷い無く。

(悪い)

 洋斗の背後へと、その手から逆薙を放り投げた。

 実のところ、ナギのうめき声を聞いたその瞬間からこうしようと心に決めていた。

「どこか安全なところに隠れていてくれ」

「主様、どうして…………ッ!!」

 空中で身を翻しながら具現し、二本の足で着地したナギはキッと主人を睨みつける。悔しさとやるせなさを混ぜくった、駄々をこねる子どものような瞳で。

「俺はもう、お前をこの戦いでは使えない」

「殺生な…………それは私に死ねと言ってるのと同義なのです!それでは私の存在意義が…………!」

「ナギ。お前が人の姿をして現れたあの瞬間から、俺の中でのお前は単なる道具じゃなくて一人の命になってるんだ。だから俺はお前を死なせない。一人の戦友として、一人の家族として、お前の存在を守り抜くって決めている」

 今や洋斗はナギに対して愛着を超えた愛情を感じている。見た目相応に奔放で、やんちゃで、それでいて洋斗を主様として常に戦火を共に歩いてくれた。そんな彼女がいなくなることなど考えられなかった。

「でも、でもでもでも!それでも私は「行けナギ!!」

 その目に涙を溜めてまで踏み留まるナギを、あえて突き放すように言葉を強めて叫ぶ。

「ぁ、ぅ………………………………っ!!」

 その声にひるんだナギは少し狼狽していたが、その場から逃げ出してくれた。目元を袖で拭いながら走り去る小さな紺色の背中を見て、全て終わったあとに全力で謝ることを決めた。

 本当の意味で独りになった洋斗は、再度己自身へと向き直る。嵯鞍は未だ妖気をまとい、黒の触腕を唸らせる。その切れ目から彼の血溜まりのような瞳が覗いていた。

(…………まだ大丈夫だ!触れるならまだやりようはある)

 内で(くすぶ)る恐れを振り払うように再度彼のもとへと全速力で駆ける。

 対し、嵯鞍は表情の一つも揺らぐ事なくその腕を横に振る。それに従って、妖気の塊が巨人の腕のように横薙ぎに洋斗を襲った。

 ───集中。

 差し迫る巨人の腕を視界に収め、その軌道に全神経を研ぎ澄ませる。そしてそれを(さば)くために、全身を包んでいた妖気を一点───自身の右手に密集させた。

 洋斗には、嵯鞍人拳という武術がある。

 嵯鞍人拳はあらゆる状況にも柔軟に対応するためにあえて型を造らないケンカ術の延長である。そして、いかに相手の動きを読み、相手の攻めを捌き、劣勢の中から瞬時に攻勢へ転じて一撃で急所を叩くかに特化した術だ。

 触れるなら、捌けるはずだ。

 巨腕がうなる。

 腕が大きいが、まだ本体は手の届かない場所にある。だから洋斗は相手との刹那の間合いを見極め、この攻撃をいなす事にのみ神経を注ぐ。

 そして、迫る妖気が右の手に触れた。

 腕の速度と自身の手を引く速度を合わせながら、すれ違う人を横に押し流すように、その動きを上へ『流す』───!!

 ボッッ!!、と。

 真横を新幹線が走り抜けたような音が洋斗の全身を打つ。

 軌道を上へと流された巨腕は回転した洋斗の頭上数センチを薙ぎ払った。

 受けた圧力に冷や汗を吹かしながら、妖気に肌を焦がされた感覚をその手に感じながら、それでも洋斗は彼の一撃を凌いだ。

 大きな壁を超えて、更に数歩駆ける。

 ───妖気に包まれた彼を遂に射程に捉える。

 彼が動く様子はない。

 防護のために密集していた妖気を攻撃のために握り締め、彼の鳩尾へと突き込んだ。

 鎧のような妖気と拳をまとう妖気がぶつかり、電光が爆ぜるような音を響かせる。

「ぐ……………………ッ!?」

 そのまま二撃目を突こうとしていた洋斗の体が不意に飛び退いた。

 そこに。

 彼の残像を噛み千切るように。

 上から地面へと妖気の杭が突き刺さる。

 地に亀裂が走るほどの一撃、その余波に煽られた洋斗の体が転がる。景色の回転が止まる頃には、最初と同じくらいの距離に戻されていた。

 その距離、所詮はわずか二十メートルと少し。走れば数歩で辿り着ける程度でしかない。五十メートル走の半分以下、と考えればその近さが想像できるだろう。

 だが、今はその距離が果てしなく遠い。その身を数回危険に晒し、五体満足で乗り切った終着点。そこに辿り着いて初めて、ようやくこちらの反撃が始まるのだ。

 後手では勝ち目がない。

 身体は常に前へ、攻めに行かねば勝機はない。

 洋斗の脚が再び地を抉った。




 ~~~~~~~~~~~~~~~




 〜13:32〜


 薄暗い街の通りを一人の幼子が、年に似合わない俊足で走る。

 紺の浴衣をはためかせ、滴る雨露を振り払い、水溜まりを踏みつけて。

 溢れる涙は髪から(したた)る雨に混じって流れ落ちた。

「ぅ…………うぅ…………っ!!」

 戸棚の奥に忘れ去られたような悲しい気分だった。

 ナギだって元は黒刀逆薙、天下五剣の一本に数えられる名刀である。藤原家が日本国を牛耳っていた時代から幾年、その手に収めた主人の力となり続けてきた。それがナギにとっての誇りであり、存在理由そのものだ。

 ───あの瞬間、それが否定されてしまったのだ。

 それもその言葉が自分にとって「折れてほしくない」という最高級の優しさだからこそ、それを踏み倒してまで戦う理由が思いつかない。共に戦う理由───己の存在価値が薄れていく事がナギにはどうしようもなく辛かった。

 不意にバツンッ!! という音の拍子に派手にすっ転び、ぬかるんだ泥土に腹を打つ。「ふぐッ!?」と悲痛なうめき声があふれた。足に履物の感覚がない。下駄の鼻緒が切れたのかも知れない。

 転倒した拍子に紺の浴衣もどろどろになってしまった。

 受けたショックがあまりに大きすぎて、その場から立ち上がれない。このまま泥の中に溶けてしまいそうだった。

「……………………ぅ゛、ぅあ…………!!」

 今まで堪えていた激情が、不意の衝撃によって堰を切って溢れかける。


 ───まだだよ。


 どこからか声が聞こえた。

 ナギの涙が途切れる。


 ───確かに一撃で折れかけた。その時点で、君の『黒刀逆薙』としての存在意義は失せてしまったかもしれない。


 声というより、思念。

 それは空気の振動ではなく、意識のつながりを震わせて伝わってくる。

「朱点、童子…………さん…………?」

 その名を呟く。

 その力の全てを『親友』に譲り渡し、妖気との親和性を逆薙へと付与するためナギの中に取り込まれた、歴代最上級の鬼神。

 その空っぽの器が、語る。


 ───それでもできることはある。『黒刀逆薙』ではなく、人の器を手に入れ、朱点童子の空白の器を身に宿し、主から『ナギ』という新たな名を託された君だからできることが、ね。


 ───どうする?


「……………………………………………………。」

 巻末入れず、押し付けるように問い直してくる朱点童子。

 一体、こんな力及ばない刀一本が戻ったところで何が変わるというのだろう?

 一拍考えてみたが、それでも答えは一つしか浮かんでこない。

 ───そうだ。

 私はあの人から無邪気に駆け回れる人の体と、泣き笑い想う事ができる心と、『ナギ』という新たな名前を授かったのだ。


 三条宗近の手により打たれた時、その時点からその刀には意思があった。心血を注いで作られた物には相応の魂が宿る───いわゆる『八百万の神』と言うものの類として『私』は生まれた。その意思は主の腰に据えられながら外の景色を体感してきた。

 そんなある日、『私』は母に手を引かれて歩く子供の姿を見た。二人で嬉々と笑い合う景色を見た『私』はふと思った───まるで、主様の左腰にぶら下がる『私』と主様みたいだ、と。

 同時にこうも思った───『私』と主様はあの親子のようにはなれないのだろう、と。

 理由は明快、『私』がモノだからだ。所詮は人とモノでしかなく、所有の関係以上の何かは築けない。

『私』に浮かんだのは───もどかしい、という感情だった。

『私』はずっと思い焦がれていた。あの親子のように『私』を扱ってくれる我が主にもっと寄り添いたい。もっと主様の近くで、主様を想い想われながら、ともに歩き、ともに笑い合いたい。そういった、主従を超えた何かの夢を見た。

 そう思ううちに、いつしか人の姿を羨むようになった。

 ───刀には過ぎた願望だ、解っている。

 そう言い聞かせながらも、目が眩むほどの輝きが心に焼き付いて離れなかった。

 そんな高々一本の刀である『私』に、あの人は自由と意思と家族を、『私』が望む全てをくれたのだ。こうして地べたに這いつくばり、主を思って嘆く事ができるのも主がその自由をくれたからだ。心など持たなければこんな事には…………などと愚かしい事は思いもしない。胸が張り裂けそうな心の痛みは、自由を謳歌できる新しい世界へとあの人が連れて行ってくれた証なのだから。

 ───逃げるのか?

 改めて自問する。

 我が主にいただいた自由を、主と共に戦うことを放棄するために使うのか?

 答えは、否。

 朱点童子は言った───まだやれることはある、と。

 そこに一縷の望みがあるならば、

 私にしかできない事があるのなら、

 主の道具として共に在り続けると真に願うならば!

 こんな所でいじけていてはいけない。ここで立ち戻らなければ主人の道具など語れない!

 ナギの小さな拳が握り締められ、顔の泥を拭いながら今度こそ立ちあがる。


 ───主のもとへ行きながら聞いてほしい。


 朱点童子は改めて答えを聞くような野暮な事はしない。そんな事は、既に繋がった心が高らかに叫んでいる。

 ナギが来た道を逆走する。

 主のもとへ、主がくれた小さくも力強い二本の両脚で。




 ~~~~~~~~~~~~~~~




 〜13:46〜


 雨は、遠くの視界が霞むほどに強くなっていた。

 庇から絶え間なく流れ落ちる雨水を遠い目で眺めながら、門番の境部 (サカイベ ススム)は大きくため息をつく。

「まったく…………わざわざフォートレスに喧嘩フっかけるのもおっかないが、平和に門番やってるのもそれはそれで退屈すぎる。こんな土砂降りの中一体誰が来るっていうんだか」

「ホントそのとおりですよ。こんな湿度超高なところで突っ立つだけのこちらの身にもなって欲しいです」

 隣に立っている守衛も同様に賛同のため息を一つ。

 今、境部の背にある屋敷には頭領の蘇我 守近と数名の伝達係に加えて最低限の護衛しかいない。なのでそもそも戦力を削ごうとこちらに矛を向けられた所で大した影響も無いのである。

 ───そう。

 不用意なリスクを無視してここに乗り込んで来るような奴は、『頭領に直接の殺意を抱く者』くらいしか思いつかない。

「……………………ん?」

 不意に隣の守衛が遠くに目を凝らす。

「なんだ、どうかしたか?」

「え、いや…………今何か遠くで光ったような…………?」

 そう言われて目線の先を注視してみるが、光と呼べるようなものは見当たらない。

「雷でも落ちたんじゃないか?」

「え、でも落ちる音聞こえました?」

 耳を澄ませてみる。

 だがその耳に響くのは雨が地を打つノイズのような音のみで、雷が落ちる音は無かった。

「…………いや聞いてないな」

「やっぱり見間違いなんで…………光りましたよ今!」

「は!?」

「はい確かに!確か…………そう、エメラルドグリーン!そんな色の!」

 エメラルドグリーンの色をした雷───その言葉に、境部は一人の少女を思い浮かべた。

 確か今回の騒動の痕跡を抹消するため、その少女とその兄は殺害対象となっているはず。そして円滑に事が運んでいれば、ここに『自ら出向いて来た』兄の方はともかく、既に妹の方も抹殺されているはずだ。

(…………いや待て)

 そこまで考えて境部はふと踏み止まり、再度根本から計画を見つめ直す。

(もしその計画が何かの原因で果たされなくて、少女がその計画を知り、それで怒りを買ったとしたら…………?)

「…………その目が確かなら、その方向に注意していたほうがいい。その雷、本物なら蘇我の娘さんが出したものだ」

「蘇我の娘…………確か舞咲さんでしたっけ。でもあの子今高校一年生ですよね?」

「だからって不意打ちで死んだら、それこそ面目が立たないだろ」

 そんなことを話しながらも先を注視していると、エメラルドグリーンの光を放つ人型の塊が薄っすらと姿を表す。

 それはまさしく蘇我家の娘、蘇我舞咲だった。一本の刀をその手に携え、ふらふらと揺らめきながらこちらへと歩いてくる。

 だがその姿には記憶にある陽気で明朗な姿からは程遠い。それどころか、彼女の姿を見てからゾワリとした感触が首筋を撫でる。

 何かがおかしい。

 ───そう考えていた時だった。

 舞咲の刀が振られる。


 それを視認した一瞬の間に、その現象は終わっていた。


 振るわれた刀から(ほとばし)る一閃の雷光が、二人の間にある空間ごと正門を貫いていた。

 ド        ッッ!!!

 と、音をかき消すほどの衝撃が轟き、大人二人の身体が紙のように飛ぶ。

 風圧で真横に吹き飛ばされ、反射的に正門を見やった境部は言葉を失った。

 正門の重厚な扉は敷地内へ粉々に吹き飛んで、己が守るべき姿が跡形も残っていなかった。その上、舞咲から正門まで一直線に抉られ赤熱した焦土と化し、落ちた雨粒が蒸気となって噴き上がっていた。

「………………………………」

 あまりに唐突に起こった破壊に境部は絶句を余儀なくされた。

「───すいません」

「ッ!?」

 混沌とした意識の中に、少女の小さな声が刺さる。

「そこを、通してくれませんか?」

 門扉を吹き飛ばしておいて何を───と、普段なら野次の一つでも飛ばしていただろう。だが彼の口から言葉が出ることは無かった。

 それはあくまでも疲れ気味な女子高校生が放つ年相応な声色。だからこそ、凄惨な現状や放たれる重圧とのアンバランスさが際立ち、より一層境部の思考を混濁させる。『立つ』という選択肢すらも吹き飛ぶほどに。

 舞咲は二人がいないかのようにその間を通り過ぎ、ポッカリと門に空いた大穴から屋敷の中へと歩いていった。

「……………………」

「……………………」

 二人は体を濡らす雨水も気にかけず、ただその後ろ姿を目で追う事しかできなかった。

 あの姿は一体何だったのか、その答えはどんなに頭を覗いても分からない。

 ただ。

 思えば、彼女が現れた時点で考えるべきだったのだ───なぜ彼女がこんな所をふらふらと歩いているのかを。

 昼頃に向かった数名に加え、緊急の連絡を受けてさらに二十程は向かっているはずだ。それは境部の耳にも入っている。

 それを踏まえれば、『彼女がそれらを蹴散らしてここまで来た』事にすぐ気づけたはずだ。

 屋敷の中から雷鳴の弾ける音が打たれては、激しい雨音に掻き消える。

 その音だけが、呆然とした境部の耳を揺らしていた。





 時に迫る男を吹き飛ばし、

 時に武器ごと女を吹き飛ばし、

 時に能力を撃つ初老を吹き飛ばし、

 吹き飛ばし吹き飛ばし吹き飛ばし吹き飛ばし吹き飛ばし吹き飛ばし、

 蘇我 舞咲はボロボロになった屋敷の中を歩く。兄の姿を見つける、ただ一つその目的のために。

 しかし進めど進めど、親愛なる兄の姿は見つからない。

 ここが蘇我家所有の屋敷であることを舞咲は知っている。だから最初に机上の手紙を見たときここに向かったのだと容易に想像ができていた。

 けれども舞咲は蘇我の頭領───舞咲の父がここに来るという知らせは聞いていないため、兄がここに向かった理由───舞咲を戦闘要員から外してもらうよう頼む為であることを知らない。そんな状態でも、この屋敷内の人間を見る限りここに父がいることは解った。そして父と会うために、自分が殺害対象になっているとも知らずに兄がここに来たこともなんとなく察していた。

 だからこそ、焦る。

 早く兄の姿を見つけなければ、不安で精神がねじ曲がりそうだ。

 その他の人間などに構っている余裕は、舞咲には無い。相手の生死という『些末な』事に逐一気を遣う気にはなれなかった。

 だから殺す。

 肉体や血液、その全てを雷に散らす。

 今の舞咲にはそれが出来る。それだけの力が舞咲の内から湧き上がり、彼女の心を狂わせていた。


 そうしてふらふらと歩みを進めていると、屋敷の中でも一際大きなものにたどり着く。これが本堂だろうか、とも考えながら舞咲は入口を粉砕する。

 瓦礫が崩れる音が止むと、屋敷の中は、しん…………と静まり返る。まるで中に誰もいないかのように。部屋の襖を何個も開けて中を見ても、そこに兄の姿はない。ここに兄さまはいないのか…………そう考えながら最奥の襖を開け放つ。

 そこはそれまでの部屋より何倍も広い大部屋だった。

 部屋の横幅は畳の(たけ)3枚分はある。奥行きは畳の(はば)2枚分の間隔で立つ間柱が6本分あり、その上更に一段上がった上座まである。

 そして。

 ───上座には一人の老人が、行灯の光に照らされて座っていた。

 誰もいないとたかをくくりかけていた舞咲は多少面食らうが、兄の姿が見えないと見るや動揺はすぐに失せる。

 兄ではない。

 そこにいたのは蘇我 守近、舞咲の父親だった。

「…………ここに居るという事は、現状は大方把握しているのだろう?自分が今どのような立場にいるのかも」

「…………兄さまはどこ?」

「随分と屋敷を荒らしてくれたな、お陰で腰を落ち着けることもままならん」

「兄さまはどこ?ここに来たよね?」

 的を射ない返答の繰り返しは舞咲の心を逆撫でし、激情を(くすぶ)らせる。

「鬼の討伐もできなかったようではないか。やはり真性の鬼の首、そう安々と取らせてはくれぬか」

 心に傷をつけられた鬼の話題で煽られ、思わず声が荒ぶる。

「答えてよ!!兄さまはどこにいるの!?!」

 感情に比例するように全身の雷光が勢いを増して暴れる。鋭くなった眼光すらも稲妻を纏うほどに。

 しかしそれを一直線に受けても守近は泰然とした態度を崩さず、

 す…………、と

 真横を指さした。

「………………………………」

 その先を見る。その終着点には引違いの襖があった。

(………………………………うそ)

 その襖へと歩を進める。

 妙な胸騒ぎがする。

 明らかに先程よりも動悸が早まっている。

 襖の引手にうまく指がかけられない。

 ───まるでこの先にあるものが見てはいけないものだと知っているかのように、身体が踏み込む事を躊躇っている。

 そんなはずはないと頭を振って、

 挑むように襖を睨んで、

 引っかかった指に力を込めて、

 舞咲は襖を、開けた。

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 予感は、最悪の形で的中した。


 向かいの壁に背中を預け、飾られた人形のように座っている人影。

 その胸の中央に縦に刻まれた傷から鮮血をこぼし、服や畳を染めている。その頬は氷のように冷たく、半開きの目の奥には機能を停止した瞳がある。

 手遅れだった。

 ───その命は既に終わっていた。

「あまりにうるさくてな、儂が斬った。無力な奴が足掻くからこういう事になる」

 しわがれた声は舞咲の耳に微塵も入っていなかった。

「あ、あぁ………………………………!」

 家族が死んだ。

 私の、たった一人の家族が死んだ。

 殺された。

 後ろの、父親だった男に。

 悲しい。

 苦しい。

 怒り。

 そして、殺意。

 ()い混ぜになった感情が頭を滅茶苦茶に掻き回し、破壊する。

 その瞬間、舞咲の感情が限界を超えた。

「ぁああああああ!!がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛ああ゛あ゛あ゛あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」

 ドうッ!!!と、

 全身から放たれる雷光が更に力を増し、建物を内側から粉砕する。彼女の憤怒が唸りを挙げ、大気を焦がすほどの灼熱を撒き散らす。

「……………………一線を越えたか」

 熱風に煽られながら、守近は翡翠色の雷が轟く背中に一言つぶやく。

 舞咲が守近の方へと振り返る。涙を流しながら、闇のような瞳をかつての父親へと向ける。バヂ…………と、翡翠色の電撃が眼球から弾けた。

 その、殺意以外の感情を廃した瞳を見て、守近は思う。

 ───如何ほどの力か、と。

 舞咲が前に重心を傾ける。その力に任せて突っ込んでくるつもりらしい、そう考えた守近は腰に据えていた一本の刀を掴み、引き抜いた。

「あああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 舞咲の足が、遂に地面を抉る。



 得るものなど何一つない。

 悲しい戦いが幕を開けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ