15章-1:明け方、交差点にて
───鬼。
生前に強大な怨念を抱きながら息絶えた者が、生者の魂を貪る魑魅魍魎として化けた妖怪の一種。「姿の見えないもの」という意味の漢字「隠」がその名の由来とされている。
しかし、『鬼』という単語にはそれ以外に複数の意味を含んでいる。
───山賊や山伏など、俗世から隔絶された見慣れぬ異人。
───非情にして冷酷な祖業を易々と行使する残虐な悪人。
───屈強にして強靭な心身を持つ勇猛果敢な強人。
『鬼』という単語で辞書を引けば、このような意味が並んでいる。
現在、この京都の地には『三匹』の鬼が夜の帳に鳴りを潜めている。
───身の内に秘めた災禍の渦の再来に身を震わせる者。
───過去の怨念に苦悩しながらもそれを力として他の為に奮う者。
───そして……………………。
それはまるで、重水素同士の核融合でエネルギーを生み出す水素爆弾のように。
彼らは互いに影響を及ぼしながら灼熱を生み出し、溜め込んでいく。ひとたび外郭が割れた瞬間、瞬時に無慈悲なほどの熱量を周囲に撒き散らせながら破壊の坩堝へと一変させ、さらに新たな爆弾の火を点ける。そうして始まる破壊の連鎖は、瞬く間に全てを飲み込むだろう。
原子核融合によるエネルギーの蓄積は既に佳境に突入している。
その爆弾が煉獄を解き放つその時は、間近まで迫っていた。
さて。
水素爆弾の起爆スイッチを踏みつけるのは誰だ。
越えてはならない一線を最初に踏み越える『鬼』は、誰だ。
もうすぐ、夜が明ける。
~~~~~~~~~~~~~~~
━2014.08.20━
〜06:04〜
桐崎洋斗は、朝に強い。
故郷の村では嵯鞍玄条に、桐崎の家では桐崎龍治に、毎日のように起こされていた。それも、どちらも大体明朝6時頃というかなり早い時刻に、である。
毎日起こされていれば否が応でも習慣として染み付いてしまうもので、いつの間にかその時間になると自然に眼が覚めるようになっていた。
別世界に来たところで体がそれを忘れるわけも無く───。
「……………………」
起きるべき時刻を察知して洋斗の視界が、ぼんやりと、少しずつ開けていく。
薄らぼけた光景が、ピントが合わさるように鮮明さを増していく。そこに真っ先に映ったのは、端整な顔にかかる金糸のように艷やかな髪。きめ細やかで透き通るような白肌。浅い吐息を繰り返す薄い朱唇。乱れた服の襟から覗く鎖骨の曲線。
それらが完璧な比率でひとつの芸術品を織り成している。
……………………すごく、綺麗だ。
(いやまて、近…………ッ!?)
ガバッ!と布団を押し飛ばしながら跳ね起きる───なんて愚行は起こさない。寝起きだったため、反射的な行動ができなかった事も奏功した。
とりあえず応急処置として、未だまぶたを閉じているユリアから距離を取るように自分の体を横にずらしていく。
ユリアの美貌に高揚するのを避けるため、思考は現状の再認識へと退避させた。
洋斗が追われる身である以上、おいそれと自宅に戻るわけにもいかない。そのため昨晩は鈴麗のマンションで一泊する事になったのだ。
となると必然的に『誰がどこに寝るか』という議題に至るわけだが、寝る場所にこだわりのない洋斗と底無しに謙虚で優しいユリアは「床でいい」と頭を振った。芦屋ももちろんそう言っていたのだが、それは家主に全て棄却されて同じ布団に入ることを強制された。今頃鈴麗の抱き枕となって彼女の腕の中で蒸されているだろう。考えるだけでも熱そう、いや、暑そうだ。
鈴麗の部屋はごく一般的な六畳ワンルームなので決して広くはない。そこからベッドを差し引いた床面積で学生二人が横になると必然的に二人の距離は近づいてしまう。それでも寝付く時には間にひとり入れるだけの距離は空けたのだが、寝ているうちに互いが顔を向け合うように寝返ったのかも知れない。
それで、目を開けたらユリアが目と鼻の先にいる、という状態が完成したわけである───。
冷静に状況分析しているうちに、目を開けた時の動悸は静まっていた。このまま横になっていても暇なだけなので、いっそのこと体を起こしてしまおうか、とまで考えたところで…………。
「ん……………………」
ユリアの瞼がぴくりと動き、そこから少しずつ開き始めた。瞼に隠れていた水晶のような瞳が姿を表し、洋斗の目線とばっちり重なった。
「おはよう」
動揺が既に消えている洋斗は、特に焦ることもなく朝の挨拶をひとつ。
一方。
「…………………………………………………………………………………ぅ……………………………………ぁ………………………………!」
夢うつつを彷徨いながら、眠気眼でぼんやりと洋斗を見つめていたユリア。その目が瞬く間に驚愕へと染まり、雪のようだった白肌がタコを茹でたように紅潮していく。
そして、洋斗の顔が目前にあった衝撃と寝顔を見られていた事に対する羞恥心が最高潮に達し…………。
「∞∮%¥■@(笑)&§★〒↑《㈱$¤Å!!!!」
遂に盛大な奇声を張り上げた。
ユリアの身体が一気に跳ね飛び、後ずさり、ゴツン!と背後にあった棚に頭を激突させた。
「きゃふッ!!??」
「ん…………なに?」
ユリアが滑稽な一声をあげる。そのあまりの叫声に、寝ていた芦屋が目を覚ました。
「まあユリアさんが頭をぶつけた経緯はどうでも良いとして」
「どうでもいいんですか!?あ、いえ、触れないでくれるのは嬉しいんですけど…………」
「朝ごはんの調達も兼ねて、早いうちにここを出よう。『ユリアさんのおかげで』かなり早い時間に起きることもできたから、かえって好都合だ。今なら先生たちの捜索もまだだと思うし、警戒も手薄なんじゃないかな」
「あぅ…………」
彼女に起こされた、という事実をさりげなく突かれて一層身を縮こませるユリア。もっとも、芦屋自身に全くそんな意図はなく、本心から好都合だと思っているのだが。
「今日の行動方針については昨晩話し合った通りにいくよ。いいね、ユリアさん?」
「……………………はい」
名指しの問いかけに、ユリアが伏し目がちに頷く。その様子には昨晩決めた『ある方針』に対する躊躇いが如実に現れていたが、素直に引き下がってくれたようだ。
「あぁ、それと鈴麗」
「ん?何よ?」
顔を洗ってきたばかりの鈴麗に、芦屋が手本になりそうなお世辞笑いを見せた。
「今日のみんなの朝ごはん代、よろしく」
「はァ!?なんで私の奢りなのよ!?」
「誰かさんの分を買い漁ったせいで素寒貧だし」
「うぐ…………でも洋斗は」
「こんな事になるなんて思ってなかったからな、財布は家に置きっぱなしだ」
「…………ゆ、ユリアちゃん」
「どうやら昨日、山の中で落としちゃったみたいで…………すみません」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………わかったわよぅ」
三者三様な理由を聞くうちに、彼らに噛みつく意志は消え失せていた。鈴麗は仮面のような虚無の表情で、かっくりと頷いた。
〜09:37〜
「…………よし、行くか」
各自出来る限りの準備を済ませ、4人は眦を決する。
「まずどうやってここから安全に出るかだけど…………」
「あ、それなら私が円盤を作って運びます。ベランダに作るので乗ってください」
そう言うとユリアが窓を開けて、ベランダに向けて銃を一発撃つ。銃口から撃ち出された生命力は瞬時に薄く広がり、四人なら十分に乗れるだけの足場になった。
4人はそれに乗り込む。透き通るような薄い見た目とは裏腹に、重量で割れそうな危うさは感じられなかった。
「外はどうなってるんだろう?」
「大丈夫です。誰も人はいませんでした」
「ホント便利ね、それ」
鈴麗の言う『それ』とはユリアが持つ神通力である天眼通の具現、つまりユリアの目元に浮かぶ金の片眼鏡である。あらかじめ天眼通で外を偵察していたのだろう。その有用性の高さに鈴麗は感嘆の息を吐いた。
「では、行きます!」
ユリアが目を閉じ、意識を円盤の移動に集中させる。やがて4人を乗せた円盤が滑らかに浮かび上がり、ベランダの柵を超え、ゆっくりと地面へ近づいていく。
上に人が乗っている違いはあれど、その動き自体に危うさは全く感じられない。まさに日頃の自己研鑽の賜物である。
「んむむ……………………!」
が、彼女は目を瞑っているためこのままでは地面にぶつかるのが目に見えている。なのでちょうど良い所で洋斗が彼女の肩をそっと叩いた。
「もういいぞ」
「わひゃッ!?」
集中が乱れたせいか円盤が卓袱台を返したようにグルンっ!とひっくり返る。結果、四人仲良く背中から派手に着地することになった。
「いたた…………ありがとうユリアさん」
「ええ、助かったわ。最後は抜きにして」
「いや、その…………えへへ」
「そこ照れるのかよ」
芦屋、鈴麗からの褒賞をうけ、ユリアが照れくさそうに指で頬を掻く。
「じゃ、嵯鞍さんの捜索に向かおう」
「まずは朝ごはんだな」
「うぐ…………」
4人は校舎の外へ足を運ぶのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~
ー同日ー
〜10:16〜
朝飯もさっさと済ませた。
書き置きも残しておいた。
舞咲もまだ寝てるし、今のうちにさっさと出てしまおう。
緩んでいたスニーカーの靴紐をきつく締め直し、玄関先から立ち上がる。
「…………っし!」
雅人は静かに玄関の扉を開け、外へ出た。
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〜10:57〜
ご飯は勇気ある店員がやっていた店で人数分買わせていただいた。彼女が今後のために買い溜めするものだと思われたのか、鈴麗が食料を四人分も買い込んだことについて勘ぐられることは無かったらしい。そのまま四人揃って、路地の影でコソコソと食事を済ませている。
食後の洋斗達四名は街中の歩道を堂々と走っていた。
一応洋斗は指名手配に限りなく近い立場にいるため、本来ならば街角に体を隠しながらひっそりと進むのが妥当のはずである。そうせず堂々と走っているのは、そもそも人目自体がほとんど無いからだ。
鬼脱走の連絡が街中を駆け巡った際に街からの避難勧告が街中に発令されており、教師の捜索によって鬼がいないと判断された瞬間からその地域の住人は各自避難を開始していた。その避難は昨晩の時点で大方完了しているため、今この街は関係者以外不在でもぬけの殻。ようするに人の目を気にするだけ無駄なのである。
そんな人気の失せた歩道を走り、目撃のあった大江山に向かっていた四名。
「…………!」
彼らが郊外に入ったあたりで、ユリアただ一人が不意にその脚を止めた。日頃積んだ特訓の副産物として生命力を感知するスキルを身に着けているユリア、その感知能力に何かが触れた。
「どうした?」
「そこの角の向こうに人が三人…………こっちに来てます!」
先の理由から、普通の住民たちは既にここにはいないはず。そんな時に数人の人が平然と歩いているとなれば、考えられるのは───鬼を捜索中の教師達だ。
四人は焦りながらも、建物の隙間に滑り込んで身を隠す。全員がその隙間に入りきり、一番最後に入ったユリアが物陰から片目を出して様子を見る体勢になった。
ユリアが睨みを利かせる視線の先、建物の角から現れたのは案の定先生達だ。が、その組み合わせは、まさに「運が悪い」としか言いようの無いものだった。
先導として姿を見せたのは、水を変幻自在かつ無尽蔵に操る坂華木舞子…………の人形。
彼女と肩を並べて、目に映るものを大気圧で引き裂く『虚斬』佐久間拳。
そして杖を突きつつ緩やかに現れたのは、彼の造形には命が宿ると言わしめる土属性の世界的賢威、魁ヶ峰丘玄呉柔郎・現フォートレス能力専門高等学校長。
全世界に7つしかない能力専門高等学校、その英傑と噂される3名がここに集結していた。
「そんな…………間違い無く教員の主戦力じゃないか」
様子を聞いた芦屋が思わず目をむいた。
さらに彼らの悪運は終わらない。
教員三名は交差点の中心あたりで立ち止まり、互いに顔を見合わせる。
洋斗達の悪運、それは───。
「いるわね」
「いますね」
「おるのぉ」
彼らの能力───水、風、土。
それらが総じて周辺探知を得意とする属性であったことだ。
坂華木は大気に満たした水蒸気の移動。
佐久間は大気の不自然な流れ。
玄呉柔郎は土を通じて伝わる振動や圧力。
彼らは各自のセンサーに引っかかったある一点───洋斗達が隠れている隙間にむけ、獲物をあぶり出すための一撃を叩き込む。
建物の角を砕かれ、身を隠していた四人がとっさに通りへと転がり出た。
その場にいる七人の視線が交錯する。
「…………その『鬼』は、危険よ」
最初に交されたのは、坂華木舞子による警告だった。
「今は静かだけど、その静寂は必ず長く続かない、すぐに破綻して全てを壊すわ。あなた達は傷つかない、私はそれを殺して『復讐』を果たす。渡してくれれば丸く収まる。───渡してくれるかしら?できれば生徒を巻き込みたくないの」
彼女が本気だとすぐに解った。
怒りを抑えるように低く落とされた声も、獲物を狙う猟犬のように鋭くなった目つきも、これまでの坂華木先生の中で一度も見たことがない。その全てが「鬼を殺す」と訴えていた。また、その隣にいる教師二人からも「ただでは済まない」という意志が垣間見える。
「…………話を、聞いてください」
洋斗はまず、その『誤解』を解くことから始めた。
「確かに先生達の言う通り、俺の中には鬼がいます───この眼が証拠の一つです」
「な…………!?」
洋斗から向けられた瞳に、先生達の中で衝撃が走る。彼の瞳は『鬼神ノ災禍』に関する目撃情報の記載と同じ、血よりも深い深紅に変化していた。
「あと、坂華木先生との昨日のいざこざで使った赤色の雷撃も、鬼の妖気によるものです」
「なら…………!」
「でも、俺は黒色水晶碑を壊していませんし、もちろん水晶碑の中で眠っていたわけでもないです」
「…………この一連の事態に関与していない、と?」
坂華木ほど怒りに囚われていない佐久間が会話に割り込み、あくまでも論理的に洋斗へと問う。
「水晶碑が破壊されたその同刻、近辺であなたを見た、という証言も出ているのですが?」
「そうなんですか…………実は、ユリアも『俺がいるはずのない所で俺の姿を見ています』」
その一言が、佐久間の眉間にきつい皺を刻む。
「…………何が言いたいんです?」
「状況が複雑なので詳しいことは後々に回しますが……………………今、ここには『二人の俺』がいます」
「………………………………は??」
佐久間、玄呉柔朗はもちろん、目を吊り上げていた坂華木すらも、呆気に取られていた。
「苦し紛れの言い訳にしても出来が悪すぎるわ。誰がそんなお伽話を信じると…………ッ!!」
坂華木の中でより一層の怒りが湧き上がり、その限界を越えかけた───まさにその時。
「あながち妄言とも言い切れないのですよ、それが」
それに応える声が、あらぬ方から響き渡った。
「あ…………叔父様!」
ユリアが思わず声をあげる。
一同がそろって顔を向けた先には、セントヘレナ家に仕える従者の長、かつて鬼から京都を救った『救世の第七班』の一角───ニック・ゴードンが立っていた。その顔が、ユリアの方を向く。
そして一言。
「お嬢様…………『昨晩は一体何をしていた』のです?」
「……………………ふぇ?」
流れが妙な方向に急変したのを感じ、お嬢様の目が点になる。
「屋敷に帰ってこない上に、一切の連絡も無いのです。仕えるメイド達が一体どれだけ心配していたかわかりますか?」
「………………………………あ」
つつ、と冷や汗を垂らすお嬢様にたまらず洋斗が耳打ちする。
「(おい、連絡してなかったのか?)」
「(いろんなことがあったから、すっかり頭から抜け落ちてまして…………)」
「何をボソボソ話しているのです?」
「ひゃイ!?」
ゴードンの台詞の端々にこもった叱責に、お嬢様の背筋が弾かれたようにピンと伸びる。
「まったく…………皆でお嬢様の大捜索に向かう、と言い出した挙句ストライキまで起こりかけたのです。私含め、従者達から強く愛されている自覚を持ってもらわないと困ります」
「…………ごめんなさい」
いつもユリアの世話を手伝ってくれてる心優しいメイドさん達。ストライキと聞いて彼女達が皆々看板を掲げて(流石にそこまではしていないだろうけども)ゴードンに詰め寄る光景が頭に浮かび、ユリアは素直に反省した。
「はぁ……………………すいません、話を戻します」
ゴードンの目は改めて教員側へと向けられた。佐久間が問いかける。
「どういうことです?桐崎君が二人いる事が不思議ではない、とは?」
「本来、洋斗様はこの世界にいるはずのない異世界の住人です」
「な……………………ッ!?」
「ですから、本来ここにいる桐崎洋斗と、異世界から来た桐崎洋斗、二人いてもおかしくないのです。もっとも、こちらの世界の洋斗様がかの鬼神だった、というのは驚きを隠せませんが」
「……………………」
誰もが喉を通らない事実を、さも当然のようにサラリと口にするゴードン。あまりの飲み込みの良さに怪訝な顔をした玄呉柔郎を一瞥して、ゴードンは彼に質問を投げる。
「校長、この地にある『異界の門』の伝承をご存知ですか?」
「大樹に埋まっとる石の鳥居のことじゃろ?そこはかつて異世界とを繋ぐ門であったという…………まさか」
「はい。直接見たわけではありませんが、彼はその門から来たそうです」
「そうか、だがそれを聞いたうえで問う…………そんなお伽話、誰が信じるというのじゃ?」
「だから先程から言っているではありませんか。私は信じられる、と」
「何故?」
玄呉柔朗の目が老骨とは思えないほどの眼光を帯び、納得できるように語れと告げている。それを受けたゴードンが語りかけたのは、なぜか洋斗の方だった。
「洋斗様、この世界に来て間もない頃に『異世界から来た人を知っている』と言ったのは覚えていますか?」
「え…………?」
「いえ、二年近く前なので覚えていなくても無理ありません。ついでです、その事についても話していきましょう」
───二年前。
すなわち洋斗が押入れから異世界に転がり込んできて間もない頃だ。思い返せば、確かに内容は軽くはぐらかされていたし、当時は異世界に来たばかりの現状を受け入れるのに手一杯だったのでそれどころではなかった。
それが今、語られようとしている。
「異世界から来た人、と言うその人の名前は…………『桐崎 龍治』」
「「…………ッ!?」」
聞いていた全員がざわめく。
その名を知らないはずが無い。
桐崎 龍治───それは、『救世の第七班』のメインアタッカーとして鬼の封印に大きく貢献した英雄の名であり、洋斗にとっては自分を育ててくれた養父の名なのだから。
「…………一つ聞かせてください、洋斗様。ずっと気になっていたことがあるのです」
「なんですか?」
「洋斗様は、桐崎龍治と会ったことがありますか?」
どうやら出会った当初から、洋斗の姓が『桐崎』である事を偶然とは思えなかったらしい。だが───。
「同じ名前の人を知ってますけど、多分ゴードンさんのいう桐崎龍治とは別人です。その人は今も俺が元々いた異世界の方にいますよ」
ここはあくまでパラレルワールド。今の洋斗のように、別世界に名前と容姿が全く同じの別人がいてもおかしくないのだ。
「…………ちなみに、その方との関係は?」
「……………………俺が一人で死にかけていたのを拾ってくれて、こっちの世界に来るまで俺はその人の養子として一緒に暮らしてました。元々『嵯鞍』洋斗っていう名前だったんですけど、その時に『桐崎』っていう名前に変わりました」
「そうですか…………ええ。確証は無いですが、恐らくそれは私の言う桐崎龍治に違いないでしょう。そういう突拍子のない事をノリと勢いだけでやってのけるバカですからね、桐崎龍治は」
ゴードンさんはまるで古いアルバムを見て懐かしむような顔をしていたが、洋斗にはそれがにわかに信じられなかった。
「そ、そんな訳無い!それはこの世界の桐崎龍治で、俺の親父とは別人のはず…………!」
「それについてはほぼ有り得ない、と言って差し支えないと思います。なぜなら───」
───桐崎龍治は『15年前に元の世界へと帰っている』のですから。
その台詞に、洋斗は遂に言葉を失った。
「…………帰っ、た…………?」
仮に桐崎龍治が15年前に元の世界に帰ったとすれば、洋斗が8年前に彼に拾われる、という歴史の辻褄は合う。思えば、この世界に来る入口となっていたのは道場の押入れだった事も関係が無いわけがない。
「15年前…………」
玄呉柔朗が、自分の顎に手を当てて熟考に沈んだ。
「というと、桐崎龍治とセーラ・カリファーが行方不明になったのがそのくらいの時じゃったはず。すなわち彼らは死んだわけではなく…………」
「二人揃って異世界に『亡命』した、そういうわけです」
ゴードンが玄呉柔朗の熟考に先回りして回答を言い切る。
教員達は、異世界の存在に信憑性を抱き始めていた。異世界の存在を甘んじて受け入れ、『洋斗が二人いる』という仮定を通して一連の騒動を再度見つめ直し、そして無理はあっても筋が通ることに気づく。
「なんてこと…………」
坂華木は見えてきた現状に目眩さえ感じていた。
───異世界が存在して、
───桐崎龍治も異世界の人で、
───桐崎洋斗が二人いて、
───その二人共が、鬼神。
「そんなの…………」
先が真っ暗になり、全身に悪寒が走り、手足が小さく痙攣を始める。
過去の傷が再び熱を帯び始める。
こみ上げる吐き気を押し留めて、震える口が心からの本音を打ち明けた。
「そんなの、いったいどうすればいいの…………!」
その思いは、教員、ゴードン、洋斗以外の生徒、その全員の本音を代弁していた。
彼らは『鬼神ノ災禍』の被害をその身に感じ、鬼の脅威を身を以て体感している。鬼一匹が街を歩くだけで建物は壊れ、人が死に、街が壊滅直前まで追い詰められた。今はどういう訳か鬼は黙りこくっているが、ひとたび目覚めればその破壊が始まる。さらに目の前にはもう一匹の鬼がいる。もしその二匹が同時に動けば、その被害は間違い無く『鬼神ノ災禍』を上回る。その惨劇は『鬼神ノ災禍』の比ではない上に、能力もろとも消滅させる彼らを止める術はない。
「ええ、ですから…………」
───洋斗もそう考えていたため、彼は前もって話し合っていた『とある作戦』を打ち明けた。
「俺がアイツと一対一で戦って止めます」
それがここに来る前に鈴麗の自宅で話し合って導き出した、この状況に対する一つの回答だった。
鬼二匹が同じ地にいるなら、その鬼同士でかち合って互いに食らいあうのが最も周囲への影響が少ないパターンのはずだ。鬼に能力は効かないが、同じ鬼の妖気なら恐らく太刀打ちできる───というより、ここにいる『嵯鞍』の鬼を倒しうるのは洋斗だけなので、本当に鬼を始末しようと思うなら二人の直接対決は避けられない。
「…………それしか。ないのですね」
「ケンちゃん…………ッ!」
納得、というより妥協の道を選んだ佐久間に対して坂華木が咎めるように叫んだ。
「鬼の討伐に私達の出る幕が無いことは明らかです。それは鬼の妖気と『実際に触れ合った』舞子が一番わかっているはずですが?」
「そ、それは…………ッ!」
佐久間の辛辣な指摘に、坂華木は思わず歯噛みする。
前日、坂華木は洋斗を殺そうとした際に鬼の妖気を直に体感しているのだ。彼女は無数の水刃で洋斗を囲んで、それを高速回転させることで切り刻もうとしたが、妖気の一振りで一蹴された。水の能力、その存在をまとめて消滅させられて復元も叶わなかった。
当時の文献によれば、鬼は妖気を全身に漂わせていたはずだ。だとすれば、有象無象によって放たれた能力は触れた時点で抹消される。その威力は最早ゼロに等しい。それどころか能力の雨霰は唯一鬼に刃を立てられる洋斗の行動範囲を狭め、有象無象の存在は無駄に洋斗の守るべき対象を増やすだけになる。
詰まるところ、洋斗以外が向かったところで邪魔にしかならないのだ。言い換えれば、外野に取れる最善の策は『外野に徹して周辺被害を最小限に抑える』なのである。
「桐崎君。そうは言っても場所は分かるんですか?」
「妖気は俺の中にあるけど、鬼の器はナギの中にいます。そのナギが、『同類』の存在をぼんやりと感知してるみたいです。その方向に向かえば、きっと…………」
───『嵯鞍』の鬼に出会える、そう言い切る直前だった。
「へぇ、それは良いことを聞いたな」
飄々とした言葉が挟み込まれる。だがその声色は、洋斗を含めた第七班のメンバーの声でも、ゴードンの声でも、教職員達の声でもない。ここに居なかった新たな第三者の声が響いている。
「鬼と雷神を殺せという家主からの勅命だったんだが、鬼に関しちゃどこにいるかもわかったもンじゃない。正直手詰まりだったんだ。偶然優秀なガイドと出くわさなきゃあ、今頃街中を虱潰しに駆け回ってるとこだぜ」
男の声は角にある建物の屋根の上から覆い被さるように響いている。
…………いや、『彼』ではなく『彼ら』。
見渡す限りの屋根に、同じような服装に身を包んだ数多の人影がひしめいている。人影のそれぞれが多種多様な武装を揃えており、彼らが織り成す包囲網には一切の穴が無い。
そして、同じような服装をまとい、その胸元には同一のマークが刺繍してある。大小二つの丸と三日月が描かれたそのマークを見て、玄呉柔朗の目が一層鋭く尖った。
「その紋…………貴様等、蘇我の犬か」
「へぇ、三光の紋を知ってるとはなかなか博識だな爺さん。蔵に眠ってたのを引っ張り出したやつだから大分昔のやつだと思うんだが?」
「そんな陳腐な家紋、学生の頃に古馴染の屋敷で嫌というほど見てきたわい」
「古馴染…………それって」
「儂と貴様等の頭首、蘇我守近は元悪友じゃったよ。じゃが今はそんな事どうでも良いじゃろうて…………」
皺の入った眼が、屋根の上を見上げた。
「その犬が群がって、一体何をしておる?今は貴様等と戯れている暇などないのじゃが?」
小さな身体から放たれる威圧、それを前にしても屋根の上の男はあくまで余裕を崩さず、飄々と答えた。
「『あぁ、そうだろうな』。だから俺達ワンコどもはここに来たんだろうがよ」
「何を…………」
「そういうわけだ───そこのボーズ。俺達を鬼のところへ連れて行け」
屋根の上の男は確かに洋斗の方を向いて、ただ簡潔にそう言った。
「お前一人に鬼の相手は荷が重いだろ。叶うわけがない。鬼の討伐は俺たち蘇我家に引き渡し、ボーズは鬼への案内役に徹しろ」
普通に考えれば、それは確かにこちらとしても魅力的な要望だった。
単騎で独行するのと比べたら、集団で連携を取って臨機応変に立ち回るほうがはるかに生産的で確実性のある方策だ。それに、蘇我氏は鬼と縁の深い家系だ、とナギが言っていた。あれだけ自身に満ちた様子を醸しているのだ、万災を奮う鬼に抗えるような手段を何かしら備えているのかもしれない。
その言い方はかなり癪に障るものの、戦略的に鑑みて容認するメリットはあっても断るメリットが見つからない。
洋斗は小さく息を吐いて男の顔を見上げる。そして口を開いた。
「断る」
きっぱりと、はっきりと、斬って捨てるように。
洋斗は確かにそう返答した。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………あ?」
男はじっくり数秒かけて、辛うじて呆気に取られたような声を絞り出した。
「フラレた」「フラレたわね」「フラレましたね」「フラレたな」
「お前ら味方だろ、せめてボソッと声揃えて言うのやめろ。相乗効果でコンボダメージ入っちまうから!」
環状に並ぶ蘇我家の人達から呆れ気味にヤジを飛ばされながらも、男は顔を真っ赤にして洋斗を睨みつけた。
「なんでだ?お前としても、その友人たちにしても、教職員としても。この案は確かに有益な救済、プレゼントのはずだぜ。なぜわざわざそれを蹴りとばす?それを子供らしくピュアな笑顔で受け取ろうとしないってんだ?双方納得の行く理由を言ってみなボーズ」
「まぁ、何て言うか…………確かにすごく魅力的な提案だし、実際その提案を呑んだほうが生存率とか鬼を倒せる確率とかが高くなることは間違いない。それはもちろん分かってる」
確実に、賢く、真剣に鬼をどうにかしたいと考えているのならその申し出は断るべきではない。だが洋斗はそこをあえて首を振った。
「でもそうしないのは、俺がこの手でアイツを止めてやらないと気が済まないからだ」
彼をそうさせているものを一言でまとめるなら、それは自身のちっぽけな『プライド』だった。
洋斗はこことは異なる世界で、両親を失い、故郷の村人を皆殺しにして、この世の地獄を味わった。視界は瓦礫と血溜まりと亡骸で埋め尽くされ、肉の腐った臭いが鼻孔を突き刺し、死肉を漁る鴉の羽音と鳴声が「とっとと死ね」と昼夜囁き続ける。そんな世界。意識を閉ざさなければ、精神を消し去らなければ、自我が崩壊してしまうような世界を、桐崎洋斗は生きた。
そして、『二人の違いが桐崎龍治に救われたかどうかだけである』という推論が正しければそこまでの経緯は同じはず、つまり『嵯鞍』洋斗も同じような地獄を味わっているはずだ。
それは干ばつによる食糧難かもしれない。突如地下から噴き出した有毒ガスかもしれない。桐崎洋斗が体感したような、どこかの科学者が起こしたパンデミックが原因ではないのかもしれない。だがそれでも、嵯鞍洋斗は家族含めた自分以外の全員が息絶えた世界をさまよい歩いたはずなのだ。
そしてそこが桐崎洋斗と同じなら、嵯鞍洋斗は地獄の中でこう思ったはずなのだ。
救いなんて、どこにも無いんだ───と。
───神様は上から自分たちを眺めるだけ、そこで何が起きてようと見て見ぬフリするだけで、肝心な時に限って何もしてくれない。
───この世は酷いものだ。一人の運命を自由気ままに引っ掻き回し、水に沈めたアリを観察するように、その中でもがく人間を覗き込んではほくそ笑んでいる。
───誰も救いになど来ない。差し伸ばされる手などありはしない。
嵯鞍洋斗はそうしてこの世のすべてを恨み、嘆いたはずだ。桐崎洋斗もそうだったから。
そしてある洋斗は『嵯鞍』のまま恨みを抱えて息絶えた。しかし別の洋斗は龍治との出会いによって『桐崎』として生き延びた。
ほんの少しの違いだからこそ、恨みを抱いて鬼に化けた嵯鞍洋斗の気持ちが痛いほどに理解できた。一歩違えば立場は逆転し、こちら側の洋斗は鬼の存在を忘れて平穏な世界を生きられたかもしれないのだから。
そう思うから。
───桐崎洋斗は嵯鞍洋斗に伝えたかった。
お前はそんな死に方をするために生まれたわけじゃない。お前が救われる運命もきちんと用意されていたんだ、と。
お前が救われなかったのはただ運が悪かっただけなんだ、と。
───桐崎洋斗は嵯鞍洋斗に伝えたかった。
お前が世界を恨む気持ちを知っている。誰からも救われないと覚悟する悲しみを知っている、と。
だから、龍治が俺にしたように、俺がお前を救ってやる。
俺が龍治から救われたように、世界、神様、その全てから見放されたお前を、今度は俺が救ってみせる、と。
そう思うから。
「俺がこの手で、あいつを倒してやりたいんだ。その役目を他の人に引き渡す気はない」
───桐崎洋斗は嵯鞍洋斗を救ってやりたかった。
誰かに下がれと言われたからといって、こんな所で立ち止まってなどいられなかった。
それを一通り聞いて、その私欲的な心意気を感じ取って。
屋根の上の男は大きく息を吐いた。
「そうは言われてもなぁ…………こちとら就職先の存続が賭かってるんでな。ガキの我が儘くらい押し潰したって構わないんだぜ?」
先ほどまでの飄々とした顔つきとは打って変わり、その目は『従わないなら無理矢理でもねじ伏せる』と語っている。だがそれでも、洋斗は怖気づいたりする事なく立ち続けていた。
「……………………」
「……………………」
両者の間から言葉が消え、双方決意を持った視線が交差する。
吹いていた風が止まる、その瞬間があった。
「っ!!」
突如洋斗が方向転換し、地を蹴る。
その方向は男の方ではなく、ユリアたちがいる方向。
洋斗は、逃走を謀った。
「な…………クソがぁ!!」
あまりに唐突で男の反応が一時遅れるが、すぐさま両翼の仲間に指示を飛ばす。それに従って蘇我の精鋭数名が一気に屋根を蹴った。
その間、洋斗はユリア、芦屋、鈴麗の三人とすれ違う。
「任せた」
その刹那、ユリアに『丸投げ』という名の置土産を残した。
道沿いに連なる屋根を蹴り、道の両サイドから蘇我の精鋭たちが彼の背中を捉える。
屋根から飛び乗るように、洋斗の頭上へと飛び降りた。
「く…………!」
気配を感じて振り返った時には、すでに数人の人が飛びかかってきていた。
天から迫る複数の影に、思わず足が止まりかける。
───瞬間。
銃声が複数、打ち鳴らされた。
吐出された光の塊はまるで飛ぶ鳥を撃ち落とすように、彼ら全員の側頭部へと正確に滑り込む。音の余韻が消える頃には、生命力の炸裂弾が飛びかかっていた蘇我の精鋭全員の意識を刈り取っていた。
数人まとめて、正確に、絶妙な力加減で撃ち抜かれた精鋭達は糸が切れた操り人形のように地に崩れ落ちる。
「任せて!」
そして鈴を鳴らしたような、凛とした声が響き渡った。
「行ってください洋斗君!」
向けられた彼女の視線は鋭く、一切の揺らぎも迷いもない。この作戦に一番反対していたにも関わらず。
その目が言っていた───私は大丈夫。私も信じるから私を信じてほしい、と。
その目を心強く思いながら踵を返し、洋斗は鬼の妖気を感じる方へと走った。
「…………おいそこの嬢ちゃん、さすがにおイタが過ぎるんじゃねえのか?」
男が訝しげにユリアを睨む。自分から不利な立場になる行動を取る彼女が心底理解できないらしい。
「確かに、そうかもしれませんね。でも気がついたら体が勝手に動いてました」
彼の言う事はごもっとも、とユリア自身も思っている。街には本物の鬼がいるのだ、互いに手を取り合うべきのはずだ。
それらの打算を投げ売って洋斗を助けた理由は、ユリア自身にもよく解らなかった。
いつの間にか、一片の迷いもなく、ユリアはそれを行動に移していた。
まるで、最初から迷う必要などなかったかのように。その答えが既に頭にあったかのように。
「同じ立場だったら私もそうしてたわ。まぁ槍だから間に合わなかったでしょうけど」
傍で鈴麗が腕輪を槍へと具現しつつ、冗談めいた口調で笑った。
「それにしても洋斗(夫)の事になると行動が早いわね。さすがは未来の嫁候補」
「よ…………ッ!?嫁は関係ないです!」
言い方がアレだが、鈴麗はユリアの行動を『洋斗を守る』ため最善だったと言ってくれている。言い方はアレだが。
「僕も、あれは正しい行動だったと思う」
芦屋も、ユリアに賛同してくれていた。
「あの男の言い方とか、彼らが登場したタイミングとか、どうも引っかかる。何かウラとか思惑があるように思えてならないんだよね」
相手の表情や言葉から目的を探り合う交渉という場に立ってきた芦屋、彼だからこそ感じ取れる違和感がその会話の中にあったのだろう。
芦屋は『彼らの思い通りにさせない』ため最善だったと言ってくれた。
しかし、ユリアが行動に移した理由はもっと別のところにあった。
『洋斗を守る』
『彼らの思い通りにさせない』
それら以上に、ユリアは『洋斗の信頼に応えたい』。
彼はすれ違いざまに、私に言った。
───任せた、と。
蝋燭に火を点けられたかのように、その言葉を聞いた瞬間ユリアの中で何かが大きく脈打ったのだ。
それはつまり、ユリアになら任せても大丈夫だと思ってくれたという事だ。信頼してくれた、という事だ。
嬉しかった。
確かに、それは誰の目から見てもただの『丸投げ』だけど。
洋斗の我儘に振り回された結果に過ぎないけれど。
それでも。
私はそれが嬉しかったのだ。
ずっと、ずっと憧れ続けた、追いかけ続けた彼の背中。それを守れるだけの強さをユリアは持っている、と彼が言ってくれた気がした。屈強な勇者と軟弱な姫の関係とは違う、共に足を引っ張り共にその背中を守り合う『対等な関係』にまた一歩近づいた気がした。
───任せて!
それを彼の背中に叫べた事が、どれほどユリアの心を高揚させただろうか。
あの瞬間、自信を持って彼にそう言えたことがユリアの中で一番輝く誇りになっていた。
だから、その信頼を無為にしたくはなかった。それはユリアにとって、誇りを、成長を、努力を、洋斗と出会ってからのユリア・セントヘレナの全てを否定することになる。
だから体が動き、洋斗を助けるという形でその信頼に応えようとしたのだ。
「若気の至り、ってやつか。俺にもそんな時期があった、多分。なまじ若さゆえの友情とか根性とかでがむしゃらに突っ込んで、そして成功しちまうもんだ」
男はユリアの誇りを『若気の至り』一言で吐き捨てた。
「しかし、計画の邪魔をされたとあってはこちらも下がるわけにもいかないんだが、そんなことは覚悟と承知の上なんだよな?」
男の手に一本の剣が握られる。
その刀身、鍔、柄までもがほぼ無色。薄っすらとぼやけたように剣の輪郭を示している。
「寒いんですけど」「夏だからただでさえ薄着なのですが…………」「ちょっと空気読んでくれません?」
「頭イカれてんじゃねえのかお前ら!?ここは凄むとこだろうが!」
それは見るからに氷で出来た剣。男の属性は水だ。腕をさする隣の部下達に一括し、気を改めてこちらを向く。
「とまぁそういう訳だから、容赦なく行くぜ!!」
男が立っていた屋根を横に蹴り、ユリアへと突っ込んできた。
「っ!!」
ユリアはすかさず彼の頭に照準のイメージを構築し、その銃を構える。
ユリアの指がトリガを引ききる、その前に地面から壁がせり上がってきた。
「!」
男が振り抜いた氷の剣が土壁にぶつかり、砕ける。
「貴様等が勝手に抗争を起こそうと言うなら構わん」
カツン…………、と。
魁ヶ峰丘 玄呉柔郎の杖が軽快な音を鳴らす。
「こちらとて貴様等が一躍噛んでおる事は既に調べがついておる。明確な証拠が見つからんせいで確保までは行けんが、自らお縄にかかる口実を作ってくれるつもりなら存分に利用させてもらうわい。───その上、貴様等は今うちの生徒に刃を向けた。儂らの前で堂々と喧嘩を売られた以上買わねばならんのじゃよ。じゃから既に救援を呼んでもらっておるから、直に総力戦となろう」
控えていた佐久間の手が柄に添えられ、坂華木の周りを水流が渦巻く。すでに二人も臨戦態勢へと入っていた。
「私としても、お嬢様に剣を振りかざした以上見過ごすわけにも行きません。それに鬼が関わっているとなれば尚の事、です」
さらにゴードンまでもが燕尾服の襟を正して、周囲をじろりと一瞥する。
現在学内トップクラスであり数々の修羅場をくぐった生徒三人に世界屈指の実力者複数、更に『救世の第七班』の一角を加えた錚々(そうそう)たる面子が軒を連ねる。
その光景を前にして、相手側が現状揃えうる最強のメンバーを前にして。
「いいぜ」
男はなおも、笑う。
「この感じだと、素直にボーズを追いかけさせてはくれなそうだしな。こちとら鬼の相手をしようとしてたんだ、そんくらいの勢力差は覚悟してた」
男の言う通り、学校の最大勢力が意気込む姿を見ても彼らを取り囲む人の輪は崩れなかった。それどころか皆それぞれの武器を具現し、多種多様な色の光を放ち始める。
弧を描くように釣り上がった口が、言う。
「 やれ 」
その一言で、その場にいたすべての人間が同時に動いた。
フォートレスと、蘇我家。
彼らの総力戦とも言えるひとつの『戦争』が、ここに幕を開ける。




