14章-3:湖畔に映るは二色の雷光
「うう、暑くてジメジメします…………」
茂る木々の中をとぼとぼと歩くユリア。熱と湿気を逃がすため、襟に指を引っ掛けて胸元をパタパタ仰いでいた。
今彼女がいるのは大江山の北部、その最外部に位置する森林地帯だった。本来こんな所まで捜索にまわる予定ではなかった。しかし「どこにいますかねぇ…………」とフラフラしていたらここまで来てしまっていたのだから、そこは『ユリアらしい』と笑う他ない。
「んく…………んく…………ぷはぁ」
ペットボトルの飲み物を二割ほど喉に流し込む。体の潤いを感じながら、周囲に目を凝らして草を踏み分けていた。
───けど、鬼はこんな所に来るんでしょうか?
半ば半信半疑な心持ちで歩いていた彼女の瞳に、不意に何かがちらついた。
周りに大した建物もない森の中で、一体何をしてるんだろう?
そう思ったユリアは恐る恐る人影に近づいてみる。その影との距離が近づくと、それがうずくまっている人の影であることがわかる。樹皮に背中を預けて、頭を抑えていた。
二人の間が10m程まで狭まったところで、そっと声をかけた。
「あの…………どうされました?」
「 ッ!!?!」
座っていた男がひどく驚いた様子でこちらに顔を向けた。
「え…………」
その顔を見たユリアもまた、丸い眼をさらに丸く剥いて仰天した。
「洋斗君…………!?」
その容姿はユリアがよく見知った少年だった。
「なんでこんな所にいるんですか?確か街の方に探しに行ったはずじゃ…………?」
質問が口を出る中で彼女の中で違和感が募る。
髪の長さもこちらの方が遥かに伸び切ってるし、服装も朝と全く違う。
そんな食い違いからくる違和感。
驚きが冷めない彼の口から放たれた一言によって、その違和感は最高潮に達した。
「…………あんた、なんで俺の名前を知っているんだ…………?」
彼の眼は、それがふざけているわけでも冗談でもないことを物語っている。
───目の前の、桐崎洋斗と瓜二つな彼は、私の事を知らない。
「…………あなた、誰です?洋斗君になりすまして何をするつもりですか!?」
「ま、待て!突然何言ってんだ!?俺は洋斗、『嵯鞍 洋斗』だ!」
「…………さくら、ひろと…………?」
フローゼル家に拉致された後、保健室で聞いた名前。確か洋斗君が養子になる前の名前のはず…………。
これも嘘を言っている素振りはない、気がする。
どういうことなんだろう?
洋斗君が今予定通り街の方にいるとしたら、目の前にいること人は誰なんだろう?
なんで洋斗君の昔の名前を知ってるんだろう?
敵なのか?無関係なのか?
彼を前にしてどうすればいいのか?
ユリアの頭が疑問符で溢れかえる。
「ぐッ!?あ゛ぁ…………!!」
突然、彼が苦しそうにうめき声を上げた。
「え、だ、大丈夫ですか!?」
敵味方の判断はついていなかったが、彼女は反射的に彼の方に手を置いていた。攻撃の意志もない、ただ優しくいたわるために差し出した手。
バヂン!!と、
その手は何かに弾かれた。
「「!?」」
弾かれた手に感じる、ジリジリとした鈍い痛み。それに呆然としている間に、彼は一気に遠くに飛び退いた───まるで、突然攻撃を受けた獣のように。
そして彼は手をこちらにかざし、雷撃を放ってきた!
「な…………!」
唐突な攻撃だが、ユリアはトリガーにかけていた指を反射的に引く。
銃弾は瞬時に二人の間へ回り込み、盾となって雷撃を防いだ。
ズドン!!という衝撃とともに、急造の金の壁が粉々に砕け散る。
破片が散る視線の先、いたはずの彼の姿は忽然と消えていた。
天眼通を発動して周囲を見回しても、その姿は見当たらない。
───彼は、一体…………?
飛び退いた時の彼の苦しそうな表情と、放たれた雷の漆黒が、ユリアの網膜にしばらく焼き付いていた。
~~~~~~~~~~~~~~~
公園、湖のほとり、小屋の壁に身体を預けてしばらく経った時。
「主様!」
ナギの呼びかけに洋斗が目を開く。
彼の返事を聞くよりも早くナギは早口でまくし立てた。
「人が、誰かが近づいてきてるのです!」
聞いた瞬間洋斗はすぐさま立ち上がり、小屋の影に身を潜める。ナギも刀に具現して主人の手に収まった。
少しして、ザッ、ザッ、と土を踏みしめる音がこちらに近づいてくる。
「……………………」
その音は迷い無くこちらに接近し、止まった。
「そこにいることは分かっています」
「ッ!?」
それは、わずかに聞き覚えのある少女の声だった。
「隠れても無駄です。出てこないならその小屋ごとぶち抜きます」
その台詞は単なる虚喝ではない。
彼女は俺が小屋の後ろに隠れていることを分かったうえで言っている。
これ以上は無駄だと悟った洋斗は、柄に手を添えながら物陰から姿を表す。
「蘇我、さん…………」
そこにいたのは、いつかに剣術の指導をした後輩の女の子───蘇我 舞咲。あの時と同じ刀を腰に携え、あの時と同じ翡翠色の電撃を身にまとう。違うのは、自分に向けられる殺気の有無だけだった。
「桐崎先輩…………本当に先輩が鬼だったんですね」
その言葉にはわずかな憂いが見えた気がした。
「私、なんとなく解るんです、先輩が鬼かどうかが。最初に見かけた時、まさか、って思いましたよ。正直に言って、最初に聞いた時は信じていませんでしたし、信じたくもありませんでした。全く思えば、化け物に教えを請うていたと考えると背筋が震えそうですよ」
舞咲が翡翠に光る手で柄を握った。
洋斗に見せつけるようにゆっくり、ゆっくりと鞘から刀を抜く。肌立った銀閃がその姿を表し、翡翠の雷光を受けて光った。
(あの鎬造に庵棟…………あれは童子切に間違いないのです!注意なのです!)
頭の中でナギが言うので、更に意識を研ぎ澄ませた。
鋭利な鋒が、ゆらりと彼の顔に向けて突き付けられる。
「ですけど、情けはかけません。容赦なんてしません───私が先輩を、殺す」
舞咲が一切たじろぐ事なく言い切った。
「…………何かの冗談じゃな
信じきれずにこぼれた呟き。それが最後まで言い切ることはなかった。
───洋斗の顔面すれすれを、翡翠の雷撃が貫いた。
ズドンッッ!!と大気を切り裂く爆音が耳を打ち、刹那のうちに視界の色彩を吹き飛ばした。衝撃波を受けて髪や服が慌ただしくはためく。瞬きも追いつかず、エメラルドグリーンの雷光が剥き出しの網膜を焼き切った。
「…………!」
(!?主様!)
ナギの声が聞こえて、洋斗の目がわずかに見開いた。
耳の横を撃ち抜いたのは、言うまでもなく蘇我 舞咲の能力。洋斗に対する宣戦布告、彼女なりの剥き出しの敵意、その証明だった。
無論、その意図には洋斗もすぐに解った。
身体が徐々に熱を帯び、頭が冷たく精錬されていく。
「…………命がかかってるんだ、手加減はできないぞ?」
「……………………」
「…………わかった」
伏せ気味気味だった顔を上げて舞咲と相対する。
白銀の刀身が、鮮烈な赤を帯びる。
「来い」
無慈悲に、冷徹に、言い放つ。
彼女を睨む瞳は、『地獄のような紅色』だった。
数々の死線を掻い潜ってきた戦士のように強靭で、命を刈り取る死神のように魔的な、死そのものを塗り固めたような眼。
一瞬その瞳に意識を呑まれそうになった舞咲は、思わず一歩後ずさっている事に気づく。
その事実に逆上し、ぎり…………と、きつく奥歯を噛みしめる。
───どの道、この怪物に立ち向かわなければ未来は無いというのに。
───当の昔に覚悟は決めたはずだろうに。
───戦え!
───あの鬼を、殺せ!
「ぐ…………あああぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
腹に蔓延った恐怖を咆哮で強引に振り払い、仇敵の元へ突貫した。
距離を一瞬で詰め、翡翠色に瞬く童子切を上段から叩き込む。
暗赤色をまとった逆薙を上にかざし、斬撃を真正面から受け止めた。
ズ──────ッッ!!!
2種の稲妻の轟きが、地震のように大気を揺さぶった。
炸裂した2色の稲妻が絡み合う。
湖の水面や重圧や衝撃で砕けた大地を、舐めるように踊る。
「ふっ!」
洋斗が剣を振り切り、腕力で舞咲を押し飛ばす。彼女は受身を取りつつ地面を転がり、再び地を蹴った。
横薙ぎに振り抜かれた一振りを回避した洋斗。それを追撃しようと、舞咲が彼を追尾する。
ぶつかっては離れ、炸裂しては離れを繰り返すその姿は最早剣戟ではなく、地表を駆ける雷そのものだった。
二人は天を舞う龍のように雷光の残像をなびかせ、激突を繰り返す。見る者を魅了させるようなその舞踊は数多の衝撃と炸裂を撒き散らし、それに耐えられず世界が荒れていく。
振り下ろされた剣戟をバックステップで躱しながら、あくまで冷静に舞咲を見やる。
(確かに『殺す』なんて物騒に言い切るだけある…………)
洋斗に向けられる攻撃の一つ一つに、彼女の硬い殺意が乗っていた。それが彼女の荒削りな剣術に重さと鋭さを付加している。
(けど)
しかし、これでは洋斗には届かない。
今の彼女の剣は、いわば巨大なハンマーだ。ただ重さに速度を載せて相手に叩きつけているだけの、無骨な力の塊に過ぎない。
まだ軸もブレているし、雷撃も過剰に出し過ぎている。
完全に力に振り回されてしまっている。
それで洋斗の俊足を捉えることなどできるはずもないし、万全の力を相手にぶつけることもできない。
高く飛び上がり、全体重をかけて脳天を叩き割らんと上段から振り下ろされた童子切、それを受け止めて拮抗する。
「…………本気なのは分かった」
躱せるところをあえて受け止めたのは、舞咲と対話する時間を作るためだった。
「けどやっぱり一度考え直すべきだ!どんな理由なのか、どんな経緯なのかも分からない、それでも!俺にはこれが真っ当な道とは思えない…………!」
「…………鬼のくせに、情に訴えかけてきますか」
交差する鋼の向こうで、舞咲の目の色が変わる。
「わたしは…………私は、お前を殺すためだけに生まれてきた!それだけが私の生きる理由だ!私っていう命の価値なんだ!!」
洋斗を押す舞咲の力が増す。
童子切を握る手に、自らを傷めるほどの力が加わる。
「私が目の前にいる鬼を殺せなかったら、私の価値はそこで終わりなんだ!無意味なの!『これ』がどんなに腐りきった道なんだとしても関係ない、それでも私はそこを進む以外に許されない!!!」
「……………………」
洋斗は、バックステップで後ろに飛び退く形で拮抗を解く。
───率直に言って、舞咲が言っていることの意味はいまいち腑に落ちなかった。
この時代、この場所に鬼の写し身となる洋斗が姿を表す。それと全く同じ時にその対抗策を詰め込んだような蘇我舞咲が現れる。
それらはすべて、ただ偶然が幾重にも積み重なっただけに過ぎない。
だが彼女の言い分は、まるで来たるべき時に鬼が現れることが来るべくして訪れた運命で、それをすでに覚悟していたようだった。
どうして来るかもわからない事にそこまで腹を据えていたのか?━━━この疑問が洋斗の理解を鈍らせていたし、第一『実際そんな些細なことはどうでも良かった』。
「…………やっぱり蘇我さんはこんな事するべきじゃない」
「こっちの理屈をろくに知りもしないで、今度はどんな講釈をたれようと言うんです?」
舞咲と洋斗、二人の視線が重なる。
「蘇我さんは、人殺しに向いてない」
「…………は?」
舞咲の眼が大きく剝かれた。
「幼い、っていうのかな…………?他人に命を奪うにはあまりに優しすぎるんだと思う───動きに躊躇いが見えるよ」
「な…………!?」
彼女は今、鬼の首を取る、という途轍もなく強い意志を込めて剣を振るっている。
ただ、そのあまりの強さに、舞咲の持つ剥き出しの感情が剣や体捌きを通して露骨に洋斗へと伝わってくるのだ。
───その感情は『焦燥』と『恐怖』。
なにが何でも鬼を倒さなければならないという焦りと人を斬ることに対する恐れ。
どちらも命を奪い合う戦いの中では自身の動きを鈍らせる、真っ先に消し去るべき感情だ。場馴れしている者ならそれは知っているはず。つまり…………。
「人を殺したこと、無いんだろ?」
返事はない。
だが返答は、目が一層大きく見開かれるという形で成されていた。
「蘇我さんはまだ戻れる。半端な覚悟で人を殺そうって言うなら今すぐ引き返した方がいい」
ここで何か言い返さなければ…………彼女の心が、そう訴えた。それに従って、舞咲は怒号を振りまく。
「引き返す道がないって言ってるんです!何を分かった風に…………ッ!!」
「確かに、自分から進んで人を殺すっていう思いがどんなものなのかは分からない。けど『命を奪う罪がどれだけ重いかは知ってる』つもりだよ」
「ま、まさか…………」
「そうだ。俺は人を殺したことがある」
「ッ!?」
「多分百人はくだらない。それだけの人をこの手で斬った」
「俺が最初に人を殺したのは…………6年前になるのか。その時、俺が住んでた村で村人同士が殺し合うっていうパンデミックが起こった。俺の中の鬼が一時的に身体を乗っ取って戦ってくれてたみたいで、目を覚ますと全部が終わってて、俺以外の村人は全員死んでた。当時の記憶はないからその内のどれだけを自分が殺したのかはわからない。でも、目を開けたら目の前に死体がたくさん転がってて、両親もその時に死んで、散々だった。その日からずっと、その傷は消えないまま残ってる」
色を無くしていく周囲の風景と、理性を焦がすほどに鮮烈に焼き付く赤。命の重圧と、それに潰される自我と精神。
その体感は、今も記憶に焼き付いている。
壁についた傷をなぞるように、その記録を呼び起こしていく。
「次は、フローゼルとかいう奴らに攫われたユリアを助けに行った時だ。屋敷に乗り込む前は俺も必死だった。ちょうど今の蘇我さんみたいに、『この手を血に染めてでもユリアを助けるんだ』って覚悟を決めて乗りこんだ。けどそんな時でも一人斬るごとに、一人を雷で焼くごとに、俺の心が削れていくのがなんとなく分かるんだ。結局先生たちの手助けでユリアは助かったんだけど、ユリアの所に辿り着いた時にはもう、俺の心は無くなってた」
「………………………………」
舞咲は剣を構えつつも戦慄を隠しきれない様子で、彼の殺人の記憶を聞いていた。そのどれもが、自分が一度も経験したことの無い感覚で未知の領域だった。
そして、同時に心がざわめきはじめた。
全身から血の気が消失し、体の感覚が乖離する。現実から目を背けたくて仕方がないが眼は大きく開かれたまま微動だにしない。目を閉じれば、擦れこまれた壮絶な景色が瞼の闇に映りそうだった。
彼女自身が気づき始めたのだ───自分が今、同じ道を歩もうとしている事に。血濡れた一線に、既に爪先が触れる領域まで迫っている事に。
洋斗がこの話をしたのも、それを察しての事だった。
「俺はこんな経験を、周りで命が消えていく感覚を誰にもしてほしくない。もちろん蘇我さんも」
───舞咲は、迷った。
自分の足がすくんでいるのが分かる。心が怖気づき始めているのが分かる。精神が、一歩下がろう、と声を荒げている。
『…………本当に、それでいいのかしら?』
が、それを行動に移そうとするその刹那、何かがそれを拒むのだ。
『今日この時のために生きてきたんだろ?そんなアナタが目的を放棄したら、果たしてアナタに何が残るというのだ?』
耳元で何かがささやく。それは狂気となって、舞咲の心へするりと入り込む。それは体内の恐怖と混ざり合い、黒く粘りつく重油のような激情へと変わる。
(私の、存在理由…………)
震える舞咲のそばで、何かが不気味な笑みを浮かべる。
『迷っている暇はないわ。アナタが進むべきは後ろではなく前、アナタの全てを狂わせたあの醜い怪物よ』
───そうだ。
あの鬼は、私の生活、私の未来、私の運命、その全てを狂わせた。
怖くても、逃げられない。
重油のようなものは彼女の中でそのかさを増し、全身を侵食していく。
そして。
『さぁ。今こそ諸悪の根源をその刀で斬り刻みなさい。その雷で焼き尽くすのだ』
「………………………………ぅ」
───アナタの全てで、諸悪の全てを殺し尽くせ。
何かがそれに、小さな火種を放り投げた。
「ゔああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
火種は重油のようなものに移って、一瞬で全身を包む業火となった。
己を妨げる雑念を猛る咆哮で振り払い、全身を狂気の熱に委ねる。
大きく、前へ。
童子切に雷神の雷をありったけ込めて、跳ぶように駆け出した。
「…………そっか」
小さく呟き、言葉による説得を放棄する。
自分のもとへ駆けてくる舞咲を赤い瞳で捉え、逆薙を『左手に持ち替えた』。
(な、主様!?)
利き手ではない左手に持ち帰られた事で、ナギに確かな動揺が走る。
洋斗は空いた右手に鬼の妖気を集め、静かに前へとかざす。
洋斗の利き手が右である事は舞咲も知っている。だから彼女の心もわずかに揺らいだ。
だが、狂気に染まった彼女の身体は止まらない。
翡翠に光る刀身を肩に担ぐように上段に構えて、洋斗を射程に捉える。
全身にしなりを加えて、大きく一刀を振り抜いた。
その剣を待ち受けるように伸ばされていた右腕。
それを剣の軌道に合わせて後ろに引く。
───洋斗の行動はこれだけだ。
「 !?」
舞咲からすれば、刀の起動が曲がったように見えただろう。刀が洋斗を避けたかのように感じられただろう。
彼は動いていない。大きく跳んで躱したわけでもない。
手を引きながら相手の拳に手を添えて、一気に後ろへ払っていなす。
相手はバランスを崩し、自分は腕を引いた腕を前に出すだけで剥き出しの急所を突ける。守りから瞬時にカウンターを加える、嵯鞍人拳に伝わる攻防一体の回避術だ。
それを洋斗は、能力によるアシストを加えた動体視力で、童子切の上段袈裟斬りを拳に見立てて行使したのである。
引いた腕を再び前に伸ばし、手前にあった舞咲の顔面をつかんで押し込む。
「っふ…………ッ!!??」
まるですれ違いざまにラリアットを食らうように、前にバランスを崩していた舞咲の身体がぎゅるん!と縦に半回転して、背中から地面にたたきつけられていた。
突如顔を手のひらが覆い、文字通り天と地が反転し、打ち付けた背中が痛む。
刹那のうちに起こった事に把握が追いつかなかった。
自分の顔を覆う手、その指の隙間から見えるのは自分を冷ややかに睨む赤の瞳。
左手に持った刀の切先がこちらの方を向いていた。
───。
反射的に手に力を入れるが、帰ってくるのは拳を軽く握る感覚だけ。その手に童子切は無かった。
──────。
逆薙を逆手に持ち、腕を振り上げる洋斗の姿。
その先端の延長上には、私の額がある。
─────────。
全身が強張って全く動かない。
頭も状況に対する警告で目一杯。
棺の中のような、断頭台に首を据えたような、永遠に等しい距離まで引き伸ばされた一瞬の地獄。その、終焉の時が来た。
腕が、振り下ろされる。
切先が迫る。
───兄さま…………。
意識が、途絶えた。
~~~~~~~~~~~~~~~
「………………………………」
彼女の頭から手を離し、立ち上がる。
(主様…………本当にこれで、良かったのです?)
意識を伝ってナギが問うてくる。
「…………あぁ、これが最善だ」
洋斗は返答を返しながら、彼女の頭すぐ横に突き刺さった逆薙を引き抜いた。
「これで『俺には勝てない』って分かってくれれば、またこうして無闇に突っ込んでくることもなくなる。それに、冷静になって考える時間もできるはずだ。それを素直に受け止めて、一線で踏み止まることを願うよ。その一線の先は…………たとえ敵だろうと見てほしくない」
舞咲はどうやら、刀を突き刺す直前に気を失ってしまったらしい。死に直面するプレッシャーに耐えられなかったというのもあるが、それ以前から何かしらのストレスを抱えていたのかもしれない。そう思えるほど、こちらに向かってくる彼女の最後の挙動は鬼気迫るものだった。
「よっ、と」
ぐったりした彼女の体を抱き上げ、先程まで休んでいた小屋の影に寝かせる。
そしてすぐに公園を離れた。
あれだけの轟音を連発してしまっては誰が気づいたか知れたものではない。
(けど、これからどこに向かうのです?)
ナギが妥当な質問をかける。
そう。
あの公園の時点で学校からかなりの距離があったが、それでも追手は来た。つまりそれだけ捜索網は広いということだ。
果たしてそんな中に安息の地などあるのだろうか…………?
───その時。
ポケットの中で、携帯が小刻みに振動した。着信を知らせているのだ。
画面を開いて確認すると、それは芦屋からの電話の着信だった。
洋斗はすぐに通話のボタンを押…………そうとして、ピタ、と指が止まった。
───もし、芦屋も捜査に協力していたら?
一瞬迷うが、彼を信じて改めてボタンを押した。
「…………もしもし」
『あ、繋がった!無事だったんだね!』
電話の向こうで跳ねるような喜びを表す芦屋。どうやら舞咲と争っている間も電話をかけていたらしい。
そして『無事』という言葉から、既に今の洋斗の状況は知っているようだ。
『ねぇ、今どこなの!?』
「?自然公園の近くだけど…………」
居場所を聞いたのは芦屋ではなく鈴麗だった。二人はいま一緒にいるようだ。
『…………急に携帯取らないでよ、貸して…………それで提案なんだけど、鈴麗の家に来たらどうかな?自然公園からは距離があるけど、僕達は今そこにいるんだ。捜索の網は広いけど、きっと個人の家には及んでないはずだよ』
「……………………」
願ってもいなかった知らせだが、洋斗は逡巡していた。
もしかしたら、自分を罠に嵌めようとしているのかもしれない。そう思うと、安易に首を縦に振れなかった。
───それを芦屋も理解したのだろう。
『…………お願い。僕達を信じて』
『ええ、ユリアちゃんも呼んで待ってるわ!』
この一言で、決心は固まった。
「…………わかった。すぐ行く」
そう言い残し、通話を切る。
「トバすぞ」
(了解、です!)
洋斗は足跡に火花を散らして、一気に地を蹴った。




