14章-1:恋焦がれた日常における代表的な一節
━2014.07.22━
〜21:56〜
「ここが避難所として地域開放されて助かった。お陰で全く怪しまれることもなくここまで来れたぜ」
「…………ですね」
時は、まだ空に亀裂が残る明るい深夜帯、警備が厳重になる直前の時間。
場所は、フォートレス能力専門高等学校の奥地、そこにひっそりと立っている漆黒の水晶碑。
この学校に通っている内情捜査役が記した地図をもとに、時に人目を盗んで、時に避難してきた群衆に紛れて、数人は目的地である水晶碑にたどり着いた。
その数人のうち、ここの学生はたったの一人。それ以外は20代後半から30代の中年男性だった。
「にしてもこの地図、本当によく描けてるよな。お手柄だぜ『雅人』」
「まぁ、俺にはこれくらいしかできないんで…………」
自分を卑下したように笑う、雅人と呼ばれた少年。しかし、そんな自虐を否定してくれる者は一人もいなかった。
「……………………」
顔に暗い影を落とすその少年は、胸の内で思う。
───これでも構わない。
大丈夫だ。この出来事さえ終わってくれれば、俺は妹と一緒に家を出るつもりだ。
俺が『鬼』を開放し、それを妹が討つ。
それで全てが終わる。
これによって、家の名も上がる。過去の繁栄を取り戻すはずだ。大事な家族を戦いに引きずり出してしまうのは心苦しいが、鬼の討伐が成されれば、もう妹がもつ討魔の力は不要になる。家系の呪縛から解放される。
学生二人で生計を立てるとなると安泰への道は長そうだが、それでも求めていた自由を得る対価だと考えれば容易いものだ。
家系は権力を取り戻し、街に残る不安分子は消え去り、俺達は自由を手に入れてなんの柵も無く平穏に暮らす。
誰も損をしない、理想の展開だ。
「…………よし、これで準備は整った。あとは指先一つで『鬼神ノ災禍』の再来ってわけだ。さっさと退散するぞ」
「これをお前の妹さんがサクッと倒しちまえば終わりだぜ」
「……………………はい」
こうして災厄の種は落とされた。
芽吹き大きく花開くまで、そう時間はかからない。
━2014.08.12━
〜07:26〜
天壊兇変による被害があったのは大江山麓の森林地帯だったため、フォートレス能力専門高等学校に特別被害はない『ということになっている』。
そのため、例の研究所による洗脳事件で休校していた学校が8月4日に再開された。本来夏休みである時に学校が始まるとあって生徒間ではクレームが響いたが、『4月半ばからずっと休みっぱなしだったんだから、いい加減勉強しないと追いつけない』という建前もあって、クレームは尻すぼみになって消えた。
そういうわけで、今日は学校再開から6回目の登校となる。
「じゃあゴードンさん、行ってきます」
「行ってきます叔父様!」
「行ってくるのです!」
「ええ、行ってらっしゃいませ」
「これは洋斗様にお嬢様、ナギちゃんも今日はお早いですね?」
「セリカさん、おはようなのです!」
「洋斗君が今日の日直なんです。なので私もついていくことにしました」
「なるほど、そういう事でしたか。お引留めして申し訳ありませんでした」
「いえ、では行ってきます」
「はい、行ってらっしゃいませ」
二人が頭を下げている前で、音を立てて扉が閉まる。セリカが頬を緩めたのは頭を上げた直後だった。
「…………よかったです」
「どうしたんです急に」
「洋斗様とお嬢様の事です。お二人の中が元通り…………むしろ以前より仲が深まっているようにも見えます」
「まあ、あのような事が起これば当然も当然でしょうけどね」
天壊兇変で起こったことは、全てユリア達から話を聞いている。二人だけでなくこの屋敷に携わる全ての人が事の顛末を聞いていた。つまり、洋斗に眠る鬼も、ユリアの神通力も知っている。
「…………変わりましたね、お嬢様」
感慨深げに、セリカが呟く。それを実感するように、ゴードンは「えぇ」と是を示した。
セリカの言うとおり、彼と出会ってからユリアは本当に変わった。プラスの方向に、著しく。
二年ほど前と比べて遥かによく笑う。純粋に毎日を楽しんでいるのが分かるほどに。
それに、自身の研鑽に熱心に取り組むようになった。能力が使えない、と諦めていた二年前。ここ最近は、出来ない事をどのように克服するかを考えるようになっていた。その前向きな姿勢は勉強でも遺憾なく発揮され、家でも自分の机に向かう時間が増えていた。
本当に、彼女は強くなった。
───しかし。
「(いつまで続くか…………)」
「?今、何か…………」
「いえ、何とも」
ゴードンの胸には懸念があった。
それは、洋斗が異世界の人である、ということに起因する。
言うまでもなく、今のユリアを高みへ突き動かしているのは桐崎 洋斗の存在である。彼は今のユリアにとって、至るべき大きな目標であり、彼女の存在を支える基軸だ。
しかし、恐らく彼は異世界へと帰るだろう。この世界からいなくなるだろう。
果たして、そうなった時にユリア・セントヘレナはどうなるのだろうか?彼という中軸的存在が抜けた瞬間、音を立てて崩れてしまうのではないか?
そんな懸念を胸に抱きながら、ニック・ゴードンは自分の仕事に戻っていった。
〜09:21〜
フォートレスの時間割は通常の高等学校と同じ50分授業に10分休憩、4時間目と5時間目の間に40分の昼休みというものだ。
しかしこの能力専門高等学校では加えて能力の練習も並行して行うわけで、数学などの一般科目の内容は通常の高校よりも濃密で展開が速い。そしてその短時間の間に生徒に理解させる教師の手腕も問われるのだ。橘先生はそういう意味でもトップクラスの実力派人気教師だったりする。
もっとも最近はどういう訳か、空き教室の一つを貸し切って籠城していることが多く、授業で会うときも気力が無い。洋斗達がその理由を知るのは、もう少し先のお話。
今は授業の1時間目、ハードな一般科目ではなく能力の練習にあたる時間だ。
形式としては、能力の属性ごとに班分けしてそれぞれに教師1人が就くものと、2年に上がった際に振り分けた班に別れて練習するものの二種類がある。今回の授業は前者だ。
よって、教師のスタンスによって授業の終了時間が大きく変わる。その影響で、洋斗が受けていた雷属性の練習は毎回驚くべき速度で終わってしまう。
洋斗はそれで空いた時間を、ユリアの自主練に付き合うことにあてていた。
ユリアは能力が存在しないという生粋のレアケースであるため、参加する班を決められない。教師陣の配慮で毎回どこで指導を受けてもいい事になっているのだが、生命力そのものの操作や世に廃れつつある銃の扱いとなると的確に指導できる教師があまりいない、というのが本校の現状。
そうしていつも一人で練習しているユリアの模擬戦相手役を、毎回洋斗が買って出ているのだ。
無論今日も例外なくユリアはぼっちで、洋斗の授業が早く終わってから仮想競技棟のカプセル内でユリアの相手をしていた。
「あ、芦屋君!あの二人今日もやってるよ!」
「毎回よくやるよ…………見てく?」
「うん!」
仮想競技棟は能力の練習場と教室棟の中間にあるため、土属性の練習が早く終わった芦屋と山河さん(校内での洗脳騒動の際、鈴麗に怪我を負わされた同じクラスの子)は仮想競技棟に入り、競技のライブ映像を開く。
キューブ内で行われている競技を別画面で開くことができるのも、このカプセルの機能の一つだ。これは生徒同士の戦闘を教師が観戦してアドバイスできるようにしたもので、これを大規模にしたものが白宴祭の時に使った観戦用画面である。もちろんプライバシセキュリティによって一般公開をブロックしたりもできるが───
「…………何か見られたらマズいものってあるか?どのみち操作わからんから設定できないけど(それに鬼の妖気はもとから使えないし)」
「…………ないですね。設定の仕方わからないですし(それに神通力は使わなければいいだけの話ですし)」
───という感じで結局一般開放状態で模擬戦をやっており、クラス内では早く授業が終わった場合にここで観戦する、という習慣を持つクラスメートが現れ始めた。
そういう経緯で点けられた画面、そこに映っていたのは閑散とした闘技場で火花を散らす洋斗とユリアの姿だった。
〜09:37〜
「きゃふッ!?」
ガづん!!!、と。
硬い物同士がぶつかる鈍い音が響き、カプセルのフタがゆっくりと開く。
体を起こしたユリアの額が赤くなっているのを見て、洋斗は大きくため息をついた。
「ユリア、お前毎回毎回よく飽きずに頭ぶつけるよな。なんか一周回って感心してきた」
「しないでください!」
「だったらいい加減慣れろよな。何回頭ぶつければ覚えるんだよ。あ、もしかしてぶつけるたびに忘れてるとか?」
「違う…………と、思います多分。それで、今日はどうでしたか?」
「ああ、その前に…………」
洋斗は怪訝そうな瞳でちらりと横を見る。
「またいるのか」
その先にはニッコリと温かい目を向けてくる二人、芦屋と山河の顔があった。それも、遠くから見れば四人で会話しているように見えるくらい目近の距離に。
「いいよ、気にしないで」
「うん。僕達のことはいいから」
「いやいや、なんか気が散るというか、落ち着かないというか、とにかくそんな感じなんだ」
「いつも横にナギがいるじゃないか」
「私はお邪魔なんてしてないのです!」
「ナギの場合話が別だ。それにこんなの聞いてたってつまらないだろ」
「そんなこと無いよ?」
そう言う芦屋は、聞かれる意味がわからない、くらいのキョトンとした顔をしていた。
「洋斗の指導って意外と傍から聞いてて為になるんだよね。体の動かし方とか相手との距離感とか戦闘のセオリーとか、戦ってる時にそんな事まで考えてるんだーって事が結構あるからね」
「…………そういうもんか。まぁ冷やかしじゃないなら見逃してやるよ」
「一応それも目的だけどね」
「蹴り出すぞ?」
「冗談だよ」
洋斗は呆れたようにため息を一つ。そして当初の予定通りにユリアへと向き直る。ナギはカプセルの縁に座って、脚をパタパタしながら二人を眺めていた。
「今日はなんか無駄弾が多くなかったか?」
「そうでしょうか?」
「ああ、全く関係ないところに飛んでいく弾が何個もあった」
「ああ、それはあれです。前は洋斗の動きに翻弄されてしまいましたから、その動きを牽制できればなーと思ったんです」
「できてないぞ?」
「…………え!?」
「言っただろ、『全く関係ないところに』って。正直に言って、途中から無視してた」
「…………まさか、急にぐいぐい攻めて来るようになったあの時ですか?」
「ああ。だっていろんな所にばらまいてる割に正面は手薄だったし。多少自由が効くと言っても本領は遠距離武器なんだから、敵を前に出させるのは御法度だろ。相手の動きを制限するのはアリだけど、一番止めないといけないのは相手の接近のはずだ」
「た、確かに…………」
「それに動きの制限にこだわりすぎてカーブする銃弾しか撃ってないだろ。多分、ストレートな銃弾が無かったのも正面が空いているって思う原因だろうな。単調な攻撃ばかりだとダメだけど、搦め手だって単調な攻撃があってこそ活きるもんだ。それが銃の自由度を最大限発揮することにも繋がる」
「ふむふむ」
「自由度で気になったんだけど、ユリアってどんな弾が撃てるんだ?」
「ええと、普通に当たると弾ける弾と、レーザーみたいな貫通弾、弾けて分裂する拡散弾に、あと、板みたいにして飛ばしたり、フラッシュを放つだけの目眩ましもあります」
「そ、そんなにあるのか…………けど、そんなにあるのになんで普通の弾しか使わないんだ?」
「それは、いっぱい使うとやることが増えて頭がごちゃごちゃになってしまって…………」
「そっか…………頭で一つ一つの操作をイメージしないといけないから確かに大変だな。けどそれはユリアにとって必須スキルだと思うぞ?持ってる手札の多さはユリアの一番の武器なんだから」
「そうなんですよね…………これが今後の課題になりそうです」
「パッとできるようなものでもないからな、少しずつ増やせるといいな」
「むぅ…………」
「ですが、受けてみた限り弾の硬さは向上していたのです。成長の形は十分に現れてるのです!」
「ああ、ナギの言うとおり銃弾一発一発の威力は十分だ。使い道さえ定まればかなりの強敵になる」
「本当ですか!ありがとうございます!」
(すごいね桐崎くん、相変わらず指導が的確すぎるよ)
(あんな戦いの最中によく相手を見てるんだ。だからあれだけの指導ができるわけだね)
洋斗の本領は武闘家で、近距離専門の部類だ。それも指導の相手は銃で、本気で戦っていた当事者でもある。
それでも彼が言う指導は常に的を射ていて、俯瞰から見ている自分たちですら気付かないようなことまで正確に指摘する。
芦屋と山河はその事実に舌を巻いていた。
相手を見抜く瞳と、情報を元に一瞬で戦術を弾き出す頭と、それを120%実行しうる身体能力。それに例の反射神経もある。半生の中で積み上げてきた鍛錬と経験値が桁違いで、自分が倍の時間をかけても果たしてそれだけ出来るだろうかと思うほどだ。芦屋には、対人戦において彼ほどの脅威がいるとは到底思えなかった。
───追いつけるかな…………。
「頑張らないとね、私達も」
「…………え?」
ハッとして横を見ると、山河さんが柔和な笑顔をこちらに向けていた。
「芦屋くんならきっと大丈夫だよ。私はまだまだだけどね」
「あれ?もしかして…………」
「うん、バッチリつぶやいてた」
「あ、あはは…………」
芦屋は笑ってごまかすことにした。
芦屋は洋斗と同じチームに属している。それ故に、洋斗と連携が取れるだけの実力がなければならない。自分に合わせるためにその実力を抑え込むことがあってはならないからだ。
彼に遅れを取ってはならない。
もっと、頑張らなくては。
そう意志を決める芦屋の手は固く握りしめられていた。
「ほんとスゴいわ、あの二人」
「な、鈴麗!?」
後ろから突然響く声にビックリしながら振り返ると、芦屋の彼女が真剣な面持ちで画面を見つめていた。
いつの間にか火属性の練習が終わったようだ。じきに授業終了のチャイムが校舎に響くだろう。
「洋斗の方は言うまでもないけど、ここ数日のユリアちゃんの成長は特に目覚ましいわ。私が最後の方を少し見ただけで分かるくらいに、ね」
無論、芦屋や山河もそれは感じていた。
入学当時の彼女からは考えられないくらいに、その実力は学年の上位に匹敵するくらいまで上がっている。そして、その成長は未だ留まることを知らず、想い人と共にお互い高め合う関係を続けている。
「…………芦屋」
「どうしたの?」
「頑張りましょ、私たちも」
「……………………そうだね」
このままでは終われない、という思いは鈴麗も同じだった。
紫禁城での内乱。天壊兇変。これまで鈴麗は自分の無力さと洋斗、ユリア、芦屋という『目標』の高さを思い知らされてきた。
嫌というほど、目を背けたくなるほどに。
───いつか中華民国を背に立つ私になる。
そんな最終到達点を鈴麗は一度として忘れたことはない。そしてそれに繋がる努力を怠るつもりは無い。
「それでね、芦屋。今日の昼空いてる?」
「そりゃあ何もないけど、どうかした?」
「少し試したいことがあるの。だからここでの練習に付き合ってくれない、かな?」
「それなら一人でも出来るんじゃ、な……………………」
ふと隣の鈴麗へと目を向けた瞬間、言葉の続きが喉に詰まって引っ込んだ。
彼女の顔には般若の面より恐ろしい、燃え盛る笑顔がはりついていた。
「だーいじょーぶ。私ががんばってる間に、山河ちゃんとふたりっきりで、一体何話してたのか、私の爆炎で身体にじーっくり問い詰めるから」
「……………………そんな事で嫉妬が湧いちゃう鈴麗も可愛いよぬァつい!!!アツイよ照れ隠しで炎はダメだって!せめて昼休みまで抑えて!」
「ムリ。愛のムチだからむしろ受け止めてっ」
鈴麗がニへッと白い歯を見せて笑った瞬間、芦屋は仮想競技棟を脱兎の如く飛び出した。
(((なんだかんだ、ああゆう仲睦まじさもアリだよなー)))
すっかり取り残された洋斗、ユリア、山河がそんなことを思い呆れた笑いをこぼす中、校舎に1時間目終了のチャイムが虚しく鳴り響いた。
~~~~~~~~~~~~~~~
〜12:43〜
能力が有れど、特異体質だろうと、一族の総長だろうが模造天使だろうが鬼だろうが、学生である限り皆平等に真面目に授業を受ける。
爆睡していた某国第一皇女が丸めたテキストでスパコーン!!と脳天ひっぱたかれるという取るに足らない出来事がありながらも、学生たちの時間は昼食の時間へと突入する。
「…………もちろんね、寝てたのは悪いと思ってるわけなのよ。だからってさ、叩くことないじゃない?薪割る斧みたいに両手持ちで振り下ろすことないじゃない?」
「いい音したもんね、聞いててかなり爽快だったよ。オマケに叩かれた後の『プヒャあぅ!!??』って悲鳴ときたら思い出しただけで…………くふふ」
「愛しのガールフレンドが叩かれる音で爽快感を感じないでよ!ま、まさかそういう性癖なの?彼女が暴行を受けてるのを見てムラっときちゃう突然変異性サディスト体質なの?」
「そんなわけ無…………変なこと言うからクラスの注目の的じゃないか!みんなこっち見ないで!ほんとに違うから皆さんそれぞれの話題に戻ってください!」
「あ、芦屋君……………………」
「ですぅ……………………………」
「待ってユリアさんナギちゃん真に受けちゃいけないよ、純粋に怯えるような視線が胸に痛いから。ていうかその感じ本気の動揺だよね?違うからね、鈴麗さんとは純正で真剣な恋愛をしていくつもりだからね?他の男になんて触らせないからね?」
「な…………ッ!ななななな…………!?」
「…………芦屋お前、動揺のあまりに大胆な告白しでかしてるぞ。おかげで別の意味でクラス一同引いてんだろうが、おまけにお宅の彼女さんが恥ずかしさで少し頭が爆発しただろうが。燃え移ったりしたらどうするつもりだったんだ?」
「しらないよ!そもそも授業中に寝てるほうが悪いんじゃないか!」
「ぴ、ぴゅ〜〜、ぷひゅ〜〜〜」
「……………………吹けてないよ、口笛」
「とりあえず昼ごはん食べよう」
「そうですねー」
ユリアがカバンをあさり、お弁当の箱を取り出す。20cm×15cmほどの、通常よく見るサイズの箱。
それが、二つ。
「はい、洋斗君」
「おう、ありがとな」
一つを自分の前に、もう一つを洋斗の前に置く。
「…………そういえばさ」
「なんだ芦屋」
「いつからだっけ、ユリアさんがお弁当二つ持ってくるようになったの」
「確か一年の三学期あたりだったと思うけど」
「でもなんでわざわざユリアちゃんが二つとも持ってくるのよ。男が女の子に弁当持たせてるなんて、見てて気持ちのいい話じゃないんだけど?」
「いやいや、そんなんじゃないって」
「そ、そうですよ!洋斗君のカバンは小さめでお弁当を入れるとギューギューになっちゃいますし逆に私のカバンはスカスカですしお弁当の重さなんて一つや二つ大差無いですしですよ決してお楽しみはギリギリまで取っておきたいとか喜ぶ顔が「ユリアちゃんストップ!それ以上口を滑らせるとアンタの世間体が崩れそうよ!」
「…………とまぁそういうわけで、決してパシリにしてるとかそんなんじゃないからな」
「だろうとは思ってたけどね」
「なら聞くなよ」
やっとご飯にありつける。
そう一息ついて洋斗は弁当のフタを開ける。
「いい匂いです…………」
立ったまま机に顎を置いてだらけていたナギが、小さな鼻をすんすん鳴らしながら感嘆の息をこぼした。
中には、白いつやが光るご飯、たくあん、キャベツと肉の炒めもの、そして───。
「スクランブルエッグか」
「卵焼きです」
「いやこれスクラン
「卵焼きです」
「……………………卵焼き、か」
「卵焼きです」
見るからにスクランブルエッグなのだが、どうやら形がうまく作れなかった卵焼きらしい。
ちなみに、卵焼きは溶いた卵を薄く焼いて筒状に丸めたもの、スクランブルエッグは味付けした溶き卵をかき混ぜながら炒めたものである。
もちろんセントヘレナ家のメイドさんが横についているだろうから味は心配していない。あるのは、『焼いた卵なんだからどっちでもいいんじゃないの?』という雑把な思考と『型崩れしたのを認めるのが恥ずかしい!』という繊細な思考の違いだけだ。
とりあえず、その程よく型崩れした『卵焼き』の一部を箸でつまんで口に放り込む。卵の味に砂糖とだしが良い塩梅で絡み、口の中に広がった。
「うん、やっぱり旨いな」
「ありがとうございます、えへへ…………」
「なんでユリアちゃんが照れ…………あぁそういうこと」
「…………はい、私がお弁当づくりのお手伝いをしているから。と、いうのがお弁当を私が持ってきている一番の理由なんです」
「要は女子力磨きね。で、家で見られるのが恥ずかしいから自分で持ってくるってことかしら」
「えへへ…………『材料の分量はレシピを見ながら作っているうちに覚えますので、今は道具や火元の使い方を覚えましょう』というのがメイドさん達の方針なんです。最近はお買い物について行って、新鮮なお野菜の選び方なんかも教えてもらってます」
「わ、私なんかより遥か先を行ってる気がするわ…………というか家に料理の先生が何人もいる時点で反則なのよ!私にも教えなさい。抜け駆けなんてさせない!」
「ええーどうしましょー」
「そんなぁ、殺生ですよお代官さまー」
「ふふふ、冗談です。でも何が知りたいんです?」
「うーんそうねぇ、それなら…………」
「それは…………」
ユリアと鈴麗が料理の切磋琢磨についての話題に花を咲かせていく。
無論、このガールズトークに男どもと刀系幼女の介入する余地はない。
「…………二人の世界(料理)に入っちゃったよ」
「まああれだ…………食べるか」
「そうだね」
「ナギにも分けてほしいのです」
「はいはい」
取り残された三人(?)は同時に箸を運び、各々の食事を進めていった。
〜13:14〜
洋斗は食後、職員棟に向かうために廊下を歩いている。その目的は『プリントを提出しに行く』という極めて簡素なものであるため、別に誰か付き添いが必要になることなどない。
だが。
「どんだけ暇なんだよ」
「えへへ…………」
彼のすぐ横では金に輝く髪がなびき、おどけたような笑みをこぼすユリアがいた。
その理由というのは洋斗の言うとおり暇だからなので、ユリアには何一つ言い返せない。何か試したいことがあるとか言って芦屋と鈴麗が教室を出ていってしまったため、一人取り残されたユリアがついてきたのだ。
「ついて来るのはいいけど、宿題はやってるのか?」
「もちろんカンペキです!」
「本当に?」
「はいっ!教科書を見ながらですけど、がんばって計算しました!」
「…………『計算』?」
今の対話の中で、洋斗とユリアの間に潜む齟齬を感じ取った。とりあえずそれが思い違いかどうかの確認をしてみる。
「なぁ、ユリアがやった宿題って数学のやつか?」
「ええ。私だってやれば出来るんです!」
ユリアは腰に手を当て、やたら勝ち誇った顔でふんぞり返っている。
「おお、それはスゴイな…………」
洋斗はそれを笑い飛ばしたりはせず、素直にスゴいと感じていた。
なぜなら───。
「数学の宿題を『提出日の一週間も前に』完成させるなんてな」
「……………………へ?」
ユリアの表情からそれまでの余裕がふっと消え去り、間の抜けて放心した顔にすり変わる。
「今回の宿題は難しいから期限を二週間後にする、って言ってたのにそれを一週間で終わらせたとは。いやぁさすがに感心した」
「…………え?あれ、ふぇ?」
どうやらまだ『衝撃の事実』に頭が追いついていないらしい。ということで、回りくどい言い回しをして遊んでいた洋斗は遂に核心を突いてやることにした。
「その感じだと、『今日提出』の『英語』の宿題も完璧に終わってるんだろ?」
「……………………………………………………………………………………………………………………」
ユリアの足が止まった。
大方数学の宿題と英語の宿題がごちゃまぜになった挙句、頭の中で提出日が入れ替わってしまったのだろう。
その過ちにようやく気づいたユリアは、額から冷や汗を流して小さく震えている。
「で、でででも英語は6時間目だったはず…………!」
「普段なら、な。けど今日は日課変更で5と6時間目が入れ替わる。つまり今日は5時間目が英語だ」
「はうッ!?」
これの意味するところは、5時間目と6時間目の間にある小休憩の時にやろう───という作戦が今日に限り通用しないということだ。つまり昼休みの時(今)しかやる時間はない。
「昼休みが終わるまであと、10分ってところか。どっちみち今から戻っても大してできないけど、何も出すものが無いよりかはマシだと思うぜ?」
「………………………………ひろとくん」
「うん?」
「失礼しますっ!」
捨て台詞を放ったユリアは一気に体を反転させ、だっ!!と走っていった。どうやらわずかな時間でも抵抗することを選んだらしい。
洋斗は彼女の殊勝な心がけに感心しつつ、用事を片付けるため職員室へと向かうことにした。
〜13:17〜
と、そういうわけで到着した職員室。
アルミに近い材質の横引き戸を数回ノックする。
「どうぞー」
中から、幾分と間延びした声が返ってきた。このだらけた感じからして、返事をしたのはもしかしなくても坂華木先生だろう。
「失礼します」
戸を横に引き、中に足を踏み入れる。もちろん、戸を閉めることは欠かさない。
「橘先生に渡すプリントがあるんですけど、先生はおられますか?」
「あぁ奏さんなら、ほらあれ」
坂華木先生は人差し指で、職員室の一角をチョイチョイと指差す。
坂華木先生は橘先生を『奏さん』と呼ぶらしい、というどうでもいい知識は置いておき、指された方に目を向けてみた。
その先にいたのは、我らが担任、橘
奏先生。先生は組んだ腕に頭を埋め、自分の机に突っ伏していた。十中八九、寝ている。 彼女の普段の真面目さからはイメージしづらい光景だった。
「奏さん、半年以上前からある研究に没頭してるみたいでね。それが大詰めなんだって。それであんな調子」
「そうなんですか…………大変ですね」
「身体も何回か壊してるみたいだし、程々にしてほしいわねぇ。あ、プリントは私が預かるわ」
「ありがとうございま…………水人形が紙持って大丈夫なんですか?」
「何を今更、これ手袋だから」
そういって坂華木先生は洋斗の手からプリントを抜き取る。確かにプリントがぐしょぐしょになることはなかった。
「では、これで失礼します」
「ええ、ご苦労さま」
洋斗は軽い会釈をした後、横引き戸の引手に指をかけて、
「…………!」
ふと何かの気配を感じたので、指を離して一歩下がる。
───その瞬間。
「失礼しまぁぁァァす!!!」
バアァン!!、とものすごい音を立てて扉が開け放たれ、一人の女の子が駆け込んできた。
「「「ッ!!??」」」
すぐ目の前にいた洋斗、その少し遠くにいた坂華木、そして睡眠に体を預けていた橘先生。それらを始めとした職員室内の全教員の身体がビクぅ!?と跳ねた。
「提出し忘れた宿題を出じぎがごぼがぼがぼ…………」
即座に坂華木先生が少女の口に水玉を放り込んで塞ぐ。あんな事して呼吸器は大丈夫なのだろうか?
「落ち着いたかしら?」
「げほ!げほ!ず、ズビマセン…………」
反射で止まってしまったが、洋斗には全く関係ないことだ。叩き起こされて「え、何ナニ!?爆発!?」なんてアタフタしている橘先生を心底憐れに思いつつ、職員室の外へ出る。
入口前には男女二人の生徒が息を切らしながら立っていた。恐らく職員室に押し行ってきた彼女の友達で、走って追いかけてきたのだろう。
そんな二人の前を横切って、自分の教室へ帰る。
しかし、
「き、桐崎先輩!」
その脚は、後ろからかけられた声で止まった。
振り返ると、男女二人のうち女子の方がこちらを見つめていた。もう一人の男子はそうでもなかったので、用があるのは女子の方だと容易にわかった。
「…………俺、名前言ったことあったっけ?」
「え、いえ、そんなこと無いですけど学校ではわりと有名ですよ?かなり強いとかで」
「そ、そうなのか…………」
いつの間にそんな噂が立って、いつの間に後輩の耳にまで広がってしまったのか。洋斗は大きくため息をついた。
「そ、それでその…………」
女の子は俯いて、もじもじと指を絡めている。何も言わず待っていると決心がついたのか、おもむろに口を開いた。
「わ、私は1-Bクラスの蘇我 舞咲っていいます!よろしければ今日の放課後、剣術を教えていただけませんか!!」
…………この子、ソガノマサキって名前なのか。
そんな事を思いながら、洋斗は顎に手を当てて少し考え込む。今日の放課後に何か無いか、スケジュールの確認をしているのだ。そしてそこが空白であることを確認した彼は───。
「あぁ、いいよ」
あっさり首を縦に振った。
「………………………………あれ、いいんですか?」
少女、舞咲は口をぽかんと開けて呆けている。恐らくこれほどすんなりと了承をもらえるとは思っていなかったのだろう。
洋斗としては、名が広まってるのが小恥ずかしい限りなのは別として、見ず知らずの人でも頼りにされて気が悪くなるはずもない。まして自分にしか出来ないことを頼まれることは素直に嬉しいのである。
「そうだな…………4時に仮想競技棟でいいか?」
「え、あ、えっと…………はい」
「それじゃ、また放課後に」
洋斗が自分の教室に帰っていく。
「……………………………………………………」
職員室の入り口前に残ったのは、舞咲とその付き添いの男子の二人。
「やっと終わったぁ…………」ともう一人の女の子が外に出てくるのと、午後の授業開始の合図であるチャイムが鳴り響くのがほぼ同時。そしてその時間まで、二人は突っ立ったままだった。
そして、4時間目(当然ユリアの宿題は間に合わなかった)と5時間目が難なく終わり、放課後となった。
〜16:01〜
時は放課後、洋斗は約束通り仮想競技棟に足を運んでいる。建物の入り口には
「ごめん、少し遅れた」
「いえいえそんな、お気になさらず!けど…………」
舞咲は洋斗の後ろを見据えた。そこにはユリア、芦屋、鈴麗といつものメンバー。
「ああ、面白半分で来たんだそうだ。無視していいぞ」
「ははは…………まぁ私たちも同じようなものなんですがね」
そう言う舞咲のそばには、男二人女一人が立っていた。
「…………ども、昌蔵 謙二郎です」
男のうちの一人、職員室前にいたメンバーの一人だ。クール、というより寡黙で冷静という雰囲気だ。
「早良 葉菜、舞咲のクラスメートです!」
こちらは打って変わって明朗快活なムードメーカーという感じ。この子も職員室前にいたメンバー、というか職員室に勢い良く飛び込んできた女の子だ。
そして、最後の一人は職員室にいなかった、というか一年ですらない。
「舞咲の兄、2-Aクラスの蘇我 雅人です。今日はすいません、妹のわがままに付き合ってくれて…………」
「別に気にしないでいい。あと、同級生なんだから敬語はなくていいと思うぞ?」
「…………だね。でも本当にありがとう」
「兄さま、お母さんみたいなポジだね」
「実際そうだからな」
「へへ、確かに」
面白可笑しく茶化してくる妹に、それを軽くあしらう兄。
今のわずかな一場面だけでこの兄妹の仲の良さが伺えた。一人っ子かつ養子である洋斗としては、こうして心を通わせ合える兄弟姉妹がいるというのは多少なりとも羨ましかったりする。
その後、洋斗側の自己紹介を簡単に済ませ、本題へと話を戻す。
「じゃあ練習しようか。能力有りと無し、どっちでやる?」
「そうですね…………では有りでお願いします」
「武器は何を使うんだ?」
「刀です」
「ならどうする、仮想だし真剣使うか?」
「い、いえそれはちょっと…………あそこの模擬刀でお願いします」
「わかった、俺もあそこのを使おう。ナギはみんなと待っててくれ」
「ガッテンなのです!」
洋斗と舞咲はそれぞれのカプセルに入り、目を閉じる。
設定した場所は、普段ユリアと使っている闘技場ステージ。その中央で二人が木刀を持って向き合っている。
「よし、いつでもいいぞ。えっと…………ソガノさんだっけ?」
「ああ、ソガノの『ノ』はあれです。『ミナモトのヨシツネ』の『の』みたいなヤツなので、苗字で呼ぶときは『ソガ』でいいですよ」
舞咲は苦笑しながら呼び名を訂正する。これまでにも散々言っているのだろう、その言い草には相当な慣れが見受けられた。
「じゃ改めて、いいよ蘇我さん」
「…………いきます!」
舞咲の身体から雷電がほとばしる。能力有りの近接戦闘における鉄則中の鉄則、身体強化によって起こる二次現象である。
───しかし、舞咲が放つ雷撃はかなり特殊だった。
「そ、その色は…………!?」
彩度の差はあれど、大体の雷属性は群青や水色といった青系の色をした雷光を放つ。
ところが舞咲の雷は緑に近い、翡翠のような淡いエメラルドグリーンをしていた。
「私のはかなり特殊なんです」
反応を見た舞咲が自虐気味に小さく笑う。
「どういうわけなのかは分からないんですけど、先天的な特異体質なんだそうです。本質は普通の雷属性と同じなので、ヘンなのは見てくれだけですよ」
「そ、そうなのか…………?」
今のところはそれで納得したが、その雷に対する警戒心を消し去ることができなかった。
───身体が、妙にざわめくのだ。
翡翠色がちらつく度に怒りや恐れに近い感情が顔を覗かせるのだ。『ただの見てくれ』以上の何かを、洋斗の身体は感知していた。
洋斗も身体強化を施す。体の周囲で青白い雷光が弾ける。
洋斗が模擬刀を構えるのを見計らい、
「行きますッ!!」
舞咲が跳ぶように駆け出した。
蒼白と翡翠、二つの雷撃が地表を疾り、衝突して爆散する。
打ち合わされる模擬刀が軽快な戦闘のリズムを奏でる。
(確かに一年にしてはかなり速いな。けど…………)
身体強化による剣速も上々、模擬刀が打ち合った時に感じる威力も中々のもの。一年生の実力としては十分すぎる素養だ。
───だが、その程度だった。
洋斗に向かって振り下ろされる剣は普通に受けられる。捌ける。跳ね返せる。
翡翠の雷は普通の身体強化で、それ以上の何かが起こることは無かった。
(思い違いかな…………?)
横薙ぎに振るわれた模擬刀を、洋斗の模擬刀が弾き飛ばす。弾き飛ばされた模擬刀は舞咲の手を離れて宙を舞った。
「きゃッ!?」
剣を弾かれた反動でよろめいた舞咲の脚を華麗に払い、完全に尻餅をついた彼女の喉元に模擬刀の剣先をかざす。
模擬刀が弧を描いて遠くに落ちる。カラン、カラン…………と軽い音を鳴らして地を転がった。
「はぁ…………………はぁ……………」
喉に剣先をつきつけられた舞咲は、肩で荒く息をしながら固まっている。
案の定、舞咲の完敗だった。
「…………一旦、戻ろうか」
洋斗は彼女の喉元から剣先を離し、小さく笑った。
〜16:27〜
カプセルが開き、洋斗は何事もなく平然と、舞咲はすっかり項垂れた様子で顔を出した。
「主様〜、お疲れ様なのです」
とてとて、とナギが駆け寄ってきてきた。
「うぅ、先輩が強いのは分かってましたけどここまでとは…………噂以上でした」
「いや、普通に十分な実力だと思うけど」
「………………普通、ですか」
もちろん励まし以外の意味は無い言葉だが、それを聞いた舞咲の顔に暗い影が差した。
「普通じゃダメなんです」
「どういう事だ?」
「確かに歳相応よりも実力はあると思います。けどダメなんです、足りないんです。もっと強くならないと…………」
「…………そっか」
少し大げさに思えるほどに強い思い入れがあるようだが、洋斗はそこに深く切り込む事なく指導に移ることにした。
「大振り過ぎるな。そのせいでかなりの隙ができてるし手数も減ってる上に、息切れが速すぎる。腕の力だけじゃなくてもっと体全体の力を使ってやれば、もっと機敏に動ける上に体力の減りも少なくなるぞ」
「な、なるほど…………」
「確か自分の刀を持ってたよな。もしかしたらそれが身体に合ってないせいで余計な癖がついたのかもしれない。少し見せてくれない?」
差し出された洋斗の手に舞咲は少し狼狽え、助けを請うように兄の顔を仰いだ。
「…………良いかな、兄さま?」
「見せるくらいなら良いだろ」
「?」
ただ自分の武器を相手に見せるだけの行為なのに、わざわざ兄の許可を取る。洋斗はそれに妙な違和感を感じた。
「…………はい、どうぞ」
舞咲が刀に両手を添えて洋斗に差し出す。それを受け取ろうと洋斗が手を伸ばす。
その刀を一目見た瞬間───ナギの目の色が一変した。
「これは…………!?主様いけないのです!!」
その声を聞いて反応する頃には手と刀が触れ合っていた。その刀を掴もうとした───その指が触れた瞬間
バヂィ!!と、
何かによって洋斗の手が弾き返された。
「ッ゛!?」
「きゃッ!?」
突然の炸裂に驚いて、二人は思わず手を引っ込める。支えを失った刀は当然のように地面に落ちた。
静電気に近い衝撃が爆ぜ、洋斗の指が指すような痛みを訴える。
その様は、まるで彼の接触を拒絶しているかのようだった。
「先輩、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ。特に傷はないから大丈夫だ」
「今のは何でしょう?こんなことが起こったのは初めてです」
「あはは、まあ持たせてもらえないなら仕方ない。とりあえず素振りの仕方だけでも教えとくよ」
「すいません…………」
そうして素振りの指導に入ったわけだが、それを見ていたわかったことがある。
彼女の振り方が見様見真似の自己流だということだ。
もし彼女に正当な師がいるのならまずこんなことはさせないはずだ。身勝手な振り方は自他共に危険だからである。どういうわけなのか、どうやら正当な師匠がいなかったらしい。
逆を言えば、見様見真似を順当なレベルまで引き上げるだけの素養が彼女にはあるということだ。これだから洋斗としても指導のし甲斐があるというものである。
〜16:58〜
そのせいで、舞咲への指導はみっちり30分にも及んでしまった。
「おお………心なしか剣が軽いです」
「上段しか教えてないけど、この動きを覚えれば袈裟や横振りの時にも応用が効くから」
「はい、ありがとうございました!!その、よろしければまた教えていただけませんか?」
「ああ、もちろん」
「やった…………!ありがとうございます!それじゃあ…………」
「もう帰宅時間になるから、帰るか」
時刻は17時、全校生徒の帰宅時間を越してしまっている。一同は流れ解散となり、各々の帰路に着いていった。
〜22:14〜
洋斗の夜は短い。
異世界に来るまでの家では夜中に時間を潰せるようなものも無かったため、仕方ないから早々に寝る───そういう生活習慣で日々を過ごしていた。
そういう訳なのか、いつの間にかこの時間に床につくのが習慣となってしまったのである。
「で、結局あの子が持ってた刀は何だったんだ?随分切羽詰まった感じだったけど…………」
ふかふかの布団に背中を預けながら、ナギに問いかける。内容はもちろん放課後指導した舞咲が持っていた日本刀について。
手を止める前に触ってしまっただけで、ナギの注意はしっかりと聞こえていた。なので、それだけの事を知っているんだど洋斗は読んだのである。
「……………………『童子切』」
ナギは、一つの単語をつぶやいた。
「あの子が持っていた刀の銘です。あれは私、黒刀逆薙と並ぶ天下五剣の内の一本で、その昔、かの源頼光公が朱点童子の首を切り落としたという伝説を持つ銘刀なのです」
「朱点童子の首…………ってことは」
「ほぼ間違いなく、あの時主様───正確には主様の中にある朱点童子の妖気が拒絶されたのです。アイツは松平の家にあったはずなのに、いつの間に蘇我家に渡ったんです…………」
ナギにしては珍しく、かなり真剣な面持ちで深く考え込んでいる。じっくり15秒ほど考え込んだナギは、洋斗の方へと向き直った。
「主様、もうあの子とは関わらないほうが良いのです」
「何でだ?あの刀だけなら触らなければいいだけの「それだけじゃないのです」
取るに足らない、という洋斗の主張に対しナギが強引に割り込んだ。
「蘇我家はその歴史の中で鬼といろんなところで繋がり、一時期は一族自体が鬼だと噂された事もあるのです」
「何だって…………?」
「刀以外にもあるのです。これは推測なのですが、模擬戦の時に見たあの翡翠色の雷光、あれは恐らく雷神に由来する力なのです。かつて、蘇我家が所有していた元興寺というお寺に鬼が現れ、それを雷神の力を持って生まれた童子が討ち取った、というのも伝説に残っているのです」
童子切、雷神、蘇我。
ようするに、かつて鬼と関連の深い三種の力が一体となっている、ということだ。
「おいおい、いくらなんでも話が出来過ぎじゃないのか?偶然にも程がある」
「はい。主様の言う通り、出来過ぎなのです。こんな数奇な力が、鬼と縁遠いこの時代に一点に集まるなんて、偶然とは考えられないのです」
ナギが訴えようとしていることが、なんとなく浮き彫りになってきた。
この時代に、鬼の妖気を持った男がいる。そして鬼殺しの塊みたいなのがいる。その二人が出くわすことで争いは避けられない。つまり俺を殺しに来るかも、ってことを心配してるのだろう。
確かに圧倒的に相性の悪い相手ではある。けど───。
「まぁ、大丈夫だろ」
「え…………っ?」
「剣を打ち合ってみた限りだとどうにもならないわけじゃなかったし、襲われた時はその時だ。それに、あの子はそんな物騒な感じには見えなかったし、大丈夫だと思うぞ」
「そう、ですかね?」
「ああ、だからこっち側が勝手にいきり立つ必要はないんじゃないか?」
「むぅ、言われてみれば…………確かにそうですね」
真剣な雰囲気はすっかり消え去り、納得した様子を見せるナギ。この話は「特に問題はない」という結論を導いて終結した。
「それにしてもさ、ナギ」
「どうしたのです?」
洋斗は、白塗りの天井を仰ぎ見ながら、今日一日の友達との笑い話を思い返しながら、呟いた。
───ここでの生活は楽しいな、と。
「…………本当に突然どうしたのです?」
あまりに唐突で脈絡の無い言葉に、ナギは目を白黒させる。
「いや、こうして友達とかとくだらない話してさみんなとお互いに高めあってさ、たまにちょっとしたハプニングにあったりもして、それを思い返しながら一日が終わる。そんな時間が、きっと俺は好きなんだ。求めてたんだ」
今日一日だけでも、ユリアと互いを鍛えあったり、芦屋と鈴麗を茶化してやったり、昼時のガールズトークにため息ついて、職員室に行ったら後輩の指導を頼まれる。
一日でこれだけの楽しい時間ができたのだ。
「俺さ、いつかは元の世界に帰らなきゃ、ってずっと思ってた。けどさ、いつの間にかここでの生活に入り浸ってさ、帰りたいっていう気持ちがどんどん薄れていくのを感じるんだ」
「…………主様は、帰りたくないのです?」
ナギは、問いかけずにはいられなかった。
対してその問いに対する洋斗の答えは、とても曖昧だった。
「最近は分からなくなってきてる。俺がここにいるのはおかしい事だって理解してるし、あっちに戻る方が正しいに決まってる。けどさ、あっちに戻って、ここでの生活を捨ててでも戻ってきてよかった、って思えるだけの未来があるのか───そう思うと、どうしてもこの時間を捨てる覚悟が定まらないんだ」
「…………親御さんもきっと心配してるのです」
洋斗の脳裏に、楽しそうに笑い合う親父と世良さんの面影が浮かぶ。
「かも知れない。けど、もしあっちの世界で俺が最初からいない者とされてたら?もう既に死んだ人になっていたら?」
「そ、それは…………」
有り得ない。きっと息子の帰りを心待ちにしている───ナギにはそう言い切れる自信がなかった。
「…………まあいいや。どっちにするかは俺自身が決めないと意味が無いし。けど、そろそろ決めないといけない気がする───帰るか。残るか」
「あるじさま……………………私は、どこまでもついていくのです」
「…………あぁ、ありがと」
擦り寄ってきたナギの頭を優しく撫でてやった。髪をさする温かい手に、ナギは一層頭を押し付ける。
手を動かしている洋斗の顔に浮かぶ憂いを、ナギの瞳はしっかりと捉えていた。
〜23:12〜
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そうして二人が眠りについたところで、また一日が終焉を迎える。
平穏な日常。
その終わりは、すぐそこまで迫っていた。




