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Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~  作者: ふろすと
現世編
37/61

13章-2:優しさのかたち

 



 木々の根が所狭しと這い回る地面。乱立する樹木。覆い被さる木々の枝葉。そして、その隙間から地に差し込む金光。

 それらの間を、洋斗は一陣の風のように駆け抜ける。

 それなりの距離は走ったはずだが、天蓋の空洞から溢れる光は未だ衰えを知らない。光は木漏れ日のように大地を仄かに照らし、駆け抜けるに支障のない明るさをもたらしている。その明るさ故に現在が深夜の時間帯であることを忘れてしまいそうで、実際身体はそう錯覚していた。だからこそ、睡魔に襲われることなく走り続けることが出来ている。

 そんな洋斗の腕の中には、一人の女性が抱えられている。

 整った顔立ち、きめ細やかな肌、煌めく金の髪を揃えた麗しい女の子。洋斗のクラスメートであり現住居の家主でもあるユリア・セントヘレナだ。

 彼女は、つい先ほどまで天使のような姿で絶大な力を振り回していた本人。今は気を失ったまま、洋斗の鍛えられた腕に収まっていた。釘を刺しておくと、彼女はしっかりと生きている。それは、腕に伝わる血脈の鼓動や呼吸に伴う胸の上下がしかと示してくれていた。

 しかし、内側に籠もっていた力の奔流が突然溢れて暴走し、それを鬼の妖気で強引に砕いたのだ。かつて力の暴走を経験している洋斗はどうしても安心することができなかった。暴走を強引に止めた影響でユリアの身体がどうにかなっているかは解らない。実はとても危ない状態かも知れないし、二度と目覚めない可能性すら未だ否定できない。

 その上、正真正銘本物の天使も迫ってきているのだ。今は芦屋と鈴麗が足止めをしているはずだが、万一その足止めが何らかの形で効力を失った場合、あの天使はユリアの事を『粛正』しにこちらを狙って飛んでくる。それに、先程から後ろで何の音も響いてこないのが気になる。どういう状況なのかが解らない以上、自分は役割通りユリアを安全なところまで引き離した後二人の下へ戻る以外に道はない。

 複数の要因によって定められた制限時間、それが何時なのか解らない。ただ、その時間切れが親友達の死に直結しているのは明確だ。そして恐らくその時間はそう残されていない。

 それらの事実が一層洋斗の脚を急がせた。


 と、その時。

 ピクン。

 と腕の中の身体が小さく揺れた。

「…………………ユリア?」

 急いで進む身体にブレーキをかける。そして、気のせいか、としばし彼女の様子をうかがっていると…………。

「………ん、うぅ………………う?」

 一瞬の身じろぎの後に、恐る恐るといった様子でユリアが水晶のような瞳を覗かせた。

「おい、ユリア!大丈夫か?」

「へ?あ、はい。元気です…………」

「そっか、良かった………!」

 鈴が揺れるような耳に澄み渡る声。安心させると同時にどこか間の抜けたユリアらしい返答に洋斗は大きく胸をなで下ろす。

「そ、その…………」

「?」

 ユリアが不意に落ち着きを失っておろおろし始めた。頬を赤く染めて何か言いたげな様子に、洋斗は黙って聞き耳を立てる。

「私は元気です。なので、あの………………お、降ろしてもダイジョウブ、ですょ………?」

「は?…………あ、ああそうだった!」

 後半あたりは耳まで茹でたように真っ赤にして言われたその一言、それで洋斗は思い出す。

 自分が今、ユリアの背中と両膝裏に腕を差し込んで彼女を持ち上げていることに。

 俗に言う『オヒメサマダッコ』状態であるという事に。

 洋斗は焦りつつも丁寧に、腰からそっと降ろしてやる。ユリアの方は降ろされた後も、顔を沸騰させながらも洋斗の男らしさ(意外なまでの顔の近さ、支えていた腕の力強さ、etc.)にすっかり陶酔していた。それはもう、洋斗を本気で心配させるほどに。

「おい」

「わひゃァ!?」

「ユリア、本当に大丈夫か?」

「も、もちろんですこのとおり何ともですよ!でも、私なんでこん………な…………」

 お熱な頭に冷や水を浴びせられたユリアは、ここでふと記憶をさかのぼる。

 そして突然、思わずといったふうにこぼしていた笑顔がふと消えた。

「あ………………あぁ……………!」

 自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに、気づく。

「いや……………わたし…………!」

 ───覚えている。

 あの夕暮れ時、天使が顔に手をかざして。急に胸が爆発したような熱。

 ───覚えている。

 水の中に浮かんでいるみたいな感覚。胸を引き裂いて溢れ出てくる光。私を呼ぶダイスキナヒトの声。

 ───覚えている。

 手のひらに集まり放出される光の熱さ攻撃を防ぐ塵の存在狙いを定める自分の目線自分を囲む土の柱にそれを駆け回る二人の人自分に抱きついた人の脇に手を添え光を撃ち出そうとした。

 ───私は、覚えている。

 それら全ての時の中で、



 ユリア・セントヘレナは桐崎 洋斗を───本気で殺そうとしていた。



「…………………」

 弁解の余地など無いとしても、何かしらの言い訳を並べなければならない。

 謝って許される事ではないとしても、言うべき詫び言は言わなければならない。

 頭ではそう分かっていても、ユリアは言うべき言葉が分からなかった。

 腕は醜い現実を映す頭を押さえ込み、体は小さくうずくまって、怯えたように震え(おのの)く。目は現実から逃れようときつく閉じられ、自分がしている荒れた呼吸の音すら遙か遠くに感じる。

 洋斗君が傷つくところをもう見たくない。洋斗君の力になりたい。洋斗君のそばにいたい。

『守る──守られる』という甘えた関係ではなく、彼と対等な位置でお互いに助け合える場所に立つ。それを目標として、心の支えとしてこれまでずっと頑張ってきた。

 そんな自分が、一番やってはならないことをしてしまった。

「…………私、また洋斗君を……………!」

 魂の抜け出るように呟かれた、悲しみと後悔に震える声。それに対し、洋斗は優しくささやかに問いかける。

「………『また』?」

「そうじゃないですか!」

 それに対する返答をするために口を開いたその瞬間。


 ユリアの喉につっかえていた何かが───切れた。


「入学してすぐに不審者が入ってきたときもそう、フローゼル家に誘拐されたときもそう、中華民国でも、六甲山の研究所でもそうでした。いつも私が助けられて、いつも傷ついてるのは洋斗君で、それをずっと傍から見てるのがいつも私。嫌でした。このままじゃ助けられるのが当たり前になっちゃう───それが、私は嫌でした」

 ユリアの胸の中に時間をかけて積もり、押し固められていた思いが溶け出し、彼女の口を次いで溢れ出る。自力でそれを止められないくらいにその思いは大きく、それに共鳴して声も強くなっていった。

「だから、なんとか手に入れた銃を使いこなせるように頑張って、生命力の操作という新しい力が身につくように頑張って、能力が使えない私でもできることが無いかと頑張って、頑張って探してきました…………っ!」

 ────知っている。

「頑張って、頑張って、頑張って………できる限りのことをやりきって…………ッ!けど、それで何か変わりましたか!?何ひとつ変わりませんでした!!私がどんなに力をつけても洋斗君のそばには全く届かない。

 いいえ、むしろ中途半端に距離が縮まったせいで、洋斗君が目の前で傷つくのに何もできない私自身に気付いてしまった!こんな事なら余計な手は伸ばすんじゃなかったとさえ思いました!」

 ────知っているとも。

 洋斗は、ユリアが切磋琢磨していたことやここに至るまでに衝突した苦悩の数々を誰よりも近くで見てきた。彼女が他の誰よりも自身の無力さから逃げずに向き合っている事や、こんな自分を大切に想ってくれている事は他の誰よりも知っている、そのつもりだ。


「───そんなことあるわけ無い」

 だから、それを自ら無為にするような物言いはとても見逃すことができなかった。


「特に中国のホテルでの件では一緒に戦って俺を助けてくれただろ?自由自在に銃弾を操って、俺のことを助けてくれただろ?あの時のユリアを見て、俺は純粋にスゴいって思った。ここまで強くなってたのか、って実感した。もしあの時ユリアがいなかったら、きっと俺はあそこで負けてたんだ。

 けどユリアがいたおかげで、ユリアがあそこまで強くなってたおかげで俺は今も生きてる。ユリアの努力が俺を今まで生かしたんだ。絶対に無駄なんかじゃない」

「…………それだけじゃないんです」

 ぽつ、と。

 ユリアを諭すためにかけていた言葉が、彼女自身によって断たれる。

 ───その瞳から、涙が伝った。

「研究所での戦いの時、洋斗君がおかしくなった時がありましたよね。赤い電撃を出すようになって、動きが暴力的になって、そして、目の色まで赤くなった。私、あの赤い眼になったときの洋斗君のことが今でも恐いんです。

 研究所の事があって以来ずっと、自分のことを助けてくれた人を見ては勝手に怖がって、『殺されるかも知れない』なんて勝手に思いこんで、ついには腕を握られただけで逃げ出して………挙句の果てに洋斗君を私の手で傷つけてしまう…………」

 涙を溜めたユリアの眼が向ける虚ろな視線。それを眼で追って行き着いたのは、ぼろぼろになった洋斗自身の両腕だった。天使の力に対向して、耐えきれず、腕全体をヤスリで削ったように刻まれた傷。他でもなくユリアを助ける為についたもので、ユリアが付けたものだ。無論、その時の記憶も彼女の脳裏に刻まれている。

「ひどい人間ですよね。嫌いになりそうです、私のこと…………近くにいるだけで大切な人が傷ついて、それに報いるどころか勝手な都合で距離をとる───そんな身勝手で、我が儘で、卑怯で意地汚い。きっと、そんな私が洋斗君のとなりに立つべきじゃないんです。

 むしろ近くにいるだけで他のみんなが傷ついてしまうんです。あぁ、もういっそあの天使のところにもどって殺されてしまったほうがみんなにとって幸せなのかも知れませんね。あはは…………」

 ユリアの自虐と諦めを含んだ乾いた笑み。洋斗はただ黙り込んで、彼女の頬を伝う涙を見つめていた。


 詰まるところ、今の洋斗には時間的猶予があまりない。

 こうして立ち止まって話を聞いている今も時間は流れている。その分だけ時間を稼いでくれている芦屋や鈴麗の負担は大きくなるのだ。天使の力はその身をもって体感した。たとえ多く見積もったとしても、引き延ばせる時間など(たか)が知れている。

 そして今、ユリアが目を覚ました。

 本人曰く身体に何の異常もない様子だから、『ユリアに一人で助けを呼んできてもらって、洋斗はすぐさま天使の所に戻る』というのが、この場で選ぶべき最善の選択である事は明白だ。


 ────それでも。

(こんな状態で放っておけるわけ、無い………!)

 今のユリアは少し衝撃が加われば砕けてしまいそうなほど脆く危うい。そんな状態で彼女を一人にするのが最善であると、洋斗には思えなかった。

 そして何より

「…………ユリア」

 これだけは。

 ユリアの思いに対するこの思いだけは今言いたい。

 今、伝えなければならない。

 じゃないと、後で絶対に後悔する。


「ふざけんな」


 とりあえず、一言言ってやらないと気が済まない。

「ユリアが意地汚い?死んだ方がみんな幸せ?馬鹿なこと言うなよ」

 その目はあくまで真剣な眼差しを貫き、声は低く落ち着いたものだ。だからこそ、その言葉は何ら抵抗なく、ユリアの(すさ)んだ心にもしっかりと響いてきた。

「確かに、ユリアは身勝手で我が儘で卑怯で意地汚いヤツなのかも知れない」

「……………」

「それに脳天気だし鈍くさいし」

「……………」

「立場悪くなるとすぐ笑ってごまかすし」

「……………」

「その上ちょっと微笑ましいくらい頭のネジ外れてるし。というか正直アホだし」

「…………ひどいです」

「…………けど。それ以上に、ユリアはやろうと思ったことを最後までやり抜くための努力は惜しまずできる、そのための強い芯を心にちゃんと持ってる。

 笑ってる顔はみんなを暖かくしてくれるし、一緒にいるだけで俺たちまで幸せな気持ちになる。それに自分以外の誰かのために涙を流せるくらい優しい、ユリアはそんなヤツだ」

 震える彼女の肩に、洋斗の手がそっと置かれる。血の滲んだ掌に、布の生地が少しだけ沁みた。

「そんなユリアから、俺は今までたくさんの力をもらってきた。きっとこれからも、その存在は俺にとってとても大きなものになる。それくらい、ユリアはもう俺の大切な人になってるんだ。

 だからこんな怪我したって、それは俺の誇りになる。ユリアにとっては気が気じゃないかもしれないけど、やっぱり誰かのために自分の力が使えるっていうのは、これまでの自分が認められたみたいでとても誇らしいことなんだ」


 洋斗の脳裏に常にこびりついているのは、力をくれる大切な人も含めた全てを一度に失った経験。


 目を通じて全神経をぞわりと撫で回すような、赤よりも残酷な黒。

 他の匂いを忘れてしまうくらいに大気を蝕む、強烈な死の臭い。

 もとの命を感じられなくなるほど、無惨に斬り捨てられた『人だった』何か。

 血で血を洗う、悪夢のような凄惨な地獄。

 もう二度とあんな『大切な誰かを失うような』悲劇を見たくない───その決意が洋斗を突き動かす力の根幹だ。

 他のどんな感情をなくしたとしても、その根幹さえあれば立ち上がれる。逆を言えば、もしこの一本が壊れれば間違いなく桐崎洋斗は崩壊する。自分自身が誇れる自分ではなくなってしまう。

 だからユリアに言われたからといって彼女を守ることを辞める事はできない。それを認めることは、あの地獄の中で見つけたたった一つの決意を自らへし折る行為だ。

「だから、自分が殺されたほうがいいとか、そんな事言うな。ユリアがいなくなったら辛いし、悲しいよ。きっと他にもそう思ってるヤツはたくさんいるし、最低でも俺は、ユリアに生きていてほしい」

 これまでに起こった数々の闘争の中で、何度も命の危機に晒された。一瞬の支配権を賭けた命のやり取りの中で、自暴自棄になりかけたこともあった。それでも脚に力を入れ、怯みそうになる心に鞭を打ち、その腕を力強く奮えたのは、常に自分の持つ力を奮う目的となる人がいたからだ。

 友達でもいい。家族でもいい。恋人でもいい。

 守りたい誰かがいて、その人ために使う力。その底知れぬ強さを洋斗は信じている。例えそれがただの陶酔で、他人にとっては胸を傷めるだけの幻想であったとしても、それを手放すつもりはない。

「で、でも…………!」

「それに、俺も不安だった」

「…………?」

 反論しようと口を開くユリア、洋斗はそうしたそれを無視して話を続けることにした。

 ───言いたいことは、まだ終わっていない。

「俺は今までいろいろな事を間違えた。『誰かを守る』なんて大仰な名目を掲げていろんな罪を犯した。人だってこの手で百近く殺してきた。ユリアはとても優しいからさ、俺が罪を背負うだけでもきっと辛い思いをする。たとえそれが自分のためだ、って言われてもな。だから、俺が近くにいるとその辛さから逃げられないんじゃないか、俺を見ただけで自然と罪悪感を感じてしまうんじゃないかって。きっと、さっきのユリアの口からあんな言葉が出たのだってその罪悪感のせいってのもあると思う。もし離れた方がいいって言うなら、俺は……………」

 ───片や。

 ユリアは相手の善悪を問わず人の苦痛を労る広すぎる器と愛情を持つ。故に、誰かが戦うという事実だけで自分も傷つくほどに、その心は脆く儚い。

 ───片や。

 洋斗は嵯鞍人拳、鬼の妖気、さらには過去に基づく行動倫理も伴って、誰かを傷つけてでも守り抜く戦いなしでは自身の存在意義を見出だせない。

 洋斗はきっとまた誰かのために動く。

 戦う。

 傷付ける。傷付く。

 ユリアは必ず胸を傷める。

 慈悲で涙を流す。

 それを見ているのは、洋斗だって辛い。

 それが必然なら、この苦痛の流れが自分の力ではどうすることできないというのなら。そもそもの原因である洋斗が距離を取って、絶対安息の日々をユリアに捧げるべきだ。

 例えそれを共有できないとしても、世界の何処かでユリアが笑っている方が何倍もいいのだから。

 鈴麗、芦屋、クラスのみんなと、現実味の無い天変地異や世界の何処かで流れる血のことなんて気にすることも無く、ふわふわと陽気に笑い合って平穏な時間を過ごしている方が、きっとユリアは幸せなのだから。

 まるでそんな考えが透けて見えているようで、何でも自分が悪いと思い込んでいるようで。


「……………罪悪感なんて、『感じる』に決まってるじゃないですか!!」

 ───ユリアはそれが許せなかった。


「私を守ろうとして、助けようとして傷ついた洋斗君を私が見て、辛いって感じるのが辛い?そんなの……辛いと思うに決まってるじゃないですか!洋斗君が言う優しさっていうのは、何でもかんでもお構い無しに笑顔で許すことなんですか?ここまでにどれだけ悩んだか、どれだけ大変な戦いをしてきたかには一切眼もくれないで、傷だらけになった手を優しく握って『助けてくれてありがとう』って笑顔で微笑んでるのが、それが優しさなんですか?洋斗君には私がそんな恩知らずで薄っぺらい心を持っている女に見えてたんですか!?───馬鹿にしないで!!!!」

 それが苛立ちなのか、怒りなのかは分からない。だがそんな熱い感情が確かにユリアを口調を荒くした。一方で、その熱い感情で丸く開かれた目から、尾を引く涙は止まらない。

「そうです、私はとんでもないくらい、自分ではどうしようもないくらいのお人好しです!だから辛いんです!もし私に、脅威を覆すだけの強さがあれば、私は最初からこんなことで悩んでなんていません。迫りくる猛威なんて華麗に鮮やかに解決して、堂々と胸を張って洋斗君の横に立ちますよ。ですけど、私にはそんな強さがありません………弱いんです。私がどんなに頑張ったって、それを自力で跳ね除けられる所まで届かない。だからそこをどうにかしようと洋斗君が傷ついてしまいます!それなら、私が洋斗君から身を引く以外に方法が無いじゃないですか!!!」

「ユリア……………」

 ここまで想いの内をぶつけ合い続けて。

 瞳にためた涙を拭いながら叫ぶ彼女を見て。


 洋斗はようやく彼女が何を言おうとしているか、その本質を見た気がした。


 洋斗が傷を追う必要がないように、自分の身に降り掛かった災いは自分の手で払えるようになる。ユリアはその為にずっと力を求めて足掻いていた。しかし結局、自分が描いていた理想像まで到達することは叶わなかった。

 その上で。

 自分の無力さを奥歯で噛み締め、引き金を引き過ぎて皮が剥けた指を悔しさで軋ませて、滲んだ涙を無理にでも呑みこんで。

 洋斗が入院していた3か月という長い時間の中で色々と考えたのだ。

 努力を積み上げたうえで自分がどれだけ弱いか。弱者である自分がどうすれば洋斗───強者を強者であるが故の闘いの連鎖から救えるのか。そもそも、未だあの赤い瞳が脳裏に焼き付いている中で本当に洋斗と向き合えるのか。


 ずっと、ずっと。

 彼女はいろんな想いと戦い続けていたのだ。


 たった今ぶつけられてきた叫びは、己の弱さを抑え続けたユリア・セントヘレナの心の悲鳴。受け入れ過ぎて、呑み込み過ぎて、彼女が自身の虚弱さ、未熟さに押しつぶされそうになっている。

 奥歯を噛んで声を押し殺し、むせび泣き、すがるように彼を見据えているユリア。

(…………なんだよ)

 その姿を見て、思った。

 亀裂の入ったガラス細工のようだ、と。

(そんなに、ボロボロになるまで…………ッ!!)


 その小さくか細くなってしまった身体を(いたわ)るように、洋斗は目一杯ユリアを抱き締めた。


「ぁ………………!」

 不意のことで彼女の肩がぴく、と跳ねる。

 その体は少し、震えていた。

「俺のことをそこまで考えてくれてたなんて、知らなかった…………」

 自分への想いの大きさ。

 彼女の胸に渦巻く感情。

 弱さに潰れそうな心。

 それらに対して全てをひっくるめて、言った。



 ───気づけなくて、ごめん。



 それは夜の闇を解き放つ暁の陽射しのように。

 その一言は彼女を包み、閉ざしていた心にポツリと小さな光を灯す。

「……………………ぅ」

 ───やめて。

 よりによって、今この時にそんな優しい言葉を言われたら…………。

「ぅ…………ぐ…………」

 ダメ。今ここで泣いてしまってはダメだ。いま涙を流したら、私はまたあの頃の弱い自分に戻ってしまう。

「う…………ぁ、あ…………」

 耐える。耐えようとするけど、もう限界だ。

 壊れる…………。



 ───その時。


 ズ…………ン、と、何か重いものが落下したような音が遠くで響いた。

 風景画の上からペンキを塗りつけたような、人類の固定観念を嘲笑う光景。

 音につられて音源の方へと振り返った二人は、それを見て思わず目を見張った。

「………………………」

 あまりにも非現実的でユリアは絶句している。

「あ、あれって…………」

 同じ状況で、洋斗はひとつの答えを導いた。

 ───ついにあの天使が動き出したのだ、と。

 これまで何故動かなかったのかは不明だが、芦屋と鈴麗二人の状況が変わっているのは間違いない。

「学校の方に行って、先生か誰かを呼んできてほしい。それだけの時間を稼ぐ」

 簡潔な伝言だけを言い置き、洋斗はユリアの背中から腕を離して光の方へと向き直る。


 わずかに翻った服の裾をつかむ、彼女の細い指先があった。


「洋斗くん…………」

 ───行かないで!もう傷付く洋斗君は見たくない!

 見つめる瞳がそう訴えている。

 洋斗は言った。

「ユリア、悪いけど俺行くよ。ユリアの言いたいことがわからなかったわけじゃない。けど、俺の手が届くところで友達が苦しんでいるのは耐えられない。こればかりは俺の生き様だから変えられない」

 振り返った洋斗の顔は、とても優しい顔をしていた。

「絶対に帰ってくる。芦屋と鈴麗も絶対に連れて帰る。そしたら、四人でどこかに遊びにでも行こう」

「…………うん」

 ユリアが指の力を緩める。

 二人を繋いでいた指が、離れた。

「…………ありがとう、先生のこと頼んだ」

 その瞬間、洋斗は脱兎のごとく駆け出した。




 ~~~~~~~~~~~~~~~




 ━━━時、場所は変わり。




 ここは、並行する数多の四次元時空を内包している世界。



 膨大な数の『並行世界』という名の膜が空間中に並べられ、今なお分裂を繰り返しながら漂っている。世界地図を何億枚と積み重ねて詰め込んだ巨大な箱、そういうイメージだと思ってくれて相違ない。

 その地図と地図の隙間を埋める、虚無にして無限とも言える混沌という空間。

 今、とある世界の天蓋に空けられている穴の向こう側に存在する天界。


 その一角を浮遊するように、それはあった。


 余剰次元空間のある一定のエリアに存在するベクトルを全てある一点に向けさせることで造られている、内側の存在が外に出ることを許さない空間。物質、音、光、重力。あらゆる動きを支配する。

 言うなれば、壁の無い即席かつ絶対の牢獄。

「………ハァ……………ハァ………………ッ」

 その中心地に、一人の天使が幽閉されていた。

 その名はラファエル。

 風と知識を司る四大天使の一角。

 ラファエルは今、ここに囚われている。

 両腕、両脚を神通力で拘束され、さらに牢獄の中心となる一点を定義するための柱に縛り付けられていた。

 ラファエルをここに入れたのは他でもない、ミカエルの使い達だ。

 幽閉された当時はその目的も解っていた。

 かつて自身が力を分け与えたあの少女がひとつのきっかけで力を解放した───それの粛清である。神からの指令にとりわけ忠実、かつ私が人間擁護派であることを知っているミカエルの事だ、私が手を出せなくしたうえで迅速に指令を遂行するつもりなのだろう。


 ───とその当時は考えていたが、それが目的の全てでなかった。そう理解したのは幽閉されて少し経ってからのことだった。


 今縛られているこの柱はそれなりの強度がある。更にこの拘束は強い力をぶつければ更に強い力で抵抗して手首を苦しめるため、弱い力で少しずつ削っていかないと破壊できない仕組みになっている。

 思えばそれらの工夫は、たった一人の女の子を粛清する程度の『時間稼ぎ』にしては過剰に尽きる代物だった。

 まさか彼女を利用して自身の地位を上げようなどと考えていたなんて…………。

 なぜここに幽閉されていながらユリアの事態を知ることができたのかというと、ユリアに与えていた神通力はラファエルのものの一部であるからだ。与えたといえど、それらの間には『繫がり』が生まれるのである。

 だから、ラファエルには捕まっていながらに伝わってくるのだ。

 ───苦しみ。

 ───悲しみ。

 ───恐れ。

 ───身に起こる異常事態。

 彼女から溢れてくる負の感情が。

 今にも壊れてしまいそうな心の姿が。


「…………なんてことを………………っ」

 ───してしまったのだろうか、()()


 言葉が、涙と一緒に小さくこぼれた。

 胸中に湧いたのはミカエルへの怒りではなく、自身に対する嘆きだった。

 ラファエルは初めて、自分の行動を悔やんでいた。

 初めてだ。

 これまでだって、地上に降りては何人もの人間に手を差し伸べてきた。

 楽園を追放されてしまったアダムという男が可哀想だったから、ラジエルを説得して手に入れた『天使ラジエルの書(セファー・ラジエル)』をこっそり貸した。

 神が人間を洪水で洗い流してリセットするなんて事を言い出した時も、神に内緒でノアという男に舟の作り方を教えておいた。

 アスモデウスの呪いに苦しむサラという娘を救うよう神に命じられた時だって、スズメのフンを眼の球にくらって失明した、なんていう不憫(ふびん)な男もついでに天界の知識を使って治したりした。

 ───私はこんな私でいいんだ、そう思っていた。

 確かに、好き放題やった罰として私の記述が聖書正典から外されたり、一時期は天界から放り出されたりもしたけれど。

 それでも「助けていただきありがとうございます!」と泣いて喜んでくれた時は本当に嬉しかったし、与えられた知識をもとに試行錯誤しながらも苦難を乗り越えていく、そんな人間達の姿を見ると心が暖かくなるのが分かった。世界を揺るがす大事件が起こった時は本当にハラハラドキドキだった。狼狽える人々の力になりたくて心が震えた。

 そして何より、ラファエルは神の手で創り出された『命』というものの輝きを信じていた。たとえ製作者である神自身がその愚かさに失望しても、ラファエルだけは『愚かさを超えた美しい何か』が人の内に秘められている事を諦めなかった、手を差し伸べることを辞めなかった。

 だからどんな罰を受けても、その行いが間違っているとは思わなかった。


 しかし。

 今回の行動に関しては間違いなく失敗だった。


 あの少女は私の愚行が引き金となって、

 利用されて、

 (もてあそ)ばれて、

 傷つけられて、

 辛く苦しい世界に追い詰められて、

 ───泣いていた。


 思えば私は、慢心していたのかもしれない。


 私の力があれば人の行く末を輝かせることができる、と狂信していたのだ。

 奢っていたんだ。

 だからこんな事になったのだ。

 彼女の運命が通常ではあり得ない方向に捻じ曲がってしまっているのではないのか。

 そして今ではこの有様。他人の謀略に囚われて見動きも取れず、自分の過ちの尻拭いすら叶わず、ただねじ曲がった運命が予期せぬ終焉へ向かうのを傍から見つめている始末だ。


 こんな事になるくらいなら人助けなんてするべきではなかったのだろうか?

 達観者として、傍観者として、人を見下ろしているのが天使としてあるべき姿だったのだろうか?


 ───これで終わりなのですか?


 ラファエルは心の内で問いかける。

 私には挽回の機会を与えられることもなく、

 少女達は一縷の望みも叶わずその生を断たれ、

 一つの世界が絶望の泥沼に沈んで全てが終わってしまうというのか?

 願った。

 何でもいい。何か。彼女達にとっての救いとなりうる何か。それは、無駄な時間が生まれるだけかもしれない。塵ほどの希望などすぐに潰されるだけかもしれない。それでも。あの子達には、彼らの行く世界が絶望だけでないことを祈った。

 ラファエルは『奇跡』を望んだ。


 ───その時だった。


 それは、暗闇に小さく点った蝋燭の火のように。

 消えかけていた少女の心がふと揺らぎ、その光を取り戻し始めた。


「これは………………ッ!」

 ラファエルはすぐさま繋がりを辿って少女を俯瞰する。

 少女が神通力に呑み込まれている。それは知っている。


 ───だが。

 それを収めるために、三人の少年少女が戦っていた。


 彼女のためにその身を危機にさらして、傷を追いながらも少女を救い出そうと戦ってくれていた。

 しかも、そのうちの一人に神通力に対抗する力の持ち主がいる。あれは…………地底、地獄に近い力か。確かにあの力なら神通力と拮抗することも頷ける。それ以前に彼はこの世界の住人ではない。すぐ隣のブレーン宇宙から『パイプ』を伝ってやって来ている…………。

 まるで息吹を吹き込まれた火種のように。彼の一言、一挙、一投足が、少女の心に熱を与えているのが『繋がり』を通じて伝わってくる。

「……………………あぁ」

 ラファエルは、思わず笑ってしまった。溢れ出る後悔の涙を忘れさせるだけのものが、そこにあった。


 天からも見放された少女を救うために何人もの友が立ち上がり、己の持つ力を最大限使ってその手を伸ばす。

 ───果たして、これ以上の『奇跡』が存在するのだろうか。


 思えばこれまでだって、命という存在はそうだったではないか。

 長く紡がれた歴史の中で常に迷える誰かに寄り添い、

 手を取り合い、

 共に歩き、

 共に悩み、

 共に苦しみ、

 共に支え合いながら、

 ───彼らはそうしてあらゆる『奇跡』を起こしてきたではないか!

 誰かを思いやる気持ち、その計り知れない強さを慈しむ者達だったではないか!

 あの少年少女達は、ただそういった可能性の一片を垣間見せただけに過ぎない。

「……………………あぁ」

 ただ、それだけだというのに。


「まぶしい…………」

 その輝きの、なんと美しく温かいことか。

『繋がり』を通して自分まで温められているようなその光に、ラファエルは思わず目を閉じる。


 ───あぁ、神よ。

 森羅万象をその手で生み出されし創造主よ。

 見ておられるでしょうか?


 これこそが、あなたが土くれから創り出した命というものの尊さです。

 あなたが一度は滅ぼしかけた命の、その内に秘めたる輝きです。


(………………………………助ける)


 ラファエルの内にあった意思が、更に強固な意志となって胸を焦がす。縛り付けられている腕に力が入り、握った拳に力を溜めた。

 我が名はラファエル。

 熾天使にして四大天使の一柱、そして我が主より『神の薬』の銘を授かりし者。

 罪滅ぼしは当たり前。

 誰かのために戦っている人がいる。

 誰かのために怒っている人がいる。

 誰かのために泣いている人がいる。

 誰かのために立ち上がる人達がいる。

 神より授かったこの身全てを賭して。

 その思いの輝きがここで吹き消されようとしているのを、こんな所で黙って見過ごすわけにはいかない───!!!


 縛り付けている拘束具を砕くため、両手首に集めた神通力を手首の周囲に叩き込んだ。

「づ、ゔ……………………ッ!」

 赤熱した鉄塊のように、力を受けた拘束具から火花が散って手首を焼く。

(こんな痛み、あの子達に比べれば…………っ!!)

「ぐ…………ぁあ…………!!」

 しかしそれでも、ラファエルは肌が焦げる激痛を噛み殺して力をぶつけ続けた。その拘束具が力に負けて少しずつ歪んでいくたび、より強力な灼熱をもって抵抗してくる。

 もう少し…………!

 ラファエルは目前の勝利を確信して小さく頬を吊り上げた。

 ここまで来たら、もう躊躇はない。

「あぁぁぁぁぁあああああああッッ!!!」

 最後の一息で神通力を叩き込み、腕にも懇親の力を込める。


 そして


 バガァン!!と

 大きな音を立てて拘束具を一気にねじり切った。

 だがまだラファエルは牢獄の中、前方へと傾いた身体はベクトルに従って再度柱に縛り付けられる。

「こんな、もの…………ッ!!」

 しかし身体に宿る闘志は消えない。

 背中の中心に神通力を凝縮させる。

 溜め込んで、溜め込んで…………。

 未知の圧力に脊髄がギリギリと悲鳴を挙げ始める。

 熾天使(セラフ)の神通力を肉体の限界まで凝縮した懇親の一撃。

 それを後方に全力で放出した。


 ドッッッッ!!!

 爆音が、余剰次元の世界を大きく揺さぶった。


 ラファエルの神通力は後方の支柱を跡形もなく粉砕。中心に集められていたベクトルが解き放たれて、その反動は衝撃波となって全方位に爆散した。

「はぁ……………はぁ……………ぐっ!」

 突き刺すような傷みを感じて、ラファエルは両腕を見やる。自分の手首を皮膚の発赤が囲っていた。しばらく跡が残りますね…………と小さくせせら笑いを零しつつ、虚空を蹴って飛び出した。ここがどこなのかは分からないが、少女との繋がりさえ残っていれば最短距離でたどり着ける。


(間に合って…………!)

 虚空を割いて飛翔しながら、ラファエルは繋がりの琴線を震わせた。


 ───他ならぬあの少女に、自分の思いを伝えるために。



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