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Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~  作者: ふろすと
現世編
36/61

13章-1:弓引く凡人達

 


 三対六枚の銀の翼。金の輪。

 光を煌々と流し続ける天蓋の裂け目。

 その中から、先ほどのユリアと似たような容姿の男性が舞い降りて、止まる。

「…………たた……………あ」

 それだけで、体の自由をねじ伏せられる。

 時が止まったかのような緊張感。

 そのレベルの威光を、そいつは放っていた。

 一方で、当の本人は人間の反応など逐一気には留めない。

『思いの外速い終焉であったが、なかなか楽しめたぞ。それにしても、紛い物であったとはいえ天界の力と競り合う者がいたとは、『あいつ』がそこまで見越していたとすれば流石の我も策士と認めざるを得まい』

 地上を無視して何者かを認めるような口振り。だがそれを本心から言っていないのは明らかだ。表情には至極どうでもいいという文章がにじみ出ている。

「今度は、何なの……………?」

 先ほどまで冗談が言えていた鈴麗すら、戦慄の表情で言葉をこぼす。



『では、ほんの『余興』はこのくらいにするとして、本題に入らせてもらおうか。

 これより、神通力の過剰行使の罪に伴い彼の者の粛正を行う。邪魔をするつもりなら反逆者として葬らせてもらう』



「…………………………………」

 紙に書かれた文章を朗読したような、平坦で静かな宣告。

 それでも理解が追いつかない鈴麗と洋斗。その傍らで

「……………………そうか」

 芦屋は察し、確信を持った瞳で神々しい姿を睨みつけた。

「突然現れた光の柱、割れた空、そしてユリアさん…………これまでの事、その全部の原因はお前っていうことだね」

『そうだ』

「っ……………!!」

 隠すことなく、かつ大した事は無いと言わんばかりの坦々とした口振りに洋斗は驚き、同時にこの騒動を起こしたという事実とそれを何とも思っていない態度に、洋斗の怒りが心臓で唸り始める。ユリアを抱える腕にも余計に力が入り、白く滑らかな肌に爪が立った。

「……………洋斗、ユリアさんを連れて学校に行くんだ」

 もう少しで何か叫んでしまいそう、というところで芦屋が呟くような小さな声。

「………………なに、言ってんだ…………?」

「今あれは『粛正』って言ってた。ということは流れからして、このままだと間違い無くユリアさんは殺される。だから、両腕を怪我して、その上一番足が速い洋斗が安全な場所に連れて行くべきだ。それに学校に行けば、先生達がいる。世界トップクラスの先生達ならあれをどうにか出来るかも知れない」

「何言ってんだ!ユリアの時も見ただろ、アイツは俺達の能力なんて見ることもなく消し飛ばす!そんなヤツ相手に稼げる時間なんて…………!!」

 天使の『贋作(がんさく)』でさえもあれほどの力を持っていたのだ。完全なる『真作』である天使がどれほどの物か、皆目見当がつかない。しかも贋作相手でさえも、洋斗の異能が有ったからこそまだ抵抗することが出来た。その異能も無くなる、相手取る人数も減る。そうなったときに果たして『怪物』相手にどれだけの時間を稼げるだろうか?

 だが───


「だったらせめてユリアさんを安全なところに運ぶんだ!!戦いに参加するのはそれからにしろ!!」


 それでも芦屋は抵抗することを諦めず、らしからぬ怒号でそれをねじ伏せた。

 それで思わず言葉を詰まらせた洋斗は、数秒の間葛藤する。

 そして、決めた。

「…………分かった。すぐ戻ってくる」

 洋斗は両腕をユリアの背中と膝裏にまわし、細く軽い身体を抱え上げる。その姿を見て、芦屋と鈴麗は満足げに小さく表情を緩めた。

 相手の強大さから、ユリアを守りながら相対するのはとても危険が大きい。そして、あれこれ悩んでいる暇があるなら、少しでも早くユリアを安全地帯へ避難させてすぐ戻ってきた方が選択としては相応しいと判断したのだ。

「すぐに戻る。それまでもってくれよ」

「できる限りのことはするつもりさ。倒すのは無理でも、時間稼ぎだけならやりようはあるからね」

 洋斗が向ける真っ直ぐな視線に、芦屋も意志のある視線で応える。その眼に自己犠牲の色がない事を確認して、洋斗は街の方へと駆け出した。




 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




『………標的を逃がしたか、賢明な判断だ』

 未だ空へと浮かび上がる天使は、特別危機感のない声で言う。その気になればすぐに追いつける、という余裕の表れであることは容易に想像できる。

「それで、洋斗の前で格好付けちゃったけど…………」

 それに対して苛立ちを覚えながらも、その気持ちを上回る不安で鈴麗は問いかけた。

「アレ相手にどれだけ時間稼げるのかしらね?」

 洋斗の妖気が無い今となっては、最早あの天使に対抗できる可能性は限りなくゼロに等しい。どんなに保有している生命力が多くても、能力自体の大部分がねじ伏せられてしまう。

 それを理解した上で、あくまで芦屋は天使から瞳をそらさない。

「分からない。けど、なにも刃向かう事しか方法がないわけじゃない。それ以外にも出来ることはある。できる限りのことはやるよ」

 そして、数回ほど深く呼吸した。

 天使が口を開く。

『それで、貴様等は何だ?意に反するというのなら相応の処置を執らせてもらうが』

 プレッシャーと共に言葉を浴びせられてじっとりと汗を流しながらも、芦屋は重い口を開き、その瞳に真っ直ぐな決意の光を灯す。

「その前にどうか一つだけ、聞かせてください!」

 そして、天高く叫んだ。

「あなたは、一体何なのですか!!」

 芦屋が天使にあらがう上で選択した手段。

 それは、交渉。

 これまでの歴史の中で、人が神格に対して対立したことは無いと言ってもいい。

 祈祷。奉納。懇願。

 元来、人は神格と交渉し、その意志の片鱗でも人類側に味方してもらうように促すことで関係を築いてきた。すなわち、神の意志を変えるのにわざわざ絶対の存在に反旗を翻す必要はないのである。

 今回の件もまた然り。

 先ほどの会話を見る限り、天使は無慈悲に刑を執行する仕事人でもなければ、与えられた仕事を全うするだけの機械でもない。その行動に、その言葉に紛れもない個人の意思が確かに感じられる。

 それに意思があるなら、それとの疎通も可能であるはず。そして、その意思を少しでも人類側へ傾けることも可能のはずだ。

 攻撃を防ぐのではなく、会話を引き延ばすことで時間を稼ぐ。相手の弱点を探して倒すのではなく、引き延ばした会話の中で相手の要求を洞察し、相手の妥協を引き出すことで、双方の同意の下で状況を反転させる。自分たちが傷つくこともなく、ある程度のまとまった時間を稼げ、あわよくばユリアを救うこともできる有効な一手だった。

 ───洋斗にはどうひっくり返ってもできない。

 ───王女ではあるが行動派でもある鈴麗にも恐らくできない。

 ───名家の一人娘であるユリアもまだ経験が浅い。

 生まれ育った名家を守ろうと常に矢面に立って、交渉によって、自身の口から紡ぐ言葉の力で、寸前の所で踏みとどまってきた芦屋だからこそ戦うことができる、議論という名の戦場だ。

 しかし、芦屋には二つの懸念があった。

 うちの一つ。

(天使って、交渉とかにノってくるものなのか…………………?)

 言うまでもなく、芦屋には天使と直接顔を合わせ、言葉を交わした経験など皆無だ。まず、アイツが話している言葉は分かったが、自分の言葉がアイツに理解されているかの確証はない。それに、アイツの言葉からして中々高いプライドの持ち主であることは伺えた。たとえ認識されていたとしても、有象無象のざわめき程度にしか思っていない可能性も十分だ。だとすればこの言葉は届いた傍からはたき落とされるだけ。交渉するどころか機嫌を損ねて消させてしまうかも知れない…………。

『我の名を知らぬ…………?いや、聖書のみでしか我らの存在を知らぬ人間どもに対して、姿だけで名を当てよと言うのはいささか酷だな。良いだろう、名乗ってやる。心して聞くがよい』

 ノった………!

 対話の糸口を掴んで口角をつり上げたのもわずか数秒。

 鈴麗が反応に驚いて、目を見開いていたのも数秒。



『我こそは、天界にて神より生み出されし原初の天使にして、火と守護を司る、至高のアークエンジェル!大天使、ミカ、エル、様、で、ある!!』



「        」

「        」

 ビシリ!と、

 時間が止まった。

 何か、決定的な何かを聞き間違えた、そんな気がした。

 天空に悠然と佇み、輝くような温もりを世界に分け与える神秘の象徴。深い慈愛をその微笑みに宿し、迷える子羊に手を差しのべる天使の御姿。

 唖然として蒼白になった2人の頭に残っていたそんな理想像(イメージ)が、音を立てて崩壊していく。

 彼らは知らない。

 我こそは───のあたりで、やるのはナルシストか厨二病患者くらいだろうというポーズを空中でバッチリ決めて、その上台詞に句読点が入る度に瞬時にそのポーズを切り替えては勝ち誇った顔を向けてくる、そんな格好付けたがりな天使など彼らは知らないし考えたくもない。

『どうした、我の美しさに見惚れているのか?』

「はッ!?」

「ぶフッ!!」

 意識がブッ飛ぶほど呆然としていたところに天使────ミカエルが、さして気に留めた雰囲気もない様子で声を落とす。思わず身体が跳ねてしまったのは、この場においては仕方のないことだ。どうか、そう思っていただきたい。

 目を向けたらまだあのポーズのままだった事がツボにハマって噴き出した鈴麗を余所に、芦屋は一度大破した覚悟を立て直す。

「え、ええと!申し遅れました!私は…………」

 芦屋の言葉は制するように向けられた手の平によって止められた。たとえ変なヤツでも、それがまとう存在感は依然として大きかった───最低でも、直接の接触も言葉もなく、ただ手の平を向けるだけで人間一人の口を封殺する程度には。

『そう声を張り上げずともよいぞ。目先にいるかのように聞こえている』

「……………私は芦屋 道行、彼女が宣 鈴麗で………ってなんでうずくまってるの?」

「いい、いいから続けて!気にしないで………フフッ!」

(……………まぁ、大体予想はつくけどね。僕も危うく吹き出しそうだったし)

 口とお腹を押さえてうずくまる(笑ってはいけない状況であるという事はわきまえているらしい)彼女は置いておいて、再び空へと向き直る。

 そして思う。

(もしかして、案外簡単に時間稼ぎできるかも知れない。いやそれ以前に、チョロい………?)

「それで、その、ミカエル様。今回の件にあたって、お聞きしたいことがございます」

『…………まぁよい。さぁ、話せ!』

「…………先程、あなたは『彼の者の粛正』と言うことをおっしゃいました。ここで言う『彼の者』というのは、その、天使になっていたあの女の子ということで間違いはないですか?」

『そうだ』

「なぜです?それに至るまでの経緯をお教えいただきたい」

『あの鬼ならともかく、貴様等に対して話す道理はないと思うが?』

 今の言葉で、芦屋が真実を知るに値せず、洋斗はそれに値しているとみなされていることを理解させられた。

 現時点においての二人の差を思い知らされて、芦屋は内心歯噛みする。

「………あの人は僕たちの大切な親友です。親友の事を気にかけるのを、道理と言わず何と言いましょう」

『…………良かろう』

 折れた、というより無用な問答に時間を潰す事への呆れから小さく息を吐く。

『まずは我らのことを話さねばなるまい』

 そしてこう切りだした。


『我々天界の一族は、その威厳と恐怖によってその地位を守り、崇拝を一手に受ける存在でなくてはならない。そのため、我々は主に二つの策を講じている』

 ───ひとつが聖書の公布。

 人は露骨な恐怖よりも底の知れない恐怖の方に、より大きな恐れを抱く。同時に、人の脳は現実と想像の区別が付かないので、常に理想を思い浮かべる性質を持つ。それらを利用して、姿を見せずに存在を知らしめることによって、信者に『刃向かえば何をされるか解らない恐れ』と『人類にとっての理想の姿』をすり込む方法を採った。

 ───そして。

『二つ目が『神域踏襲の防止』。これは、人類が神域に至ることを禁忌とすると同時に、我らの持つ力や知識の伝承を人類に伝えることを禁止する、というものだ』

 仏教用語に入滅という言葉がある。

 煩悩の炎が消えた状態───すなわち宗教的解放(解脱)の状態を指し示し、完全な解脱は肉体の完全な消滅、すなわち死によって完結する。それと同時に人の魂は仏、つまり神の域に到達する。

 人間の世界ではそう考えられているが、天界において入滅の意味合いは大きく異なる。

 神の域に到達する、ということは神域という世界を見て、聞いて、感じることでその知識に触れてしまうということであり、果てには神通力を人の手で勝ち取り、人の身で神域へと足を踏み込んでしまう猛者も現れる。それを『神域踏襲の防止』に則って天界の住人が闇へと葬る、というシステムが人の言う入滅である。つまり。

『死によって神の領域へと到達できる』のではなく『神の領域を冒す危険のある者が天に召されている』のである。

 それと人の誤った認識とが相重なり、天界の住人が神域に踏み込んだ人を滅しても何の文句も挙がらずむしろ歓迎される、という理想の体系が偶然ながらに確立している。

『これら二つの策が巧く機能して、お前たちの因果律を上から支配する地位を得ている。だが今回においては、地上では人類が行使してはならないはずの力───お前たちの世界では『神通力』と呼ばれているようだが、それを使用してしまった。というのが、スーパーエンジェルな我が直々に例の模造天使を処罰する理由だ』

「………………………」

 やけに自慢げに語ってくる事に多少顔をしかめながらも、強引に頭から苛立ちを押し留めた。そういう相手は芦屋家を没落一族と見る、骨をしゃぶるハイエナのような奴らの方がよほど質が悪い。

 それにしても、無駄に長々と語ってくれること以上に、天使の世界にも相応の規則や法律があると言うことの方が驚きだった。てっきり私利私欲的な何かが働いているものだと考えていた芦屋は少々面食らい、同時に論破の難易度が上がったことを感じていた。

 感情論、エゴの衝突なら話術を巧みに使いこなせば感情のコントロールは可能。だからそれを起点として論を展開していけばよかった。だがそれが相手側の、自分たちとは価値観の違うルールで定められている場合、その行動の理由を聞かれたときに「これは規則だから」という一言で押し通せてしまう。それを議論で突き崩すのは途轍もなく難しい。

「聞いてもいいかしら?」

 ずっとそばで黙っていた鈴麗がここで声を上げた。どうやら敬語を使うという意識は低いらしい。

「そもそも、なんで人間のユリアがその神通力ってやつを使えるわけ?地上では人類が行使してはならない、とか言ってるの聞こえたんだけど?」

 鈴麗の言うとおりだ。

 聞いた限り、僕たち人間が神様の力を使う事など出来るはずはない。そもそも、神通力を流布する事は天界の規則で禁止され、力を持ちうるとされた時点で処罰されるはずなのだから。

『…………お前たちがそれについて疑問を抱くのは自明なのだが、どうしても話さねばならぬか?』

「……………なぜそこまで渋るのです?」

 もし、それに何かしらの独断が混じっているならそこを突いて論を展開できるかも知れない。

 そう考えて追求するが───

『あろう事か、我以外の天使の話を我の口からする事を、エンジェル・オブ・エンジェルな我に強いるのは、あまりにも酷な話ではないかね!』

「……………………………」

 ただの杞憂であったことが分かり、がっくりと肩を落とす芦屋。心なしか、アレと会話すること自体に疲れてきた。重いプレッシャーをまき散らしてきたと思ったらとんでもないジョークをとばしてくる。熱湯と氷水を交互にかけられるような、重圧感と拍子抜けのワンツーパンチを無自覚で繰り出してくる交渉相手など会ったことはない。

「い、いいじゃないの。別にアンタが他の天使の話しようと、アンタがそのアークエンジェルとやらである事は変わらないでしょ?」

『…………ふむ、一理あるな。よし話そう』

 これから恐らく大事な話だろうにもかかわらず、2人は思ってしまった。

 あ、こいつナルシストな上に中々のバカかも───と。

『先ほども言った通り、天界にはそういう規則がある。だがそんな規則を破る下郎がいたのだ』

 忌々しい。

 そんな感情を絞った声と表情で、彼はその名を口にした。

『その天使の名は、ラファエル。風の要素を司る、我と同じ四大天使の一角だ。あぁ、ちなみに我の要素は火、天使の頂点である我に相応しいだろう?そうだろう?』

((いや、聞いてないけど…………))

『これまでもラファエルは自制を命じられていた知識の伝承を何度も犯している。お前等の世界で言うと、トビアとかいう男に授けた医薬の知識然り、大洪水の際にノアに授けた『天使ラジエルの書(セファー・ラジエル)』然り、と言った具合だな。その懲罰としてラファエルの記述であるトビト記は聖書正典から除外され、一時期はラファエル自身が天界から追放されているのだが、「困っている人がいるのだから仕方のないこと」などと戯れ言を言って神の意向を(ないがし)ろにし続けていた。そんな下郎が次に目を向けたのが、あの少女だ』

 長い前置きの末にようやく出てきた、ユリア・セントヘレナの存在。話の転換期を察し、芦屋と鈴麗は一層気を引き締める。

『時間にして丁度11年前、場所は丁度このあたりだ。当時その少女はこの森の中を独りで4日近く彷徨って、身も心もぼろぼろだったそうだ。

 そして、それを偶然ラファエルが()た。我々天使には時間という概念が存在しない。お前たち人類が本を任意の所から読めるように、我々にもお前たちの過去や未来も同時に視ることが可能だ。もっとも我々による時空間因果律への介入までは視ることはできぬのだがな。それで少女を視て何を思ったか、ラファエルは神の判断を待たず、独断で少女に神通力を与えることにした、のだそうだ』

「そんなに昔から……………」

 スケールの大きさに、芦屋は小さくつぶやくことで精一杯。鈴麗に至ってはただただ息を呑むばかりであった。そこまで過去の話から現在に繋がってきていることに、二人の実感が追いつかない。

 それでも頭を回しつつ話を聞いていた芦屋が一つ、大きく腑に落ちない疑問を口にした。

「ですけど、なぜ今なのです?11年も音沙汰無かった神通力が今になって、何のきっかけも無しに暴走を始めたというのはおかしいですよね」

『ふむ、何を勘違いしているのかは知らんが、契機ならあったぞ?』

「…………え?」

『契機は二つ。一つはそちらで言う三ヶ月ほど前の、確か六甲山とか言ったか、そこで起こった騒動。その中で、あの少女は初めて自身に眠る神通力を呼び起こし、一条の閃光で山ごと夜空を斬り裂いて、窮地を脱した』

 芦屋はそれを聞いて、洋斗が瀕死の状態で帰ってきたあの日を思い出していた。

 ───その日、及びその次の日に発行されたメディアを埋め尽くしていたのは六甲山の惨状を記載した謎の爆破事故に関するニュースともう一つ、突如夜の闇を裂いた黄金の光線に関する目撃情報をまとめたゴシップ記事であった。記事といってもその内容としては、片や地球のすぐそばを通過した小惑星、片やカルト信者が捏造した願望、果ては本当に一瞬だけ空が裂けたのだと法螺(ほら)を吹く似非(えせ)物理学者まで現れる散々なもの。もちろん芦屋や鈴麗も信じておらず、鈴麗に関しては「よく同じ時間、同じ状況の情報をここまでたくさん集めたわよねー。どっちかというとマスコミ側が客引きのために流したんじゃないの?」とケラケラ笑っていた。

 それがまさか自分たちの知らないところで、現実に起こっていたとは……………。

『そして二つ目の契機、それはこの日、この我スーパーダイナミックエンジェルミカエル様がこの地に降り立ったときだ』

 そんなことは分かっている。問題は今日という時間の中で何があったのか、だ。

『地上界で神通力を、それもラファエルに力を与えられたというあの少女が行使したという報告を受けてな。それで聡明でエンジェルな我は閃いたのだよ。これは利用できる───とな』

「……………利用?それってどういう事?」

『焦るな、急かされずとも聴かせてやる。神通力を行使した少女の処罰と神に背いた哀れな天使への警告、そして我の嗜好の満足を同時に叶える最高の案だ』

 ここで、ミカエルの表情がふと退屈げに緩む。まるで、人に話すようなことでもない、とでも言いたげだった。

『といっても少女の神通力を暴走させ、ある程度被害がでたところで我が少女を葬る、というごく単純なものだ』

 けれども、その口から放たれたものは、とても聞き流せるようなものではなかった。

「!…………そうか、今ので話の大筋が見えたよ………」

「…………えぇ、私でもムカつくくらいに理解できたわ」

 大まかに言うと、ユリアの中に押し込まれた力を何らかの方法で内側から暴走させて、この地域に大きな被害を起こさせる。

 そのタイミングでユリアを消し去る───これが『処罰』。

 街を窮地から救うことでそこの人類からの更なる崇拝を得る───これが『嗜好』。

 これは推測だが話から察するに、この場におけるラファエルの立ち位置は白だ。そしてそのラファエルに規律を犯した事への再認識をさせる───これが『警告』。

 結局のところ。

「ユリアは…………ユリアはただ、天使の下らないいざこざに巻き込まれただけじゃない!!神通力とか、天使の規律とか!そんな事はどーだっていい!そんな事はユリアにとって、いや、私達人間にもどーでもいい事じゃないの!なんで、なんでそれでユリアがあんな事をさせられなきゃならないのよ!!!」

 鈴麗の中で溢れ出した怒気が、彼女の表情を獣へ、彼女の声色を硬く荒ぶったものへと一変させる。無関係であるはずの自分の友達を、勝手な理由で使われた。それが何より許せなかった。

『…………下らない?お前、今下らない、と言ったか?』

「ええ言ったわよ!!」

 ────まずい。

 一触即発。何が逆鱗だったのかはわからない。だが、きっかけさえあればすぐにでも破裂してしまいそうな、水風船のようなシチュエーションだ。

 芦屋は内心焦っていた。

 芦屋が考えていた、交渉を進めるうえでの二つ目の懸念。

 それは宣 鈴麗の堪忍袋の緒がいつ切れるのか、そのタイミングだった。

 鈴麗の性格上友達のことを、自分の周りの人間をとても大切に考えており、それに仇為す者を許せない人だ。そして、その逆鱗に触れるような真相が紛れているであろう事は何となく察していた。それで鈴麗がキレることは自明だったため、彼女の堪忍袋がどこまで耐えられるのかが交渉の持続時間と直結しているといっても過言ではなかったのである。

 当然、芦屋の中でも大きな憤懣(ふんまん)が全身を奮わせている。だが、「ここは自信の感情に身を任せるべきじゃない。今だけは、自分が成すべき事をしなくては」という客観的な理性でそれを制御することができていた。

 だが彼女の行動思念において、その本能は理性を遙かに上回る優先権を持つ。

 理性で彼女は止まらない。

 芦屋には彼女を、止められない。

「天使の頂点が聞いて呆れる!アンタは私の友達を虚仮(こけ)にした!そんなことを私が許すわけにはいかない!」

『ぬかせ』

 鈴麗の怒号を、ミカエルは即座に払いのける。その瞳には確かな意志が宿っていた。

『我が主は人類を、そして我ら天界の一族をお創りになられた、偉大という言葉では語り切れぬ存在であるぞ。この我が目も当てられぬほど美しくビューティーで優雅な存在であるのも、全ては主のお導きがあってのものである!その主が自ら定められた尊き規律を無為にするような愚劣を、よもや神の遣い筆頭である我が見逃す?そのようなことは絶対にあってはならんのだよ』

 創造主に対する絶対の忠誠心と、天使であることの自尊心。

 その忠誠心があるからこそ、それを無視するような行動をとるラファエルが許容できない。許容することは天使としてのプライドが許せない。神の意志に従うものには優しく手を差しのべるが、意志に反するものは容赦なく叩き伏せて斬り捨てる。それが、天使の頂点とされているミカエルの行動基準だった。

 ───そして。

『それに比べれば、人類ごときの存在など無に等しい。お前等の言う友達の存在など、有ろうと無かろうと大差ない。むしろ利用されるだけの価値を見いだされたことに感謝を示すべきだ』

 この一言で、鈴麗の怒りは沸点に達した。

「…………許せない」

「り、鈴麗!今は落ち着いて!」

「無理」

「我慢するんだ鈴麗!!」

「落ち着け?我慢して?できるわけないでしょうが!!友達をここまでバカにされてじっとしてるだなんて、死んでも耐え切れない!太刀打ちできないとかそんなことは関係ない!たとえ一発だけでも、本気をぶつけてやらないと気が済まない!!天使だから何よ!そんなの、私がこの手でたたき堕とす!!」

『………………ハ。いいだろう、他がために無謀な相手に牙を剥くその心意気は認めてやる。だが少々口が過ぎたな』

 怒りと暴言を受けて、上空の天使から表情が消えた。

『来い。その精神、我が絶対の力をもって根元ごとねじ伏せてやろう』

「上等!!」

 芦屋の制止など、耳にすら届かなかった。

 自ら戦いの嚆矢(こうし)となって、ジェット噴射で一気に跳び上がる。

「はァアアアアアッ!!!」

 仇敵を穿つべく真っ直ぐに飛ぶ。

 そして、燃える槍を前に突き出した鈴麗は彗星となって天使へと激突する。

 ───しかし。

「………ッ!!」

 その一撃は、天使に届いていない。拮抗すら叶わない。身体と矛先、その間に何かが挟み込まれている。

 衝撃に圧され、鈴麗の身体が空中へと弾き戻された。

 ミカエルの一歩手前、鈴麗の槍と炎を止めたのはユリアの時と同じ黄金の塵。だがその密度が桁違いだった。その密度は塵の集合体には見えず、視線のわずかな透過も許さない。

 その様相は最早塵ではなく、一枚の堅牢な盾だった。

『一つだけ、この我のことを教えてやろう』

 動揺どころか、眉一つ動かさない。その状態で、落ちていく鈴麗の姿を見つめて口を開く。

『このエンジェル・オブ・エキサイティングな我が担う役目は、信仰の中心地とされている聖地エルサレムの守護。いうなれば、我は主に信任されるほどの守護神である。その我が自ら型を成す盾だ、模造天使の時みたくそう易々と砕けるものと思うなよ?』

 裏を返せば「壊せるものなら壊して見せろ」とも聞き取れる台詞に、鈴麗は痛むほど歯を軋ませる。体を回転させて体勢を立て直し、足からの噴射を再爆発。推進力で再び空中を蹴った。


 ぶつかっては離れ、激突しては弾かれて、その一方的な応酬が続く。

 連続して衝突する熱量。吹き荒れる衝撃と熱波。

 その総てが盾に弾かれ、いなされる。

 その間もミカエルは何もせず、ただ自分に迫る矛先を見据えるのみ。

 自分が弄ばれていることが一目瞭然、舐められていることは明白だった。

 私に好き放題暴れさせて、大きな実力差を本能に知らしめる。そうして精神をへし折ったところでゆるりと止めを刺すつもりだ。

 心身ともに、私の全てを叩き潰すために。

 分かっている。相応の差があるって事くらい、ユリアと敵対したときの時点で。

 それでも、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。

 もしここで折れて身を引くようなことがあれば、親友を馬鹿にされた事実も黙認することになってしまう。それは絶対にだめだ。これは親友の誇りと自分のプライドを守る戦いでもあるのだ。何があっても、そこから逃げることがあってはいけないはずだった。

 ────だが

 抱くその意志諸共虚しい音を響かせて弾き飛ばされる。精一杯の意志を込めた乱撃も、その盾を前に虚しく砕け散る。

(畜生!ちくしょうちくしょうちくしょう!!ふざけンな!私なんかじゃユリアの仇を返すこともできないっての!?)

 自分が立てた決意すらも倒れそうになってしまう。鈴麗の身体は、この行動全体が意味を成さないことを理解し始めていた。そしてそれを心が理解し、怒り、弱音を振り払うために爆焔をぶちまける。

 負の連鎖という名の蟻地獄に沈められていく。

『……………もう、いいか?』

「!?」

 ミカエルもそれを見抜いたのかもしれない。終結を示す一言と同時に、盾の原型が霧散する。

 浮遊する砂のように形が変わり、最終的にかたどったのは一本の短剣。一見、手から肘までの長さしかないただの光る剣で、時折輪郭が朧気になる以外に目立つ特徴はない。

 だが天使の長が使う道具だ、何が起こるかわからない。

 本能的にそう感知した鈴麗は再び足から火を噴かしてミカエルに突進する。

「駄目だ鈴麗!!」

 何が起こるか分からないのに突っ込むなんて、ましてや天使の攻撃ともなると想像すらつかない。にもかかわらず直撃していく鈴麗を全力で止めるため、芦屋も立っている地面をせり上げて上空へと昇る。


 ミカエルは短剣をゆっくり、緩やかに天へと振りかざす。周囲を舞っていた金粉が短剣の下へと集結し、砕けた天蓋から零れる金光を受けてより一層の輝きを放つ。



 今、光の塵はあの剣に集まっている。

 ということは、今ならこの一撃が通るかもしれない。攻撃ができるチャンスは、今しかないかもしれない。

 体を押し上げる炎の噴射が、更に威力を増す。


 自分にぶつかり、遙か後方へと流れていく突風。


 接触、衝突まで、あと数秒。



 というところで


 タックルの要領で芦屋の体が鈴麗の脇腹に捩じ込まれ、その軌道を強引にねじ曲げた。

「かハ……………ッ!!?」

 腹が強引に圧迫され、肺の空気が吐き出される。

 腰を両腕でがっちり抱き込み、突進の推進力で彼女が進んでいた本来の軌道から一気に引き離す。

 おかげで、すんでの所で剣の軌跡から脱することができた。



 静かに。

 天に向かっていた短剣が、袈裟懸(けさが)けに振り下ろされた。



 地震のような轟音があった。


 耳元を吹き抜ける風切り音を吹き飛ばすように何か巨大な物を、地をえぐりながら無理矢理に引きずったような音。


 なにが、起こった…………?

 捨て身の体勢で鈴麗の横腹に頭をつっこませた、そんな状態で、そんな考えが芦屋の頭をよぎる。

「づ………………ッ!?」

 だが、反射的に芦屋が突っ込んできた方に顔を向けていた鈴麗の瞳には確かに映っていた。


 それはまるで、夜空をかける閃光だった。

 その閃光は夜空を駆け抜け、遙か先の山に傷を刻み、森林を二つに切り分けた。


 あの短剣の短さを見て、完全に油断していた。

 あの短剣の刃渡りの長さはただのお飾り。最初から間の距離など関係なく、刃先の軌道が触れただけで傷を負うのだ。


『ふむ、四次元時空に居座れる程度に力を抑え込めば所詮こんなものか』


 この一言はすぐさま直下の鈴麗の耳に入り込み、彼女の背筋を凍結させる。

 ───いま、「こんなもの」と言ったか?

 ぎりぎり視認できるがというほどの距離までひと振りで切り裂いておいて。それだけのものを振るっておいて。


『いてもいなくても変わらない』矮小な存在を抹消するためにこの地帯を、地図に線を引くくらいの手軽さで切り裂いた。それは人類同様、それが巣食うこの世界の存在すらも、あの天使にとってはその程度の小さなものであるという事。あの天使が、それだけ大きな存在であるという事。

「殺害するターゲットを見失ったなら、その街ごと消し飛ばせば良い」という思考回路と同じ、自分たちとはスケールの違う圧倒的暴力。

 いくら何でも、規模がおかしすぎる。

(そんな……………………)

 もし、あれに当たっていたら。真っ二つになっていたのか?それ以上の何かが起こっていたのか?

 私は一体どうなっていたんだ?

 鈴麗の背中を這いずる氷のような寒気は止まらない。

『しかし、一撃を外してしまうとはデンジャラスエンジェルの名折れ。神の御意志を忠実に実行できぬとあっては天使の恥だ』


 次は、斬るぞ?


「!!」

 冷徹な瞳は、確実に私を捉えていた。


 ────その瞬間

 ヒビの入っていた鈴麗の意志は完全に折られた。


 彼女の瞳に燃えている戦意は消え失せた。

 その瞳から逸らすように、芦屋を振り回しながら身体を捻って背を向ける。

「え、鈴麗何を゛ッ゛ッ!!?」

 空中停止状態からの、全力ジェット噴出による超加速。ボッッ!!と炎が空気を叩く音が打ち鳴らされる。芦屋は危うく舌を噛みそうになった。

 何をしようとしているのか?

 その返答は返ってこない。それ以前に、その質問は彼女に届いていなかった。

 鈴麗の頭から思考が飛んだ。

 シマウマはライオンに立ち向かうことをせず、迷わず逃げることを選ぶ。なぜなら自分達がライオンに勝てないことを知っているから。

 心はもちろん。それ以上に身体が、本能が。

 今の彼女の精神状態もそれにほぼ等しい。

 これまでの戦闘の中で鈴麗は、無為に攻撃を加え続けたことで目の前に立つ壁の硬さを知ってしまった。相手の一撃だけでその大きさを見せつけられてしまった。総じて、鈴麗の力ではミカエルに到底太刀打ちできないことを彼女の身体が理解してしまった。

 その結果、身体が思考や意志を放棄して行使した選択は『逃走』。破滅してでも一矢を報いる行動をせず時間に稼ぐ事を優先した。今この場において自身のプライドも捨ててしまっていることに、思考を捨てた彼女はまだ気づかない。

「づ、あ……………っ!」

 芦屋の腕が限界を迎える。

 しがみついていた腕が推進力に耐えきれず解け、一部となっていた芦屋の身体が空中に放り出された。芦屋は空中での飛行手段を持たない。重力に従って地表へと落ちて、血と肉の塊に変わるだけだ。

「っ!芦屋ァ!!」

 即座に気づいた鈴麗もすぐさまそれを追って急降下。

 追いつくには十分の速度で近づいていく。これなら地に着く前には助けられる。もう少し………!

 降下しながら必死に伸ばしたその手は───


 ドンッ!

 ───両腕で、強引に横へ押しのけられた。


「…………………え」

 脳裏に生まれたわずかな空白。その間にも、彼女の身体は芦屋とすれ違うように横へと逃げる。軌道が横へとそらされる。

 その瞬間。


 音もなく。

 鈴麗が通過するはずだったところに、斬撃がたたき落とされた。


「な……………!!?」

 突風になびいていた服の袖が一部消失している。斬撃によって斬り裂かれてしまったのだ。肩からわずかに血が滴る。肩を掠ったらしい。

 それほどまでに、僅差。

 あと数センチで腕が飛び、あと数十センチで身体は真っ二つだった。

 …………そうだ。

 自分は窮地を乗り切れた。

 では、芦屋は…………!?

「芦屋ァっ!!!!」

 すぐに首を回して彼の姿を探す。

 芦屋は自分の下にして、更に落下を続けていた。


 右肩から左腰まで繋がる斬り傷から、血を噴き出しながら。


「…………ッ、ぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 半狂乱で足から炎を噴き出し、芦屋のもとへと急速落下する。

 助けようとしたとき、芦屋は私ではなく、もっとずっと上の方を見ていた。

 芦屋は、きっと気づいていたんだ。

 ミカエルが自分たちをねらって短剣を振り下ろそうとしていることに。自分が逃げるのに夢中で気付けなかったそれに。

 だから、あの手を押し退けたんだ。

 ようやくそこまで考えが至る。回転の遅すぎる頭に彼女自身怒りを抑えられない。

 芦屋の落下に追いついた鈴麗はその体を両腕でしっかり抱き込み、軌道を強引に横へと捻じ曲げる。思いの外ぎりぎりで、木の幹を何本も突き破った。

 逆噴射をしてブレーキをかけるが速度を殺しきれず、着地の時に派手に転倒した。口の中で鉄の味が広がる。派手に転んだ際に口の中を切ったらしい。

 それらのことは全て、今の鈴麗にはどうでもいい事だった。

 芦屋を地面に降ろし、必死に意識を呼び戻そうと叫ぶ。

「芦屋!芦屋ぁ!!」

 目は、覚めなかった。

 傷は深くない。なぜかは分からないが、あの雰囲気からして完全に2つに切り分けられていても不思議でなかった。

 しかし、そんな深くない傷からはどくどくと血が流れ落ち、地を赤に染めていく。

 最も見たくなかったであろう光景が今、眼前に映し出されている。それを認めたくなくて、鈴麗はただ彼の身体を揺すり続ける。

 この時鈴麗の心を支配していたもの、それは『罪悪』と『後悔』。

 私のせいで時間稼ぎが出来なかった。

 私のせいでやるべき事を成せなかった。

 私のせいで芦屋が傷ついてしまった。

 私のせいで私のせいで私のせいで。

 拭っても拭っても胸にあふれる黒い感情は流れ落ち、芦屋の姿をぼかしていく。

『理解したか?』

 鉛のように重くのしかかる声に、鈴麗はゆっくりと振り返る。その目の前にあの天使がいた。いつの間に、などと推察する精神的余裕はなかった。

『これが、お前達弱小な人類が上に立つ天界に、崇高で高貴なる我にあらがうという事だ。それが如何に愚かであるか、お前達はその身をもって理解したのか?と、我は聞いているのだが』

 その言葉に、鈴麗は言葉を返せない。頬に冷たい汗が伝う。プレッシャーにあてられて呼吸が上手くできない。言葉を成す文字一つ一つが威圧を放って彼女を穿つ。

『………まぁよい。ファンタスティックエンジェルの存在感に言葉もでない、という事にしておいてやろう。終いだ。思いの外時間をかけすぎてしまった。お前達を片付け、早急に事を成すとしよう』

 ミカエルが片手に持っていた短剣を逆手に持ち替え腕を振り上げる。

 それが振り下ろされれば、阿呆面を曝している私の脳天を短剣が叩き割る。

 それで本当に、私の全てが終わる。

 目の前に正確に示された、死への道標。

 槍を振り回したかもしれない。炎でも放ったかもしれない。逃げだしたかもしれない。

 何をすれば打破できるか、何かしら考えていたかもしれない。

 その意志があれば。

 しかし事実、鈴麗は何一つ行動を起こさず、金光に煌めく短剣の刃先をただ見つめることしかしなかった。

 抗戦。牽制。逃走。

 それらを起こすだけの闘志はとうの昔に失せている。

(………………あぁ、私、死ぬんだ)

 空の亀裂が、視界の端で煌々とした光を垂れ流す。結局、全てが終わればあれは閉じるのだろうか?きちんと直り、これまでみたいに星々を映してくれるのだろうか?

 頭に浮かぶのはその程度。眼前の死については何も思わなかった。

 ───けど。

 私が死んだあと、きっと次は芦屋が殺されてしまうのだろう。それだけは、この刹那の内に浮かぶ唯一の心残りだった。

『さらばだ、せめて天へと昇ることを祈るがいい』

(ごめんね………………)

 振り下ろされる。

 刃先が眉間に吸い込まれる。

 それに対して、鈴麗は目を瞑ることもしない。ただ虚ろに、迫る刃を眺めているだけだった。





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